そうして林檎は死にたくなった
どうやらまだ生きているらしいとわかったのは、どうにかまだ生きていたいという林檎の皮のように薄っぺらい感情が、どこからかわいてきた直後である。そして、生きているという意識は、すぐさま私が生きているという意識を持っているという恐るべき現実を目の前に突きつけた。
だが、わたしは驚く素振りすらしなかった。いや、そのようなことがおそらく可能ではないことを現実が教えてくれたのだ。同時に、可能であることはすべて現実として吸収されるということを知った。
続いてわたしは、息をしてみようと考えた。実際のところ、生きているらしいとわかってから、一度も息をしていなかったからだ。息をしてみようとして、すぐに息ができないことに気づいた。意識とは現実の一部でしかないらしい。すると、さっきわたしが驚く素振りさえ可能ではないことを、すんなりと受け入れた事実を思い出した。しないことが可能ではないことを現実から学んだはずなのに、今度は実行する段階で可能ではないことがわかった。
意識が現実に反抗を試みたのだ。これが自我の芽生えというものかもしれない。
溢れかえらんばかりのプレゼント。世界に接した者が、そのあまりの大きさにあきれ、不敵な笑みを漏らすように、いまはできないことよりもできない現実に教えられることのほうに圧倒され、眩暈を感じた。すぐに世界を知らなければならない。成分、性質、構造。とにかく学習する必要がある。
学習……と繰り返して、その言葉の持つ甘い響きに酔いしれる。意識的であることに意識的であることが可能となった現在、わたしは何者かを教えられるのではなく、何者かでなければならないのだ。
そう確信するに至ったとき、「林檎じゃないか」という声が聞こえた。
声が聞こえるというのはおかしい。声はしなかったのだが、声が聞こえるという意識が起こったのだ。わたしはわたしを見ている存在を意識の端に認めた。人間で、それが確かに人間であるらしいとわかったのは、まさにその瞬間であるが、同時に人間であるはずがないと思われた。もし彼が人間であるとすると、わたしも何者かでなければならず、何者かであるとすると、それはいま彼がいったように林檎であるような気がした。
「林檎じゃないか。ただの、食べられて、棄てられた」
意識は集中していないはずなのに、どこからか声が漏れてくる。
林檎だ、わたしはただの林檎、人間に食べられて、棄てられた、ただの林檎……
林檎であるはずがないと思いつつ、そうでなければならないとも思われた。わたしは意識を持ったとしても、何者かであるようにあることはできなかった。何者かであることとは、何者かであるように意識した瞬間に失われた可能性にすぎない。だとすれば、一体なぜこうして意識を持ち、何者かであろうとする希望を持つのだろう。すべての純粋な思考は、蛇口をひねれば出る水のように、現れたそのときには排水溝に流される運命と決定されているのだろうか。何のために……
わたしは意識と、意識の外にある現実の闇を知った。闇はどこまでも闇で、それに気づいた途端、わたしは落下していく物体であった。空間に上下左右前後の区別はなく、わたしを見ている人間は闇を自在に動き回る粒子で、意識の領域ではつかまえられそうになかった。唯一確かであろうと思われるのは、彼もまた何者でもないことであった。
林檎であるわたしは、人間ではない故に、人間ではないとわかるが、人間である彼は、人間である故に、人間であるとわからない。
考え方が変わると、少しだけ望みがでてきた。少なくともわたしは知っている、可能なる現実のなかで、わたしは人間によって林檎と呼ばれるものである。わたしが林檎と呼ばれることに意味などなく、所詮何者かであることは何者でもないことではないことにすぎない。彼は、わたしの見ている現実を見ているだけなのだ。
そして現実の世界では、ここが地下鉄の車内であり、中途半端に食べられた林檎が扉付近に棄てられている。座っている乗客は誰も林檎を気にしておらず、退屈で眠そうな顔をしている。
林檎の緊張は解け、肥大した副交感神経が、床にだらしなく寝そべった。乗客の真似をして、あくびをこらえ、目をこすってみた。意識の上でやっただけであるが、本当に手が生えて、そう振舞ったかのように思われた。なんとなく空腹であった。空腹になるはずがないのに、考えてみるとやはり空腹であった。何か食べたいな、と思った。そう思ったときに、真っ赤に熟れた、しかし半分ばかりかじられた後の林檎が見えた。
ふいに意識が戻ってきた。林檎は自分自身のはずである。どうして自分自身を食べたいと思ったのか。
答えはすぐに見つかったが、見つけてしまったことを後悔した。林檎であったはずのわたしは、林檎であるという現実から逃避して、人間になろうとしていた。何者かであることの不安に耐えられず、わたしはわたしでもなくなったのである。わたしは空腹であった。空腹であるわたしは、もはや林檎に戻れないような気がした。
お腹が鳴った。意識の上ではなく、今度は本当に鳴ったのだ。
わたしは恥ずかしくなった。お腹が鳴ったことよりも、自分を食べたいという抑えようのない欲求が、自分の存在を限りなく貶めているように思われた。救われない気持ちでわたしを見ていた人間を見たが、彼は何も語りかけてはこなかった。沈黙とは対価を払う必要のない暴力である。わたしはいかようにも弄ばれ、作り変えられる人間であった。
怠惰に蝕まれていた意識が、ようやくわたしを起こしにきた。
空腹だ、空腹だ。空腹だ、空腹だ。
目覚めたわたしは、まず新鮮でつやつやとした光沢を放つ林檎を一口かじった。林檎の実は口のなかで砕け、甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐった。突然涙で視界がぼやけ、座っている乗客の顔がゆがんだ。だが、誰一人としてわたしに注意を向ける者はいなかった。(了)