浸透
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──浸透
魔王陸軍参謀本部隷下にある独立特殊任務旅団と国家保安省の工作員たちは、難民に紛れて汎人類帝国の国境を越えて、汎人類帝国へと忍び込んだ。
彼らの役割は情報収集であり、扇動であり、そして破壊工作であった。
「犯罪を犯す難民はこの国から出ていけ!」
「汎人類帝国は人類の国だ!」
彼らは汎人類帝国の民族主義を煽り、反難民デモを扇動する。
政府は既にニザヴェッリルとエルフィニアの難民を軍に組み込むと発表していたが、それに対抗するように両国の難民が、密かに軍の情報を魔王軍に売ろうとしているという情報を流した。
魔王軍にとっては汎人類帝国とニザヴェッリルのドワーフたち、そしてエルフィニアのエルフたちを分断しておくのは利益になる。戦争の基本は敵が集結する前に各個撃破することなのだから。
しかし、これに加えて魔王軍が狡猾であり、同時に彼らが同盟者を求めていないことからできることがあった。
それは難民保護を訴える側にも資金などを提供し、意見を先鋭化させることで難民排斥派と対立させることだ。
難民を追い出して汎人類帝国を守ると主張する愛国者と難民を受け入れて汎人類帝国の慈悲を示すべきと主張する愛国者が、互いを売国奴と罵り合い、激しく対立する。
この手の分断工作についてはニザヴェッリルの件で魔王軍にはノウハウがあった。
そして、彼らは世論工作を行うことによって同盟者を作ろうとしているわけではない。あくまで政治的な分断を生み出し、それによって汎人類帝国を弱体化させるのが目的であった。
しかし、ニザヴェッリルでは反戦デモの扇動など上手くいったこの方法だが、汎人類帝国では問題があった。
汎人類帝国は民主主義国家ではないということだ。
汎人類帝国は統一党による一党独裁政権であり、民衆の意見など無視できる。
政府は強権に近い権力を有し、デモや集会を禁止することはできるし、その警告を無視すれば大規模な治安部隊を動員して参加者を残らず逮捕することすらできる。
そうであるが故に魔王軍が企んだ世論分断工作は、汎人類帝国政府によって叩かれ、いまいちの成果であった。
「報告します」
王都バビロンでそう言うのはジェルジンスキーだ。
「こちらの工作員は現地のスリーパーエージェントの協力もあり、無事には位置に就きました。陸軍についても独立特殊任務旅団が活動可能な環境を整えております」
「確かか、シュヴァルツ上級大将?」
ジェルジンスキーの報告をソロモンがシュヴァルツ上級大将に確認。
「確かです、陛下。国家保安省の協力もあり、独立特殊任務旅団はいつでも作戦行動が可能です」
少しばかり不満気にシュヴァルツ上級大将が報告する。彼ら軍部は自分たちを密かに監視している国家保安省を快く思っていない。
「独立特殊任務旅団は今は行動させるな。密かに忍ばせておけ。今は長期的視野で物事を考えなければならない時期だ」
ソロモンはそう言う。
彼は次の戦争のために独立特殊任務旅団を始めとする特殊作戦部隊を潜伏させているのだ。ちょっとした混乱を起こして短期的に成果を上げるのではなく、戦争の勝敗を左右するような重要な任務を長期的に行わせることを。
「ジェルジンスキー。それから、世論の分断はどうなっている?」
「やはり汎人類帝国政府には一定の政治的安定性があるようです。こちらが仕掛けた世論工作は、汎人類帝国政府が対抗して流布したプロパガンダによって打ち消されています。あの国は政治的にニザヴェッリルやエルフィニアより強いと言わざるを得ません」
「そうか。だが、できることはやっておけ。汎人類帝国が本気で戦時体制になった場合、それは我々にとって甚大な脅威になる」
人口数億人にして、工業や農業の分野でも発展しており、今やエルフィニアの魔術も取り入れた汎人類帝国は、恐らくこの世界で唯一魔王軍に対抗できるだろう国家だ。
そうであるが故にソロモンは用心していた。
「内務省。汎人類帝国がニザヴェッリルやエルフィニアのパルチザンを支援しているということは確認できたか?」
ここでソロモンがメアリーにそう尋ねる。
「はい、陛下。汎人類帝国製の武器を多数発見しております。もはや汎人類帝国は自分たちがパルチザンを支援していることを隠そうともしていないようです」
「そうであろう。忌々しいことだが、恐らくは連中はこちらが今は戦争ができないことを知っているのだ」
魔王軍が動けないのは事実であった。
エルフィニアでは繰り返された焦土作戦によってインフラも何もかもが破壊され、軍の行動どころか、統治すらも難しくなっている。
それに加えて未だにエルフィニア軍残党によるゲリラ戦が続いており、魔王軍はそれに足を取られてしまっている。
もし、汎人類帝国とエルフィニアのパルチザンに繋がりがあるならば、そのことは把握されてしまっているだろう。
「治安任務は警察軍に全面的に任せ、軍はインフラ復旧と旧エルフィニア=汎人類帝国国境への兵力配備を急げ。虚勢であっても我々は戦えるのだということを示しておかなければならない」
ソロモンが恐れているのは汎人類帝国に先制攻撃されることであった。彼は汎人類帝国にはその可能性があると、恐れていた。
「それでは以上だ。それぞれが義務を果たすことを祈る」
「魔王陛下万歳」
いつものように会議は終わり、重鎮たちが退出していく。
「カーミラ。戦争をせずに我々が滅びを避けることはできると思うか?」
「分かりません、陛下。我々が戦いを望まずとも、我々を憎むものが望むかもしれません。そうなれば戦争は避けられなくなる」
「その通りだな。戦争は望んで起こすだけではなく、巻き込まれることもある」
カーミラの答えにソロモンがそう言う。
「私は戦争を避けたいと思っているが、それは平和を愛しているからではない。戦争には常にリスクがあるからだ。常に勝てるならば私はどれだけでも戦争を愛すが、勝利の女神というあばずれは気まぐれだ」
ソロモンはそう言って自嘲するように笑う。
「汎人類帝国は我々が戦争を仕掛けずとも、向こうから仕掛けるだろう。それに応じなければならい。好もうと好まざると」
戦争というものは何が起きるのか分からないものだ。悪意と悪意のぶつかり合いは、予期せぬ結果を産むこともある。
そして、いくら陣営の片方が平和を望もうと、もう片方に少しでも戦争を望むものがいれば、戦争は起きるし、巻き込まれる。
「それに、だ。軍の派閥が手を結んだ。オリーフ退役上級大将とカリグラ元帥が手を結んだ。ジェルジンスキーに少しばかり好きにやらせすぎたな」
陸軍派閥の首魁オリーフ退役上級大将と空軍派閥のカリグラ元帥は、反国家保安省を密かに掲げて同盟した。これによって魔王軍は内戦の危機にある。
「軍の気をそらすために戦争は必要だ」
ソロモンはそう呟いた。
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