第十話 忘れたい過去
一つ選ぶのに30分もかかってしまった。ただでさえ底を尽きようとしていた俺のHPは完全に0。せっかく苦労したのだから喜んでもらいたいものだ。福山さんもなんだか満足そうでよかった。疲れ果てて椅子でぐったりする俺を横目に仁王立ちしてニヤニヤとしている。これだけにとどまらず、次のお題を出そうというのだ。
「今回のまとめとして、私が喜びそうなお菓子を買ってきてちょうだい」
近くのコンビニを指さした。アクセサリーとお菓子ではかなり違うし、店もコンビニというありふれたものに変わったら勝手が違う。もしかしたら、乙女心とやらが分かれば選べるという試験なのかもしれない。
「あの、お金は……」
「授業料ってことでおごりね」
うわーん、俺は普段授業料なんて取ってないのに。反論すると斬り捨てられるので、黙ってトボトボとコンビニに向かう。
そういえば、福山さんの好みもよく理解していないことに気が付いた。日頃は勉強の話しかしないからなあ。お菓子食べてるところも見たことがない。とにかくそれっぽいものを推測しよう。
やっぱりお菓子といえばチョコレートだな。チョコレートが嫌いな人間などいるはずがない。甘いだけでなく香りやほのかな苦みも楽しめ、飽きることがない。さらに美容にもよく健康な体を維持することができる。陸上部の福山さんには糖分の補給も必要だから、これで間違いない。
といってもチョコレートにもいろいろある。ここに並んでいるのは板チョコやクッキーなど有名どころのチョコレート菓子。コンビニオリジナル商品もあり、種類は豊富である。無難に板チョコを、自分のものも併せて二つ購入し、福山さんに見せる。なんだか竹取物語みたいな光景だ。
「ちょうどチョコレートが食べたかったから、よかったわ。ありがとう」
飴と鞭の使い分けがうまい! この笑顔は多分、何を選んできても同じ反応が得られたという意味なようにも見える。まったく、人の心を掴むのがうますぎる。俺から受け取るとすぐに袋を開け、パリパリポリポリ食べ始めた。よほど美味しかったのか幸せな顔をしている。あれ、本当にチョコ好きなの? 大成功だったってこと?
「幌田くんは何のお菓子が好き?」
「俺もチョコレート好きだよ」
「なるほど、それを瑠奈ちゃんに伝えるのがもう一つの宿題ね」
また増えた。そのニコニコ笑顔はドS心か、チョコレートで喜んでるからか分からなかった。
このチョコレートは普段からよく食べているが、苦労した後に食べるとより一層おいしい。疲れた体にカカオがしみわたっていく。なんかちょっと怖い表現かも。
「さて、そろそろ瑠奈ちゃんを呼ぼうかしら」
食べ終わるとスマホを取り出し、仙谷さんにメッセージを送っているようだった。待ち合わせ場所はここで、仙谷さんに来てもらう形になる。それまではしばらくボーっと待っていなければならない。気まずい。
この周辺は人が行き交い、非常ににぎやかだ。コンビニ以外にはカフェなど休憩スペースが多く、改札の前でもあるので休日の混雑ぶりは尋常ではなくなる。時々福山さんの声も聞き取りづらくなるほど。こんなに大勢の人は何をしにここまで来て、どうやって休日を楽しむのだろう。みんなは日常的にそういう場所に行く機会があって、経験値を溜めこんでいるのだろう。俺が何もかも未経験なのとは正反対だ。
「その……、今日はいろいろ教えてくれてありがとう」
まだ礼を言っていなかったのを思い出して感謝の言葉を述べた。福山さんはニコッと笑って返事するだけ。自然にこんな明るい顔ができるのには感心する。この優しさに勘違いする男が現れても不思議ではない。だが俺はもう同じ過ちを繰り返さない。
☆
中学生の頃だった。今と変わらずぼっちで個性もないが、まだ純粋だった。心がざわつく瞬間もあった。同じクラスの女の子が、かなり好きだった時期がある。会話らしい会話もしたことはないが、時折見せる笑顔は宝石のように輝いて見えたものだ。どんな理由であろうと話しかけられた日には舞い上がってしまう。今思えば、それなりに充実していたと思う。
結局どうなったのかというと、勇気はなく何も変えられないまま一年は過ぎ、クラスが同じになることは二度となかった。つまり俺の初恋は失敗ですらなかったということ。告白なんてしたってキモいだけだし、失敗してよりひどい結果になっていたかもしれない。今より後悔することになったかもしれない。結局どうするのが正解だったのか分からないが、今の俺はずっとそれに呪われて悩み続けている。くだらないと思うかもしれないが、俺の心には大きな傷を残してしまった。最初から好きにならなければこんな悩みはなかったのに。そんな結論に落ち着き、心は輝かず面白味のない石ころのようになってしまったと思っている。周りに期待せず、感動せず、他者に無関心であり続けることで自分を守っているつもりなのだろう。
今だって、いきなり恋人を作るなんてできないと思っている。それは実力不足もあるが、好きな人ができないからというのが第一だ。好きでなければ近づいてはならないと考えるのはいかにも非モテの考えかもしれないがそれでも……。
「幌田くん? もう疲れたの?」
「あっ、ああ……」
福山さんの問いかけで我に返った。どのくらいの時間が経っただろう。自分のスマホで確認してみると、20分も過ぎていたのだ。無言のままこれだけの時間が過ぎていたとは。それにしても、仙谷さんは遅すぎる。そんな遠くまで行ってしまったのか……?
福山さんも同じようにスマホを確認していると、メッセージを見て驚いた表情を浮かべる。画面を俺の方にも向けて言った。
「既読もついてない……。何かあったのかしら……」
電話をかけてみても出ない。スマホが使えない状況にあるとなると、悪い想像ばかり頭に浮かぶ。
電波が悪い場所で迷っているのか、もしや危険な目に遭ったりしたのではないだろうか。不安が広がっていく。その不安に比例して、いてもたってもいられなくなる。ここで恩を売って認めてもらおうということか? それとも何者でもない自分と決別したいのか? 理由などどうでもいい。今はただ、やりたいように動くしかない気がしていた。