押し寄せる敵意ある波
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──押し寄せる敵意ある波
「何事だ!?」
ギースラー中将が叫ぶのに司令部の人員が状況を把握しようとする。
「て、敵襲! 敵のゲリラコマンド部隊と思われる部隊に攻撃を受けています!」
「なんてことだ」
司令部を襲撃したのは魔王陸軍参謀本部直属の第1独立特殊任務旅団から抽出された部隊で、全員が高度に訓練された人狼によって部隊は構成されている。
彼らはM1722小銃の銃身の一部そのものをサプレッサーに変えた特殊作戦用ライフルで武装し、人狼好みの刃渡りの長いナイフも使用して、どこまでも静かに敵地後方に浸透していった。
これまで電信を破壊し、司令官を拉致し、参謀たちを事故死させていたのは彼らだ。
「司令官を殺して、指揮機能をマヒさせる。行くぞ」
「了解」
指揮官の人狼が指示するのに、人狼たちが素早く動いていく。
正面から突入して基地の警備戦力を引き付けたのちに交戦中の人狼たちがいる中で、司令官ギースラー中将の暗殺を目指して人狼たちが基地の守りの手薄な部分から、音もなく侵入ししていく。
「前方に3名。憲兵だ」
「右をやれ。俺は残りをやる」
基地では何が起きたかを把握しようとする憲兵たちが展開していたが、人狼たちはそれを殺害していった。
音もなく背後から3名の憲兵に忍び寄り、右はナイフで、真ん中と左はナイフと鋭い爪で喉を引き裂いて始末した。人狼たちは銃だけでなく、ナイフ格闘から人狼として有する爪や牙を使った軍隊格闘術も叩き込まれている。
そのため多くの人狼が相手の肉を引き裂く感覚が味わえるナイフと爪、牙を好んだが、銃を使った方がいいこともあるし、そのための魔王軍の装備は充実している。
特殊作戦用ライフルはほとんど無音だし、サイドアームとして支給されている拳銃にもサプレッサーは装着でき、隠密行動を可能にした。
「司令部はこの先だ。行け、行け」
事前に拉致した本来の東部方面軍司令官を拷問して、人狼たちは司令部なっている建物の情報を入手していた。どこに司令部があり、どこに通信機があり、どこに弾薬庫があるかなどは全て把握されている。
彼らは血を滴らせながらも、音を立てることなく前進した。
「前方2名。衛兵だ」
「すぐに片付けろ」
司令部を守る衛兵2名の頭の口径7.62ミリのライフル弾が叩き込まれ、脳漿をまき散らしてドワーフの兵士が倒れる。
「爆薬セット」
特殊作戦においてドアからの突入は必ずしも必須というわけではない。爆破で吹き飛ばせるならば、ドアとは別の場所に穴をあけて突入する方が、相手の反撃を遅らせることができるからだ。
人狼たちはその経験からドアとは違う位置に梱包爆薬をセットした。
「3、2、1、爆破、爆破!」
壁が吹き飛び、一斉に人狼たちが司令部になだれ込む。
「き、貴様ら、卑怯だぞ──」
ギースラー中将は爆破の衝撃に呻きながら拳銃を抜こうとするのに、それよりもはるかに早く彼の頭にライフル弾が叩き込まれた。他の参謀や指揮官たちも次々に射殺され、悲鳴が上がっては途絶える。
「クリア」
「クリアだ。皆殺しだな」
特殊任務旅団の兵士と指揮官はギースラー中将に確認殺害を実施したのちに、司令部から撤退。彼らは次は撤退を試みる東部方面軍の背後で破壊工作を行い、攪乱することが任務となっている。
血に飢えた人狼の殺し屋たちに休む暇はない。
彼らが殺しに励んでいる間にも戦争は進み、暴風作戦は当初の目標である複数の都市の制圧を完了していた。
しかしながら、魔王軍北方軍集団司令官はそれに満足した様子ではなかった。
