第20話 選択 1
「かはっ……けほっ! けほっ!」
ユーティアは気管に入った水を必死に吐き出す。
危なかった。
まさに溺死寸前だった。
水中でもがくように手足をバタつかせるも、一向に体は浮かず息継ぎすらままならず。
命からがらこうして川岸に這い上がれたのは、運が良かったとしか言いようがない。
「はぁ、はぁ……」
ようやく空気が取り込めるようになってきた。
ユーティアは四つん這いの姿勢のまま、ゆっくりと呼吸を整えていく。
《おいユーティア! お前なんで泳げないんだよ! 泳げないならなぜ先に言わなかった!》
「言おうとしたけどリュウ君が言う前に飛び込んだんですっ! 言う前に飛び込んだぁあああ!!」
ユーティアはダンダンと地面を叩いて猛烈に抗議してくる。
しかしこいつさっき川に飛び込んで逃げればって言ってたから、てっきり泳げるものだとばかり思っていたのだ。
これじゃ俺が泳いだ方がマシだったかもな。
あの犬かきと平泳ぎが滅茶苦茶に混じったような泳法では、子供用プールですら溺れるだろうよ。
「少し……休ませてください」
ユーティアは近くの巨木に背を預ける。
濡れた衣服がピッタリと張り付いた胸部が、呼吸と共にゆっくり上下している。
ここは砦から少し下流へ下ったあたりのようだ。
砦はまだ燃えているが、炎は衰えてきているように見える。
この森全体が湿っていたことが幸いしてか、燃え広がることは無さそうだ。
ほどなく鎮火するだろう。
「そうだ! ローザは!!」
ユーティアは突然思い出したように飛び起きる。
《落ち着け。逃げたのはこちらの方向だったし、教会へ向かっているという可能性が高いだろう》
俺の魔法に巻き込まれずに生きていれば、だがな。
「そ、そうでしょうか?」
余程にローザのことが気掛かりなのか、ユーティアは周囲をキョロキョロと見回す。
《こんな場所を探しても時間の浪費にしかならないだろう。他に手がかりも無いんだから、俺達も帰るべきだ。万が一あの女が帰っていなくても、その時は自警団に探してもらった方が効率がいいだろうよ》
「それは……そうですね」
ユーティアは一応は納得したようで、来た時とは逆方向の、下流に向けて川沿いを歩き出す。
草をかき分けながら、森の中を黙々と進む。
しかし濡れた衣服で動き続けるというのは不快なものだ。
同調の魔法を解除すれば済む話なのだが、まだ危険が潜んでいる可能性もある。
残党のゴブリンが残っているかもしれない。
ここでユーティアを一人にするわけにはいかない。
しかしそんな俺の心配も杞憂だったようで、何事も無く無事に森を抜けることができた。
遠方まで続くなだらかな丘を見たときは、生きて帰ってこれたのだと実感。
心底安堵する。
ユーティアはそのまま帰路を急ぐ。
相当に疲労していることはもちろん俺にも伝わってくる。
しかしローザのことが心配なのだろう、休むこともせずに無言のまま黙々と急ぎ足で進む。
もうかなり日が傾いてきている。
オレンジ色に染まった陽光が、草原に宝石のような輝きを撒き散らす。
早く……帰りたい。
いつの間にか心の奥底で、そんな想いが芽生え始めていた。
あんな場所……愛着なんて湧くほども居ちゃいなかったのに。
しかしそんな場所でも、この世界に生まれ変わった俺にとっては唯一帰ることができる場所なのだ。
あのたいしておいしくも無い食事もまた食べたいし。
フカフカのベッドでゆっくりと眠りたい。
あのガキ共の五月蠅さにも、まぁ……そのうち慣れるだろう。
なによりこいつと……ユーティアと、もっと話をしてみたいと思った。
ユーティアは世間知らずで馬鹿だが、悪い奴ではなさそうだ。
そういや前世の俺は、他人に関心を持つなんてことは無かったな。
もっと話して、もっと語って、この馬鹿が何を考えているのかを知りたいと思い始めていた。
もっとも、もうあんな危険に付き合わされるのは御免蒙るがね。
もうかなり教会の近くまで戻れたはずだ。
しかし太陽は沈み始め、世界が闇に染まってきている。
もちろん街灯なんか無い。
地表も空も、墨汁をぶちまけたように闇に飲み込まれていく。
しかも先程から分厚い雲が空を覆い始めていて、闇の侵攻速度はますます加速。
完全に呑み込まれる前に教会まで辿り着きたいものだが……
「リュウ君、見えましたよ!」
ユーティアがようやく口を開く。
そしてより一層に強く地を蹴る。
前方に揺らめくのは、たしかに教会の灯り。
だがしかし……なんだ?
やけに灯りの数が多いような気もするが……
気のせい──ではない。
教会の入り口近くに、人が集まっている。
灯りが多く見えたのは、そいつらが持っているランタンのせいだ。
《なんなんだあいつらは?》
十数人ぐらい居るだろうか?
男性が多いが、女性も少なからず交じっている。
「あれは……きっと、自警団の方々……ですよ」
息を切らせたユーティアが、ようやく教会の正門まで辿り着く。
なるほど、男連中は農作業用の鍬やら草刈り鎌やらを携帯している。
なんとも頼りない装備だが……
他の数人の女性は、騒ぎを聞きつけ野次馬根性で集まったご近所さんってトコか。
「ローザ……ローザは?」
ユーティアは門を抜けローザの姿を探す。
黄昏時を過ぎたこの暗さでは、人の判別もままならない、が──
「居た! ローザ!!」
不安に駆られていたユーティアの声が、一気に安堵に変わる。
教会の正面、入り口近くに院長とアマンダ、そしてローザの姿があった。
どうやら自力でここまで辿り着いていたようだ。
ユーティアはローザの名を何度も叫びながら駆け寄る。
院長とアマンダ、そしてローザもこちらに気付く。
「ローザ! ローザ! 無事だったんだね!! よかった、私心配して……」
「────悪魔!!!!」
────────!?
突然────だ。
ローザはこちらを指差し、鬼のような形相で絶叫する。




