第28話 上流階級 4
そいつは二人の間に割って入り、リンゲルを制止する。
まぁ誰がだなんて説明するまでもない。
後先考えず損得考えずそんな愚行をやっちまう馬鹿なんて、そう居るまいよ。
《あんのな、ユーティア!!》
俺はまさに今、リンゲルの前に両手を広げて立ち塞がっているユーティアに向かって声を荒らげる。
《お前言ったよな? 俺に手を出すなって言ったよな? 逆らったら絶対に駄目だって言ったよなぁ? なのになんで、言ったお前自身が舌の根の乾かぬ内に逆らってんだよ?》
「わ……わかってますよリュウ君。でも……でも、放っておけませんよこんなの! この子を見てると孤児院の子供達を思い出しちゃうんです。守らなきゃって義務感が湧くんですよぉ!!」
ユーティアは俺には申し訳なさそうに、しかし自らの行いには悔いはないとばかりにはっきりとした口調で言いきる。
まったくなんの義務感だよ?
子供だからと助けてたんじゃキリがないだろう。
もっともユーティアなら子供でなくとも助けてそうだけど……
「ああ、嘆かわしや……」
リンゲルは大袈裟に天を仰ぐ。
「どうやら我がイルヴィネス様は休務されておいでのようだ。こんな不届き者が続けて現れるということはな。ならば仕方ない。吾輩が直々に神罰を下さねば……なっ!!」
リンゲルの細長い足が鎌のように空を切るとユーティアの腹部に叩き込まれる。
ユーティアの軽い体は地面を転がり一回転──したところを、今度は髪の毛を鷲掴みにされ吊り上げられる。
目の前には苛立ちと嘲笑の入り混じる奴の顔が迫る。
「キョッキョッキョッ! ふむ……お前も素材は悪くないぞよ。あと一年六カ月すれば入信を許可してもよ──」
だがリンゲルの言葉はそこで途絶えた。
いや、俺が黙らせたのだが。
「ヒ……ヒギィ! アガがぁアああっ!!」
代わりに、奴の歪んだ口からは悲鳴が奏でられる。
「こぉんのクソがぁ! 痛かっただろうがぁ!! この俺の体に傷を付けてくれたんだ! 生きて帰れるとは思うなよぉ!!!」
ユーティアは……いやもちろんこの肉体の支配権はすでに切り替えているので俺はだが、目前のリンゲルの顔面を右の手で圧搾する。
つまり、アイアンクローである。
ユーティアの小さい手で可能か不安だったが、奴の痩せた面長の顔にちょうどフィットして綺麗に決まった。
《リュ……リュウ君!? ちょっとこらぁ! 暴力は駄目ですよ!!》
ユーティアは相変わらず甘い事を言っている。
だが先に手を出したのはコイツだ。
ならばもちろんやり返す。
100倍返しだ!!
「貴様ぁ!!」
「リンゲル様を離せ!!」
護衛の二人が俺に槍を向ける。
「ほう……試してみるか? お前らの槍が俺に届くのが先か、それとも……こいつの顔面がトマトみたいに潰れるのが先か!!」
俺はさらに手に力を込める。
「アぐぁあぐぁアアああっ!!!」
リンゲルが断末魔の悲鳴を上げる──とその時。
ヒョコッ──と、目の前に見知らぬ物体が現れる。
黒くて丸くて、ぷにぷにしたなにか。
なんだ……これは?
黒い球体には白い真珠のように輝く小さな球体が二つ埋まってる。
いや……これは目か。
よく見ると球体の上にも耳のような突起。
こいつは……猫……か?
ぬいぐるみのようなややディフォルメされたフォルムではあるものの、俺の知る生物の中では猫にもっとも近い。
その猫はいつの間にかリンゲルの肩に乗っていて、俺の方を覗き込んでいる状態だ。
「ナーゴ」
「うおっ!」
急に目の前で鳴かれたので驚いた俺は、アイアンクローを解除してしまった。
倒れかかったリンゲルを、護衛の二人が抱きかかえる。
猫はリンゲルの肩から飛び降りると、人混みの中へと走り去っていった。
「……なんだったんだ、あの猫は?」
「うぉおおおお!! 吾輩の勲章が無いぞよぉおおお!!」
二人の護衛に介抱されていたリンゲルが突然奇声を発する。
たしかに、奴の胸元にあった勲章が無くなっている。
護衛の二人は俺の顔を睨んでくる。
俺が盗んだと疑っているらしい。
「オイオイ、俺じゃないぞ?」
俺は両手をぷらぷらさせて無罪アピール。
「あいつぞよ! 吾輩の首元に黒い動物がおったぞよ! そいつが逃げる際何かをくわえているのが見えたぞよ! あの動物を追うぞよ!! あとお前達、すぐに戻ってくるから逃げるでないぞよ!!」
リンゲルは人混みを弾き飛ばす勢いで猫を追いかけていった。
二人の護衛もその後に続く。
「お姉ちゃん!」
少女が泣きながら抱き付いてきた。
「ごめんなさい、あたしのせいで! ケガ……大丈夫?」
「…………………………」
《あのーリュウ君? 代わった方がいいですか?》
「……ああ、そうだな」
突然少女に抱き付かれて対応を苦慮していた俺に、ユーティアが助け船を出す。
よって後のことはユーティアに任せることにした。
「私は平気だよー! お嬢さんこそ大丈夫かなぁー? 名前聞いていいかな?」
「あたしはミリィ! お姉ちゃんは?」
「私はユーティア。よろしくねミリィちゃん」
ミリィと名乗る少女は泣き止むと、もう一度ギュッっと抱き付いてきた。
ユーティアもミリィを優しく抱きしめたままその頭を撫でる。
その仕草が慣れているのも、孤児院で子供達にそうしてきたからなんだろう。
グイッ──と、急に後ろから袖が引っ張られる感覚がする。
「二人とも、こっちこっち!」
人混みに紛れて、何者かが俺達を呼んでいる。
正体不明のその何者かは俺達に付いてくるよう合図を送り、路地裏へと消えていく。
「……どうしましょう、リュウ君?」
《とりあえず付いていくか。あいつ執念深そうだから本当に戻ってきそうだし、少々目立ち過ぎた。いずれにしてもここに長居はしたくない》
ユーティアはミリィを連れて謎の人影を追った。
建物の間を抜け裏通りの階段を駆け上がり、高台にある広場へと抜ける。
円形の広場の中央に到着したところで、その人物は初めて振り返る。
「反対方向に追い払ったから、ここまで逃げれば大丈夫だよ! エクシードには関わらないのが大正解だからね! 二人ともお疲れさま!!」
弾むような声を張り上げて、そいつはニッと白い歯を輝かせる。
女の子だ……しかもかなり若い。
ぴょんぴょんと、どこからか先程の猫が現れるとその女の子の肩に飛び乗る。
「おつかれ~うまく追い払えたね!」
その少女は猫の頬を指で撫でながら、まるで労をねぎらうように言う。
「その猫、あなたの猫だったんですか?」
「そーいうこと! でも礼には及ばないよ! 人助けをするのは魔法士の義務だからね!」
少女はユーティアの問いにウィンクしながら答える。
そして左手を腰に当て、右手を掲げて上空を指差しながら宣言する。
「流るる星の如くに現れて、弱きを助け強きを挫く! わたしは愛と正義の魔法士マリオン・ミューズライト! よろしくぅ!!」




