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短編

損得勘定令嬢話

作者: 猫宮蒼



 ドドン!

 と、これが漫画などであったならそんな効果音でも描かれていたに違いない。

 そうプリシラは思っていた。


 この世界の貴族たちは魔法が使える。

 そしてその魔法に関しては成人前にある程度の扱い方を学ばなければならない。

 幼い頃は魔力の流れなどを感じる事はあれど魔法の扱い方はまだ幼い身では難しく、ある程度成長してから教わるのがこの国での習わしとなっていた。


 プリシラは転生者である。

 ついでにいうならこの世界の事は前世で知っていた。

 前世のお友達がそれはもう熱烈に語ってくれた乙女ゲームであったからだ。


 だがしかしその乙女ゲームはゲーム会社が作ったものではなく、個人で作成した趣味の品――いわゆるフリーゲームであったので、知ってる人は知ってるけれど知らない人の方が圧倒的に多いというとってもマイナーな作品だった。


 ただ、前世のお友達にとってその製作者さんの他のゲームも面白くてすっかりその製作者さんのファンになっていたからこそ。そして他にそれらを語れる相手がいなかったからこそ、前世のプリシラは熱い語りを聞く羽目になったのであった。

 正直プリシラはそのゲームにそこまでハマらなかった。

 設定はどこまで練られていたのか知らないが、それなりに突っ込みどころが多くあったし、伏線回収だって一部してあったかどうかも疑わしい。

 個人の趣味で作ったものなのだから、まぁアラがあってもおかしくはないし気が向いたらもしかしたら続編を作ってそっちで伏線回収だとか前回できなかった部分を補完だとかするつもりだったかもしれない。

 まぁあくまでも無料でプレイできるゲームだ。

 別に作品が未完だろうとも伏線が回収されなくともなんだったら前作の事がまるっとなかった事になってる状態での続編だろうと、フリーゲームならば割と何でもありだと思っている。


 前世のプリシラだってそれなりにお世話になっていた時期もあったのだ。

 まぁ、絵柄やストーリー紹介に惹かれてダウンロードした体験版のフリゲが一向に本編が出来上がるでもなく、なのに他の体験版が出てはそれの繰り返し、というゲームサークルに散々振り回されてきた事があるのでちょっとの突っ込みどころや伏線回収できてなかっただとかのアナというかアラは気にする程のものでもないと思っている、というのが正しいかもしれない。


 ちなみに体験版をフリーゲームで出しておいて、完全版とも言うべき本編は有料で販売、というのも中にはあったけれど、前世でプリシラが散々振り回されていたそのゲームに至っては有料版さえなかった事だけは述べておこう。


 さて、そんなドマイナー極まりない乙女ゲームの世界に転生してしまったプリシラのゲーム内での立ち位置はというと、恐ろしい事にヒロインであった。

 最初ヒロインという立場にプリシラはへぇそうなんだふぅん、くらいの態度であったのだ。

 ま、つまり自分が主人公って事ねオッケ把握把握、くらいの軽いノリですらあった。

 あれでしょ、何か一杯イケメンと出会って誰かを選んでくっつけばいいんでしょ?

 それくらいのふわっと知識であった。

 だがプリシラはこの後、知り合った攻略対象であろう男性とそれはもうコロッと恋に落ちそうになった。というかほぼ落ちてた。


 前世のお友達の熱い語りを聞いていた時はこれっぽっちも興味を抱けなかったのにいざ自分がその内容を体験したとなったら、驚く程にキュンキュンしたのである。


 さてその乙女ゲーム、内容は貴族たちが通う学園にてお勉強をしつつ魔法の訓練もしていきましょうね、という事で勿論学園が舞台である。

 そしてそこで出会うイケメンたちと恋をしていくわけだ。

 学園では勿論生徒という立場なので学業成績が悪すぎてはいけないし、ましてや魔法の扱い方もきちんと学ばなければならない。

 ステータスが低すぎるとテストに合格できなくてそうなると資質無しってなって最悪魔封じの処置をされての退学になっちゃうんだよねぇ、という前世のお友達の嘆きは覚えていた。

