第133話 十で神童 2
公園を出て南方向へ10分強歩いた場所に、その建物はあった。
やや古びたログハウス風の建物。
このあたりは都会の喧噪からやや離れた自然の多い地域のため、そのアナログな外観に違和感は無い。
表札には小さな文字で「大賢者ミラージュ・ルルリリアの探偵事務所」と書かれている。
本人の態度の大きさとは対照的な、控えめな表記。
ミラージュ曰く、浮気調査など平俗な依頼ばかり来るので目立たぬ表記にしたのだとか。
自分の才能を活かせる難事件を扱う、知る人ぞ知る隠れた名店にしたいのだとか。
「遠慮せず入るがよい! ちょーっとだけ散らかってるがの!」
入り口を通ると、外観同様木造りの大部屋が広がる。
入って左手にはL字ソファに長机。
右手には大型の作業机。
それにしても、物の密度が高い部屋だな。
長机の上には菓子の入った複数の小瓶に分厚い書籍。
作業机の上には書類の山。
いや密度が高いというよりは、単純に散乱しているという表現が正しいよな。
ソファの上には衣類が脱ぎ散らされ、床上には用途不明の道具や工具があちこちに転がる。
《きったない部屋だな! これがちょっとという表現で済まされるレベルか?》
「やっやかましいぞこわっぱ! 妾は多忙なのじゃ! 探偵はあくまでも副業! 妾の頭脳を活かした研究・開発こそが大賢者としての本命であり使命! 故に家事にまで手が回らぬのじゃ!」
ミラージュは頬を染めながら眉を吊り上げる。
しかしということは、この床に散らばっている種々様々な物体はミラージュの発明品……の残骸というわけか?
魔石が組み込まれている物が多いように見える。
その魔石の働きがわからない俺にとっては、どういう意図で作られたのかはさっぱり。
だが、この歳でこれだけの試行錯誤をしているということは、やはり有能な賢者と言える……のか?
「なんにしても喉が渇いたのぉ。ユティよ、隣のキッチンで湯を沸かしてくれぬか? ポット下の台のボタンを押すだけという簡単お手軽湯沸かし器があるぞい。それも妾の発明、高温・小型化を両立させた優れモノじゃぞ。もっとも安全性に難があるからまだ市販はしていないがの」
ミラージュは、隣部屋への扉をクイクイと人差す。
ユーティアは隣のキッチンへと移動する。
たしかに、ポットの下に厚さ10センチほどの金属製の台があり、手前にボタンがいくつか付いている。
「これで……いいんでしょうか?」
ユーティアは、その中でも一番大きな赤いボタンを恐る恐る押す。
すると台の上部が赤く変色し、見た目にも発熱していくのがわかる。
《安全性に難がって……まさか爆発とかしないだろうな?》
ヒヤヒヤしながら見守っていると、ポットの中の水が沸いたところで自動的に止まった。
「へぇ~便利なものですね。私も一台欲しくなっちゃいました! 安全性が確かになったらですけど」
ユーティアはポットを持って大部屋へと戻っていく。
「無事沸かせたようじゃな、ご苦労じゃった!」
ミラージュは長机の上にティーカップと茶葉を用意して待っていた。
すでにL字ソファでくつろいでいるマリオンは、床に転がっていたミラージュの発明品を手に取って珍しそうに眺めている。
「おや……砂糖がほとんど残ってないの。さてどうしたものか?」
ユーティアが紅茶を入れている中、卓上の白いシュガーポットの蓋を開けたミラージュがそんな困惑の声を上げる。
《べつに俺は無糖でもいいさ。お前のようなお子様じゃないんでね!》
「むかっ! そういう問題ではないぞこわっぱ! このマカロアティーは、わずかだけ砂糖を加えるのが通の飲み方なんじゃ! まぁいい……塩で代用するとするかの」
《は? なんだって?》
俺はミラージュの言葉に我が耳を疑う。
《オイ待て! そうはならんだろ!? 砂糖の代わりに塩って……お前味にこだわってるのか無頓着なのかどっちだよ?》
「まあ見ておれこわっぱよ! この大賢者ミラージュ様の才能の片鱗を披露してやろうぞ! まずはこうして塩を使用分だけ他の容器に移すじゃろ?」
ミラージュは空の容器を用意すると、塩の入った容器からスプーン数杯分の塩を移し蓋を閉める。
そしてその容器の蓋に右手を添える。
次に左手をわずかに残っている砂糖の容器の上に。
「天は地であり水もまた火である 光は闇であり悪もまた善 表裏の交わる境界で 我は天秤を欺く ここに偽りもまた真となれり」
そして静かに呪文を唱え始める。
『 プロパティ・エミュレーション!』
二つの容器がほのかに光る。
ミラージュは塩を入れた容器の中身をスプーンですくうと、紅茶へと入れていく。
「論より証拠じゃ! 飲んでみるがよいぞ!」
得意顔で塩を入れた紅茶を飲めとのたまうミラージュ。
ユーティアもマリオンも半信半疑といった様子でそれに従う。
正直、ミラージュの意図がわからん。
塩入りの紅茶を飲ませることに何の意味があるのか?
と思ったのだが──
「おいしい……というかほのかに甘い……ですよ!」
「本当だー! なんでなんで???」
──たしかに、紅茶には砂糖の甘みが感じられた。
「やはり最近の若い者は知らんかのぉ? これは転写魔法といわれる系統の魔法じゃ。エンチャント──付加魔法と似た働きがあると言えばわかりやすいかの? 物体の属性をコピーして他の物体に付与することができるのじゃ。今の例なら残ったわずかな砂糖の味という属性を塩に転写して上書きしたのじゃな。この場合変わったのはあくまで味だけじゃぞ。栄養価は塩のままじゃから摂取量には注意じゃな。持続時間も限られるしあまり用途が無い魔法ゆえ最近では廃れている系統の魔法じゃ。じゃがそんなマイナーな魔法をこうして臨機応変に使いこなすあたり、妾の大賢者としての才覚がありありと垣間見れるじゃろう? 存分に褒め称えるがよいぞ! んなぁーはっはぁ!!」
この広い部屋に響き渡るほどのミラージュの高笑い。
だがしかし、こうした特殊な魔法を使いこなすあたりは流石とはいえる。
ちなみに俺の持つ魔法にも、似たような効果のものはある。
が、ミラージュが言ったように今のところ用途が思い浮かばない。
少なくともあまり戦闘で使えそうにはないんだよなぁ。