第3話 帰還へのプレリュード
カメさんの湖の畔のカメさん亭近くで白鳥を降りて上陸すると、屋敷警備隊の隊長イスリが待っていた。一礼して挨拶してくる。
「お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様。ご苦労様でした」
「出迎えありがとう、イスリ。屋敷の幹部とお付きメイドを集めるように執事のサタールさんに伝えてくれ」
「はい。屋敷商会の会頭のマーチャ様と息子のザイ様もいらしてますが、どうなさいますか?」
「そうか。是非同席して頂くことにしょう」
「では、ただちに伝えてきます。」
そう言うとイスリは屋敷に走って行った。
門を通り、玄関への道に入ると、フェネの足が止まった。大きく見開かれた目はたくさんの赤いバラの花に釘付けになっている。フェネが感嘆して言う。
「きれい! とってもきれいな赤いバラの道だわ。こんなにきれいな道は初めて見るわ。素晴らしいわ」
「そうでしょう。名前は赤のだんだん道よ。いい名前でしょう?」
「はい、お姉様。この道にぴったりの名前です」
やはり姉妹だからか、感性が似ている。それとも同じ一族だからか、音楽の天才だからか、特別な感性を持っているようだ。おっと、その前に伝えておかないといけない事があった。この後のことを2人に伝えておこう。
「2人には後で自己紹介をしてもらうから、いいね」
フェネが戸惑い気味に尋ねてくる。
「自己紹介って何ですか? どのようにすればいいのですか」
森の中で、一族だけで暮らしていたから、まだ子どものフェネは社交のマナーは知らないのだ。どのように説明しようかと、困っていたらアイーダが説明してくれた。
「最初だし、身内の人たちだから、名前だけでいいわ。とにかく、私の真似をすればいい。この国風のお辞儀は習っているわよね」
「はい、習いました。お姉様の真似をします」
玄関で執事のサタールさんや屋敷の幹部、屋敷商会の会頭さん親子が出迎えてくれた。サタールさんが挨拶をしてくれる。
「お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様」
「出迎えありがとうございます。皆さんにお伝えしたい事があります。どこかいい場所はないでしょうか?」
「では、会議室にご案内します」
執事のサタールさんが答えて、先導してくれた。全員が会議室に揃ったことを確認して、みんなの前で俺は話し始めた。
「ただいま、ベガの森から帰りました。ここから、真北へ歩いて3週間ほどの場所に、音楽魔法一族の方が住んでいるベガの森はありました。まず、改めてアイちゃんの自己紹介からです」
アイーダが、一歩前に出てカーテシーをする。
「皆さん、改めまして、私の名前はアイーダ フォン ムジカです」
それを聞いて、全員がイスから立ち上がり、深く頭を下げる。音楽魔法一族の族長の家名がムジカだと知っているらしい。アイーダが慌てて言う。
「皆さん、頭を上げてください。偉いのは私の両親であって、私ではありませんから。これまで通りでお願いします」
全員が頭を上げる。しかし、着席はしない。仕方がないので、次に、フェネを紹介する。
「アイーダの妹のフェネーナも一緒に連れてきました」
フェネが、一歩前に出てカーテシーをする。
「みなさん、私の名前はフェネーナ フォン ムジカです」
再び全員が深く頭を下げる。フェネもアイーダと同様に、頭を上げるように頼み、頭を上げてもらう。そして、アイーダとフェネ、俺がイスに着席して、全員に着席してもらう。
次に、呼び方の変更をお願いする。
「昨日、アイーダのご両親に私とアイーダの結婚を認めてもらいました。私の家の慣例で、正式には1年後に結婚式となりますが、実質的には結婚したことになります」
ここで、おめでとうございます、の声と大きな拍手が起こった、特に女性陣から。
「ありがとうございます。そこで、アイーダの呼び方ですが、お嬢様ではなくアイーダと変えてください。そして、フェネーナをお嬢様でお願いします」
異論が出ないので、続ける。
「メイド長のジュリさん、フェネーナの部屋ですが、アイーダと同じ部屋でお願いします。ただし、お付きメイドを1人増やして欲しいのです。年齢の近いパシファでどうでしょうか?」
「承知いたしました。そのように取り計らいます」
「最後になりましたが、本題です。嬉しい報告があります。ベガの森の音楽魔法一族のみなさん300人ほどの方が、アルタイルの森への帰還を希望されました」
オオー、やったー、つ、ついに、など口々に歓声が沸き起こる。
「具体的なことは、この後、屋敷商会の方と打ち合わせをします。皆さんにもご苦労をかけると思いますが、よろしくお願いします」
