前線視察
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──前線視察
アドラーピッツェ山脈に立て籠もった三国同盟軍北部戦域軍。
魔王軍はそのアドラーピッツェを攻略する前に前線にとある要人を迎えた。
それは魔王ソロモンその人である。
「魔王陛下万歳!」
魔王軍の将兵に万歳の声で出迎えられたソロモンが彼らに軽く手を振った答えた。彼はいつものようにカーミラを従えている。
「ようこそ、魔王陛下」
「ブラウ上級大将。戦況はある程度シュヴァルツ上級大将から聞いて理解しているつもりだ。それでも前線の様子を一度把握しておきたかった」
ソロモンはブラウ上級大将に迎えられて、まず北方軍集団司令部が設置されている、とある村に入った。この8軒ほどの民家が存在する村にあった集会場を利用して、魔王軍は北方軍集団の司令部としていた。
司令部には空間魔術が使用されており、ソロモンも中に入れた。
「現状、アドラーピッツェ山脈にて三国同盟軍と相対しているのだな?」
「はい、陛下。三国同盟軍はアドラーピッツェ山脈に立て籠もっており、我々は一度攻勢限界点を迎えたために今は攻撃には至っておりません。現在は小規模な小競り合いが起きる程度です」
「いつ攻勢を再開できる?」
「それはまだ未定です。兵站線が伸び切ったことと三国同盟軍の焦土作戦によってインフラも被害を受けております。それらの問題の解決にはそれなり以上の時間がかかるものと把握しております」
「そうか。あまり急ぐ必要はないと言ってやりたいが、そういうわけにもいかない。エルフィニアがこの混乱に乗じる気配を見せている」
「エルフィニアがですか?」
ブラウ上級大将は思わず尋ねるのにソロモンはただ静かに頷いたのみ。
国家保安省はエルフィニアが国境付近に兵力を展開しつつあることを察知していた。彼らは魔王軍がニザヴェッリルに足を取られている間に殴りかかる算段なのかもしれないと、軍と国家保安省は警戒している。
「兵站の問題には多くのリソースを投じる準備がある。治安の問題はどうだ?」
「問題ありません。警察軍と協力として徹底した掃討作戦を実行しましたので、東部占領の際のような混乱は今のところ防げております」
「それはいいことだな。失敗から学ばねば進歩はない」
ブラウ上級大将の報告にソロモンは満足に頷いて見せた。
「では、可能な限り早く攻撃に出られるように。攻撃の重心はどこに置くか?」
「我々はアドラーピッツェ山脈の北部から突破を試みます。アドラーピッツェ山脈の裾野があり、他と比べても標高が低い地域です。空軍も支援可能であり、港を確保すれば海軍も海上輸送で補給を手助けできます」
「ふむ。海軍に関してだが、敵の艦隊についてどの程度把握している?」
「未だ健在なれど現存艦隊主義に徹している、と」
現存艦隊主義とは、自分たちの海洋戦力を敵と戦わせることで制海権を奪うのではなく、存在するという事実だけで相手の海洋戦力に対する抑止力にする戦略のひとつだ。
あまり積極的な戦略ではなく、問題も多いが、汎人類帝国海軍が派遣した艦隊は現在その現存艦隊主義を取っている。
「上手くいけば連中を釣りだせるかもしれない。北部からの攻撃を支持しよう。しかし、陽動はしっかりと行っておけ。攻撃前の欺瞞工作は我々の陸軍が得意とするところだと、私は認識している」
「はい、陛下。万全の準備で当たります」
魔王陸軍は攻勢前に必ず攪乱のための欺瞞工作を実施する。その欺瞞の技術は戦いを重ねるたびに進化しており、三国同盟軍も何度も騙されていた。
「それから前線を見たい。兵士たちの様子をだ」
「はっ!準備させております!」
ソロモンが言うのにブラウ上級大将がソロモンを案内する。
この北方軍集団司令部から前線までは僅かで、魔王軍の将兵は塹壕を掘り、火砲を偽装して攻撃命令を待っていた。
しかし、ブラウ上級大将たちはソロモンに何かあってはいけないと、前線の陣地をやや後方に下げて構築させていた。火砲の射程外にあるそこならば、ソロモンが害されることもないだろうとの考えからだ。
「魔王陛下万歳!」
「魔王陛下万歳!」
将兵たちもここは安全だと分かっているので塹壕を出て、万歳の声でソロモンを出迎えた。その様子をソロモンは眺めると、やや小さくため息を吐いた。彼はブラウ上級大将が保安面に気を使いすぎていることにすぐに気づいたのだ。
「大尉。これまで何度実戦を経験した?」
「はっ! グスタフ線からアルトヴァルトまで8回の戦闘に参加しました!」
「そうか。よく戦ってくれたな。これからも励んでくれ」
「はい、陛下! ありがたく存じます!」
ソロモンは将兵を励ましながらも、ときおりアドラーピッツェ山脈の方を見ていた。敵の火砲からは射程外ではあるが、ここからでもアドラーピッツェは見える。
「カーミラ。あの山を越えるのに大勢が死ぬだろう」
ソロモンはアドラーピッツェを見ながらカーミラに告げる。
「ゴブリン、オーク、トロール。これらはいくら犠牲になっても構わない。これらには単純労働以上のことは望めず、いずれ産業の機械化が発達すれば、機械に取って代わられる程度の存在にすぎない」
ソロモンはゴブリンやオークを激励することはなかった。彼はゴブリンなどは激励に値しないと考えていたからである。
「だが、人狼は、吸血鬼は、ドラゴンたちは貴重な資源だ。彼らは考え、試行し、創造する。確かな知性が存在する。彼らがいなくなれば魔王軍は長くはもたないし、少なくなれば発展はそれだけ遅れてしまう」
魔族はみな平等だ、などということをソロモンはこれまで一度も言わなかった。明らかに魔族にはカーストが存在するということをソロモンは肯定していた。
「なるべくならば彼らを死なせたくないものだ」
「ええ。この戦争が終わった後も陛下の治世が長く続くように」
「……ああ。結局は私のためにな。分かっているさ、カーミラ……」
ソロモンはブラウ上級大将にこののち、こう指示してお召列車でバビロンに戻った。
彼は命じた。『ゴブリンとオークで大地を覆い、トロールを盾に前進せよ』と。
ブラウ上級大将はこれを受けてありとあらゆる場所からゴブリンとオークをかき集め、前線に密かに機動させた。鉄道での戦略機動も夜間に密かに行われ、徹底した隠匿が行われていた。
それと同時に北方軍集団は南部に対する攻勢を欺瞞し、偽の交通規制の実施や意図的な通信量の増大を行うことで三国同盟の注意を南部に向けさせた。実際に大規模な物資の集積を行っているかのような鉄道運行までやった。
魔王軍の得意とするところのこの欺瞞工作によって現地の三国同盟軍は『南部にて攻勢の可能性あり』と北部戦域軍司令部に報告してしまう。
司令部はまた騙されているのではないかと思いながらも、これだけの証拠があって何も準備しなかった場合、兵士たちからの信頼を失うと考えていた。できれば全ての部隊を警戒態勢に置きたいが、それは将兵への負担が大きい。
それからあれこれもという玉虫色の命令は軍隊では嫌われる。命令ははっきりと明確にしていなければ、兵士たちも命を預けられないのだ。
だが、北部戦域軍司令部は判断を誤った。
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