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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【BL】WARGAME

作者: 義倉 茶房

 この世界の大半の人間には人権も、倫理も、正義も存在しない。壁の中にいる選ばれた一部の者達がそれらを持つことを許され、外にいる無価値な者達にはそんな権利など、生まれた時から存在しない。全てが金より軽い外側の世界では、命の遣り取りすらゲームになる。

 夜毎行われる壁の中の者たちの娯楽、WARGAME。そのプレイヤーとなるのは外の者達。生きた駒である彼等は今日も、アタッカーとディフェンダーと呼ばれる役割に分かれ、火花を散らしている。中の者たちはそれを温かで平和な壁の中で観戦し、酒を片手に金を賭けては、好き勝手な野次を飛ばすのだ。


「ロイド、さっさと決着をつけねば、夜が明けますよ」

「開始早々確殺決め込んで、貴方は余裕ですよね、アイーザ!」

 コンバットナイフを片手に突っ込んできた男を、ロイドは何とか躱す。彼が着ていた白いパーカーの腹部が切られたが、巨大なコンテナの上から二人の戦闘を見下ろすアイーザは、その様子を黙ったまま見下ろしていた。

 今回のゲームステージはとある埠頭、内容は奪取。目標は小型のトランクケース。ディフェンダーはそれを守りながら目的地まで運ぶ。アタッカーはそれを妨害し、自陣へ持ち帰ること。相手プレイヤーの全滅が勝利条件となっている。今回は3対3のチーム戦で、アイーザ達の仲間であるルネは、トランクケースを持って逃げているプレイヤーを追っていた。

 ロイドは手にしている鉄パイプを握り締め、敵と睨み合っている。このゲームに生身の人間が参加しているのは珍しいことではないが、鉄パイプというその辺に転がっている棒切れを武器にするなど、舐め腐っているとしか言いようがない。だが、ロイドには舐めプをしているという自覚が全く無いのだ。

 なんてふざけた男だろうと、アイーザ横に流した長めの灰色の前髪を指先で弄りながら、フッと笑った。普段、皮肉めいた笑いしか浮かべぬ男が浮かべる、珍しい笑み。しかし、その笑みもまた、ロイドの愚かな馬鹿さ加減を嘲笑う綺麗な笑みでしかなかった。髪色と同色のけぶる睫毛に縁取られたアイーザの青紫色の瞳の中では、時折火花が散っている。

 カァン!キン!ガキン!と、金属がぶつかり合う音と、潮風の磯臭さが鼻につく。潮で髪が傷みそうだ。アイーザは早く帰りたかった。

 そんなアイーザなど梅雨知らず、ロイドは相手プレイヤーに苦戦していた。戦闘経験の無い生身の人間が、このWARGAMEに参加するなど、命を無駄にしている。正気の沙汰とは思えない。今も相手の動きを追うだけで手一杯で、全く攻撃することすら出来ない。ナイフの刃が、ロイドの短い金髪を掠めた。切れ味の良いそれは、パラパラと金糸を散らす。

「ったく、ど素人がよぉ。舐められたもんだな!」

 ウィンドブレーカーにガスマスクという奇っ怪な出で立ちの男が、ぼそりと呟いた。

 

 何故、ロイドがGAMEに参加することになったのか。それは数日前に遡る。ある雨の日、透明なビニール傘を差して、ロイドはバイト先へと向かっていた。壁の外では生きていく事すら命懸け。仕事は少なく、ある日突然収入源が消えてなくなることも少なくない。こんな無法地帯のような場所でも金は絶対的な力を持っていて、ロイドのような普通の、なんの取り柄のない人間は、漸く掴み取った仕事にしがみついて、何とか収入を得るしかない。

「プレイヤーになれば稼げる〜なんて、簡単に言いますけど、死んだら元も子もないじゃないですか…」

 ラジオを聴いていれば流れてくる、ありふれた広告宣伝。壁の外の無価値な家畜共よ、金が欲しくばゲームをしよう。勝てば官軍。翌日から君は勝者だ!と、作られた自動音声が地獄の門の前で、笑顔を振りまき手招きしているような…酷く胸糞悪い広告。ロイドは直ぐ様電源を切り、家を出たのだった。

 いつもより早くでたから、このままゆっくり歩いても余裕で間に合う。だから、この雨が、少しでもこのクサクサした気持ちを洗い流してくれやしないかと、ロイドはどんよりとした曇り空を見上げ、廃墟同然のビル街を歩いた。

 所々に剥がれ落ちたビルの残骸が、瓦礫となって散らばっている。コンクリートの中からは錆びた鉄筋が剥き出しになっており、折れ曲がった鉄骨が、瓦礫の山から顔を覗かせている。この間も、とある空きビルが倒壊したとニュースになっていた。この辺りもいずれ、そうなるのだろう。

 だが、外の世界はこんな危険地帯ばかりのため、そう言われてもどうしょうもないのが現実だった。

「巻き込まれたら、運が無かったと言う他ありませんからね」

 外だと言うのに、逃げ場など無い。外側の人間は、いつまでも外側にしかいられない。流れ着いても地獄なら、住み慣れた地獄の方が、幾分マシだ。そんな事を考えて歩いていたら、何かに足を引っ掛けた。

「うわっ!」

 最初は、瓦礫にでも足を取られたのかと思った。しかし、そうではないと気が付いたのは、そのぶつかった何かに、僅かな柔らかさを感じ取ったからだろう。

 転びそうになったものの、何とか踏ん張り堪える。そして、恐る恐る足を引っ掛けた何かを確認した。

(飲んだくれた酔っ払いならまだしも、死体とかだったら勘弁ですよ…?)

 外は地獄らしい治安の悪さだ。酒に呑まれて地面に転がる酔っ払いも、住む家のない浮浪者も、様々な原因でお亡くなりなりになった人達も、この街では至る所に転がっている。死体を見ることなんて珍しくも何ともない。それでも、死後数日となれば酷い有様で、数日の間、肉料理は食えなくなる。だから、ロイドは死体を見たくなかった。

 それでも一応確認はせねばと、薄目を開けて、そこを見れば、地面に落ちていたのは人の足だった。一本ではない。対となる足が2本ずつ。つまり、少なくとも二人の人間が、このコンクリートの瓦礫と残骸だらけの地面に転がっているということになる。

 正直な所、本当に面倒臭いことになったと、確認したことを後悔した。後は、この足の持ち主達が死んでいるのか生きているのか…そこが問題だ。たまに足だけ転がって、その先が無いなんてこともある。ロイドはまた、大きな瓦礫で隠れている部分を、そ~っと、覗き込んだ。そして、ロイドの翡翠色の目が驚きで見開かれた。

 そこにいたのは、二人の男だった。瓦礫に凭れるように、ぐったりと倒れ込んでいる。双方白いYシャツと黒いスラックスを着用していた。世間一般よりも背の高いロイドよりも、彼等は遥かに背が高い。まさに長身痩躯で手足が長く、スタイルが良い。

 だが、それだけではない。ロイドはピクリとも動かない二人に近付いて、二人の男の顔を見る。そして、そのあまりに整った造形に感嘆のため息を洩らした。

 そんな身体に乗っかっている頭は小さく、それぞれ七三分けの襟足が長めの灰色の髪と、真ん中分けの灰色掛かった茶褐色の肩口で切り揃えられた波打つ髪をしている。そんな髪に隠れている顔は肌が透けるほど白い。瞳の色は瞼を閉じているので見えないが、影が落ちる程に長く濃い、生え揃った睫毛と彫りの深い顔立ち。すっと通った鼻筋と、薄い唇のバランス。まさに神が作った奇跡の造形物達だった。ロイドはそんな2人のうちの、灰色の髪の男のそばでしゃがみ込み、少しの間見惚れてしまった。そして、そぉっと、彼の口元に手を翳す。まだ、呼吸をしていた。

 よく見ると彼等は至る所が傷つき、所々血を流すような怪我もある。ロイドが手を引っ込めようとしたその時、意識が無いと思われた男の真っ白な手が伸びてきた。手首が折れてもおかしくない程の力で、彼はロイドを掴む。きっと、他人を警戒せねばらならない程の酷い目にあったのだと、ロイドは察した。

「大丈夫ですよ、私は貴方を助けたいだけです」

 灰色の髪の男の瞼が開いている。据わったような彼の瞳は、吸い込まれそうな程に美しい青紫色をしていた。ロイドはそんな彼に翡翠色の瞳を細めて、笑ってみせた。

 狂気と殺意に溢れた彼の視線に、僅かな戸惑いが混じる。そして再度、彼は気を失った。するりと、彼の手が地面に落ちていく。濡れた地面にその手が触れると、パシャッと音を立てた。彼がこれ以上濡れないようにと、ロイドは自らの傘を差し出した。もう一人の彼には、羽織っていたジャケットを被せる。防水のナイロンジャケットだから、少しの間は凌げる筈だ。