報告終了後、俺と執事のサタールさん、屋敷商会の会頭さん親子の4人が残った。会頭さんが目を潤ませて言う。
「ご主人様、おかげさまで我が一族300年の願いが叶います。ありがとうございます。さて、帰還方法ですが、2地点間転移陣でよろしいでしょうか?」
「はい、人間だけなら私でもなんとかなりますが、各工房の機材の移動は転移陣を利用した方がいいと思います」
「手順としては、最初に人間3人が転移可能な小型転移陣を設置して、次にそれを利用して、大型転移陣を分解したものを小型転移陣で運び、現地で組み立てることになります。ベガの森には転移陣が設置可能な土地があるでしょうか?」
転移陣を設置する場所は、集会をした広場でいいだろう。
「広場があります。大丈夫です」
「ご主人様、大人3人分の小型転移陣の機材と技術者1人を運んでいただけますか?」
「はい、ベガの森の族長さんには3日後にまた訪問すると伝えてあります。」
「では、3日後の朝食後に必要なものを持って参ります」
会頭さんとは、その他いろいろ打ち合わせた。ほっとしたのは、紫色染料の原料である巻貝が簡単に入手可能だということだ。ベガの森の染色工房の人も喜ぶだろう。
*
翌朝、朝食前に8人の女の子が俺の前に並んでいる。これまでの5人のお付きメイドまでは、スムーズにホッペチューした。6人目のパシファはプルプル震える上に頭も動くので時間がかかった。
7人目はフェネ、初めてのホッペチューである。緊張でガチガチだった。いざ、という時に倒れた。まだ11才だし、ホッペチューの経験もなかったのだろう。たぶん、アイーダに無理やり連れてこられたのだ。メイドたちに抱きかかえられて出て行ってしまった。
最後はアイーダ。当然のように普通のチューだ。キスの後のアイーダの夢を見ているような顔、それをお付きメイドたちが、羨ましそうな顔をして見ていた。
*
朝食後、アイーダとフェネと3人で聖なる響きの館に出かけた。入館すると案内があった。
「よくいらっしゃいました、巫女様方。初めての巫女様は中央に進み、奉納演奏をお願いします」
そして、中央の床に円形の輝きが現れた。フェネがそこに進み曲名を告げる。
「奉納演奏 故郷の空」
フェネが木製の横笛で演奏を始める。故郷を歌った曲だ。やはり、最初の演奏は音楽民族が故郷に帰って来る想いを込めたのだろう。
演奏が終わると、天井から虹色の光がフェネに降り注ぐ。光が消えたとき、フェネの持つ横笛は銀白色に輝いていた。フェネは長い間、銀白色になった横笛を嬉しそうに見つめていた。アイーダがフェネに助言する。
「フェネ、その横笛に名前を付けるのよ」
フェネは少し考えてから答えた。
「お姉様、この横笛の名前は、シルバーコローフルにします」
その後、森の中を見て回り、狩人の石像の前で一休みした。そのとき、フェネが銀白色の横笛で『故郷』を演奏した後、つぶやいた。
「この森を見たら、『故郷』の演奏が良くなった気がします。」
アイーダが頷いて答える。
「私もそうだわ。やはり、曲のテーマのアルタイルの森に来て、見て、感じたから、イメージがはっきりしたのが理由だと思うわ。だから、あちこちの場所に行ったり、いろいろな経験をすることは大切だわ」
「お姉様、私もそう思います」
「アース様、機会があれば、いろいろな場所に行きましょう」
アイーダが希望することは叶えてあげたい。そう思っているから、
「そうだね。楽しそうだ。いろいろな場所に行こう。」
そう答えると、アイーダとフェネは手を取り合って喜んだ。
*
ベガの森から帰って来て3日後の朝、小型転移陣の機材と技術者1人を白鳥に乗せて飛んだ。出迎えてくれた族長さんと、挨拶もそこそこに設置場所の検討に入る。
「今日は小型転移陣を持って来ました。これと大型転移陣を設置する場所は、集会を開く広場でいいでしょうか?」
「大型転移陣の大きさはどれくらいですか?」
「これの10倍くらいです」
「それでしたら、広場で構いません」
一族の人たちにも手伝ってもらい、小型転移陣を広場に運んでから1時間後、小型転移陣の組み立ては完成した。最初に技術者が転移陣に入り消えた後、すぐに姿を現した。試験転移は成功だ。
さあ、いよいよ本番の転移だ。俺はシルクで仕立てた服を身に着けた族長さん、青みがかった紫色の巫女服姿の第一夫人と共に転移陣に入る。
「ヴェルさん、転移『アルタイルの森』と念じてください」
ヴェルさんが首を縦に1回振ると、次の瞬間アルタイルの森の聖なる響きの館の横に転移していた。オオーとヴェルさんが声を上げる。転移陣を出ると、少し離れた所に屋敷商会の会頭さん他46人の人が、待っていた。音楽魔法一族の人たちだろう。