 魔法を扱えるはずの貴族であっても魔法を使いこなせなければ流石にそんなもの、物騒な武器を持ち歩いているようなものだ。しかも他者を傷つけるだけではなく最悪自分すら巻き込む恐れのあるとても物騒な力。そりゃあ魔封じとやらの処置をされても仕方のない話である。


 とはいえ、その処置をされると体内を巡る魔力が適切に循環しなくなるから、副作用として体調不良になりやすいという話も聞かされていた。それについては学園に入学した直後の教師の説明である。


 プリシラは今の人生とっても健康優良児であるが、前世はそうではなかった。

 病弱というわけではないのだが、まぁ言ってしまえば月のものがとんでもなく重かった。痛み止め? 飲んでも全然効果ない。痛いまま。でも飲まないと意識失いそうになるレベルの苦痛だから、完全に痛くなくなったりしなくても一応薬は効果を発揮してたはず。どうせなら完全に痛くなくしてほしかった。


 もし、魔封じの処置があんな感じのレベルの体調不良になりやすくなる、とかであったなら。

 実際どれくらいのものかはわからないが、不健康であるというのは何をするにも大変になるのだ。魔法があってもここの世界の生活は前世と比べると若干水準が劣っている。

 一切動かなくても何不自由なく召使が全部やってくれる、とかいう生活ならともかくある程度は自分でやらなきゃならないとなれば、健康でなければ割とキツイ。


 お薬とか高いし、ちょっと体調悪いからといっても気軽に病院にも行けないのだ。

 健康を維持しなければ、人生詰む。


 なので、その健康に翳りが生じるような魔封じは避けたい。だからこそプリシラは学業に関しては真面目にやっていた。


 真面目じゃなかったのは男性関係である。

 ゲームのヒロインとして転生した以上、色んな攻略対象と出会ってトキメキを摂取したっていいではないか。そんな自分の中だけでの正当な理由でもって、プリシラは様々な出会いを果たした。



 ちなみにこの乙女ゲーム、複数の男性の攻略を同時進行しても何も問題がない。ただハーレムルートとかそういうものはないので、最終的に結婚してほしいとか言い出す攻略対象たちの中から一人を選ばなければならないわけだ。

 乙女ゲームによっては個別ルートに入ったらもう他の攻略対象と親しくなれない、とかいうのもあるし、それと比べれば同時進行というのはセーブデータを沢山分けるだとか毎回イベントスキップだとかしての周回プレイだとか、手間がかかる作業が省けるように思う。


 一度に全員攻略できるデータがあればそれはそれで、という話だが、まぁそこはさておき。



 複数を同時進行していてもゲームの中では浮気にもならなかったので、プリシラは花の間を飛び回る蝶のごとくイケメンたちとの恋愛を楽しんでいた。

 最初に恋に落ちそうになった攻略対象一筋でないあたり業が深い。


 というか、他の対象者はどんなトキメキをくれるのか、というのがプリシラの原動力にもなりつつあった。


 王道っぽい展開からちょっと捻った展開まで、実に様々なトキメキがそこにはあった。


 最終的に学園を卒業する時に誰か一人を選ばなければならないのだが、その日までにはまだまだ時間がある。限られた時間の中でプリシラは精力的に出会いをこなし、親密度を上げ、虜にしていく男性の数を増やしていたのだ。



 だが、まぁ、今更であるがこの世界はプリシラにとっては前世でゲームとして存在していたかもしれないが、こうして転生した今となっては現実である。

 そして現実で色んな男をとっかえひっかえしているようにしか見えない女性ともなれば、まぁ周囲の評判はあまりよろしくはない。

 攻略対象者たちもさっさとこんな尻軽見捨ててしまえばいいのだが、恋というのは厄介なもので冷めてしまえば黒歴史として笑い話にもできるかもしれないが、冷めていないうちは諦めたくても中々諦められないのである。