 ロイドは駆け足でバイト先へと向かった。店長と先輩なら、必ず2人を助けてくれる。ロイド1人ではどうにもならない。掴まれた左手首には、彼の手形がはっきりと残り、痛みと熱を発していた。けれど、ロイドは全く気にせず、あの二人を助けることで頭が一杯だった。


 そうして2人はロイドと、彼のバイト先の店長と先輩に助けられた。店に連れてこられた二人は濡れた服を脱がされ、傷の手当てをされ、新しい清潔な服に着替えさせられ、2階で寝ている。着替えさせている間に一瞬意識を取り戻した茶褐色の髪の男から聞き出したのは、髪が茶褐色の男がルネ、灰色の髪の男はアイーザという名前のみだった。外側の人間は名字が無いことも珍しくないが、彼等もやはり、名字は持っていないらしい。

 取り敢えずやりきった3人は、1階の店舗でふぅ…と、一息ついていた。此処はBar紅薔薇。筋骨隆々の逞しき美丈夫が経営している、自称外界のオアシスである。

 店長であるセミロングのウェーブヘアのオカマであるジャスコは、一息いれましょ?と、紅茶を振る舞ってくれた。薄桃色に染まる毛先を指先に絡ませながら、あの2人、どうしようかしらねぇ…と、紅茶を飲みながら思案している。

「ちょっとママ、ダメよ?そんな直ぐに気を許しちゃ!」

 ロイドの手首の手当てをしながら、オレンジ色のマッシュルームヘアのオカマ、マシューコがジャスコに釘を刺す。二人とも何とも言えない濃い奇抜なメイク。ぴっちりと身体のラインに沿ったタイトなワンピースを着て、靴はエナメルのピンヒールという派手な格好をしている。

 外側ではそんな彼女達は浮いてしまうが、自らの道を貫く2人は、絶対にお洒落には気を抜くことはしない。そして、そんな強い2人だからこそ、馬鹿を見るとしか言われない人助けすら、快く引き受けてくれるのだった。

「そもそも…あの外見、どう見ても人造種…いえ、禁忌種の子達じゃないのよ…」

 マシューコがとても言い難そうに、言葉を詰まらせながら発した2文字、人造、禁忌とは、どちらもプレイヤーを増やすため、人工的に作られた人間達のこと指す。

 WARGAMEは、端的に言えば古代ローマのコロッセオで行われた、剣闘士達の死合と同じ。壁の中の市民達の娯楽だ。最初は普通の人間達を使っていたが、面白味に欠けた。そこで、ただの人間達に手術と称した改造を行い、強化種と呼ばれるプレイヤー達を生み出した。しかし、それも結局は人間だ。駒の消費が激しすぎて、直ぐに数が減ってしまうのは目に見えていた。だから壁の中の人間達は、人工的にプレイヤーを増やそうと試みた。

 そこで生まれたのが禁忌種と呼ばれる者達だった。禁忌種とは、端的に言えば培養瓶の中で作られた人造人間である。

 遺伝子を弄くり回され、まさに死合をするためだけに生み出された生粋の戦闘員。神の領域をも侵し、様々な遺伝子操作を行い作られた人間の限界を超えた者達のことをそう呼んだ。更に、稀に禁忌異常種と呼ばれる、人の枠から完全に突き抜けた存在。異能という神の如き力を持ちながらも、その対価として異常や欠陥を持っている者達も存在する。

 そんな人工的に作られた者達の共通点は、姓が無く、容姿が異様なほど整っていること。普通の人間なら死んでいるような傷でも死なず、治りも早く、一見華奢に見えても、その力は並の人間を遥かに凌駕する。そして、作られた殆どが男だ。

 女性体もいないわけではないが、死合という性質上、男性体が遥かに多く、WARGAMEのプレイヤーも殆どが男だった。

 マシューコはあの二人を、ペナルティを犯し、ギルドを追放されたプレイヤーと見ているらしい。

「違反、ゲーム放棄したプレイヤーに命はない。匿えば、アタシ達もタダでは済まないかもしれないのよ?」

 マシューコがジャスコを真っ直ぐに見据えて、そう忠告した。

「そうね。でも、そうじゃないかもしれないわ。それに、あの子達がプレイヤーだと決まったわけでもないのよ?」

「それはそうだけど…」

「今は様子を見ましょ?いくら禁忌だろうが異常持ちだろうが、アタシとマァちゃんが止めれば済むことだもの」

 ロイちゃんもそれでいいわね?と、ジャスコはロイドに問うた。ロイドは真剣な表情で頷く。そんなロイドを見て笑ったジャスコは、パンパンと手を叩いた。

「それじゃあ先ずは開店準備よ。あの子達も心配だけど、今は仕事が大事。今の御時世、働かなきゃ御飯は食べられないのよ!」

「了解よ、ママ!」

「はい!」

 そうして3人は、いつもの日常に戻っていった。2階ではまだ、心配の火種が眠っている。ロイドは時折階段を心配そうに見つめ、ジャスコとマシューコに注意されながらも、何とか一日の仕事をこなした。


 2階の2人が目を覚ましたのは、店の営業が終わり、深夜1時を過ぎた頃だった。店の掃除や片付けをしていた3人は、ふと聞こえた階段を降りてくる足音に気が付き、一斉にそちらを振り向く。

 カウンターの中にいるジャスコとマシューコ、テーブルを拭いていたロイドの視線が一点に集る中、2人は降りてきた。

 先頭を歩くルネが申し訳なさそうな笑みを浮かべ、人差し指で頬を搔く。照れくさそうな表情にも見えるそれは、しかしどこか上っ面のような…空虚な仮面のように見えた。

 その背後にはアイーザが立っていた。まだ意識ははっきりしていないのか、手で隠してはいるが大きな欠伸を繰り返し、寝ぼけ眼でぼんやりとしている。

 どうやら、マシューコの悪い予想は当たっていたようで、2人共、あれ程酷い怪我をしていたというのに、傷はどれも消え失せ、綺麗な肌をしていた。

「いやぁ、すみません。弟共々、色々お世話になってしまったみたいで…」

 ルネが綺麗に感情を繕ったような顔で、3人にありがとうございますと御礼を述べる。表情も、声色もズレは無く、ちゃんとそういった罪悪感を感じているように見える。しかし、それが余りにも整い過ぎて、完璧で、却ってそれが嘘臭く映った。もしも、彼の言葉も表情も嘘だとしたら、彼の本心は一体何処にあるのだろうと、ロイドは心配になる。

 そして、アイーザはと言えば、本当に眠気以外に意識が向いていないようで、ジャスコもマシューコもロイドも、眼中にない様子だった。

 そんなアイーザをルネが肘で小突いて、御礼をするように促す。すると、アイーザはそこで3人に気がついたらしい。視線をそちらに一瞬だけ合わせ、どうも…とだけ、短い言葉を発した。その後は完全に興味を失ったらしく。眠い…とぼやいては欠伸を噛み殺している。

「全くもう、最近の子達は躾がなってないわね…」

 そう言って、ジャスコがカウンターから出てきた。彼女はそのままルネとアイーザに近付き、立ち止まると、その鉄拳をそれぞれの頭上に振り下ろした。

 必要最低限の動きでそれを躱し、その場から飛び退く。彼等の表情には先程での腑抜けた様子は微塵もなく、その身のこなしで、ルネとアイーザはやはり長く戦場に身を置いてきたプレイヤーなのだと、3人は確信した。

「良いこと?助けて貰ったならありがとうは基本!そして、アイちゃん!ロイちゃんに怪我までさせたんだから、ちゃんとごめんなさいしないとダメじゃない!」

「アイ…ちゃん…?」

 飛び退き警戒していたアイーザが、まさかの名前の呼ばれ方に呆気にとられる。その後不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、片眉を吊り上げた。ルネもまさかの呼び名にブハッと笑いを洩らし、肩を大きく震わせながら、大笑いした。

「アハハハ!アイ…アイちゃん…!貴方に対して…!アイ…ちゃん!」

 ルネは笑い過ぎて腹が引き攣っている。時折、いたた…と洩らすが、それでも笑いが勝るようだ。

「いい加減にしろ」

 ジャスコの殺人級の拳骨と、ルネの不躾な大笑いで、漸くアイーザは覚醒した。そして、アイーザの顔を見ては笑っているルネの脛に蹴りを入れる。ルネはそれをヒョイと躱してから、ルネは笑うことをやめた。

 尾を引いていない彼の様子に、果たして先程までの笑いも本心だったのかと疑問が生まれたが、ルネの改めての謝罪と感謝の意を述べた。アイーザもロイドの顔と手首を見て、瓦礫の中での事を思い出したらしい。

「貴方は…」

「あの、大丈夫ですか?」

 怪我をさせられた筈のロイドは、怒りも恨みも無く、ただアイーザを心配した。まさかの反応にアイーザは驚く。けれど、彼は純粋に心配だけをしているらしく、何の返事もしないアイーザに、眉根を寄せて、眉尻をを垂らす。