「要塞に時間をとりすぎたな」
ブラウ陸軍上級大将は人狼の将官であり、北方軍集団司令官であった。
彼の下ではロート軍、ゲルプ軍、リーラ軍の3つの軍が行動している。そして、現在それぞれが達成した目標が後方に設置された北方軍集団司令部に入ってきていた。
「要塞が思ったより面倒な存在だった。ドワーフどもがここまで降伏せずに戦うとはな。信じられんよ。そのおかげでいくつかの橋も落とされている。これで全体の歯車が狂わなければいいのだが……」
ニザヴェッリル陸軍は要塞に立て籠もった時間で市民を避難させると同時に、魔王軍に使用される可能性がある橋を爆破して撤退した。
それによってスケジュールに遅れが生じている。
「閣下。空軍から空中突撃部隊を投入可能だということですが」
「ふむ。ここで敵の後方を押さえ、敵を半包囲できれば敵戦力の壊滅もあり得る。が、それは西からの増援到着が間違いなく遅れるという状況でのみ成立する。どうだろうか、オレコフ大佐?」
ここでブラウ上級大将が陸軍の黒色、空軍の藍色でもなく、フィールドグレーの軍服を纏った男吸血鬼に視線を向ける。フィールドグレーの軍服は警察軍の軍服であり、国家保安省の軍服だ。
「援軍の足止めは可能な限り行っています、閣下。政権交代によってこれまでの親軍的な政権が倒れ……何と言いますかな? やや軍を好まず、平和を愛するものたちが力を増しました。彼らがニザヴェッリル軍の行動をあれこれと制限してくれています」
オレコフ大佐が報告するように国家保安省が密かに扇動したことで、首都ゾンネンブルクでは連日のように平和集会というなの反軍デモが起きている。その動きに警戒して陸軍司令部は西部の部隊を動かせずにいた。
「なるほど。では、それを信じるとしよう。地上軍には前進を急がせて撤退を試みている敵への圧力を増加させるように命じ、空軍には空中機動部隊の敵後方への投入を要請する。この命令は直ちに有効だ。獲物を追い詰め、喉笛を噛みちぎれ」
「了解!」
魔王陸軍は地上軍が猛烈な砲爆撃の支援を受けて前進を続けた。
既にニザヴェッリル東部一帯にて航空優勢を確かにした魔王空軍は残酷なまでに苛烈な地上支援を実行しており、これを妨げられるものは存在しない。
砲撃による支援は攻撃発起地点から離れるほどに砲兵と前線部隊の距離が開き、弱まっていくはずのものだ。しかし、魔王陸軍の火力への信仰にも似たドクトリンから、砲兵はトロールを使い潰そうが、何としてでも前進させられ、砲撃は弱まらない。
猛烈な砲火が大地を耕してドワーフたちを薙ぎ払い、予備兵力の機動を困難にし、そこに魔族の群れが津波となって押し寄せる。
ニザヴェッリル陸軍が維持しようとした前線は脆くも崩壊していき、魔王軍によって何十キロにも及ぶ突破口が無理やりこじ開けられていく。
そんな戦場にて──。
「──中尉殿、中尉殿!」
人狼の下士官がまだ若い人狼の士官を起こそうとしていた。
「ああ。クソ。軍曹、俺はどれくらい気絶していた?」
「2、3分です。まだ大丈夫ですよ。それに今のは味方の砲兵です」
「味方を吹っ飛ばすつもりか。全く!」
そう声を上げるのはゴルトという陸軍中尉で、軍曹の手を借りて起きた彼は支給されたヘルメットを正すと周囲を見渡した。
「ワームどもは?」
「自分の判断で後退させました。あのままじゃ味方の砲撃に巻き込まれちまいますよ」
「そうか。よくやってくれた。友軍の元に戻るぞ」
ゴルト中尉はそう言って周囲に警戒しながら、元来た道を戻っていく。
彼の上空をレッサードラゴンの編隊が飛んで行った。
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