第1話 猫耳!?
僕には、16歳になる娘、結衣がいる。
いまはちょうど反抗期の真っ只中で、高校生になってからというもの、まともに口をきいてくれることはほとんどなくなった。返事も「ふーん」とか「別に」といった素っ気ないものばかりで、昔のように笑いながら会話した記憶は、すっかり遠い日のものになってしまった。
妻の沙織は海外でダンジョン研究の仕事をしている。学会や調査で多忙を極め、年に数回帰って来られればまだ良いほうだ。むしろ帰国しない年のほうが多い。
娘の結衣が母親に甘えて寄り添う姿を、僕はもう何年も見ていない。父親としても、それは寂しい現実だった。
だから今は、結衣と僕の二人きりの暮らしだ。
夕食はまだ一緒に食べてくれるが、それが終わるや否や「ごちそうさま」と言って自分の部屋へ閉じこもってしまう。
結衣は家にいるのに、同じ屋根の下で顔を合わせる時間は驚くほど少ない。
リビングに取り残された僕は、箸を片付けながら小さくため息をつくのが、すっかり日課になっていた。
そういえば、最近結衣の部屋の前を通ると、中から独り言めいた声が漏れてくる事がある。
「……何をしてるんだ?」
そう問いかけたい気持ちはある。
だが、反抗期の娘に下手なことを言えば、氷点下の視線で返されるのが目に見えていた。
もしかしたら、結衣は彼氏と話しているのかもしれない。そんな想像をするだけで、僕の胃はきゅっと痛む……
胃が痛むつながりで言えば、数か月前に僕は会社を辞めた。性格に難のある上司に、もう限界だったからだ。
それからというもの、僕は転職活動の真っ最中にいる。しかし三十代後半という年齢では、なかなか内定が決まらない。
このままでは、貯金がいつまでもつかどうか分からない。
そう思うたびに——また胃が痛むのだ
『妻も働いてるんだから一時的にでも仕送りを増やしてもらえば?』
きっとそう言われるだろう。でも沙織には頼れない。海外の物価は馬鹿みたいに高いし、病気になればあっという間に金が消える。
それ以上に、沙織に余計な心配をかけたくない。
だからこそ、僕が家計を支えなきゃいけない。
そんな中、スマホで求人票を眺めていて目に留まったのが——
『ダンジョン探索員募集中!』
成果報酬制だが、魔石や素材を売るだけで稼げるらしい。ずっと興味はあったが、行く機会はなかった。
これはチャンスかもしれない。
そう思い、勢いで探索者ギルドで登録し、レンタルしたピッケルと短剣を持ち、意気揚々とダンジョンへ向かった。
だが、現実は甘くなかった。
一階層にはスライムが出現するのだが、若い探索者たちに先に狩られてしまい、僕は全然手を出せなかった。
結局、僕にできることといえば、稀に地中に眠っているであろう魔石を狙い、ピッケルを握って地面を掘り返すことくらいだった。
さすがに人目のある場所で魔物討伐ではなく魔石掘りをしている姿を見られるのは恥ずかしい。
だから人気のない場所を探しては、ピッケルを振り下ろし、地面に穴を開けていた。
ダンジョンの地面は不思議なことに、三十分ほど経つと徐々に塞がってしまい、深く掘り進めることはできなかった。
それでも諦めず壁を掘っていると、ある時、ピッケル越しに今までとは違う感触が伝わってきた。
僕は、「ようやく魔石か!」と、目を輝かせながら、魔石を傷つけないよう慎重に掘ってみると、古びた蓋のされた壷が出てきた。何故、ダンジョンにこんな物が?っと、疑問には思ったが、とりあえず中身を確認するために、つぼの蓋に貼られた紙を剥がし、壺の中身を確認しようとすると、白い煙が僕の顔めがけてかかった。
「ゲホゲホッ……」
煙が収まり、改めて壺の中身を覗き込み確認してみると何もなかった。もしかしたら、何か物が入っていたけど、気化したのが僕の顔にかかった煙になったのかもしれいない。
そう結論づけた。
魔石堀を再開しようとピッケルを手に魔石掘りを始めようとすると、体に異変を感じた。手が、いつの間にか灰色の毛で覆われている。
ピッケルの反射で自分の顔を覗き込んだ瞬間、息が止まった。
「……な、なにこれ……猫耳!?」
そこに映っていたのは、見慣れたはずの顔ではなかった。頭には灰色の毛で覆われた猫耳が生え、黒髪は首元まで伸び、瞳は明るい黄緑色に輝いている。
慌ててピッケルを地面に置き、掌をひっくり返すと、ふわふわの毛に包まれた肉球がぷにっと主張していた。さらに腰のあたりには、灰色の尻尾まで生えている。
これは本当に自分なのか?元の姿に戻るのか?焦るのと同時に、こんな姿じゃ転職できない! という焦りが芽生えた。
「と、とりあえず、家に帰ろう.....」
自分の体に何が起きているのか確かめるため、急いで家に向かった。フードを深く被り、顔を隠しながらダンジョンを後にする。フードがあって、本当に良かったと思った。
家に着くと、急いで洗面台の前で服を脱ぎ、自分の全身を確認した。
「猫……?」
体はグレーの毛に覆われていたが、胸からお腹にかけては白い毛が広がっている。大きく尖った耳も目立つ。
この姿を見られたら、娘の結衣に何と言われるか分からない。もしかしたら、不審者として家を追い出されるかもしれない。とりあえず家では露出を避け、ぶかぶかの服や手袋、靴下で全身を隠すことにした。
「ただいま」
「お、おかえり……」
「なんでそんなに顔を隠してるの?」
結衣が僕の姿を見るなり、まるで変なものを見るような目でじっと見つめてきた。
「き、気分?」
「そう」
ひとまずごまかせたのか、結衣は納得した様子で、2階にある自分の部屋へ向かっていった。
どうやら、この服装でしばらくは過ごせそうだ。