「あぁ……、問題ありません。感謝します」

 呆気にとられるアイーザの肘で小突き、ルネがまだあるでしょう?と、その先を促した。

「それ…と…、腕は…大丈夫ですか…」

「はい、少し痕は残ってますけど、骨に異常も無いみたいですし」

 あくまでも、素人目の判断だ。しかし、外側に病院など無い。あったとしても無免許医か、訳アリか。壁と外の境に、外の者達も利用できる病院も存在してはいるが、外側の者達が取られる治療費は法外で、利用するなんて夢のまた夢だ。だからこそ、自身の異常は自分で判断する。しかし、そうして生きてきた経験の積み重ねにより、素人ではあるが、多少の説得力はある。

「そうですか…」

「良かったですねぇ!アイーザに本気で握られたら、骨が砕けても可笑しくないので」

「え!?」

「馬鹿言え、誰が本気で握るか。ちゃんと手加減はしてます。あったとして、圧迫骨折程度のものですよ」

「圧迫骨折…」

 その尋常ではない力。やはり彼等は禁忌の者達なのだろう。そして、ルネもアイーザも既にバレていると予想して、敢えて自白するような真似をしたのだ。

「はぁ…、取り敢えず、アンタ達。そこに座りなさい」

 ジャスコがそう言って、ルネとアイーザをカウンター席に促した。2人は素直に従い、脚の長いそれに腰掛ける。そこに座ると、殆どの者達は床に足がつかないというのに、ピンクのフワモコスリッパ(ジャスコが来客用に使用しているもの)の底が、べったりと地についている。

「ママ、アタシ、裏でお茶を入れてくるわ。眠気を妨げらたらいけないし、温かい麦茶がいいかしらね」

「そうね、お願いするわ」

「は〜い、任せて」

「マシューコさん、手伝いますね!」

 マシューコとロイドがカウンター横の暖簾を潜り、その奥にある台所へと消える。

 白いパジャマ姿のルネが、アイーザの分も含めて御礼を言った。

「本当に、今日一日どれ程お世話になったか…。皆さんには頭が上がりませんね」

「日付を跨いでるから2日よ。それと、胡散臭い笑いと、心の籠ってない御礼は要らないわ」

「おやおや、手厳しい…」

「残念ですが、ルネにそのような事を言っても無駄ですよ。そもそもコレには、心というものが無いので」

 無いものを取り繕う頭はありますがと、アイーザは言う。すると、眉をハの字にしながらヘラヘラ笑うルネが、酷いなぁ…と、反応した。

「もう少し、言い方ってものがあるんじゃないですかねぇ?」

「どう言い繕おうと、結局意味は変わらぬなら、無駄は省いた方が無難でしょう」

「まぁ、そうなんですけどねぇ…」

「アンタ達のその欠陥…、もしかして異常種なの?」

 ジャスコが洗い終えたグラスを拭きながら、尋ねる。すると、2人は平然とその問いを肯定した。

「えぇ、そうですよ〜。一応プレイヤーもしてました」

「そう…、ランクは?」

 プレイヤーと、彼等が所属するギルドには、それぞれランクが存在する。最下位はF、最上位はAで、禁忌種、異常種の者達は皆、Cから上の高ランク帯に固まっている。当然、禁忌、異常種達は皆、所属ギルドの最主力プレイヤーばかりだ。大型と呼ばれるギルドであれば、そんな彼等を複数所有していることも少なくない。当然、ランクが高ければ高い程、マシューコがしていた懸念も膨れ上がる。だが、アイーザからの返答は、ジャスコが予期していないものだった。

「さぁ?覚えてませんね。そもそも我々、資格を失効、剥奪されてますし。再登録となれば、経験があろうとも初心者。Fランクからのスタートですから」

「なんですって…?」

 一度プレイヤーとなれば、余程のことが無い限り、終生プレイヤーとして生涯を終える。そもそも、一度ゲームの舞台に立てば最後、片腕、片足をを無くした。高齢。難病等の理由が無い限り、途中で降りることは許されない。当然、プレイヤー資格を剥奪されるなど、前例が無い。

 また、プレイヤーはゲーム中に大抵死ぬので、引退=死のようなものだ。生きてゲームを終えた者は存在しないというのが、現在の常識である。

「まぁ、剥奪されたからといって、はいそうですか。で、辞る気もないんですよねぇ…。と、いうわけでジャスコさん。この辺りで、大物新人2人、引き受けてくれそうなギルドって、ご存知ありません?」

 そう言ってルネがピースサインをマシューコに見せる。ジャスコは、純粋に疑問に思ったことを口にした。

「どうしてアンタ達は、そこまでゲームに拘るの?」

「ん〜、どうしてと言われましても…ねぇ?」

「ちょっとした御礼参りですよ。誰に、という部分に関しては、口を噤みますが」

「御礼参りねぇ…」

 2人の返答に、ジャスコは溜息交じりに呟いた。金でも、戦闘が好きというわけでもなく、取り敢えず御礼参りという理由でのゲーム参加。前例の無い資格の剥奪。ジャスコの予想以上に、ルネとアイーザは訳アリのようだ。

「おまちど〜!熱々麦茶よ〜」

「すみません。人数分の湯飲みが無くて、マグカップやら色々バラバラになっちゃいました…」

 ロイドの発言通り、マシューコが持ってきたお盆の上には、ゴツいながらハートが描かれた湯呑みと花柄の湯呑み。渋い様々な魚の漢字が書かれた湯呑み。黒猫が描かれたマグカップ、更にはティーカップまで持ち出されていた。

「あらヤダ、随分バラバラね」

「仕方ないじゃないママ、うちはBarだもの。お酒のグラスは数あれど、お茶嗜むのなんてアタシ達3人だけよ」

「うっかりしてたわ。今度、お客様用に少し調達しようかしら…」

 ジャスコとマシューコが会話している間に、ロイドが黒猫のマグカップとティーカップをそれぞれルネとアイーザの前へ置いた。

「すみません、新品となるとそれくらいしかなくて…」

 湯呑は3人の私用品のため、お客様にはお出しできない。そうして探し回った挙げ句、見つけられたのはこの2つだけだったらしい。

「いえいえ、どうぞお構いなく。どうせ我々、直ぐに此処を発ちますし…」

「そうですね、新たな所属ギルドを探さねばなりませんし」

「え?そうなんですか…?」

 ルネとアイーザの言葉に、ロイドがあからさまに残念そうな顔をする。すると、そんなロイドにアイーザが言葉を返した。

「何を残念がっているかは存じませんが、こんな地雷原2人。さっさと追い出した方が身のためですよ」

 それは、事実であった。アイーザの言う通り、異業種、更に元プレイヤーというだけで、その存在が知れたら最後、店を潰されてもおかしくはない。そうまでしてでも、ギルドというものは強いプレイヤーを欲しているのだ。

 WARGAMEにおいて、ギルド運営者の懐を潤わせるためには、何においても強いプレイヤーがいなければ話にならない。彼等が勝って、その賞金が入って来なければ、ギルドは瞬く間に潰れてしまう。だからこそ、どのギルドも禁忌、その上位者である異常種達を、血眼になって探しているのだ。たとえゲームを拒否しようと、あの手この手で無理矢理ゲームの盤上へと立たせる。ゲームをするためだけに作られた存在。彼等は外側の高給取りでありながら、その権利は、外側の一般市民よりも低かった。

「そうねぇ…」

 ジャスコが静かにそう言った。ロイドが思わず、ジャスコさん…!と声を荒らげる。何故、こんなにルネとアイーザが心配になるのか、ロイドにはわからない。けれど、あの雨の中、瓦礫の中で倒れ込んでいる2人を見てからというもの、どうしてもこの2人のことが頭から離れない。特に、アイーザと名乗る青年のことが、ロイドは不思議と気になって仕方がなかった。

 顔に釣られたわけではない。たぶん…。

「一応、あるにはあるわよ。とんでもなく最弱で、ランクはF。開業してから日が浅すぎて、当分は碌なゲームが回ってこないとは思うけど…」

 ロイドはきょとんとした顔で、ジャスコを見た。彼女がゲームやギルドに詳しいなど、聞いたことがない。いつそんな新興ギルドをいつ知ったのか、マシューコに尋ねてみようと彼女を見れば、彼女はママ…と、眉間に深い皺を刻み、眉をハの字にしながらジャスコを見つめている。

「あはっ、新人プレイヤーに新興ギルド。うってつけじゃないですか」

「ゲームプレイをできるというのなら、私は何処でも。どんなゲームでもやる事は変わりませんから、問題ありませんよ」

「それで、そのギルドは何処にあるんです?」

「あら、もうその場にいるわよ。因みに、ギルドマスターはこのアタシ」

 ルネがおや、と短く声を洩らし、アイーザは何も言わず、ただジャスコを見た。

「ようこそ、ギルド紅薔薇へ。といっても、手続き云々は明日してくるんだけど…」

「別に、構いませんよ〜。よろしくお願いしますね?ジャスコさん」

「選り好みはしません。私も、世話になります」

 3人だけで会話が進んでいく。置いていかれている側であるロイドは、まさかのバイト先が、Barからギルドに変わるとは思わず、目を白黒させることしかできない。しかし、マシューコは違った。