 いっそ誰かと身体の関係でも持ってしまっていたならば諦めもついたかもしれない。

 けれどもプリシラはあくまでも乙女ゲームのヒロインとして振舞っていたし、その乙女ゲームは年齢制限があるやつでもなかったので。

 可憐に、しかし時として小悪魔のような大胆さでもって野郎どもを翻弄していたに過ぎない。


 前世のプリシラは別に男を落とす手段に長けていたというわけではないのだが、転生しプリシラとなった今、男性相手の言動は前世とは驚く程にかけ離れていた。

 なんというか気付いたら自然に落としているくらいの無意識っぷり。なんて魔性の女だ、とはプリシラ自身がとっくに自分で突っ込んでいる。


 そんな感じに翻弄されっぱなしの攻略対象たちは、彼女の本命は一体誰なんだ……そこはもちろん自分であれ……! とそれはもう掌の上で転がされっぱなしであったのである。

 年齢制限あるタイプの作品だったら間違いなくこの時点で誰かしらヤンデレになってプリシラを拉致監禁からの飼育コースとかやっていたに違いない。

 それができるだけの身分であるのだ。攻略対象者の野郎どもは。


 案外理性的にヤキモキしてるだけの男性陣にプリシラは泣いて感謝すべきではなかろうか。



 まぁ、とはいえ。

 それを良しとしていたのはあくまでもゲームであって、現実は違う。

 良しとできない者はいた。野郎どもの婚約者である。

 ゲーム内での婚約者たちの立ち位置はあくまでもヒロインと攻略対象の男との間に立ち塞がる――要はスパイスである。ちょっとした刺激を与えるための存在。ヒロインと男が結ばれる際にはなんだかんだ婚約は無かったことになるという、とても軽い扱い。風船よりもふわふわしている。

 まぁそこら辺詳しくやっちゃうと昼ドラも真っ青な泥沼モノに変貌するので、夢ふわ程度の内容の乙女ゲーム、しかも個人製作のフリーゲームならとんでもないくらいご都合主義があってもご愛敬というものだろう。


 そこら辺どうしても納得いかないプレイヤーは脳内で二次創作でも想像してどうにか都合つけてくれ、としか言いようがない。仮に製作者にそこら辺もっとどうにかならんか、と言えるような事があったとしても、それをやってくれるかは製作者の気分次第なので。

 いっそ大金を支払えるなら、仕事として頼んだ方が手っ取り早いかもしれない。まぁあくまでも趣味でやってるのが楽しいから仕事にしたくないタイプであれば、いくら積んだって土台無理な話なのだが。



 プリシラは攻略対象者の婚約者たちに呼び出されてしまった。

 一人二人とかの可愛らしい数ではない。流石に全員はこの場に――学園内で一部の者が使用できるサロンである――いないが、全員いたなら室内はとても窮屈なものになっていただろう。とはいえ隣のサロンで控えているらしいので、何かあればそちらからやってくるとは思われる。


 それくらいプリシラが周囲の男に手を付けていたという事にドン引きするべきなのかもしれないが、プリシラはむしろ攻略対象者思ったよりもいたんだな……と他人事のように考えていた。正直こんな展開があるとは思っていなかったので、軽く現実逃避をしていた事には否定しない。

 どおりで最近キュンキュンときめく事が多かったわけだわ……などと思ってすらいた。


 流石にキスまではしていないが、ちょっと思いが高ぶりすぎた相手にギュッと抱きしめられたりはしたのだ。それもイケメンにである。前世でならまず体験しないような出来事だった。そもそも前世ではイケメンと出会う事も滅多になかったし、出会っても恋愛に発展するような事はなかったので。何故ってイケメンはイケメン故に既にとってもかわゆい彼女がいたからである。あっ、こりゃ勝てねぇや、と秒で敗北を悟ったくらいにきゃわわ……となってしまった。



