第30話 オトナ少女 2
「まあまあまあ! ミリィの恩人様ですって!? これは丁重におもてなししなくては! あ、申し遅れました。私ミリィの母のマールと申します!」
栗色の髪にやや小太りなその女性は両手を広げて大袈裟に感激すると、俺達の手を握りしめたままブンブンと上下に振る。
娘に似て明るく社交的な母親だな。
いやミリィがこの母親に似てるんだろうが。
真新しい石造りの二階建ての宿屋。
三つ葉亭──そう書かれた看板が掲げられた建物の一階部分は食堂となっていて、その中に通された俺達は事の顛末を聞かされたエプロン姿のミリィの母親からこうして歓迎を受けている。
「幸い今部屋の空きもあります。どうぞお好きなだけ泊まっていってくださいませ。料理もお出しさせていただきますわ、ねぇあなた?」
マールが振り返ると、そこにはいつの間にやら細身の男が佇んでいた。
白のコックコートに身を包むその男は、話の流れ的にはミリィの父親なんだろう。
しかし母娘とは対照的に影の薄い奴だな。
注意を向けていないと存在を忘れてしまいそうなほどに。
「……………………っ」
モソモソと、蚊の鳴くような声を発し男は頭を下げる。
ありがとうございます的な事を言ったように聞こえたが……
「うふふ……ご安心を。旦那は無口ですが料理の腕は確かですので。この三つ葉亭もいまや料理ですっかり有名になってしまったぐらいですから」
マールはそっと夫の細腕に手を添えるとにこやかな笑顔で語る。
随分と仲睦まじい夫婦のようだ。
「早速お食事を……と言いたい所ですけど、残念ながら今は混み合ってるみたいですね……」
マールの言うとおり、まだ夕暮れ時だというのに食堂はすでに人でごった返している。
「でしたら先に湯浴みでもされてはいかがでしょう? 今の時間浴場は空いているでしょうし。その間に準備させていただきますわ」
湯浴み──
マールのその言葉に、ユーティアとマリオンはピクリと反応し顔を見合わせる。
見つめ合ったまま顔をほころばせると、同時に大きく頷く。
どうやら意見が一致したようだ。
とはいえ、俺も内心では小躍りしている。
なにせこの世界に来てから、まだ一度もまともな風呂に入っていない。
教会を出た初日に泊まったオンボロ宿には当然のように入浴設備は無かったし、その後は野宿だったのでたまに川で水浴びをするのが精々。
やはり風呂なしの生活というのは、精神衛生上厳しいものがある。
「湯浴み……ああなんて甘美な響きでしょう。主よ……感謝します!」
今ばかりはユーティアのそんな大袈裟な祈りに同意しそうになる。
「ユーティアちゃん一緒にいこっ! はやくっ!!」
マリオンも待ちきれないとばかりに急かしてくる。
こいつも何日も野宿してたって言ってたから、俺達と似たようなものなんだろう。
宿屋の二階、一人用の部屋の鍵をそれぞれが受け取る。
ユーティアとマリオンは足取り軽く食堂の隅にある木製の階段を上がると、それぞれの部屋に荷物を置きに行く。
マリオンはすこし準備に時間がかかるということだったので、ユーティアは一足早く浴場へと向かう。
鼻歌交じりに、躍るように廊下を跳ねるユーティア。
廊下の突き当りに、男性用と女性用とに分かれた脱衣所の入り口があり、その先の浴場には四、五人入れる程度の浴槽が据えられている。
今は他の客はおらず、貸し切り状態だ。
浴槽からは湯気がモクモクと沸き立ち、浴場全体へと立ち込めている。
ああ……これだよこれ。
目の前に風呂場があるというだけで、こうも高揚感が沸き上がるものだとは。
やはり風呂ってのは日本人にとって重要なファクターなのだ。
《素晴らしい! 普通の浴場だが、だがそれこそが素晴らしい!》
「そうですね! リュウ君!」
《さぁ早く入ろうぜ! ユーティア!》
「ええ! そう……です……?」
…………コホン! と、ユーティアはわざとらしく咳払いをする。
《どうした? なにをモタモタしている? 早く服を脱いで入れよ!》
「あの……リュウ君? わかってるとは思いますけど」
《ああ、わかっているぜ! 風呂は最高だ!》
「いえ、そ、そうじゃなくて。私は裸にならないといけないから、その間いつもみたいに魔法を解除してくださいねっていうことなんですよ?」
……なん……だと?
なんてことを言いだすんだコイツは!
《……おまえは鬼か? つまりは長旅で疲れ切っている俺に風呂に入るなと、そう言うのか? それが人の所業か? そんなド畜生な女だったとはな。見損なったぜ!!》
「誤解ですよ! 魔法を解除しても私の体自体は清潔になるわけですから問題は無いはずじゃ……」
《ばっかもーん! 入浴とは体の汚れを落とすだけが目的にあらず! 自律神経を整え、蓄積した精神的疲労をリフレッシュする効果があるのだ! つまり俺の気高い精神を維持するためにも、入浴は必須行為なのだ!》
「そのジリツなんとかってのはよくわかりませんけど。そ……それにしたってリュウ君に裸を見られるなんて……は、恥ずかしいですし……」
モジモジと、恥じながらも半分拗ねたようにユーティアはなおも拒絶する。
《お前な、いつもそんな事言ってるが、なら俺が生まれた後でも恥ずかしいとかいって母乳を与えないつもりなのか?》
「ええっ!? そ、それとこれとは別ですよぉ……」
それが無理のある理屈だとユーティア自身も理解しているのだろう。
バツが悪そうにボソリとそう答える。
《あのなユーティア、そもそも考えてもみろ。俺は胎児だぞ? 胎児が女体になんか興味を持つはずがないだろう? つまり俺に対して恥じるという行為自体がナンセンスなのだ》
「で……でも、リュウ君ってなんかイヤラシそう……」
《それが実の子に言うセリフか? 断言しよう! 俺に性欲など無い! そのための機能がまだ未発達なのだから当然だがな》
「本当~の、本当~に?」
《本当の本当の本当にだ!!》
しつこいぐらいに疑ってくるユーティアに俺は言明する。
まったく聖職者がこんなに疑り深くていいんだろうか?
「わ……わかりました。では自分の体をできるだけ見ないようにして入ります。もちろん私の体を勝手に動かしちゃダメですよ! そうでなくても恥ずかしいんですから……」
ユーティアなりの精一杯の譲歩が提示される。
まあ構わないさ。
風呂に入りたいってのが、今回の偽らざる本音だからな。
脱衣所でゆっくりと衣服を脱いでいくユーティア。
視線を正面に固定し、下を見ないようにしているので脱ぎにくそうだ。
しかし衣擦れ音を聞いているだけでも、変な気分になってくる。
いやいや、今回は静観しなくては。
俺が妙な反応をすればまたゴネられるのが目に見えている。
脱ぎ終わると、今度はゆっくりと浴場へと移動する。
フワリと、立ち昇る暖かい湯気に全身が包まれる。
和む──
ようやく久方ぶりの風呂に入れると思った瞬間──
「ユーティアちゃん! おっまたせ~!!」
突然後ろから、誰かに抱き付かれた。