「ちょっと待ってよ、ママ!アタシは頷いてないわよ!?」

 彼女は吠えた。涙こそ浮かべてはいないものの、彼女の眉間の皺が更に深みを増し、歯を食いしばっている。余程の力が入っているのか、歯がカチカチと音を立てた。

「アタシはギルドマスターの資格を持ってる。そして、この辺にあるギルドは何処も良い噂を聞かないわ」

「えぇ、そうね。それはアタシも知ってるわ…」

「それに、ロイちゃんが連れてきた子達だもの。放っておけないでしょ?こんな野良犬だかハイエナだかわからないような大馬鹿共、首輪でもつけておかないと何しでかすかわかったもんじゃないわ」

「たしかに、そうかもしれないけど…!」

「マァちゃんはアタシの性格、知ってるでしょ?きっと、アタシはこの時のために、マスターの資格を取ったんだと思うわ」

 ギルドマスターの資格を取る方法は、一つではない。ギルド運営に必要な様々な基準をクリアして、WARGAME公式に報告し、許可を得ることが一般的だ。しかしもう一つ、資格を得る方法がある。

 それは、元プレイヤーであること。

 引退した元プレイヤーであれば、WARGAME公式にマスターになると申請するだけで良い。そうすれば即日、ギルド運営もできる。そう、何を隠そうジャスコは、元プレイヤーなのだ。

「もう何十年も前だけどね。アタシとマァちゃんは、ゲームの舞台に立っていたのよ」

 彼女達は禁忌でも強化種でもない。ただの人間だ。彼女達が現役の頃はまだ、禁忌種の開発が始まったばかりの頃だった。

「だからこそ、生身のアタシ達がトップを走り続け、年齢とマァちゃんの腰の怪我を理由に引退できたわけだけど…」

「でもママ、引退する時に決めたじゃない。もうゲームとは関わらないって…」

「そうね。でも、これも運命(さだめ)なのかもしれないわ。一度WARGAMEに関われば、その影は一生ついて回る…。それならもう、受け入れるしかないじゃない?」

「ママ…」

 もう、マシューコは何も言わなかった。言えなかった。過去、ゲームに参加した際、彼女から誘ったのだ。あの頃はただ、お金が欲しかった。生きていく上で、切っても切れぬもの。外の世界で金を稼ぐ方法は限られる。だから、2人はゲームをはじめた。

 その日々は過酷で、何度もその手を血で染めた。殺らなければ、此方が殺られる。そうして、2人の両手は汚れてしまったのだ。だからこそ、引退するときに決めたのだ。もう、ゲームと関わるのはこれっきりにしようと…。

 ゲームで貯めたお金は、このBar紅薔薇の開店資金となった。2人は今も、ゲームで犠牲となった者達のお陰で立った店で、そんな彼等の上で仕事をし、生活している。生きている。

 逃げても逃げても変わらない。それならば、ドンと構えて、迎え撃ってやるのが、彼女達の流儀だ。

「というわけでアンタ達、これからよろしく頼むわよ」

「了解で〜す」

 アイーザの分も含め、ルネが気の抜けるような返事をした。ジャスコはギルドになっても、Barも辞める気は無いという。そのため、ロイドはクビにならずに済んで、内心ホッとした。

「あ、それじゃあ、もう一つお世話になっていいですか?」

 ルネがそう言うと、ジャスコは言いわよと、返した。

「では、お言葉に甘えて…。服や靴なんかも、用意して貰えたら嬉しいなぁ…なんて」

 2人が着ていた服は血で汚れおり、その汚れも落ちなかったので処分してしまった。なんでもあの服が、所持しいていた唯一だったようで、着替えが無く。靴もその時にボロボロになってしまい、履けるようなものではなくなってしまっているらしい。

「仕方ないわねぇ、服と靴代は、初戦の賞金から差っ引くわよ」

「仕方ありませんねぇ、それでお願いします」

 ルネの話が落ち着くと、今度はアイーザが口を開いた。

「では、私からもお願いして構いませんか?」

「今度は何よ?」

「煙草ください」

「お黙り!」


 翌日、ジャスコは正式にギルドを立ち上げた。ルネに頼まれた服と靴、下着までも用意し、アイーザがニコチン切れによるストレスで当たり散らしたため、仕方なく100円ライターとセブンスターのボックスをワンカートン買って、彼に投げつけてやった。

 新興ギルドに回ってくるゲームは種類も数も少ない。ゲーム内容も配信で人気のものではなく、底辺を争うような地味なものが多い。そうでなくとも、所属プレイヤーは2人、どちらもFランクとなれば、更にその数は減る。

「というわけで、今回アンタ達が参加できそうなゲームはこれくらいだったのよねぇ…」

 そう言ってルネとアイーザに渡された2枚の書類。時刻はお昼、紅薔薇のカウンターに座りながら、2人はそれぞれ1枚手に取り、その書類に目を通していた。

 アイーザが煙草を吹かしながら、ゲーム内容に口を出す。

「私の目が節穴でなければ、プレイヤー人数が3人になっているんですが…」

「そうなのよ。本当、参っちゃうわよねぇ」

 2人の初陣。ステージは埠頭、コンテナ置き場。ゲーム内容は奪取。そこまでは良かった。プレイヤー人数3人。そこが最大のネックであった。

「Fランク相手なら、1人でも問題無いんですけどねぇ…」

 ルネがカウンターにだらしなく突っ伏し、書類の内容に文句をつける。

「そうは言っても、決められたゲーム内容は絶対だから。どうにかしてもう1人探さなくちゃいけないわね」

「そうは言っても、高々Fランクの試合に、傭兵が動くわけもありませんし…」

 傭兵とは、傭兵ギルドと呼ばれる特殊ギルドに在籍しているプレイヤーを指す。彼等は基本的に個人主義で、馴れ合うことを嫌う。そのため、その腕だけでのし上がり、金を積まれればどちらの味方にもなる。穴抜けを埋めるために雇った傭兵が、翌日は敵だったなんてこともザラだ。特定のメンバーが固まって動くことを嫌う彼等は、傭兵だけでチームやクランを作ることはなく、金で頼まれたときにだけ動く。その報酬額はピンからキリまであるが、自分の腕に自信を持ち、プライドもある彼等は、Fランクという最低ランクに足を運ぶことは無い。傭兵達は基本的にある程度ゲーム経験のあるプレイヤーが、所属していたギルドから移籍してきた者ばかりのため、そもそもFランク者が皆無なのだ。

 ゲームが盛り上がるのは、どうしても同じ程度の力量者の戦いだ。そのため、余りにランク差が開いていると、そのゲームに参加すること自体できない。特に、高ランク者の低ランク戦乱入は、初心者狩りとしてブーイングが起こる程に嫌われている。

「今から新人を探すっていっても、そもそもFランクギルドの勧誘なんて断られるのがオチなのよねぇ」

「マシューコさんとか借りられません?立ってるだけでいいんで」

 ルネがカウンターにいるジャスコを見ながら、後ろにいるマシューコを指差した。当然、彼らの背後にあるボックス席のテーブルを拭いていたマシューコは絶対に嫌よ!と返事をして、手にしていた布巾を投げつけた。

「こんな美人で儚げなおばあちゃんに、そんな血生臭い戦場に立たせるんじゃないわよ!」

「厚化粧の化け物の間違いじゃありませんか」

 紫煙を吐き出しながらそう言ったアイーザにブチ切れ、マシューコは拭いていたテーブルを持ち上げる。今にも投げつけそうなマシューコを、ロイドが必死になって止めた。

「アンタねぇ!もう一度言ってみな!その綺麗な顔、2度と拝めなくしてやるわ!」

「マシューコさん落ち着いて!アイーザも謝ってください!」

「お断りします。私は事実を言ったまでですので」

 アイーザの態度に、マシューコの怒りは振り切れた。テメェ、この野郎!と、普段は絶対に使わないような野太い声と荒々しい口調でテーブルを投げ捨て、アイーザに掴みかかろうとする。止めるロイドも、全力だったが、マシューコの力は強く、少しずつズルズルと引き摺られている。

「あぁ!ロイドなら丁度良いんじゃないですか?」

 ルネが名案だというように、笑顔でロイドを見ている。マシューコを止めるのに必死だったロイドが、突然のことにマシューコから手を離してしまったため、彼女はそのままカウンターへと突っ込んだ。彼女の目の前にはアイーザがいる。しかし、彼はマシューコを振り返ることも無く、背を向けたまま、ひらりと椅子を立ち上がり、突撃してくるマシューコを避けた。

