第113話 頂点 1
ぼーっと、卓上の魔光石の灯りをただ無言で眺める。
ギルが兵士の治療に戻って以降、俺はこのテントの隅に設置されている折り畳み式のベンチの上で横になり半醒半睡している。
完全に眠るわけにはいかない。
いまだにユーティアは気を失った状態。
俺が眠って支配の魔法が解除されたら、この体は完全な無防備状態になる。
その間にゾンビやこの事件の首謀者と思しきガルシアが襲ってきたら?
あの王国兵共では頼りない。
第二等位エクシードのギルならば勝てるのかもしれない。
しかし俺の身の保全をエクシードに委ねるなど論外。
もちろん本来はギルも抹殺すべき対象だ。
ただ今この場でギルを倒したとしても、その後また大量のゾンビやガルシアを相手にしなければならなくなる可能性が高い。
さすがにそれは危険すぎる。
今は戦うべきではないだろう。
なによりも、とっととこの気味の悪い山を下りたいという欲求が今は勝る。
一方のラトルは机を挟んだ対面のベンチで無言で座り続けている。
俺に気を遣わず寝てよいと言ったのだが、あちらはあちらで眠れないようだ。
いつゾンビに取り囲まれるかもしれないという状況。
その中で寝ていられるほど図太くはないのだろう。
マリオンだけは相変わらず地面に寝転がるポチの中で眠り続けている。
本来は俺だって起きていられる時間じゃない。
ただ今日は……いや時刻的にはもう昨日はだが、昼間見通しの良い草原を移動している間にかなりの時間同調の魔法を解除して睡眠を取っておいた。
それが功を奏してまだしばらくは起きていられそうだ。
いっそこのまま兵士の治療が長引いてくれればよいが……
夜が明ければ、寒さも和らぎ闇夜からのゾンビの奇襲も受けなくなる。
下山はずっと容易になるはずだ。
そんな俺の期待通りに、時は刻々と過ぎていく。
体感的には優に二時間は超えている。
いよいよ寝落ちしそうになったその時、ギルがテントの入り口から入ってきた。
「おぉ? 起きてたのかラトルに……お嬢まで? もしや子守唄が必要だったかな? ガアッハハ!」
こっちの事情も知らず、そんな軽口を叩きながら。
ただその表情からは、わずかにだが疲れが見える。
治療は難航したのだろう。
「さてと、ようやく兵士達の手当が一段落したところで、遅まきながら西側の別荘に向かうことになる。もちろんまだ満足に戦える程は回復していない兵も居る。だがここがまだ襲われていないということは、敵方に見つかっていないということなんだろう。ならこちらから先手を取りたいところだ。それに前回派遣されたエクシードの二人。オレは二人共に知っているが、簡単にやられるタマじゃない。まだ生きてる可能性が高いとオレは踏んでいる。なら一刻も早く助けてやりたいからな。そしてラトルとお嬢に関してなんだが……」
ここでギルは一度言い淀む。
その先はなんとなく想像ができる。
俺が気乗りしなさそうな内容なのだろう。
ギルは慎重に、言葉を選ぶように続ける。
「よければオレ達に同行しないかという提案だ。ガルシアの相手はオレがするし、死人も……心許なく感じるかもしれないが、兵士達が相手をする。なに、今回は対死人用の戦略も練っている。同じ轍は踏まないさ。だが、ここに残るのはお勧めしないぞ。兵は残さないし、このテントが敵に見つかれば格好の標的になるだろう」
やはりだ、守ってやるからついてこいというお誘いらしい。
ギルの豪放磊落な性格は嫌いではないが、こういちいち子供扱いしてくるのがいただけない。
俺はベンチからピョンと跳ねて立つ。
「悪いんだが、俺達は別行動とさせてもらうぜ? このまま東に抜ければ他の宿泊施設もあるだろう。そこで朝を待ってから下山するつもりだ。もちろんまた死人が出るかもしれないが、その時は俺の魔法で片付ければすむ話だしな」
「ウーム、やはりフラれちまったか。オレの口説き文句の効果たるや、経験上絶望的だからな。しかし決意は固そうだ。無理強いはすまい。だがもしその身が危うくなったら、空に向かってこう叫ぶんだぞ。ギルお兄さーん!助けてー!ってな。こう見えてもオレは足が速いんだ。すぐに駆けつけるぜ?」
ギルは両手でヤッホーボーズを作って叫んでみせる。
……こいつは、単におちょくってるだけなのかもしれない。
「俺の心配より、自分の心配をしておくんだな。ガルシアは案外強敵かもしれんぞ? それに言っておくが、俺も味方だとは思わないことだ。俺の目的はエクシードの殲滅! そして王国の転覆だ! 今回は見逃すが、次会った時は敵だと思うことだ。後から不意打ちでやられたと負け惜しみを言われたくないんでね」
エクシードと仲良しこよしになるつもりなどない。
それは俺自身を戒める意味も込めての忠告。
だがその言葉に、ギルはピクリと眉をひそめる。
そこにはわずかに不快の色が垣間見える。
「ふむ、承知した。ここからは特に気を引き締めて挑むとしよう。しかしお嬢、エクシードの殲滅や王国の転覆といった冗談はいただけないぞ。エクシードってのは、やたらとプライドが高かったり生真面目な奴が多いもんだ。オレならともかく他のエクシード相手にそう喧嘩腰では、一悶着起こる程度では済まないぞ? この国ではエクシードによる序列が絶対。不本意でも、そこは守られなければならん。もちろんエクシードといえども、人権を無視した命令ができるわけじゃない。だから、くれぐれもエクシードに喧嘩を売ったりしてくれるなよ? 場合によっては死罪として裁かれることになる。知恵の回るお嬢ならそれも委細承知してる話だとは思うが……お嬢を見ているとどうも若い頃のオレの危うさが重なって心配になっちまう。だなんて言われても心外だろうがな、ガアッハハ!!」
そう笑うギルの機嫌は、すっかり元に戻っていた。
宣戦布告のつもりだったんだが……
運良くゾンビを倒せた身の程知らずが、若気の至りで思い上がっているとでも思われたか。
「ご高説傷み入るよ。ま、そちらもせいぜい死人の仲間入りをしないことだ。その図体で腐臭を撒き散らされたんじゃたまらないんでね。行くぞラトル、ポチ!」
そう憎まれ口を叩いてテントから出て行く俺を、ギルは軽く手を振って見送った。