 将来的にイケメンのうちの誰かとくっつけば、生活は安泰。

 例えばプリシラが転生したヒロインが平民であったなら貴族の生活、礼儀作法だとかを覚えなければならないだろうから大変だろうなと思っただろう。けれどもプリシラは下位ではあるが貴族として生まれ貴族として育っている。だからまぁ、多少身分が上の相手とくっついてもどうにかなると思っていた。


 前世でもそれなりにマナーが必要な場面はあったし、そういうところを乗り越えてきた。

 東洋と西洋の文化の違いもあるけれど、それでも前世のマナーも今のマナーもある程度覚えているのだ。だからこそ、自分はできると思っていた。



 だがしかしこうして呼び出され、高位貴族のご令嬢の方々に囲まれてプリシラは思ったのだ。

 勝ち目がねぇ……!! と。

 プリシラは乙女ゲームのヒロインという立場で転生した。

 生まれた時から愛らしく可愛い可愛いと言われてきた。愛嬌だってあって、プリシラのちょっとした動作に今キュンとしてたな、とわかる人もいっぱいいた。

 流石乙女ゲームのヒロイン……! とまるで自分がアイドルにでもなったかのような気分で思っていたのだが。


 アイドルはアイドルでもロクに売れていない地下アイドル。

 対するご令嬢たちはただ立っているだけでも背景に華が見えるのだ。薔薇や百合、蘭……果ては背景にキラキラしたエフェクトまで。


 乙女ゲームのヒロインだからとて世界で一番可愛いだとか美しいだとかではないのだ、と今更のように気付かされた瞬間だった。



「突然の呼び出しにビックリしたでしょう? でも別にわたくしたち、貴方の事を傷つけようと思っているわけじゃないの。もっと楽にして大丈夫よ」


 美人女優大集合……そんな風に危うく現実逃避をしかけていたプリシラを引き戻したのは、この場で恐らく一番立場の強いだろうご令嬢、ゴージャス縦ロールだった。名前は恐れ多くて口に出せない。

 このゴージャス縦ロールは確か王子の婚約者だ。つまりは、次期王妃。彼女と比べたら自分など貴族といえども限りなく平民同然。


 そもそもゲームになかった展開なのだ。こうしてご令嬢にサロンに呼び出されるというのは。


 いや、もしかして自分が知らないだけでこれバッドエンドとかそういう……? と考えたりもしたけれど、少なくとも前世のお友達からそういった話を聞いた記憶はない。覚えていないとかではなく、そもそもないのだ。


「えぇ、今回はただの話し合い。貴方の意思を確認したくて」

「内容次第でどうにかしてやろうとかそういう話でもないから、気楽にこたえてくれると助かるわ」


 青い髪に眼鏡のクールビューティと、赤い髪のセクシー泣き黒子が言う。こちらもやはり恐れ多くて名前は出せなかった。他のご令嬢たちまでも話に交ざってくるとプリシラが恐縮しきりで話が進まないとでも思われているのか、それ以外の令嬢たちは穏やかな微笑みを浮かべたまま見ていた。それはそれで怖い。


 敵意がないのだ。


 いきなりぶん殴るとかいう暴力に訴えてくるような蛮族は流石に令嬢の中にいなかった。だが、それでもそこはかとない悪意だとかがあってもおかしくはないとプリシラは思い始めていたのだが、恐ろしい事にそういった悪意は一切感じ取れない。

 なんというか言葉にできないけれど何か嫌な空気……みたいな感じでもないのだ。


「まずね、本命を確認しておきたいの」

「本命、ですか」


 プリシラが壊れたオモチャみたいな反応を返したが、ゴージャス縦ロールはにこりと微笑み頷くだけだった。本命。ホンメイってなんだっけ……?