 そのまま彼女はカウンターへと乗り上げ、ジャスコと超至近距離で邂逅を果たすことになった。

「マァちゃん、暴れないのよ」

「ごめんなさいママ。でも、悪いのはあの白髪よ!」

「白髪じゃありませんよ、灰色です」

 マシューコがキーッ!と牙を剥く。しかしアイーザは相手にもせず、淡々と反論した。

「大した違いなんてないわよ!煤頭!」

「毒キノコじみた頭よりはマシですよ。色も形も、趣味を疑います」

「なんですってー!?」

「2人共、お止めなさい!みっともないわ。それと、ルゥちゃんには残念だけど、ロイちゃんは参加させられないわ」

「え〜…」

 ロイドはまだ返事をしていない。それなのに何故か、ジャスコがその返事をしてしまった。ゲームをするかは決めていない。けれど、何故ジャスコが返事をしたのか。ロイドは思わず声にしてしまった。

「あの、私…何も言ってませんけど…」

「そうね。でもね、ロイちゃん。貴方はダメよ」

「どうしてですか?」

 ロイドは食い下がる。しかしジャスコはダメと言うばかりだった。ゲームに参加したいわけではない。だが、何故ダメなのか、それだけが知りたかった。

「それじゃあ聞くけど、ロイちゃんはその手を汚す覚悟がある?一度参加したら最後、最悪死ぬまで、相手の命を奪わないといけないのよ?」

「でも、相手を殺すことだけが、勝敗を決めるわけじゃありませんよね」

「そうね。でも、相手はどうかしら?ゲームに勝利する一番の方法は、相手を戦闘不能にすること。即ち、プレイヤーを殺すことが一番手っ取り早いのよ?」

 ジャスコの言葉に、更にアイーザが追い打ちをかける。

「そもそもゲーム内容によっては、相手を殺すことが必須なこともありますし、プレイヤーの殆どはゲーム内容に関わらず、相手を1人でも多く殺すことを心掛けてプレイしますよ。無論、我々も」

 そこまで言われれば、ロイドはもう何も言い返すことは出来なかった。ロイドにそんな覚悟は無い。誰かを殺して、その上に立ってまで、お金が欲しいわけでもない。ただ、2人の、アイーザの力になれたらと思っただけだ。けれど、ただの人間に過ぎないロイドには、何の役にも立てないのだけれど。

「それなら、我々が守ればいいんじゃありませんか。ロイドは突っ立っているだけ、敵を排除するのは私とアイーザ。ほら!簡単でしょう?」

 ルネが笑って、平然とそんな事を言う。2人はさっさとゲームに復帰したい。こんなところで躓いている暇は無い。そのために、使えるものは全て使う。それが、無知で幼気な青年であったとしても…だ。

「それでこの子に何かあったら、どうしてくれるのよ」

「別に何も?命を懸けたゲームですし、多少の不幸はありますしねぇ」

「それ、無責任って言うのよ?知ってたかしら」

「えぇ、よ〜く、存じていますよ?そもそも、この世の人間なんて、み〜んなそうじゃないですか」

「あのねぇ…」

 ルネの発言に、ジャスコは頭を抱えた。異常種とは、大なり小なり欠陥や欠点を持つ。ルネの場合は、この心が無いということがそれに当て嵌まるのだろう。守ると口では言いながらその実、巻き込まれて死んでも責任は負いませんなんて、無責任以外の言葉以外出てきやしない。自分達がゲームに参加できれば、ロイドが死のうと知ったことではないのだろう。なんて、自分勝手奴らなのだろう。

 困ったものだわと、ジャスコはこめかみを抑えた。酷く神経が痛む。問題児だとは思っていたが、まさかこれほどとは…。

 どう説得しようかと悩んでいると、ロイドが口を挟んだ。

「わかりました。死んでも文句は言いません。だから、私もプレイヤー登録してください」

「「ロイちゃん!?」」

「うわぁ、嬉しいなぁ!本当に優しいですねぇ、ロイドは」

 ジャスコとマシューコは驚き、ルネはにこやかに喜んだ。その喜びすら、本心なのか、仮面なのかはわからない。それでも、ゲームに参加できると喜んでいてくれるなら、ロイドはそれで良かった。そんな3人に反して、アイーザは何も言わず、何の表情も浮かべず、ただ煙草を吹かしながらロイドを見ていた。

 ジャスコとマシューコが必死で説得を試みるも、ロイドは一歩も引かない。死ぬかもしれないと言っても、ロイドは首を横に振るばかりだった。

「私は場違いなただの人間ですし、きっとそう遠くない内に死ぬと思います。でも…」

 ロイドは悲しまない。ロイドは怒らない。決意を固めたロイドは、ただ笑っていた。

「私が死んだとしても、その頃にはルネとアイーザのお陰でギルドも大きくなってるでしょうし、プレイヤーも増えてると思いますから、何の問題もありませんよ!」

 ロイドは笑って、自分の死を語る。恐怖は無い。それ以上に、アイーザの役に立ちたかった。アイーザが何も言わず、ただロイドを見ているだけなのも嬉しい。きっと、アイーザに止められたらロイドは、頷いてしまう。そうすれば、ロイドにはもう彼等の助けになることはできない。そんな自分は、ただの無価値だ。

 だからこそ、ロイドは絶対に引かなかった。そして、ジャスコもマシューコも黙らせた。ルネがロイドに抱きついて、嬉しそうに笑っている。相変わらず綺麗な、精巧に作られた仮面を被ったような表情で、声色すら見事だ。でも、それが嘘か真かはどうでもいい。ロイドはただ、嬉しかった。

 バイトが終わったその日の夜、店を出ると、アイーザが声をかけてきた。こうして彼が見送ってくれることは、今まで無かった。

「アイーザ?」

 ロイドは首を傾げる。しかしアイーザは、紫煙が立ち昇る煙草を咥えたまま、相変わらずの仏頂面でロイドを見ていた。

「どうかしたんですか?」

 ロイドが再度尋ねると、アイーザは溜息交じりに紫煙を吐いた。そして、呆れ含んだ冷めた青紫色の瞳が、ロイドを真っ直ぐに射抜く。

「お人好し…いえ、馬鹿なんですか?」

「はい?」

「ただの自殺願望ならば好きに死ねと言うところですが、自己犠牲に酔っているだけなら、さっさと撤回した方が身のためですよ」

 アイーザにそう言われ、漸く彼の用件が昼のことだと理解した。

「別に、自己犠牲だなんて思ってませんよ?」

「それならば、余程の物好きかマゾヒストですね」

「違います。私はただ、2人の役に立てたらいいなと思っただけです」

「それで、自らの命まで差し出すと?」

「別に、その日に死ぬと決まったわけでもありませんし。そもそも、人間なんて遅かれ早かれ死にますし、それなら自分の命の使い方くらい、自分で決めたいなぁと…」

 相変わらず、そう言うロイドは笑っていた。ただ、あの時と違うのは、彼の眉が僅かにハの字に下がっていたところだろうか。その眉の変化が何を指し示すのか、アイーザにはわからない。だが、ロイドがそう言うのなら、アイーザはもう何も言う気はなかった。

「では、どうぞご自由に。死にかけても見捨てますので、助けてもらおうなんて期待はよしてくださいね」

「大丈夫ですよ!でも……、もし、私が死んだとしたら、アイーザは私の事を、少しでも覚えていてくれますか?」

「覚えているわけがないでしょう。貴方が死んで、その日寝て、目が覚めたら、私は貴方の顔も名前も覚えていないでしょうから」

「そうなんですね、それは…少し残念です…」

 月のない夜。2人の会話はそれだけだった。アイーザはそのまま紅薔薇へと戻り、ロイドを振り返る事すらしない。反対にロイドは、アイーザが店の中に消えるまで、ずっとその背中を目で追っていた。せめて、覚えていて欲しかった。

 死ぬのは怖くない。けれど、アイーザに忘れられることだけは、少し淋しい。何故そう思うのかは、よくわからない。けれど、そう思ったのだ。


 そうしてやって来た初戦の日。到着したのは深夜の埠頭。そこはまるで本当のゲームのステージのように、複雑にコンテナが積み上げられ、簡素ながらライトアップがされている。更には2台のドローンが撮影用のカメラを吊り下げ、空を飛んでいた。

 ロイドは感嘆の声を洩らしたが、ルネとアイーザの反応は違っていた。

「随分と地味ですねぇ…」

「所詮はFランクですからね。この程度のものでしょう」

 2人曰く、これが上位ランクの死合であれば、ステージはもっと豪華に、ドローンは数十台が飛び交い、巨大なスクリーンやら何やらが整備され、一種のお祭り会場の様相を呈しているらしい。

「そういえば、特に何の準備もしないまま此処に来ましたけど、大丈夫なんですか?」

「あぁ、そこは平気ですよ?これはあくまでもゲーム。当然、チュートリアル的なものもありますし、初回限定で武器の支給なんかもしてくれますから」

 ルネの説明に、ロイドは胸をなで下ろした。アイーザとの会話をしてから1日と少し。その後、どんな準備をしていいのか分からず2人に尋ねたら、普通に動きやすい服装で来いと言われただけだった。

