第102話 触れ合う肢体 1
最初それは人形かと思った。
身長は120センチ程だろうか。
皺だらけの顔は青白く、しかしさらに真っ白に染まったおかっぱ頭。
しゃべり方も独特だが、剥かれた焦点の合わない目がさらに異質を放っている。
青紫色の割烹着を着ている……ということは、この宿の店員なのだろう。
その老婆は、まるで最初からそこにいたかのように端然と佇んでいた。
「すいません勝手に上がり込んでしまって! はい、三名で一晩お世話になりたいのですが!」
廊下の奥まで進んでいたラトルが、こちらに気付いて慌てて戻ってくる。
しかしこの老婆……どこから現れたんだ?
この小さなロビーに最初からいたのなら見落とすだろうか?
まぁこの薄暗い空間にこの小柄な体型でとなると、ありえない話ではないか。
「キシシシェッ! お部ヤは二カいになるマしュ。おスきなのヲどうゾぇ。三ヘ屋でもヒトヘ屋でも~。リョう手にはナ……こン晩はオタのしみデすなぁ~。キシシシェッ!」
「いえっ! ちちち違います! 僕らはそんな関係ではっ! それにど……同時に二人の異性となど……品性下劣の極みです!!」
顔を真っ赤にして否定するラトルは、まぁなんというかチェリーボーイ丸出しだ。
そんなに必死にならなくても、お前にそんな甲斐性が無いことはわずかでも付き合いのある俺達にはわかっているさ。
「おばーちゃんお風呂入っちゃってもいいんだよね! 朝風呂もやってるのかな?」
「あの、お代はこの料金表の通り一人3000リグでよろしいんでしょうか? 山の上なのにずいぶんお安いんですね?」
「はイ、おショく事は食ドうでいつデモどうゾ。キシシシェッ!」
初めは突然現れた老婆に警戒していたマリオンとユーティアだが、店員とわかって安心したのか普通に話かけ始めた。
もっともあまり話が通じていないようだが……
とはいえ確かに、こんな山の中しかも温泉付きで一泊3000リグは安い。
今晩はここに泊まることにしよう。
一階廊下の突き当り左手に、二階へ上がる階段があった。
二階へ上がると建物の中央を廊下が通っていて、右側に五部屋、左側に六部屋並んでいる。
右側はツインルーム。
左側はダブルルームのようだ。
マリオンは最初ユーティアと同じ部屋にしようかとも言っていたが、ツインルームのベッドはかなり小さかったので三人がそれぞれのダブルルームに分かれて泊まることになった。
ちなみに俺達以外に客はいないようだ。
それぞれが適当に部屋を決め、老婆に申告し部屋の鍵をもらう。
部屋には古い木製のベッドと机と椅子、そして机の上には小さなテーブルランプがある。
逆にそれ以外の物はなにも無いシンプルな部屋。
ちなみに部屋着が用意されていないので、この服のまま寝ることになりそうだ。
まぁ安いので文句も言えないが。
こういった場所ではサービスが行き届かないのもやむなしか。
「マリーってば温泉に入ろう入ろうって子供みたいにはしゃいでいましたね。まだ夕食時までは少し時間がありますし、先に湯船にゆっくりと浸かって疲れをとりましょうか」
ユーティアは部屋に入りリュックを下ろすと、大きく息を吐く。
今日一日歩き詰めで最後は登山。
かなり疲れているのだろう。
もちろんその疲労感は俺にも伝わっている。
《そうだな。しかしこんな山奥で温泉宿に泊まれたのは僥倖。邪魔なバカップル共も居ないようだし、これで心身共にリフレッシュできるってもんだ!》
「…………あの、リュウ君? わかってるとは思いますが、温泉に入っている間はいつも通りに魔法は解除するようにお願いしますね。マリーも一緒なのでなおさらですが」
《おい……お前は鬼か!? つまりは長旅で疲れ切っている俺に温泉に入るなと、そう言いたいのか? 子供は放置して自分達だけで楽しむと? これはもはや育児放棄と言えるよな? とんだド畜生女だぜ!》
いつぞやでも繰り広げられた応酬がまたしても始まる。
「はぁ……そう言うとは思っていました。でもリュウ君、前回約束を破って私の体を使ってマリーの胸を揉みましたよね? 私はちゃーんと覚えていますよ! ですので今回は罰として入浴禁止です! これも教育の一環だと思って我慢してください!」
《なんだと! そんな些末な理由で禁止されてたまるか! この世界で次に温泉に入れる機会は何年後だというんだ!? 言っちゃ悪いが魔法を解除するフリをすることだってできるんだぞ! それを正々堂々と覗かせろと言っているんだから、むしろ正直者と褒めるところだろうが!》
「いま覗くって言った! やっぱり見る気じゃないですかぁ!! 絶対禁止でーす!!」
なんとも無意味な押し問答。
そこまで温泉に入りたいかと言われると微妙だが、ここで引き下がっては男が廃る。
「もーなにやってんだか! でーも心配ご無用だよティア! ここの温泉はにごり湯だって下で書いてあったからね。それに湯気もすごそうだったから、気を付ければリューちゃんに見られずに入れると思うよ。まぁわたしは子供のリューちゃんに見られても気にはしないけどねぇ~」
いつの間にか部屋の入口で俺達のやりとりを聞いていたマリオンが、あきれ顔で提案する。
こいつに子ども扱いされるのは癪だが、あの裸体を見られても気にしないというのは称賛すべき感性である。
「そ……そうですか? 気は進みませんがリュウ君は引き下がりそうにないですし、また注意しながら入るしかないですかね? ただ一緒に脱衣所に行くわけにはいかないので、すこし時間をずらして入るようにしましょう。それとリュウ君、今度こそ私の体を動かすのはメッですからね!」
ユーティアは渋々ながらマリオンの案を呑んだ。
しかしわざわざ時間差まで取り入れるとは念入りなことだ。
一階に降りると階段の向いに温泉の入口があった。
極楽湯と書かれた看板。
そしてその看板の下には男性用と女性用に分けられた入り口。
ユーティアはもちろん赤く塗られた女湯の扉を抜け脱衣所へ入る。
ちなみに先にユーティアが入り、少し間をおいてマリオンが入ることになった。
ラトルはしばらく部屋で休むと言っていたので声はかけていない。
まぁあいつは好きにすればいいさ。
脱衣所から直接外に出られるようになっていた。
その先には大きな岩で囲まれた露天風呂。
しかしやはり湯気が多く視界は悪い。
おまけにミルクのように白濁した湯。
マリオンの言っていたとおり、これだとよほど近づかないと相手は見えないだろう。
おのれ……口惜しや!
ユーティアは洗い場で体をすすぐと、ゆっくりと湯船に浸かっていく。
もちろん徹頭徹尾前を向いて自分の体も見ないようにしながら。
「はわわぁ~温泉とは良いものですねリュウ君! 今日一日の疲れが体から流れ出るような、まるで全身が溶けていくような心地よさですよぉ~」
ユーティアは温泉の湯を両手ですくい上げ愛おしそうに眺める。
ややぬめりのある湯は適温で、たしかに心地よい。
だが俺が求める刺激はもうちょっと過激なものなのだが。
ここはお色気担当のマリオンに期待したいところだ……
しかし、アクシデントはその直後に起こった。
それはユーティアがもう少し奥へ進もうと立ち上がった時。
その肩が、何かとぶつかったのだ。
岩ではない……柔らかで温かな人の肌。
まさかの先客がいたのか!?
驚いたユーティアがぶつかった方向へ振り向いたと同時に、その人物と目が合った。