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第1話 胎動 1

 ──神め、もし会ったらブン殴ってやる!


 俺は地獄の底で憤激を(たぎ)らせる。


 地獄っていったって、べつに閻魔大王相手に法廷闘争中とか鬼達から拷問を受けてる真っ最中ってわけではない。


 しかしながら、俺はここが地獄だと確信している。

 もちろんその帰結に至るには、それなりの根拠があってのことだ。


 まず第一に、俺はもうすでに死んでいる。

 それは今も明確に思い出すことができる生前の記憶からも明白。


 もっともその俺の生前というヤツは、まったくもって悲惨極まりない代物だったのだが。

 それはまさに生き地獄と言っていいほどに……


 生まれた国は日本……これはまあ良かった。

 残念なのは俺が育まれた家庭環境においては、愛情とかそういう概念が極めて希薄だったってことだ。

 母親は俺のことを人間としては扱わず、気に入らないことがあれば怒鳴り散らし、口汚く罵り、殴るわ蹴るわで、家から締め出す事すらも日常茶飯事。

 仕事だけが生き甲斐な父親は家庭のことは顧みず、そんな俺の惨状も見て見ぬふり。

 俺はそんな家庭環境下で次第に人格が歪み人間不信になっていった。


 そんな俺が学校という高度な社交技術が要求される場になじめるはずもない。

 無口で根暗で目つきの悪い俺は、小学校に入るも当然のように孤立していくこととなる。


 ただの一人の友達すらできず。

 いやそれどころか誰とも、一言も、言葉を交わすことすら無く過ぎる日々。

 

 クラスメイトの誰もが俺の事を、そこには存在していない空気のように扱った。

 それでいて定期的にキモいだのウザイだのといった陰口は聞こえてきたけどな。


 まあそれだけならまだ良かったんだけど、人というのは成長すれば知恵をつけるようになる。

 もちろん悪知恵も。


 そして次第に一部のボンクラ共から手の込んだ敵対行為を受けるようになった。

 上履きを切り裂かれたり机に落書きされたりといった底レベルなものから、トイレで殴られたりカツアゲされたりといった時代錯誤なものまで。


 ちなみに自分で言うのもなんだけど、俺って結構ナイーブなんだよね。

 だからそんな仕打ちを受ける日々に、精神はさらにすり減りボロボロとなっていったんだ。

 そしていつしか周囲の人間に、憎悪と敵対心を向けるようになっていた。


 俺を(さげす)み忌み嫌う連中。

 そいつら全員に、俺の受けた屈辱と痛みを10倍返しで食らわせてやればどんなに気持ちが良いだろうか?

 いつの間にかそんなことをしばしば考えるようになっていた。

 まぁもっとも、チキンな俺にはそれを実行する度胸すら無かったのだが。


 結局俺はこうして劣悪な小学、中学時代を何とか耐え忍びながらも乗り越えた。

 せめて高校に入ったら、もう少しマシな学園生活が送れるんじゃないかと淡い期待を胸に秘めながら。


 歪んではいても俺だって人間だ。

 気の合う友人を作って遊び回りたいし、その……恋人だってほしい。


 だがしかし、その考えは甘かった。

 高校でも中学時代のクラスメイトが少なからずいて俺の悪評はすぐに広まったし、何よりすでに社交スキルがマイナスまで突き抜けていた俺に、新しい人間関係を築くなんて芸当は不可能だったのだ。


 そう、華々しい高校デビューなんて最初から夢物語に過ぎなかったわけだ。

 こうして結局は俺の孤独な学園生活高校編が始まることとなる……はずだった。


 しかし高校入学後間もなく──クラス内でのグループ形成が固まり俺の孤立が確定的になった頃、その事件は起こった。


 それは放課後の帰り際、クラスの女子の一人が自分の机の横に掛けていた体操着が入った袋が無くなっていると騒ぎだしたことが事の発端。


 すると数人の男子(中学時代に同級生だった奴だ)が俺が盗んだに違いないと言い始めたのだ。

 その女子の机の横を何度も通り過ぎていたとかなんとか。

 いやまあ、トイレに行くときに通ったりはしたけどさ……


 その場にいたクラスメイト十数人から冷ややかな視線を浴びつつも、もちろん俺は否定した。

 しかしそんな俺の言葉に耳を貸す奴などおらず、それどころかその女子が俺の事を変態呼ばわりして罵り出す始末。


 誰がお前みたいな茶髪ビッチの体操着なんて欲しがるかっての!