 そうしてロイドが着てきたのは、白いパーカーとウォッシュデニム。靴は白いスニーカーだった。対する2人はスーツ姿で、ルネは白いYシャツに黒いスーツ。ネクタイは無し。前のボタンは止めておらず、Yシャツの首元のボタンを2つ程開けている。靴は革靴ではなく動きやすいショートブーツで、スマートな印象だった。

 アイーザはスーツもYシャツも靴も真っ黒だった。ルネと同じくネクタイは無し。スーツの前は開けたまま、Yシャツの上ボタンを4つ程外している。いつの間に揃えたのか、髪を掛け、耳を露出している左耳には、シルバーのカフスと黒い蛇が絡みつくようなピアスを施していた。

 まさかの2人の格好に開いた口が塞がらなかったが、本人達曰く、参加者は皆、多少着飾り、お洒落をしてくるのが普通だという。

「内側では生配信されてますし?みっともない姿だと文句をつけられるんですよねぇ…」

「負ければ最後、嫌でも無様な姿を晒すわけですから。死装束くらい、好きな格好をしていたいんでしょう」

「なる…ほど…?」

 そんな会話をしていると、彼等に一人の黒服姿の男が近づいてきた。男はWARGAME運営者と名乗り、今回のゲーム内容、勝敗条件、そして初心者の初戦限定で配布しているという武器を持ってきた。

 カラカラと、キャスター付きのステンレスワゴンが運ばれてきた。それに乗っていたのは確かに、武器といえば、まぁ…武器…なのかもしれないという代物達だった。

 鉄パイプ、バール…?のようなものと、釘バット。木製のバットに、1本1本丁寧に釘を打ち込んだであろう物であった。

「………。なんなんですか…これ…」

「何って、武器ですよ?ゲームの初期武器みたいでしょう?」

 ルネが楽しげに、どれにしようかな~と悩んでいる。アイーザは興味なさ気に、どれも似たようなものでしょうと、さっさとバールのようなものを手に取った。

「そこはじゃんけんで選ぶ順番を決めるところじゃありません?」

「黙れ、面倒臭いことはお断りします。どうせどれも撲殺武器。違いはせいぜいリーチ程度のものですよ」

 そのままアイーザは、その中では比較的長めな鉄パイプを手に取り、ロイドへと放り投げた。ロイドは慌てて、何とかそれを受け取る。

「釘バットよりは扱いやすいでしょうから、貴方はそれを使ってください」

「え、よりによって私が釘バットですか!?嫌だなぁ…」

「ルネ、そんなに嫌なら、コレと交換しましょうか?」

 ロイドが手にした鉄パイプを、ルネに差し出す。しかし、ルネはそんな彼に見向きもせず、うへぇ…と嫌そうな顔で、釘バットを手にしていた。

「これで殴ると、遺体が汚くなるんですよねぇ…」

「……はい?」

「ロイド、気にする必要はありません。どうせ殴れば大なり小なり外傷で傷つきますから、コレの我儘に付き合っていたら、埒が明きませんよ」

「はぁ…」


 そうして、段々とゲーム開始時刻が迫ってくる。相手もFランク。しかし、ロイドと違い、このゲームに人生を賭けている者達だ。その覚悟も違うのだろう。

「作戦は?」

「1人1殺なんて、如何です?ノルマ不達成は、今日の晩御飯代を奢るということで…」

「え?」

「了解しました」

「ちょっと待ってくださいよ!それ、私1人不利じゃありません!?」

「金を出すのが嫌なら、相手を殺せばいいだけですよ」

「正直我々、一文無しですし?奢ってくれたら嬉しいなぁ〜。なんて、思いまして」

「お金なら絶対2人の方が稼いでますよね!?私、毎日カツカツなんですよ!?」

「ゲーム公式の銀行にはありますけど、資格剥奪された時に凍結されてるんですよねぇ〜」

「そもそも運営側は、あれやこれやと理由つけて、罰金だなんだと報酬金を巻き上げるのに余念がないので、大した貯えもありませんよ」

「えー………」

「というわけで、折角の初死合ですし?気楽に楽しみましょうか」

 全く楽しくない。ロイドは内心そう思ったものの、口にはしなかった。

 その後、放送が入り、プレイヤーはゲーム開始位置に立つ。

 聳え立つコンテナの群れ。この群れの奥に、相手プレイヤー達がいる。

「相手もこんな武器なんでしょうか…」

「まさか!いくら初戦とはいえ、WARGAMEですよ?チャカなりポン刀なり、しっかり準備しているに決まってるじゃないですか〜」

「そもそも、こんな支給品で済まそうとする阿呆、そうそういませんよ」

所謂(いわゆる)舐めプってとこですかねぇ」

 聞かなきゃ良かった。そう思ってももう遅い。時間ぴったりにゲーム開始のベルが鳴り響き、ロイド以外のプレイヤーは皆、各々動きはじめてしまった。

「それではお先に失礼します」

「はーい、1人は確実に潰してくださいね〜」

 私の分は残しておいてくださいよーと、ルネが1人駆け出したアイーザの背を見送り、呑気に手を振っている。アイーザは人間離れした跳躍力で、目の前の積み上がる2つのコンテナを悠々と飛び越え、直ぐに姿は見えなくなってしまった。

「さて、私も行くとしますかねぇ」

「あの、私はどうすれば…?」

 どうしたら良いかもわからないロイドが、鉄パイプを握り締めながらルネに問う。しかし、彼の返答はやはり、適当なものであった。

「ご自由に。隠れるも良し、索敵するも良し。このゲームにルールはありません。どんな手を使おうが、勝てば良いんです」

「はぁ…」

「それじゃあ、いってきますね」

 そう言ってルネもふらふらと消えてしまった。まるで警戒心のない歩き方で、手にした釘バットをぷらぷらと揺らしながら、アイーザとは別の方向へと歩いていく。

「どうしよう…」

 本当にどうしたら良いのか分からず、ロイドは1人、スタート地点から動けぬまま、途方に暮れていた。


 その頃アイーザは、真っ直ぐ敵の陣地へと突き進んでいた。本来は障害となるコンテナも、彼の前ではただの徒競走のハードルに過ぎない。敵の居場所は、気配でわかる。

「3人で移動中ですか…」

 どうしようかと、思案した。別に、アイーザ1人で3人を一瞬で亡き者にすることは容易い。しかし、これはロイドの初死合だ。ゲームの空気を知らぬまま、ずっとロイドを盤上に立たせるのは、得策ではない。

「仕方ない…。気は進みませんが、残しますか…」

 2人殺れば、残った1人が逆情するかもしれない。そうでなくともルネが確実に殺りに来る。やはり、残すのなら2人か…と、アイーザは移動の最中の僅かな時間で結論付ける。そして、目標の3人を目視した。

 彼等は1人が大事そうにトランクケースを胸元で抱え、残り2人が護衛のようにして、周囲を警戒しながら進んでいる。随分と動きが遅いと思えば、かなり慎重に動いているからだった。

 まさか上から来ると思ってない彼等は、コンテナの死角に注意しながら、確実に前へと進んでいる。

(石橋を叩いて渡ることは評価します。が、それで自らの視界を狭めては、元も子もないでしょうに…)

 アイーザは呆れ顔を浮かべながら、3段に積み重なったコンテナの上、彼等の死角でありながら、彼等の居場所は見渡せる絶好のポイントから見下ろしていた。

「さっさと終わらせますか…」

 そう言って、アイーザは僅かな物音も立てず、コンテナの上から飛び降りた。


「どうだ?いるか?」

「大丈夫だ行こう」

 そんな会話をしながら、緊張で強張る身体を叱咤して、恐る恐る前へと進む。これが初戦。ここで勝って、金を稼ぐ。泥を啜る毎日から抜け出してやると集まった3人だ。こんなところで、躓いてはいられない。

「敵の奴ら、何処を彷徨いてんだろうな…」

 トランクケースを抱える男が、そう呟いた。このまま、出会うことがなければいい。そんな小さな願いは虚しく、慈悲の神は嘲笑う。

 突然、視界に影が差した。なんだ?と、3人は一斉に上を見上げる。何かが落ちてきた。一瞬だった。硬い物が硬いものと打つかる音と、何かが砕ける音、水分を含んだものが潰れるような音が、全て同時に聞こえた。全てが合わさると、こんなにも不快な音になるのだと、彼等2人ははじめて知った。1人は…もう、一生知ることはないだろう。

 

 コンテナから飛び降りたアイーザが、トランクケースを抱える男目掛けてバールを振り翳す。彼等は影で気が付いたようだったが、もう遅い。釘抜き用の先端部が、相手を襲った。男は倒れて、動かなくなった。僅かにスーツが血で汚れたが、黒い色は良い。目立たないからだ。

 これで1人。ノルマは達成した。残り2人が襲い掛かってくるかと思ったが、余りに一瞬だったせいか、呆然として現状把握ができていない。バールが真っ赤に汚れて、ぽたぽたと赤い雫がコンクリートの地面に極々小さな水溜りを作っていた。

 カランカラン…と、硬い地面の上に金属の棒が落ちて転がる音がした。アイーザがバールを投げ捨てたのだ。もう、これは必要が無い。不要な汚れた工具など、いつまでも持っていたくない。