「貴方、王子と結婚してゆくゆくは王妃に、とか考えてらっしゃる?」

「え?」

「それならそれで構わないのだけれど……」


 いいのかそれで。ゴージャス縦ロールは特に気にした様子もなく魔法を展開させた。大切な物を亜空間にしまい込む収納魔法である。

 そしてそこから取り出されたのは、一冊だけでも人を殴り殺せそうな分厚い本――いや、辞書、辞典……前世のゲームの攻略本でもこんな分厚いの出てたっけな……とプリシラは未だ現実逃避から完全に戻ってこれなかった。


「とりあえずこれらの内容を全て記憶する必要があるのよ。王妃になるためには」

「ひえ」


 無理では?

 という言葉は呑み込んだ。間違いなくこのゴージャス縦ロールは記憶している。何故って未来の王妃だから。一冊くらいならプリシラも頑張ればどうにかなるかもしれない。けれど、正確に数えてなくてもパッと見で十五、いや、二十冊はある。


「こちらをそうね、今からなら恐らく一年以内に」

 つまり、一年以内に王子が王として即位するという事だ。

 それまでに覚えろと。無茶言うな。プリシラは本心からそう思った。もっと前から、それこそ幼少期からコツコツと時間をかけて覚えていくならまだしも、一年以内にこの一冊だけでも充分に人を殺せる鈍器みたいな本二十冊分を覚えろと。


「その他にも他国の言語や、礼儀作法も必須ですわね。他国の王族や皇族相手に無礼は晒せませんので」

 それも勿論一年以内に、という言葉がつくのだろう事は言われずとも理解できた。できてしまった。

 仮にとっても集中力がみなぎっていて一日一時間くらいの睡眠と少量のご飯だけでもバリバリ活動できるくらいのテンションであれば、いけるかもしれない。けれどもそれが一年ずっと続くはずもない。というか間違いなく途中で電池切れになって死ぬ。


「王子と結婚して王妃だなんてトンデモナイ」

 だからこそプリシラはそっと首を横に振った。

 確かに王子と結婚したら生活は安定していると思う。けれども、その前に覚えなければならないアレコレが間違いなくプリシラにとって無理難題である。せめて三年から五年の期間は欲しい。それでも覚えきれるか自信はないが。けれども一年で覚えろ、よりはまだ現実的である。


「あらそうなの、それでは……次期宰相と名高い彼が本命かしら?」

「あら、ですが彼と結婚するとなると……そうですね、少なくともこちらは最低限覚えなければならないものなのですが」


 青髪クールビューティが収納魔法で出したのは、これまたとんでもなく分厚い本であった。

 その他地図も出される。

「周辺諸国に関する情報は覚えておかなければなりませんし、ましてや彼の生家との付き合いを考えると、間違いなくこの本の内容だけは把握しておいてもらわなければなりません」

 本、と言っているがそれは法律書であった。分厚い。そもそもか弱いご令嬢の細腕では持ち上げられそうにないくらいの分厚さを誇っている。だがしかし青髪クールビューティはそれを何てこともないように片手で持っていた。しかも一切重そうに見えない。嘘だろ……という思いを込めてプリシラは青髪クールビューティを凝視した。

 プリシラがこの本を片手で持ったら間違いなく手首がおかしな方向に曲がりそうだった。


 違います、という意を込めてプリシラは必死に首を振った。勿論横にである。


「では、いずれ騎士団長となる事が確定している彼が本命?」

 赤髪セクシー泣き黒子がとんでもねぇ色気たっぷりな笑顔で問いかけてくる。フェロモンが肉眼で見えそうなくらいの色気に思わずプリシラは「おねぇさま……」とふらっと彼女の胸に飛び込みそうになるも、そもそも椅子に座っている。あまりの色気に立ち上がる気力すらなかった。


「騎士団長の妻ともなるとある程度自衛できないといけなかったりするのよね。夫婦で参加しないといけない場というのも存在するから。貴方、武器の扱いは得意? 武器が使えなくても魔法で戦えるのなら大丈夫だとは思うのだけど……詠唱しないで即座に発動できないと、手練れは真っ先に喉を潰しにくるから」