 清楚な黒髪美少女のなら欲しいけど。

 ……いえ欲しくても盗みはしませんよ、はい。


 しかしついには男子生徒数名が、悪者退治でもしますよとばかりに正義感を振りかざしながら俺に制裁を加えてきた。

 突き飛ばされ、足蹴にされ、引きずり回された。

 後ろでは女子生徒達が好奇と侮蔑の入り混じった嘲笑を躍らせている。


 これは悪質なイジメかそれともスクールカーストの序列としての見せしめか。

 いずれにしても一矢報いてやりたかったが、如何せん多勢に無勢。

 なにもやましい事をしていないはずの俺だが、無念ながらも逃げるという選択をせざるを得なかった。


 あの包囲網をどうやって脱出したのかははっきりと覚えてはいないけれど、鞄をブンブン振り回しながら悪漢共を振り切り逃げ切った気がする。


 階段を駆け下り、上履きのまま校舎を飛び出しながら、もう全てがどうでもよくなった。


 クラスに馴染もうと努力するのも。

 両親の顔色をうかがい怯えるのも。


 そんな行為に……何の意味も、価値も無い。

 そう、俺の人生に価値などなかったのだ。


 もうウンザリだ!

 いっそ死なせてくれ!!

 と全てを諦め、むしろ爽やかな気分になったその瞬間──

 

 あっという間にその願いは叶えられた。


 校門を出た直後、まさにタイミングを合わせるかのように右手から車が飛び出してきたのだ。

 路面を引きちぎるようなブレーキ音が鳴り響く頃にはすでに手遅れ、俺の体は宙を舞っていた。

 

 跳ね飛ばされ空中を(えぐ)るようにキリモミしながら俺は自分がここで死ぬのだと悟る。

 さほど痛みを感じない代償か、ひどく破壊された体の感覚が生々しく知覚された。


 ……これではもう助かるまい。

 そう覚悟して地面へと落下する俺の瞳に、自分を襲った車が映りこむ。

 そしてその相手の正体を知って俺はさらに愕然とした。


 ──選挙カーだった。

 俺を跳ねたのは、拡声器で候補者名を連呼しながら走行中の選挙カーだったのだ。

 選挙カーの割にはスピードが出ていたような……いやそんなことよりも、問題はその候補者だ。


 助手席に乗ったそいつは──俺のよく知っている奴だった。

 いや俺でなくても、日本国民なら大抵は知っているだろう。


 父親は元総理大臣で、自身も若くして大臣に抜擢され次期総理の有力候補とさえ目されるほどの政界のサラブレッド。


 その甘いマスクゆえにお茶の間の、特に女性からの支持はダントツ。

 おまけに散々女遊びをした挙げ句に女子アナと結婚するという、公私共にパーフェクトな勝ち組の中の勝ち組。


 惨めで無様で地に這いつくばるように生きてきた哀れな俺に引導を渡すのが、こんな地位も名誉もルックスも金も女も好きなだけ手に入れたボンボンだってのか?

 

 無慈悲な現実を突きつけられたまま、俺は頭から地面に激突。

 路面に広がる血溜まりの上で意識は急速に薄れていく。


 しかしそれと反比例するように、俺の中で渦巻く闇が爆発的に肥大化していった。


 俺の人権を踏みにじった両親への恨みと、疎外し濡れ衣を着せたクラスメイトへの憎しみ。

 俺に止めを刺したエリート議員への怒りと、なによりこんな不平等な世を作り出した神に対する憎悪。


 そう、神ってやつは人間には無欲たれ高潔たれと説きながら、貧困も戦争も差別も格差も放置している。

 職務怠慢も甚だしい!


 そのくせ俺が虐げられていて助けを求めても完全無視を決め込んでいたくせに、死にたいという願いは速攻で叶えるような、根性のひん曲がった糞野郎らしい。


 許すまじ! この恨みはらさでおくべきか!!

 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い──────


 こうして俺はありったけの怨嗟(えんさ)の炎に全身を焼かれながら息を引き取った。

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