プロローグ
赤点。それは高校から導入される恐ろしい制度。進級は自動的ではなく、高校は義務教育ではないということを思い知らされる。
とはいえ、この星臨高校では35点以下が赤点。俺は成績はまあまあいいから、赤点ではないだろう。それに、補習が確定するのは期末だから、中間テストが終わった今は気にする必要はない……、と思っていたのだが……。
『幌田陽介! 職員室に来るように!』
担任の京ヶ谷早苗先生から呼び出しだ。怖い……。先生は熱血だから殺されるかも……。急いで職員室に向かう。
職員室の奥で先生が座っていた。ジャージというラフな格好で髪も短く、いかにも体育会系だ。
「幌田、なんで呼び出されたかわかるか?」
先生は冷徹な目を向けてくる。冷や汗が出る……。悪いことしてなくても、雰囲気でメンタルがやられることはあるあるだと思う。
「いえ、心当たりは……」
全く心当たりがない。いや本当に。俺、何が悪いことした? 本当に何もしていないのに。先生は続けてまくしたてる。
「お前、クラスで孤立しているよな? ぼっちは良くない! クラスの景観が乱れる!」
「えっ……、そんなことは……」
反論しようとするが、できない。俺がぼっちであることは紛れもない事実だ。景観が乱れる、というのは納得できないが。
「お前らの学生時代は短い! 学生の時に友達を作れないと人生損するぞ!」
先生は息つく間もなく、説教を始めた。
「お前は一生友達を作らないのか? 一生一人でいるのか? そんな人生に意味はあるのか?」
「はあ……」
怖い、怖すぎる。熱い、熱すぎるぞ、この教師。生徒想いなのは伝わるが、たかが一人のぼっち生徒にここまで熱くなるか。ここまで来ると誰のためなのかも分からない。
「そんなお前に更生してもらうために! とっととこっち来い!」
更生って……。ぼっちは犯罪か何かなの? そう言って先生は俺の手を引っ張り、引きずっていく。体育教師? 否。数学教師である。あのデカいコンパス、三角定規は筋トレになるようだ。俺を引きずるほどの力がある。それより摩擦で足が痛い。
☆
「着いたぞ」
俺が引っ張られたてきたのは、見慣れない教室。端っこの方にあるため、ここに来たのは初めてだ。
「ここは……。何ですか?」
「『補講室』。お前みたいなダメ生徒を更生させるところだ」
「補講室……」
見た目は普通の教室と変わりない。ただ、人気ひとけはまったくない。先ほど述べた通り、ここは遠く離れた場所なので閑静なのは当然だ。ややホコリも溜まっている。
先生が突然手を叩き出した。少し驚いて飛び跳ねるという滑稽な姿を先生に晒してしまったが、まあ先生だからよし。
「おめでとう、幌田陽介。君が補講室メンバー第一号だ」
全然嬉しくないじゃん。これからどんなひどい目に遭うんだろう? だいたい、ぼっちだから補講なんて聞いたことがない。補講って、ぼっちが受けるものだっけ?
仕方ない。人生で初めて自分を主張するとしよう。
「先生、俺は反対です。こんなの受け入れられません」
「そうか、拒否権はないぞ。さっさと入れ!」
「えっ……」
断ることは許さないようだ。何か目的があるのだろうか? 先生は俺の頭を掴み、強引に投げ捨てるように教室にぶち込まれた。今時の教師がこんなに暴力的でいいのだろうか?
「しばらく待ってろ。もう一人連れてくる。逃げても無駄だからな!」
扉は閉められ、真っ暗な部屋に閉じ込められる。……逃げても無駄。それは今までの流れからすぐに分かる。とりあえず電気つけるか。ポチッとな。
周りを見渡す。中も普通だ。ただ、机は二つしか置かれていない。奇妙だ。開いた窓から風が吹き込み、カーテンが揺れる。勝手に座っていいものやら分からずためらうが、仕方ないので座ろう。足痛いし。
数分後、扉が勢いよく開いた。京ヶ谷先生だ。俺の時と同様、また一人引きずってきたようだ。
「入れ!」
「痛っ! やめてください!」
強引に教室に押し込まれ、その勢いのまま盛大に転ぶ。何というパワープレイ。
「先生、これはどういうことですか?」
入ってきたのは女子だった。制服は綺麗に手入れされていて、いかにも優等生っぽい雰囲気だ。黒髪のポニーテールが艶めいて、思わず目が吸い込まれる。こんなしっかりしてそうな人がなぜ補講室に……?
