第101話 サイレントマウンテン 2
「はわわっ!」
「ユーティアさんっ!」
岩場で足を滑らせたユーティアの手を、前を歩いていたラトルが掴んで支える。
小柄なラトルの細い腕。
しかし日々の鍛錬の賜物だろうか、細いながらも固い筋肉で構築されたその腕は、後方に転がりかけたユーティアの体を軽々と引き寄せる──というか引き寄せすぎて抱き寄せる格好となった。
「あ……ありがとうございますラトルさん」
「いえっ! すいませんすいませんすいませーんっ!!」
助けたはずのラトルは大慌てでユーティアから飛び退くと、ひたすら頭を下げて陳謝。
「おっしーいラトルちゃん! そこは抱き寄せた勢いで転んで押し倒すトコだよ!」
などとふざけたことを言いだすマリオン。
そんなラッキースケベ展開あってたまるか!
俺がラトルに押し倒される感覚を味わうなど……さすがにゾッとする!
《しかしボーッとするなよユーティア。登山とは常に危険と隣り合わせなのだ。山を舐めるんじゃないぞ! こんな軽装で登っておいて言うのもなんだがな》
「別に舐めてるつもりはないんですが、ちょっと別のことに気を取られてしまって……」
ユーティアは山道の脇に視線を送る。
そこには低いドーム状の土の盛り上がりがある。
これは俺も気になっていた。
先程も道端で同じものを見かけた。
直径約一メートル。
人工的に盛られたように見えるが。
「これはアレ! タイムカプセルが埋まってるんだよ! 愛し合うカップルが夫婦になってまたここを訪れたときに、絆を再確認できますようにってね! うんうん、わかるなぁ……歳を取っても真実の愛とは色褪せないものなのです!」
年齢=彼氏いない歴のマリオンに、愛のなにがわかるというのか?
しかしこの山を登る頭の緩いバカップルがやりそうなイベントではある。
そしてそんなイチャラブぶりを山に刻み込んでいく行為に、俺は反吐が出そうである。
しかしそんな俺を逆撫でするかのように、その後も土のドームは散見される。
というか、頂上に近づくにつれ増えていくような……
山の八合目あたりまで来ただろうか?
やや開けた広場に出たところで、先頭を歩いていたマリオンが足を止める。
「う~ん? この懐かしい匂いは……なんだっけ? えと……そう、温泉だ! あそこの建物からみたいだよ!」
広場の奥まったところに、木造二階建ての宿屋がある。
宿の脇はウッドフェンスで仕切られていて、そこから湯気が立ち昇っている。
こんな場所に温泉宿とは……
「あーそうそう! わたしの田舎でも温泉出てるトコあってね、よく入りにいったもんだよ。ねぇ今日はここに泊まろうよ! ひさびさに入りたくなってきたー!!」
巨乳美少女に温泉宿に泊まろうと迫られている!
これは断れるはず……ないよな?
太陽も沈み始め、先程まで晴れ渡っていた空は薄暗く淀んだ雲が支配し始めている。
ここから無理をして頂上を目指すより、ここで休んで明日東に抜けるほうが無難か。
いいかげん疲れたしな。
それにひと気の無いここの宿なら他のカップル客は少なそうだ。
マリオンは温泉に気を取られて当初の目的を忘れているようだし、気が変わる前にここに決めた方がよさそうだ。
ちなみにオークの村を出発する際、村長から旅の資金を多少もらっているので宿泊費も捻出できる。
他種族と取引をしていると言っていたので、ちゃんと人間用の貨幣も用意していたようだ。
《しかしこの宿……本当に営業しているんだろうな?》
入口まできたものの、窓から見える建物の中は暗く人影も見当たらない。
生活音もまるで聞こえない。
何かがおかしい……
「あの……すいませーん!」
ユーティアが入り口の扉のノブを捻る。
施錠はされていないようで、扉はギギィと音を立てて難無く開いた。
扉の向こうには外観同様に木材を主とした小さなロビー。
その正面から奥へと続く廊下が一直線に伸びている。
二階に上がる階段は見当たらない。
廊下の奥にあるのだろう。
そしてやはり人影も明かりも無い。
夕闇に包まれつつあるロビーには、黄昏の淡い光のみがわずかに窓から差し込んでいる。
「だれも……いないようです」
ラトルはユーティアの一歩前に出る。
この薄気味悪い状況に少なからず危機感を感じ、先行したのかもしれない。
たしかにこの宿がすでに廃業していて、旅人狙いの野盗が潜んでいるという可能性も無くはない。
しかしここまで閑散とした場所で待ち構えるほど野盗共も暇人ではないだろうが。
しかし営業していないなら、それはそれで好都合。
タダで泊まれるし温泉は生きているのだ。
せいぜい好き勝手使わせてもらうさ。
「キシシシェッ! イラッ イラッしゃいまマしぇえええーっ」
────!!
突然、俺達の後ろから不気味な笑い声。
「ひええっ!!」
「はやわぁっ!!」
前方は警戒していたものの、突然の背後からの声に虚を突かれたユーティアもマリオンも悲鳴を上げて飛び上がる。
「キシシシェッ! サン名ごあんナーい!!」
まるで壊れたラジカセのような調子はずれの声を発し、黒い影がユラリと浮かぶ。
その正体は……一人の老婆だった。