P1.矜持を脱ぎ置く
俺様の名前はリストファート・クロフト・シーリングゲート。シーリングゲート王国の第一王子かつ王太子である。
……正確には、だった、だが。そもそもの始まりは第二王子であるエディームズが、生まれも定かでなければ教養も知性も足りないバカ女に惚れた事だ。確かに珍しい人種ではあったが、あいつは全く。珍品への好奇心と人への恋慕の区別もつかんとは。
あいつがバカ女に側近ごと骨抜きにされて公務を放り出したせいで、俺様が元々担当していた北と西に加えて、あいつが担当するべき東の国境付近の警備までこちらで差配しなければならなくなった。当然、既に内容自体は履修を終えている学園の授業などを受けている暇などない。
しかもそのタイミングで、第三王子のアドリューゼが、南の国境でモンスターが大量発生して全く手が回らないと泣きついてきたから、ほぼ俺様1人でシーリングゲート王国の国境を守っていたようなものなのだぞ。
それをあのバカ女め、何が「リット王子は王家の義務を放り出して、私達を貶める工作をしていたんです!」だ。
「もう少し己を省みてから言えこのバカ女」
「な、なぁ!? ば、ばかおんなぁ!?」
「他にどう言えというのだ。エディームズ、お前もいい加減目を覚ませ。そうでなければ父上に現状を報告せざるを得んぞ」
「ぐっ」
そこで言葉に詰まる辺りは、まぁ、エディームズの方は多少自覚はあったようだが。
「じゃ、じゃあ何であなたが西の国境を守るようになってから、防衛費が跳ね上がっているのよ!? おかしいでしょ!」
「何故部外者の貴様が王家の内部資料の内容を知っている?」
「エディが見せてくれたわ!」
……この時点で頭が痛かったというか、あのバカ女の首を刎ねなかっただけ、俺様は耐えた。
なお防衛費が跳ね上がったのではない。元々の金額に戻っただけだ。調べてみたら現地の民と貴族に負担をかけて王家の出費を減らす小細工を行い、そこから利益を得ていた馬鹿者がいたから、そこを綺麗にして本来の形に戻したのであって、何かを使い込んだり無駄な使い方をした訳ではない。
というか俺様の側近と俺様を守る部隊の一部を応援として向かわせてどうにか立て直した、という程度には激戦区なのだという事も知らないのか。バカ女はバカだから知らないだろうが、まさかエディームズも?
「エディームズ。貴様、俺様にどれだけの仕事をさせているか分かっているのか? 各国境線の状況ぐらいは知っていなければならない筈だが?」
「うっ」
「……側近共はどうしている。お前に情報を届けるのが奴らの仕事だろうが」
「う……」
おい。
おいまさか、側近ごと骨抜きになって何も仕事をしていないのか。
「……父上に報告せざるを得んな」
「あ、兄上! それは!」
「本来ならとうに報告が上がっていなければおかしい事だろうが。俺様に泣きついてきたアドリューゼの方がまだ現実を見ているぞ」
なんて会話があった翌日に、俺様は全く身に覚えのない冤罪で国外追放になった訳だが。明らかにおかしいのに、何故誰も疑問に思わんのだ。側近との合流ぐらい待てんのか。と、言ってはみたが反応は無い。そして馬車に放り込まれてそのままだ。
……まぁ父上への報告はそう告げた日に帰ってすぐ行っていたし、返事も聞いたから、もう遅いのだがな。
とはいえ素直に国境まで待ってやる必要はない、と、夜の闇に乗じて逃げ出したはいいが、途中で妙な事になってきた。最初は、ここ数年で急激に数が増えてきたモンスターによって村を襲われた民かと思ったが、それにしては随分と良い服を着ているし、そもそも言葉が理解できない。
「……?」
言葉については、血晶石を使ったブローチをこっそり作って身に着けていたから何とかなったが、この媒体ではこれ以上の魔法の行使は難しい。だから様子を見ながらこの集団のリーダーを代わってやろうとしたのだが、上手くいかない。
そして上手くいかないままに、この集団はある人間の元へ辿り着いた。それは良かったのだが。
「[必要かどうかっていったらまぁいらないですね]」
その人間が放った一言。
それは、バカ女に骨抜きにされたエディームズの方が。仕事を放りだして女のあとを追いかけて媚を売るあいつの方が。あいつが立って歩けるようになる頃には履修を終えた俺様とは違い、授業を受けてなおその点数をギリギリ平均を割っていない程度にしか勉強も出来ない奴の方が。王太子に相応しいのでは、と囁かれていた事を思い出した。
あれが王になれば、シーリングゲート王国は終わる。その程度も分からない愚昧共と同じ事を、この人間も言うのか!
「俺様は……俺様は、優秀なのだ。なのに何故、不要とされる。何故切り捨てられる。俺様以外が重宝される!」
「[では、冷静に考えてみてはいかがです? 今の状況を、冷静に、客観的に、外から眺めて。あなたは替えの利かない、絶対に必要な存在ですか?]」
……分かっていた事だ。
そう。魔法を使えず、執務は無く、側近もいない俺様に出来る事は無い。恐らくここは、伝承にのみ聞く異世界という場所だろう。
あらゆる法則が違う、という訳ではない。魔法が使える事から分かる。だが、決定的に違うのだ。もっと表層的で、人間的な部分が。何故ならシーリングゲート王国では、人というのは上下をつけなければ秩序を保てないものだったから。
だから理解できなかった。上下をつけずに秩序を保つ事が出来るという現状が。本当に人間なのかと疑う程度には。……まぁ異世界に紛れ込んだのは、どうやら俺様の方らしい。故に、異物となるのは俺様の方のようだったが。
「[どうせ一緒に暮らすのなら協力した方が良い。協力するなら役割分担をした方が効率的に動ける。素朴かつ当然の結果として役割分担をしているだけであって、本質的にここに上下は無いです]」
そう。それだけの事だった。そして恐らく、それ以上の何かは無いし、それ以下の何かも無いのだろう。単なる善良さ。俺様が王太子として、付け込まれ利用されるから決して表に出してはならないとされたもの。
……そうだな。俺様はもう王太子ではない。俺様を王族から外して不要としたのはあの国だ。なら、あの国の為に行動する必要も、もう無い。あの国が今どうなろうと、俺様がいなくなった事で沈もうと、もう俺様には関係のない事だ。
ひとまずは、リットと愛称で呼ぶことを許可してやろう。その後は宝石の有無の確認だ。これでも、魔法に関しては贔屓目抜きに絶賛されていたのだ。王太子である事を残念がられる程に。
その俺様が、直々に指導をしてやろう。この随分と色々不便な生活も、魔法が使えればもういくらかはマシになる筈だからな。