第109話 グレートジャイアント 1
「あれは王国軍の軍用テントですよ! 助かった!」
ラトルの声が、さらに喜色を帯びる。
テントっていったって、キャンプで個人が使うような三角錐のアレではない。
小さな小屋程度のサイズがあるロッジ型テントだ。
カーキ色の大型テントは二つ並べて設置されており、それぞれの入り口には槍を持った兵士が見張りをしている。
篝火は兵士が見張りをするためのものだったようだ。
なぜこんな場所に王国軍がと思ったが、それは直接聞いた方が早いか。
「よぉ公僕共、夜勤ご苦労だな」
「うわぁあああっ! もうこんな所まで魔物が! 近寄るなああ!!」
見張りの兵士は俺の姿を見るなり絶叫して槍による一撃を放ってきた。
俺はその刃先を掴んで止める。
ラトル程ではないが、なんともショボイ攻撃。
王国軍のレベルはこの程度なのか?
「ずいぶんと熱のこもった歓迎だな。俺のいったいどこが魔物だと……」
そこで初めて俺は自分の今の状態に気が付く。
篝火に照らされたこの姿。
肌も服も、顔も頭髪までもがゾンビの腐った血と体液でグチャドロ。
これではゾンビと見間違えられても、まぁやむなしか。
「うわっ! 僕も暗さで今まで気づきませんでしたが、お怪我はないのですかユーティアさん!!」
「安心しろ、全部返り血……というか返り臓物だ。たとえ肉弾戦であろうとも、とろいゾンビ如きに後れを取る俺ではない。しかしこのヘッポコ兵士共にそれをどう説明したものか……」
すでに騒ぎを聞きつけた兵士が複数集まってきている。
皆が手に手に槍を剣を構え、事は一触即発だ。
「わかりました、僕も騎士の端くれ。彼等を説得してみせます!」
ラトルは俺の前方に立つと、立ちはだかるように両手を広げる。
「皆さん! 私はライアス・ルーンフェルグの弟、ラトル・ルーンフェルグ。彼女は魔物などではありません! どうか私の話を──」
「君! 早くこっちに!! ……さぁもう安心だ。魔物に追われてさぞ怖かったろう。よく頑張ったな!」
「あのラトル・ルーンフェルグになりきって自らを鼓舞するとは見上げた根性だ! まったく似てないのにな! ハッハハ!」
そして兵士達に保護された。
普通に被害者として。
誰一人として、本物のラトル・ルーンフェルグだとは信じていないようだ。
「見ろ! まだあんなに可愛い猫ちゃんまで囚われているぞ! 人だけでは飽き足らず愛玩動物にまで毒牙にかけようとは! 許せねぇ! 心まで腐り果てた化け物め!!」
そして俺だけが一方的に悪役として貶められる。
なんだろうか?
ほぼ一人の力でゾンビを蹴散らしてきた俺に対するよってたかってのこの扱いはなんだろうか?
もうこいつら全員殺してやろうか?
戦場での判断の誤りは死に直結する。
その過酷さを身をもって思い知らせてやるのも一興かと思うのだ。
「まったくなんの騒ぎだ騒々しい!!」
野太い声を響かせながら、奥のテントから一人の男が姿を現す。
ビクリ──とその男が視界に入った瞬間、俺は一歩後ずさる。
なんだ……コイツは?
男はゴキリと首を鳴らすと周囲を一瞥。
すぐに俺に気付くと、ドスドスと歩み寄ってくる。
デカい……身長は優に二メートルはあるだろう。
さらに全身を覆う鋼の鎧のような極太の筋肉繊維。
こいつは他の兵士とは別格だ!
ヒリヒリと、まさに肌で感じるように俺の野生の勘がそう警告を発する。
おそらくはこの男がこの部隊の大将なのだろう。
「アルティウス様! 魔物の奇襲です! もう死人がこんなところまで!」
「奇襲? 死人だと?」
アルティウスと呼ばれた大男は兵士からの報告を受けながらも、なおも俺の目の前まで歩んできて立ち止まる。
そしてグッと腰を折り、グローブでもつけているような大きな手で自らの顎を撫でながら俺の顔を覗き込む。
この暗闇でもギラリと射抜くような眼光。
小物相手なら眼力だけで戦意喪失させうる威圧感すらある。
「クッ……ガアッハッハ!! なにを言っているんだお前達! こんな愛らしいお嬢ちゃんを魔物扱いとは! そりゃ怒らせるってもんだ!」
そして空気を振動させながら、雄叫びのような笑い声を上げた。
「すまねぇなお嬢ちゃん、部下達が失礼をしたようだ。ここまでの道中で色々とあってな、皆ちと疑心暗鬼になっているんだ。もっとも色々あったのはそちらも同じのようだが……」
大男は肉片にまみれた俺の姿を観察するように眺める。
その瞳の鋭さはそのままだが、威圧感は失せている。
どうやら少しは話のわかる奴もいるようだ。
「アルティウス様! ギルヴァルト・アルティウス様! ラトルです、お久しぶりです!」
兵士を振りほどいたラトルが、俺の傍らまできて大男に頭を下げる。
「なんだ知り合いかラトル?」
「知り合いだなんておこがましい話。この方は第二等位エクシードにして王国軍の切り込み隊長ことギルヴァルト・アルティウス様です!」
第二等位──だと!!!
ということはライアスよりもさらに格上。
どうりで……俺の直感は正しかったということだ。
俺は今一度、目前の巨漢──ギルヴァルト・アルティウスをマジマジと観察する。
歳はおそらく30歳前後。
この世界の基準ではけっして若くはないが、鍛え上げられた強靭な肉体からは肉眼で見えそうなぐらいに快活なエネルギーが迸っていて、周りの若輩兵より余程に活気を感じさせる。
石膏像のように彫の深い顔に、狩り上げられた燃えるような赤茶の髪。
世が世なら、海兵隊で機関銃をブッ放してるのがお似合いな風貌だ。
鎧は最低限の部位をカバーする程度のものしか身に着けていない。
もっとも己の肉体こそ鋼の鎧よと言わんばかりの筋肉量ではあるが。
それより気になるのは奴の武器だ。
帯刀はしていない。
していないが、そのかわりに背中に背負っている長物──あれはハンマーか?
奴の身長近くありそうな金属製の柄に、直径30センチ近い円柱形の頭部。
かなりの重量があるはずだが、大熊のような体躯がそれを感じさせない。
そして確かに……暗くて見えにくかったが、鎧の胸部に固定された金の十字勲章──第二等位エクシードの証か。
おそらく俺がこの世界で出会った中では最強の相手だろう。