 その音で漸く残りの2人は我に返ったようだが、アイーザはもう用は済んだので、さっさと先程まで自分が居たコンテナの上へと、軽々飛び上がる。すると、パァン!と何かが破裂したような音が聞こえて、アイーザが着地したコンテナを、ピュン!と異様に速い何かが掠めていった。

 下を見れば、先程の生き残りの一人が、震える両手でピストルを構えている。アレをロイドに相手させるのは、些か酷だろう。ルネの元まで誘導してやろうかと思案していると、ピストルを持った男は、死体も、アイーザも無視して、目標地点を目指して走り去る。もう一人の男が走り出した男に静止をかけたが、彼は蒼白な表情で走り去ってしまった。

 目標地点付近には、もうルネが待機している。アレは任せていいだろうと思い、アイーザは取り残された男を無視して、ふと目についたコンテナの上と移動した。

 もう走り回ることも不要なので、アイーザはコンテナに腰掛け、優雅に足を組んだ。スーツの胸ポケットからライターを、内ポケットから煙草を1本取り出し、口に咥えて火を付けた。後はただ、待てばいい。

 アイーザが1人排除している間に、ロイドはうろうろと移動していて、このままいくと、取り残された男と鉢合わせるだろう。そこでノルマを達成できれば良し。出来なければ───

「ルネが掻っ攫っていくでしょうね」


 その頃ルネは、相手の目標到達地点付近で、あのピストル男を追っていた。

「すみませーん!止まってもらえます?」

「来るな…!ひっ!?、来るなあぁぁ!!」

 釘バットを持ったスーツの男が、へらへらとした笑みを浮かべて追いかけてくる。完全にB級ホラー映画のワンシーンのようだったが、精神的に追い詰められている男には、ルネが死神にでも見えているようだった。

「埒が明きませんねぇ…。汗かくの、あまり好きじゃないんだけどなぁ」

 そうは言いつつ、ルネは汗1つ流してはおらず、息も上がっていなければ、本気で走ってすらもいない。ルネはただ、折角の初戦で半狂乱になっている男の様子が、余りに必死で、涙と鼻水と涎を垂らしながら、青褪めた顔を更に白くして逃げる形相が可笑しくて、気になったから追いかけてみただけなのだ。

 アイーザはすでに一抜け。ロイドは会敵前。目の前の男を殺れば、ルネももノルマ達成となる。ましてやロイドは初心者だから、会敵して直ぐ終わることも無い。確実に時間が掛かるだろう。

(ん〜、待ってる間、暇だなぁ…)

 男が目的地へと向かわぬように上手く誘導しながら、ルネは男を追い回しながら、もう少し時間を潰そうと決めた。時折発砲音と共に、鉛玉が飛んでくる。しかしルネは平然とそれを避け、彼の手持ちの弾が後何発残っているのか、予想するゲームを脳内ではじめていた。


 ルネが遊んでいる頃、ロイドはコンテナの上で優雅に座っているアイーザを見つけ、声を掛けていた。

「アイーザ!」

「呑気なものですね。ルネは今、敵と遊んでいますよ」

 彼がルネがいる方へ首をクイッと動かし、ゲームが終わりに近付いていることを知らせた。

「アイーザはもう終わったんですか?」

「そうでなければ、こんなところで休んでなどいませんよ」

 そうですよねと、ロイドが笑う。そんな穏やかな空気もそこまでだった。敵が近付いている。

「ロイド、来ますよ」

 アイーザにそう言われ、ロイドはアイーザから視線を外し、両手でぎゅっ鉄パイプを握った。周囲を警戒する。周りはコンテナのせいで、死角ばかりだ。何処にいるんだろう…?そんな疑問を頭に浮かべた一瞬だった。視界の端に黒い何かが映る。ハッとしてそちらを向けば、剥き出しの凶器片手に、1人の男が突っ込んできた。

「うわあぁぁぁ!!!」

 彼の動きは、まさに破れかぶれという他ない有様だった。仲間の1人を目の前で殺られ、もう1人は正気を失った。彼を追わなかったのは、せめて1人くらいは道連れにしてやろうという彼の陰湿さ故だろう。

 ナイフ片手に真っ直ぐ突っ込んでくる姿は、アイーザにしてみれば愚かと言わざるを得ない。が、ロイドに上手く対処しろと言っても、どうにかできるわけもない。避けるくらいはできるだろうが、がむしゃらにナイフを振り回されれば、そうもいかない。

(まぁ、初心者限定、1回限りのお助け機能ということで…)

 アイーザがフッと笑い、咥えていた煙草を放った。紫煙が細い糸を引き、蛍火のような小さな火種が突っ込んでくる男の目の前に落ちてくる。無論、それは何の変哲もない、吸いかけのただの煙草だ。だが、その落とした犯人が問題だった。

 つい先程、仲間の1人を殺した男。まさに一瞬の早業で、容赦無く、一撃で絶命せしめた得体の知れない男。あれ程の力を持ちながら、あれが全力ではない。もしかすると、この煙草すらも、何か…?

 視界入ったほんの一瞬の間に、男の頭はフル稼働した。そして、導き出した答えが、彼の足を止め、退かせた。後はロイドがどうするか…。そうして彼を観察しようとしたアイーザだったが、白い影が1歩退いた黒い影を追っていた。男が退いて足を止めた時、男の目の前には鉄パイプを振り上げたロイドの姿があった。

「ひっ!?」

 男は再度退いた。ロイドの鉄パイプはカァン!と硬質な音を立て、地面のコンクリートを叩きつける。

「あ!掠るくらいはするかなと思ったんですけど…」

 衝撃で痺れたのか、鉄パイプから離した片手をぷらぷらと振りながら、ロイドは残念そうにそう言った。男は咄嗟だったためにバランスを崩したが、直ぐに持ち直す。まだ、やる気はあるようだ。

 そんな2人の様子を、高みからアイーザが見下ろしていた。彼は、笑っていた。声を出さず、肩も震わせず、けれど、顔は狂気に染めて、酷く楽しそうに笑っていたのだ。

 最初で最後の手助け。だがロイドは、その絶好の機会をものにすることは無いだろうと思っていた。自分達を助けるために、ただの頭数として参加しただけの、ただの人間。そんな彼が、誰かを殺めることができるなど、ルネもアイーザも思ってはいなかった。だが、その予想は外れた。

 先程の、振り下ろされた縦の一撃。頭に直撃したとしても、相手を絶命させるには届かないが、完全に相手の動きを封じることができた筈だ。そして、2撃目は確実にトドメになる。

「お人好しなだけの、頭の足りないガキかと思っていましたが、予想外でしたよ」

 届かなかったが、惜しかった。あの金色と翡翠の色味の中に、赤が加わる瞬間を見たかった。残念ながらそれは次回持越しとなってしまったが、新たな楽しみが増えたと思えば、それも悪くない。

 アイーザが思考に囚われている間に、下の2人の状況は動き出していた。体勢を立て直した男がロイドに切りかかる。その動きはただ刃物をがむしゃらに振り回すだけのものだが、武器と男の手の動きを追えなければ、予想をつけるのは難しい。しかし、ロイドは何とかそれをパイプで弾き、彼の攻撃を防いでいる。

 横に大きく振り被ったかと思えば、今度は上から振り下ろしてくる。まるで出鱈目だ。

「くそっ!死ね!死ね!そんなふざけた棒切れで!ふざけんな!」

「死ねって言われて死ぬわけがないじゃないですか!そっちこそふざけんなって話ですよ!バーカ!」

「こっんの…!!」

 クソ野郎!と、男はロイドにナイフを真っ直ぐ突き付け、真っ直ぐ腕を伸ばした。全体重をかけて、ロイドの胸を貫こうとしたのだ。しかし、それはロイドに読まれていた。ロイドはそれを何とか躱し、相手が体勢を崩した一瞬の隙を突いて、ナイフを持つ腕にパイプを振り下ろした。

 ゴッ!と、硬いものに打つかる感触と、バキッ!と、何か硬いものが折れる音がした。

「がっ…!?」

 男は苦しげな声を洩らした。カラカラとナイフが地面を転がる。ウィンドブレーカーの中にある腕が、どんな状態かは見えない。だが、鉄パイプから手に伝わったあの感触が、男の腕が折れたのだと、ロイドに確信させていた。

 彼はまだ、辛うじて立っている。折れた腕を庇い、それでもナイフを取り戻そうとしている。ガスマスクの裏に隠された素顔に、怒りと殺意を滲ませて、まだ足掻こうとしていた。

 一方のロイドの頭には、この男を放って、トランクケースをこちらの目標地点へと奪い取れば、この男を殺さずとも良いのではないか?そんな考えが浮かんでいた。

 そうすれば、ノルマは達成できないが、ゲームには勝利できる。アイーザ達とは違い、人間の枠を捨てられないロイドの心に生まれた、甘さと隙。それが、ロイドの鉄パイプを迷わせた。