「族長さん、こちらは300年前の財務担当重臣の子孫で、現在は屋敷商会会頭のマーチャさんです」
族長さんにマーチャさんを紹介した後、マーチャさんに族長さんを紹介する。
「マーチャさん、こちらがベガの森の音楽魔法一族の族長、ヴェルさんです」
すると、47人は一斉に片膝をついて頭を垂れた。
「どうぞ楽にしてください。私は音楽魔法一族の族長ヴェル フォン ムジカです。マーチャさん、そして他の一族の皆さんも、300年間、この土地を守って頂きありがとうございます。故郷のアルタイルの森に帰ってくることができて、とても嬉しく思います。そして、これからもお世話になります」
その言葉に会頭さんたちは頭を上げたが、片膝はついたままにしている。
会頭さんが、深く一礼して、
「族長様、巫女長様、お帰りなさいませ。我ら音楽魔法一族の残留者一同、300年間、お待ちしておりました。ご帰還に300年もかかってしまった事、ま、ま、誠に申し訳なく……」
彼の目には涙があふれている。いや、会頭さんだけではない。全員の目から涙があふれている。
次に転移陣から、出てきたのは第二夫人と巫女服姿の人たち。その次は、管楽器や弦楽器、打楽器をそれぞれ持っている人たち。パートリーダーと呼ばれる人たちだと横にいたアイーダが教えてくれた。
族長、第一夫人と第二夫人、パートリーダーたち、屋敷商会の人たちは、アイーダとフェネに案内されて、聖なる響きの館に入っていった。奉納演奏をするとのことだ。
転移ラッシュが落ち着いて、しばらく経ってから、一族の子どもたち30人と付き添いの人たちを、アイーダが赤いバラの屋敷のダンスホールに招待した。入口でアマルの作ったお菓子とパシファの入れた飲み物を配り、席に座ってもらう。
子どもたちはお菓子と飲み物の美味しさに驚き、大喜びである。最初は屋敷楽団による、最近の子供向けの曲集の演奏。子どもたちが喜んでいる。身体を揺らしながら聴いている。
最後は、自称アイドルグループ『赤いバラ』が出演した。アイーダとお付きメイド5人である。『赤いバラの一味』とか『赤いバラ6』ではない、シンプルに『赤いバラ』。悪くない名前で良かった。
デビュー予定曲『赤いバラの恋 ―乙女座宮の女の子―』は作曲アイーダ、作詞ヒマリア、ダンスの振り付けはアナン、衣装担当ガリレらしい。副題も付いている凝りようだ。
ダンスのソロや横笛のソロもあり、楽しい、ノリのいい曲だ。最後の決めポーズ決まり、子どもたちは大興奮であった。
屋敷から森への帰りは、カメさんの湖横断の旅とした。人数が多かったので、乗り物は2つ用意した。
「星魔法 はくちょう座」
「星魔法 くじら座」
子どもたちを乗せた白鳥と鯨が進むと、カメさんが湖面から頭を出して、シャボン玉のような水球をたくさん噴き上げてくれた。カメさんは子どもが好きらしい。子どもたちも歓声を上げて喜んだ。
*
翌日の午後、屋敷の転移陣に現れた族長さんをアイーダが出迎えた。門を入ると屋敷の玄関までの道に従業員たちが頭を下げて並んでいた。この屋敷は族長さんのために建てられたのだから当然だ。それを見た族長さんが大声で言った。
「皆さん、出迎えご苦労様です、どうぞ頭を上げてください。」
頭を上げた従業員たちを見て、族長さんはアイーダと共に玄関まで歩いた。玄関でお迎えした俺は、執事のサタールさんやメイド長のジュリさんなどの幹部を紹介した。族長さんから言葉をかけられて、全員感激していた。
応接室には俺と族長さん。アイーダも同席している。執事のサタールさんとメイド長のジュリさんが、部屋の入口付近で控えている。まずは、パシファのいれたお茶とアマルの作ったお菓子を楽しんだ。さて、屋敷と土地の所有権について、族長のヴェルさんとの話し合いだ。俺から話を切り出す。
「この土地と屋敷の所有権をお返しします」
「今回は大変お世話になりました。このまま、アースさんの所有で結構です」
「いやいや、そういう訳にはまいりません。是非お受け取りください」
「いやいや、このままで」
いつまでも続くこのやり取りに、アイーダが解決案を出した。
「私が音楽魔法の使える子どもを産んだら、その子が相続すればいいと思うわ」
その後も話し合いは続いた。結局、この屋敷とその周辺の土地は、アイーダの案で、それ以外は族長のヴェルさんの所有とした。
アイーダには、音楽魔法の使える子どもを産んで、育てて欲しい。頑張れ、アイーダ。いや、違う。アイーダ1人が頑張ってもダメなのだ。2人で頑張ろう。
お読みいただきありがとうございます。
良かったら、誤字報告・評価等お願いします。
参考
「故郷の空」 スコットランド民謡 訳詞 大和田 建樹
「故郷」 作曲 岡野貞一 作詞 高野辰之