駐留軍
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──駐留軍
1729年7月。
汎人類帝国が編成した帝国海外遠征軍は、その駐留地に展開していた。
「ドワーフだらけだ」
「本当に異国だよ、異国」
汎人類帝国陸軍において海外に遠征軍を派遣したことは何度かあるが、寿命が長く、いくつもの歴史を生で経験していたドワーフやエルフ、魔族と違って、人類は移ろいながら存在している。
ドワーフやエルフによっての50年前が昨日と同義なのに対して、人類にとっての50年とはほぼ一生である。
20年、30年といっても大昔になる人類。そんな彼らの多くにとってこれは初めての大遠征であった。
帝国内務省及び外務省の調査では汎人類帝国の市民の8割は海外を知らない。国外旅行は一般的ではなく、多くの市民はその一生を汎人類帝国内で過ごす。
そのため今回、遠征軍として派遣された兵士たちの多くにとってニザヴェッリルは初めての異国であった。
「俺、ドワーフって初めて見たよ」
「俺は近所にドワーフのコミュニティがあったから知ってるけど、こんなにたくさんのドワーフが一か所に集まってるのは初めてだ」
兵士たちを運ぶ鉄道が停車している間、兵士たちはドワーフたちの暮らすニザヴェッリルの市街地を興味深そうに眺め、ドワーフたちは異国からやってきた兵士たちに複雑な感情を抱いていた。
ニザヴェッリルにとって今回の汎人類帝国とエルフィニアの遠征軍派遣は、救いの手であると同時に屈辱の証でもあった。
理由はいくつかある。
汎人類帝国も、エルフィニアも、戦争の間はだんまりで戦争が終わってからようやく軍を派遣してきた。それはニザヴェッリルの敗北を待っているかのように市民たちには見えていた。
そもそもニザヴェッリルが敗北しなければ遠征軍など送ってもらう必要もなかったことを考えれば、遠征軍の存在はことさら祖国の屈辱的な敗北を連想させるものとなる。
しかも、その遠征軍を養うのはニザヴェッリルであり、自分たちの税金なのだ。自分たちの税金が軍の立て直しに使われるならともかく、他国の軍隊を養うのに使われるのに納得いかないものは多い。
確かに汎人類帝国とエルフィニアが魔王軍から守ってくれるのはありがたいが……。
そんな複雑な感情を市民が抱いていることなど知らない兵士たちは、機嫌よく手を振ったりしていた。
彼らにとってこれは国が金を出してくれる旅行であり、ちょっとした冒険であり、もしかすると英雄になれるかもしれない機会というだけであった。
彼らはニザヴェッリルのドワーフたちはきっと自分たちを歓迎すると思っていた。そう、将校たちは兵士たちにこう言っていた。
『ニザヴェッリルのドワーフたちは汎人類帝国の助けをずっと待っていた。魔王軍の恐怖に震える彼らを解放し、我々はニザヴェッリルを魔王軍の手から救うのだ』と。
だから、彼らは浮かれていると言ってもいい心理状態だった。
これがあちこちで問題を起こす原因となる。
平時においても旅行者という部外者は問題を引き起こす原因になる。まして、その旅行者が武器を持ち、地位協定で免責特権に等しい権利を持っていたら、そのことは大きく加速するだろう。
そのことを汎人類帝国海外遠征軍は証明してしまった。
同軍展開から3週間と経たないうちに憲兵隊には市民から兵士による無銭飲食や暴行、強制わいせつまで様々な犯罪が報告された。そして、そのほとんどが帝国陸軍内の軍事法廷で裁かれただけで、被害者への補償や説明はなかった。
「一度厳罰に処して、見せしめにしておくべきでは?」
帝国海外遠征軍の参謀のひとりであるアンリ・プルタレス陸軍少将が、同軍司令官のモーリス・クールベ陸軍大将そう指摘する。
「それは無理だ。我々の指揮下には本来カテゴリーII、カテゴリーIIIの師団が入っている。つまりは予備役を動員した部隊である」
クールベ大将は司令部になっている古いニザヴェッリル陸軍の砦の中で、プルタレス少将に語る。
彼の語るカテゴリーI、カテゴリーII、カテゴリーIIIというのは、帝国陸軍におけるその師団の充足状態を示している。
カテゴリーIは75%~100%の充足率で動員を必要とせずにすぐに動かせる師団。
カテゴリーIIは50%~70%の充足率、カテゴリーIIIは10%~30%の充足率で、ともに動員が必要となる師団である。
帝国海外遠征軍には予備役の動員によって充足率を満たしたカテゴリーII、カテゴリーIIIの師団が複数含まれている。
「首相は思い切った決断をしたが、統一党内では今回の派遣に反対する声もある。どうして我が国の若者たちが血を流して、ドワーフの土地などを守らねばならんのか、と」
「自国を戦場にするより遥かにましだからでしょう。首相は確かにお人よしですが、現実を見ていないわけではありませんよ」
「人間は自分に都合のいい事実しかみないものだからな……」
プレタレス少将の指摘にクールべ大将が首を横に振る。
「他国の平和のために動員された兵士が、現地でささいな間違いを犯し、それを軍が厳罰に処したとすれば、派遣に反対している人間は帝国陸軍がニザヴェッリルのドワーフに屈したとみるだろう」
「困ったものです。しかし、そう仰るのであればどのように対処を?」
「憲兵を市街地に展開させて、未然に犯罪を防げ。それしかない」
「それでは、まるで占領軍のようですが……」
「ある意味ではまさしくその通りなのだ。問題はない」
クールベ大将は諦めたようにそう命じたのだった。
その日から街角に汎人類帝国の憲兵隊が立つようになり、ニザヴェッリル政府はそのことを許可した。
気のいい街の巡査は失業し、異国の軍隊がその代わりになったのだ。
そのことに反発を覚えない市民はいなかったし、魔王軍はこの兆しを見逃さなかった。国家保安省の工作員は汎人類帝国海外遠征軍の犯罪を過剰にして流布し、ニザヴェッリルのドワーフたちの敵意を煽った。
そして、扇動されたドワーフたちが汎人類帝国軍撤退を求める平和集会を開くのに、デジャヴを覚えたのは執政官のテオドール・エッカルトだけではないだろう。
あの屈辱の第一次土魔戦争でも、同様に首都で平和集会とやらが開かれ、軍の機動を妨害していたのだから。
「残念ですが徹底した情報統制が必要です」
テオドールにそう報告するのは内務省の防諜を担当する公安部門のドワーフで、彼は相当規模の魔王軍の工作員が第一次土魔戦争の混乱に紛れて浸透したことを既に報告していた。
「しかし、これから元老院選挙がある。下手に情報統制などやったと分かれば、党利党略のために国家緊急権を乱用していると批判を浴びますよ」
そう指摘するのは外務委大臣のハンス・カウフマンで、彼は汎人類帝国外務省と帝国海外遠征軍に所属する兵士の犯罪について話し合っていたところだ。
「分かっている。我が国のイデオロギーは民主主義だ。民衆がこの国の統治者なのだ」
テオドールはそう言い、結局のところ情報統制は行われなかった。
こののち行われた元老院選挙では保守党が勝利し、鉱夫党の執政官と保守党の元老院というねじれが生じた。
そう、致命的なねじれが。
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