ほのぼのとした朝はあっという間に過ぎ去るのだ
海辺に建っている、真っ白いレンガの壁と真っ青な瓦屋根の小さな家から透き通るような歌声が聞こえてくる。
そのメロディは大陸では聞いたことない音階があちこちちりばめられていて、まるで子守唄のような心地よさをはらんでいた。
「ーこの子の名前は桃にしようと思うの」
光が差す窓辺を眺めながら大きなおなかを愛おしそうにさする一人の女性が虚空に話しかけている。
彼女の言葉一つ一つに呼応するように窓辺の風車がからからと回る。
「お父さんが大好きな、お父さんの故郷の果物の名前よ。・・・え、故郷がバレちゃう名前はまずい?」
女性はうーんと深く考え込んでから嬉しそうにまた口を開いた。
「それなら娘の名前はー・・・」
つややかな黒髪が、開いた窓から吹き込んだ優しい春風に吹かれて舞った。
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机に倒れこむように眠っていたせいか体のひどい痛みを感じてモモリは目を覚ました。
「うーん」
起き上がって伸びをしたモモリの目に映ったのはキレイなステンドグラスから差し込む柔らかい光と机に沈んでいるソウとヒロの姿だった。
あれから話が脱線し、魔法のことについて夜通し話していたままの体勢ですっかり眠っていたようだ。
「今何時だろう・・・ていうかここどこだっけ・・・あー・・・・・・・ソウさんの研究室かぁ」
モモリはとりあえず唯一起きていたリクに時間を聞いてみた。
・・・が
「あー・・・ソウはこの部屋に時計おいてないんだよね。他の研究室にも置いてないけど。確か研究や実験をするときに時間を気にしてしまうと継続してた集中力が切れて十分な成果が得られないとか何とか言ってヒロを怒らせてたっけ・・・」
「それ多分締め切りぶっちぎるための言い訳ですよね。」
「わかる?俺もそう思う。」
「ヒロさんが怒る気持ちもわかります。そもそもあの散らかりようでしたし。」
「それは本当にそう」
モモリとリクはそう口々に言いあうと、前夜に散らかしたままだった少し料理の残っている食器を片付け始めた。
料理と言っても夜通し討論会や勉強会していたようなモノなので軽くつまめるスナック料理しか作っていない。そのため、小さい皿ばかりが並び、より散らかっているように見えたのだった。
モモリは改めて部屋を見渡す。
大きなテーブル、謎のカラフルな液体が入っている様々な形状をしたガラスの壺、窓辺の鉢植えからは本にすら載っていないようなおかしな植物が並び、先端の目玉と視線がかち合った。
足元に目をやれば学生時代に図書室で一度だけ見た古代文字にも似た模様のくすんだ緑のカーペットが視界に入る。
後で海藤してみようなどと思いながら、モモリは視線を戻した。
そして再度、食器をまとめて振り返れば見るからに料理なんてするタイプではないソウの研究室にはそぐわないなぜかそれなりにものがそろっているキッチンが室内についている。いわゆる対面型という奴だろうか。
食料箱も大容量なだけでなく、高等魔法である冷却の魔法陣が使われている高級品。それが二つもあるのだ。どのくらい稼いでいるんだろうなど考えながらモモリは手を動かす。
「このキッチン、絶対ソウさんが使うためのものじゃないですよね。」
「ソウもお湯沸かしたりはするよ。簡易調理加工物以外にも、実験でお湯使ったりするから。あとたまになんか知らない卵温めると気にも使うかな。」
「それは料理じゃないと思います。てかその卵食べるやつじゃないじゃないですか。」
「それもそうか。ま、たまにヒロが作り置きしに来るときとか使ってるよ。それで、このエリアにある調理器具は勝手に使うとヒロが怒るから、引き出しに入ってる方を使ってね。」
リクがそう言って指さす方には几帳面に並べられた明らかに高いブランドの高性能調理器具が並んでいる壁がある。中には高等魔法の施されている便利道具も含まれている。それに反してリクの手元の引き出しの中には、きれいに洗ってあるのはわかるが分けてすらいないお玉やトングなどが雑に押し込まれていた。
「これ後で整理していいですか。」
「え、俺整理してるつもりなんだけど・・・」
モモリはリクのショックを受ける様子を当然のようにガン無視して、洗い終わった鍋の水分を布巾でふき取りシンク下のエリアにしまう。
そこでリクは何かを思い出したかのようにモモリに向き直った。
「そういえば、あの時聞きそびれたから聞いて良い?親御さんのこと。」
片づけながら発せられたその言葉にモモリはぴたりと動きを止めた。
「・・・どうしても言わなきゃだめですか?」
リクは興味津々といった様子で目を輝かせ、手を止めてモモリの方に向き直った。
その目に映ったのは、唇に力を入れかみしめた様子で目を伏せるモモリの姿だった。
よく見れば手を固く握りしめ、小さく体を震わせている。
「あっ・・・その、無理にとは言わないよ。もし言えたらってだけで・・・ソウが言ってたことが気になってさ。」
「あ、その、すいません変な空気にして。気を遣わせてすいません。今はまだ無理なんですけど、その、落ち着いたらいつか話しますね。私がその時覚えてたらですけど。」
モモリがリクに笑いながらそう言うも、リクにはその表情が偽りのものだということが明らかに見て取れた。今にも泣きだしそうなのに、意地でも涙を見せないというその様子は、リクの目に痛々しく見えた。
わかったところで何もできないこともリクはわかっていたので無理やり聞くことはせず、モモリに笑顔を作って見せた。
「・・・そうだね。その時を楽しみにしておくよ!絶対俺に一番に聞かせてね!モモリさん、約束だよ?」
「・・・ふ。わかりました。約束です。」
モモリの頬がほころんだ瞬間をリクは見逃さなかった。
「モモリさん笑った!!」
「っ・・・!笑ってません。やっぱり約束はなしでいいですか?」
「ごめんごめん!!約束取り消さないで!」
「リクさんのことなんで知りません。」
狭い部屋の中でぎゃいぎゃいと二人の声が響き渡る。
「・・・いつまで寝たふりしてればいいんだ?」
「ヒロくん、静かにしたまえ。しばらく観察していたいのでね。」
「ハァ・・・マジかよ・・・」
盛大なため息が、狭い室内に霞のように消えていったことに、リクもモモリも気が付いていない様子で言い合いをしている。
この二人のやり取りはざっと30分ほど続いたのだった。