第81話 近くて遠いもの 1
「まだ……子供じゃないか!」
無骨な鎧の下から出てきたのは、なんと幼い少年だった。
栗色の髪に丸みを帯びた顔の輪郭。
あの兄とは似ても似つかない童顔だ。
かなり毒が回っているのか意識は混濁しているようで、目を閉じて不規則に呼吸を繰り返している。
《私と同じぐらいの年齢でしょうか? 小柄なだけで、見た目ほど若いわけではないのかもしれませんが》
そういえばライアスが17歳とかいってたっけ?
ならそれより年下なんだから若いのは当然なのだが。
しかしあのイカツイ鎧の中身が、こんな年端もいかない少年というのはギャップが凄い。
俺達は苦労しつつも、全ての鎧を脱がせることができた。
鎧の下はベージュの七分袖のシャツに黒の布製ズボンという軽装。
これなら治療の邪魔にはならないだろう。
背はユーティアよりは幾分高いものの、やや頼りなさを感じずにはいられない華奢な体付き。
ライアスも細身だったが、必要な筋肉は十分に鍛え上げられていた。
それに比べてラトルの肉体は、明らかに発展途上だ。
「う~ん、あんまりお兄ちゃんと似てないかな?」
マリオンはラトルの髪を優しく撫でる。
確かに、似ているのは同じ藍色の瞳ぐらいか。
「ま、不愛想な成分を兄が根こそぎ持っていったのだろうよ」
よかったなラトル。
残り物には福があるというやつだ。
「さて、では治療を始めるぞ。人間を解剖……いや治療するのは初めてなので腕が鳴りますなぁ。しかしだいーぶと顔色が悪い。より詳しく診るにはワタシの診療所へ連れて行くことをお勧めしますぞ。あそこなら機材が揃っているのでより速やかに解剖……いや治療ができますからな。ブヒヒヒヒッ!」
ドクターミンチは両手に手袋をはめながら、マッドサイエンティストばりに目をギラギラと輝かせ始める。
「……オイ!」
「あ、安心してくだせぇ、ドクターミンチは人格的には少しアレですが、腕は確かでさぁ。ドクター、彼はマンティコアの毒にやられたんでさぁ」
しかしポルテに病因を告げられた途端、ドクターはガクリと肩を落とす。
「マンティコアの毒!? ハァ~あれは麻痺効果があるから見た目こそ重篤に見えるが、実際にはそこまで深刻ではないよ。それなら血清打って終わりではないか! なんということだ! つまらん! ああぁ~つまらん!」
あからさまにやる気を無くしたドクターは、カバンから注射器を取り出すと速やかにラトルの腕に打ち込んだ。
その間約三秒。
凄まじい手際の良さだ。
「どれ、一応負傷箇所がないか確認しておくか」
ドクターはラトルの目を覗き込んだり口の中をかき回したり体中をさすり回したりし始める。
「う……ここ……は?」
もう解毒されてきたのか、ラトルが意識を取り戻す。
顔色も幾分よくなってきた。
「よぉ、お目覚めの気分はどうだ若き王子様? もっともお前を起こしたのは美女の接吻じゃなくてオークの打ち込んだ液体だがな」
「……はぁ……気分? なんだか……ずっと誰かに守られてたような……温かくて心地よい感じ……です……」
こいつはまだ半分夢でも見てるのか?