「ようこそ、お前は補講室第二号だ!」
「納得できません!」
俺も納得できない。俺が入れられたことも、この子が入れられたことも。
「京ヶ谷先生、なんで私が補講室なんかに入れられているんですか?」
第二号さんも抗議する。彼女も俺同様、悪いことをしたという自覚がない。先生が教卓に立つ。
「よし聞け! お前らはカスだ!」
突然すぎて、こんなに大きな声なのに聞こえなかった。教師が生徒に対して言っていいことではない。
「お前らの能力の低さ、腐った性根! 高校生活最大の損失だ!」
否定はできない。だけど、言っていいことと悪いことがある。ほら、第二号さんも困惑して口を開けているし。
「そんなわけで、これから放課後は毎日ここに集まれ。私は今から準備があるから、お前らは待っててくれ」
先生は高速で教室から出ていった。あの身体能力、もう体育教師でいいでしょ。
……全く理解不能。なぜ俺がこんな目に。先生の基準では、ぼっちは道徳的に悪らしい。
第二号さんがここに来た理由も気になる。とはいえ、このコミュ障が女子に話しかけられるはずもない。目を合わせることすらできないし。
「あの、あなたはどうしてここに来たのかしら?」
むこうから話しかけてくれて助かった。しかし美少女との会話は初めてだ。緊張する。手汗が出そう。
「え、お、俺ですか?」
「あなた以外にいないじゃない」
いやそうですね。はい。
落ち着け……、落ち着いて答えろ……。ここで相手に不快感を与えてはいけない。意識すると余計に緊張するから、何も考えずに正直に話すんだ!
「お、俺は京ヶ谷先生に無理矢理……」
「……あなたも? なんでかしらね……」
そこから沈黙が続く。気まずい。第二号さんは立ち尽くしたままだ。俺が座っているのを見て、隣に座る。まさかの急接近。近づいたからといって別に喋りはしないが。
「……自己紹介でもする? 私は七組の福山麻耶よ。よろしくね」
「あ、ああ。俺は幌田陽介。一組。よろしく」
なんとか言葉のキャッチボールできた! そんなことで喜ぶな! 俺!
こんな可愛い子は初めて見た。それもそのはず、俺は一組、彼女は七組。偶然出くわすこともなかなかないだろう。
「……あなた、友達がいないのよね?」
「あ……、ああ。いない」
「そう……。私でよければ仲良くさせてほしいわ」
「ああ。……ん?」
今なんて言った? 仲良くする? 誰が誰と? なんで? そんな疑問が頭の中でぐるぐる回り始める。複雑怪奇だ。もちろん、喜んで誘いに乗りたいが……。本当にいいの? え?
「これから毎日ここに集まることになってるんでしょ? せっかくだから一緒に行きましょうよ」
「あ……、ああ。そうしよう」
さっきから中身ないことしか言わないな、俺。とにかく美少女とお近づきになれたのは人生の第一歩。記念日としよう。
先生がようやく帰ってきた。手には数学のテストの採点済みが一枚と、問題集が。
「福山麻耶」
「……はい」
福山さんが腹痛の時のような歪んだ顔をしながら立ち上がる。なんでここでテスト返すの? 京ヶ谷先生の目つきが怖い。
「まあ……、悪くはないわね」
福山さんの安堵の表情も束の間、先生は教卓を叩いて怒鳴る。
「そんな点数で安心するな! 余裕で赤点だ!」
福山さんの顔は青ざめた。せっかく自身のある点数を取ったのに、それを否定されるなんて可哀想だ。
「幌田、福山の点数見てみろ。あと、これでダメなところを直すよう指導してくれ」
分厚い問題集を渡される。肩が外れそうだった。箸より重いものを持ったことがないもので。
福山さんは体にぴったりと解答用紙をくっつけ、誰にも見せまいと必死になる。
「あの……」
「嫌よ! 近づかないで!」
いきなり嫌われた……。先生が見ろって言うのに。仕方あるまい。こちらも抵抗しよう。
「先生、俺には無理です。こんなに嫌がってるし、教えるなら俺より勉強得意な人がいいでしょ」
「甘い! 私は知っている、お前のコミュ力のなさを! まあ先生に口答えする力はあるようだが」
「うぐっ……」
「福山に勉強を教えることで点数は上がり、幌田は喋れるようになる。それでWin Winだろ?」
「「Lose Loseです!」」
揃っちゃった。
「ほら、そんなに気が合うならいいだろ? とっととやるんだ。ここから出るためにな」
福山さんは右手で解答用紙を持ち、左手を小さく挙げた。
「あの……、補講室から出る条件というのは……」
それは俺も気になっていた。こんな生活が毎日続いたらメンタルがもたない。美少女に嫌われ、それでも毎日通わなければならない地獄に耐えられるかっての。
「幌田は彼女を作る。福山はテストでクラス一位を取る。これでどうだ?」
「終わった……」
「私には無理です」
即答。誰だってそうだろう。自分の苦手なことでトップを取れ、なんて無理無理。
「いや、お前らに拒否権はない。やれ、いいからやれ。今日のノルマはそのテスト直し。それじゃ」
また高速で教室から出ていく。脱走しようとしたら同じ速さで捕まえにくるんだろうなー。
「……とりあえず、テスト見せてよ」
「嫌よ。……えっち」
福山さんの中ではパンツ<テストらしい。
「本当にやめて! 近寄らないで!」
これから俺はどうなってしまうのか。目の前の女の子にすら嫌われた俺に彼女ができるのか、それは神のみぞ知る。