「こわいこわいこわい」

 生憎そんな危険な場面に直面した事はないし、これからもそんなつもりはない。

 そもそも乙女ゲームの中でそんな物騒なシーンはなかったはずだ。確かにヒロインがちょっとしたピンチに陥る事はあったかもしれないが、血飛沫が飛び交うようなシーンではなく、危なくなった時点ですぐさま助けに攻略対象が駆けつけていた。


 というかこのセクシーなお姉さまも見た目だけなら決して戦えそうに見えないけれど、しかしよくよく見ればその立ち姿は凛々しく一部の隙もない。ビックリするくらい細く高いヒールなのに、一切ブレないのだ。


「荒事は、ちょっと……」


 だからこそプリシラはちょっと口ごもりつつもそうこたえた。


 では、と他のご令嬢たちから彼女たちの婚約者の名があがる。

 けれどもその次には彼と結婚するなら最低限これは覚えておかないといけないやつですよ、というのも提示されるのだ。

 教会関係者は聖書の内容を。教会の教えの他に、他国の宗教に関するものも覚えなければならないらしく、関連書籍はゴージャス縦ロールの出した本並に分厚いものがドドンとテーブルの上に積みあがった。

 そういった他国関連の事まで覚えなくてもいいような家であっても、その家に代々伝わるしきたりだとかがあってそれもまた分厚い教本としてプリシラの前に積み上げられた。

 一冊程度ならどうにか……と思えた家もあったのだが、しかしそこは面倒な親族がいるらしく、そちらの関わり方も覚えなければとても面倒な事になると言われた。

 面倒な親族が遠縁であればまだしも、彼と結婚するなら彼のお母さまに関する事はしっかり覚えておかないと痛い目を見ますよ、なんて言いだしたご令嬢もいたくらいだ。

 嫁姑戦争をほのめかされて、プリシラは無意識に身震いしていた。


 何の変哲もなさそうなただの貴族の家かと思いきや、毒の判別は得意ですか? とその家の子息との婚約者であるご令嬢に問いかけられ、とんでもない闇を見せられたりもした。


 プリシラがそんな彼の嫁になるのは無理だと判断し首を横に振り続け、とうとう最後のご令嬢の相手もお断り状態になる頃には。

 呼び出された時窓から見えた空はまだ青かったのに、気付けばすっかり茜色に染まっていた。


 このままいけば、プリシラは今までに手を出した攻略対象の中から誰か一人を選んで結ばれて幸せな結婚をするはずだった。

 相手は自分の家よりも身分が上でお金も持ってる。食べていくのに困らない。生活をするのだって身の回りの世話をしてくれる人がいる。今よりもいい生活ができる。そう信じて疑っていなかった。


 だがしかし、全然そんな事はなかったのだ。


 ゲームでは二人は結ばれましためでたしめでたし、といった感じでエンディングだが、ここはそうなったとしてもその先の人生が存在する。

 わかっていたはずなのに、それを全然わかっていなかったのだ。

 結婚して、そこそこ裕福で不自由の少ない生活を思い描いていた。けれど、その先の未来はゲームでは見る事のできなかった展開だ。

 結ばれて、最初のうちはそれなりにイチャイチャしつつ楽しい生活を送る事ができるかもしれない。けれどもその先、妻として夫を支えていく暮らし。子が産まれた後の話。そういったものはゲームの中で語られていない。ゲームなら場合によっては続編で前作キャラのその後がわかるものもある。けれど、そこで必ずしもそのキャラが幸せになっているとは限らないのだ。


 続編が出たー! やったー! えっ、前作主人公死んだの!? なんていう展開だって普通にある。別にゲームに限った話ではない。ドラマだろうと映画だろうと続編が出る作品は常にそういった罠が潜んでいるといっても過言ではない。


 そして、いつまでも幸せでいられるかもわからない、というのは今しがた婚約者である令嬢たちが見せてくれた最低限覚えておかなければならない知識から窺えてしまった。

 これを覚えたからといって、それはあくまでも最低限必要な知識でしかない。覚えたから必ず幸せになれるというものではないのだ。


 しかも相手によっては姑が強烈。仲良くできる気がしない。それどころか争い勃発確定演出までありそうなのがいる。こちらが心を病むか相手の心をへし折るか。話し合ってわかりあえるなど、そんなもの幻想だ。