 しかし、そんな考えは無駄なのだと、慈悲の神は嘲笑するのだ。

 よたよたと、傷ついた男が、折れた腕から手を離し、落としたナイフに手を伸ばす。その指先がその柄に触れたその時、男の耳には何かが風を切る音が聞こえた。思わず顔を上げた男の顔面に、飛んできた釘バットがぶつかったのは、そんな瞬間の出来事だった。

「あ…」

 ロイドが無意識に声を洩らしていた。呆気なく、ゲームが終わってしまった。本来また続く筈だった盤上に、無理矢理幕を引きずり下ろした男が、欠伸をしながらその場に現れた。

「飽きました…」


 ずっと追いかけっこをしながら、ルネは時間を潰した。相手を目的地に近付けたり、遠ざけたり、撃ち込んでくる鉛玉を避けた。時にルネは逃走の妨げにならない程度に、男に攻撃を加えた。釘バットは、意外と殺傷能力が高い。そもそも、ルネとアイーザに与えれば、どんなものでもたちまち殺人道具に変わるのだが…。

 わざと手を抜くという行為は、意外と体力と神経を擦り減らす。どの程度までなら相手が耐えられるか。何処を攻撃すればこの追いかけっこに影響を与えないか。男の心を折らず、まだ僅かな希望が垣間見える攻撃というものは、とても楽しい反面、疲れる。

(足は当然避けて…。腕を1本?あー、でも、トランクケースがなぁ…)

 あれは一種の御守りのようなものだ。あれが男の手の中にあるからこそ、アレはまだああして先のない蜘蛛の糸を手繰って、息を切らしながらも走り続けている。そのトランクケースを失えば、あの男は忽ち絶望に絡め取られ、戦意を喪失するに違いない。

(自殺でもされたら面倒だなぁ…。あー、この瞬間さえも面倒臭くなってきた…)

 ルネはとても気紛れだ。酷い飽き性だ。煙草は1箱吸えた試しが無いし、好きな食べ物は時間毎に変わる。10分前に言っていたことと、今言うことが変わるのはザラだし、継続と連続、停滞、お決まり、ルーチン。言葉にするだけで吐き気がする程に嫌いだ。この世で何よりも嫌悪している。

 当然、終わりの見えない追いかけっこなど、ルネは大っ嫌いだ。

「もういいですかねぇ…」

 彼の頭が、帰るという2文字に切り替わる。そうなるとルネの行動は早かった。走っていたルネが僅かに地面を蹴る足元に力を入れ、男に突っ込んでいくように、水平に跳躍した。

 男はもう、ルネの姿が見えていなかった。鬼か悪魔か、チープに死神だったかも知れない。だが、ルネにとってはそんな事はどうでもよく、彼の迷いのない釘バットが、男を背後から襲った。

 ルネの白いYシャツに、赤い飛沫が飛んでいる。顔にも僅かに掛かったようで、内ポケットにしまっていた白いハンカチを取り出して、顔の返り血を拭った。

「血汚れは落ちないんですよねぇ…」

 もういいやと、ルネはハンカチを捨てた。ひらりひらりと落ちていくそれは、地面に転がる男だったものの上に舞い降りて、まだ新しい赤色を吸って、同じ色に染まっていく。地面もまた、同じ色に染まっていた。コンクリートのせいか、その赤は極めて浅い水溜りとなって、その陣地を広げている。

 だが、もうルネの視界には、それらは入っていない。

「ロイドは…。えー…まだ終わってない…」

 気配を辿れば、ロイドともう1人、別の気配がぶつかり合っている。アイーザは…既に休憩に入り、2人の間に割って入る気は無さそうだ。

「え"ー…大分待ったと思うんですけど…。もう帰りたいなぁ…」

 ロイドから横取りしたら、アイーザに切れられそうだ。本気になられたら、ルネはアイーザには敵わない。それ以上に、面倒臭い。でも、このまま待っているのは、もっと嫌だ。そして、これ以上無駄なことで悩むのも嫌だ。

「まぁいいや。なるようにな〜れ!ということで…」

 ぐったりと項垂れていたルネが、先程までの空気は何処へ行ったのかと思う程に、その表情を切り替えた。本当に悩んでいたのかさえ疑わしいほどに、ルネはヘラヘラと笑って、ゆっくりと歩き出す。

 彼の足取りが、赤い朱肉で押された判のように、灰色のコンクリート上に残っている。最初ははっきりとした形を残していたが、段々と掠れて、終いには何も残らなかった。


 ゆっくり歩いて、更にわざとバットを引き摺って、カラカラと釘とコンクリートが擦れ合う音を出しながら、近付いてやった。これだけ自分の存在を周囲に知らしめながら、のんびり歩いてきてやったのに。気が付かなかったと言うのなら、それはもう相手が馬鹿だ。そして、その馬鹿だったらしい2人は、当然ルネには気付かなかった。アイーザは当然気が付いていたが、アレは部外者と見做して除外する。

「残念、時間切れで〜す」

 そうしてルネは、ロイドの元へと辿り着き、手にしていた釘バットを投げつけたのだ。


「ルネ!?」

 まさかの横取りにロイドは驚き、バットが飛んできた方向へ振り向いた。そこには悪びれた様子の無いルネが立っていた。

「飽きました。帰りたいんで、もう終わりでーす」

「飽きましたじゃありませんよ!横取りするなんて酷いじゃないですか!」

「時間を掛けた方が悪いんですよ〜。それに、1人1殺とは言いましたが、それ以上殺るのは禁止なんて、1言も言ってませ〜ん」

「私は初心者なんですよ!?仕方ないところがあると思うんですけど!?」

「甘さを見せたロイドの負けです。貴方、アレを生かそうとか考えていたでしょう?顔に出てましたよ」

「うっ…」

 全て図星で、ロイドは何も言い返せない。殺せなかったわけじゃない。殺さなくてもいいかと思ったのだ。僅かな違いだが、ルネはそもそもそんな考えを許さない。

「あぁいう手合いは、しっかり摘み取っておかないと。生き残った輩が報復に来たりとかもあるんですよ?」

「そうかもしれませんが…」

「それに、私が殺らずとも、そこにいるアイーザがあの男を殺してましたよ。楽しそうにしてたと思ったら、突然冷めた顔して…。余程不快だったんでしょうねぇ…」

「え…?」

 ルネにそう言われ、アイーザが居る場所を見れば、その顔は様変わりしていた。先程までの喜色に染まっていた目とは違い、まるで壊れた玩具を見るような冷たい青紫色が、ロイドを見下ろしている。

「仕方ないじゃないですか…。私、つい先日までごく普通の一般市民だったんですから」

 命を助けようとしたっておかしくないでしょう?と、ロイドは言い訳をする。

「普通の一般市民が、目の前で人が死ぬ様を見て、平然とそれを無視しますかねぇ?普通なら、悲鳴を上げて恐怖するなり、涙を流すなりするんじゃありません?」

「残念ですが、私は外側の一般市民なので。その程度でピーピー泣いていたら生きていけないんですよ」

「はいはい、そういうことにしておきましょうかね〜」

 そう言いながら、ルネはコンテナの上のアイーザに声を掛ける。

「アイーザー!いい加減帰りますよ?ロイドが奢ってくれるようですし!」

「そんなデカい声を出さずとも、聞こえていますよ」

 言葉と共に、音も無く、アイーザは2人の前に降り立った。先程までの冷たさは無いものの、やはり彼の表情は冷めきっている。

「あの、アイーザ…」

「次にあんな姿を見せたら、相手ごと私が殺しますよ」

「…………。えー…」

 理不尽過ぎませんか?と、ロイドは呆れ交じりにアイーザに突っ込んだ。

「黙れ。少しはやるのかと期待してみれば、あの体たらく…。ふざけてんのか」

「失礼な!こっちはクソ真面目ですよ!」

 ふん!と、ロイドが不機嫌そうにそっぽを向いた。

「まぁまぁ、取り敢えず帰って食事にしましょうか。ロイドの奢りですし?」

 ルネがそう言って2人の背を押す。アイーザはチッ、と舌打ちし、ロイドが程々にしてくださいよ!?と釘を刺す。3人とも、先程までのゲームのことなど頭から忘れ去ったかのように、口喧嘩をしながら、徒歩で埠頭を後にする。

「紅薔薇まで遠いです…」

「車が欲しくなりますねぇ…。免許ありませんけど」

「無駄口を叩く体力があるなら、まだ余裕でしょう」

 3人の姿が夜の闇へと紛れ、消えていく。新人の初戦など、観戦する者はいない。面白味の無い娯楽など、毛ほども役には立たない。こうして、この街では簡単に、命が消えていく。しかし、命に価値を見出さないこの街では、これが日常なのだ。



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ハードな世界観の描写に引き込まれました。100円ライターや、現代の銘柄の煙草の描写があるので未来の日本でしょうか?どこか「闇」感があるのが魅力だと思いました。 ギラギラしたネオンと観衆のヤジの中繰り広…
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