人の苦労も知らずに呑気なものだ。
「どこか痛む所はあるかね?」
触診を終えたドクターはラトルに尋ねる。
「痛む? ……あれ? 右足が痛い?」
ラトルはマンティコアとの戦闘のことが思い出せないのか、傷ついた自分の足を不思議そうに眺める。
「フーム、やはり負傷箇所はこの右膝側面部だけのようだ、残念なことに。ま、傷自体は浅いから後はテキトーに処置して終わりかの」
《リュウ君私がやります私が治しますっ! 代わってくださーいっ!》
言うと思ったよ。
まったく、ユーティアのお節介癖こそドクターに直してほしいもんだ。
俺と代わったユーティアはラトルの前に跪くと、患部に軽く手を当てる。
「聖霊よ 祈りを繋ぎ 慈悲を与えたまえ 御使いよ 恩光をもたらし この者を癒したまえ」
それはまるで詩の朗読のように清閑で、それでいて懸命な祈りのように熱の篭った詠唱。
ユーティアの周りを光の羽根のようなものが舞い始めたかと思うと、かざした手の一点へと収束していく。
『 セイントヒール!』
光は一際大きく弾けるように瞬くと、波紋のように空間に拡散しながら消えていった。
「こうして間近で魔法を見るのは初めてですが、見事なもんでさぁなぁ……」
「この村には魔法を使えるオークがいないからのぉ」
魔法が余程珍しいのか、オーク達はユーティアの魔法に見惚れている。
「……どう、でしょうか? 傷口は塞がりましたけど、まだ痛みはありますか? 念のためにしばらくは右足に負担をかけないようにしてくださいね?」
「だっ大丈夫です。ありがとうございましたシェルバーンさん。ぼ……私なんかのために……」
ラトルは座ったまま深く頭を下げ礼を言う。
やや目が泳いでいるのは……先程の俺と今のユーティアで態度が違いすぎて戸惑っているからだろう。
「クスクス……プライベートでは自分のことを僕と呼んでいるんですね。私達の前では気兼ねせずに素のラトルさんで振舞ってくれたほうが嬉しいです。それに敬語も不要ですよ。ラトルさんの方が年上……ですよね?」
もし違ったらどうしようとでも思ったのか、ユーティアはやや怖気ながら尋ねる。
「僕……は、まだ15歳ですが、シェルバーンさんよりは年上でしょうか? しかし敬語は誰に対してもですので、お気になさらずお願いします」
ラトルはあくまで低姿勢を貫く。
誰に対しても遠慮深い奴ってのはいるもんだな。
俺には理解できないが、殊勝なことだ。
しかしユーティアより一つ年上か。
体格もそうだが幼さが抜けきらない顔立ちも相まって、やはり実年齢よりは若干若く感じられる。
「ではせめて私のことはユーティアと呼んでくれますか? その方が他人行儀じゃなくてよいと思います」
「んじゃわたしもマリオンって呼んでね! ヨロシクゥ!!」
ラトルは女子二人に囲まれてるせいか、顔を赤くして俯く。
見た目だけではなく性格まで初々しい奴だな。
「あっ、あの……」
ラトルはゆっくりとソファから立ち上がると、今度はオーク達に頭を下げる。
「まだ頭が混乱していて正確に把握はできていないのですが、あなた方が僕を助けてくれたということは確かなのだと思います。心より感謝します」
オーク達はその律儀な謝意にむしろ一瞬困惑するも、直後に大きな口を開いて笑いを吐き出す。
「ブファッファッファッ! そう気を遣うでないラトル殿。困った時はお互い様じゃろう? 若いうちは無神経なぐらいがちょうどよいんじゃて」
さすがは村長。
若いうちは無神経なぐらいでちょうどよいとはまさに名言!
その爪の垢をユーティアに飲ませたくなるほどだ。
「治療が終わったとはいえ毒で体力を消耗しているはず、大人しく座っておれ。なにか精の付く食べ物を摂取するのが好ましいが……」
「ならばドクター、ワシ達で何か馳走するとするか。妻は外出しているし、簡単な物しか出せんじゃろうが……」
村長の提案に、ドクターは面倒くさそうな顔でかぶりを振る。
「ワタシは医者だぞ? なんでそんなことを……」
「ワシが無理をすればまた腰痛が悪化するじゃろう? それを予防するのも医者の責務じゃて。あぁ、客人はここでくつろいでいてくだされ、少々お時間がかかりますじゃ」
そう言って村長はドクターを半ば強引に引っ張って奥の部屋へと消えていく。
ポルテも村長を手伝うと言って後を追った。
今この部屋に居るのは俺達だけだ。