 女王バチだって一つの巣に一匹しかいないではないか。二匹いる場合どちらかが死ぬまで戦うか、はたまた負けた側が巣を出ていくかだ。平和的解決が必ずしもあるとは限らない。


 この人となら幸せになれるかも……! と思っていた相手に限って身内が強烈。親じゃなくとも親戚に面倒そうなのがいるとか、知りたくなかった。

 いや、知ったからこそこうして直前で引き返す道があったのだけども。



「では、結局誰かとくっつくつもりはないのですね?」


 ゴージャス縦ロールに言われてプリシラは頷くしかなかったのである。

 単体で見るならとても優良物件な人たちなのだけれど、いかんせん恋人としてロクな責任も果たさない状態で美味しいとこだけ味わってくならいいけれど、結婚したその後を考えるととてもじゃないがプリシラには荷が重たすぎる。下手すりゃ石抱きの刑並み。

 プリシラはあくまでも幸せに過ごしたいのであって、毎日何らかの修行の如くな苦痛の日々を送りたいわけではないのだ。


「でもこのままでは、業を煮やした彼らがそのうちプロポーズを申し込みに来るかもしれません」

 青髪クールビューティの言葉は判決を言い渡す裁判官のような厳かさがあった。

「事前に婚約の解消を申し立ててくれればまだしも、そうでなければどこぞの催しで婚約破棄を告げる茶番が始まってしまうかもしれません」

「ひぇ……」


 無い、とは言い切れなかった。

 この乙女ゲームの中でそんな展開はなかったはずだが、既にゲームの中にない展開が今こうして目の前にあるのだ。他の作品で割と定番化しつつある婚約破棄だとか断罪だとかのイベントがしれっと紛れ込んでこないと何故言える。


 ゲームの中ではプリシラが攻略対象者たちを同時進行で攻略しようが最後に誰かを選ぶまで、令息たちは大人しいものだった。誰それとの仲を疑って探りを入れるだとかのギスギスしたイベントなどはない。

 だが現実はそうではなかったのだ。

 プリシラの本命は一体誰なのか、彼女に恋をしてすっかり落ちてしまった彼らは水面下で牽制し、プリシラが果たして誰を選ぶのかを待ちわびている。

 ここで誰も選ばないようであれば、いっそ彼らの方から行動に移るかもしれない、と言われてしまえば無いとも言えず。

 ついでに選んだ相手次第では最悪その相手を亡き者にする奴が現れてもおかしくはなかった。


 ゲーム気分でやらかした結果、この学園ではいつ殺人事件が起きてもおかしくない下地が出来上がってしまったのである。そもそもプリシラが殺されてもおかしくはない状況であるというのも否定できなかった。

 きみと一緒になれないのなら、きみを殺してぼくも死ぬ。

 そう言いだしてもおかしくない攻略対象者がプリシラには三名ほど心当たりがあった。


 けれどもゲームでは選ばれなかった攻略対象者たちが何かアクションを起こす事もなかったので。

 プリシラはお気楽に恋のトキメキ成分を得るべくそれはもう手広く手を出してしまっていたのだ。


 呼び出された当初、このお嬢様たちにボコボコにされるんじゃ……と思わないでもなかった。よくも人の男に手ぇ出してくれたわね、そんな感じで。

 けれども実際はその逆だ。

 今、自分は彼女たちに守られつつある。

 何せ目が。

 とても生温い。

 ちっちゃい子の失敗を見てしまって、あら仕方ないわね、とか言い出しそうな顔をしている。

 実際それが子供相手ならまだしも、向けられた先はプリシラである。とても居た堪れなかった。


 ゲームと同じ気分で現実だという事をわかった振りして全然わかってなかった大バカ者は私です。


 そう言って懺悔したかったが流石にゲームとは? と突っ込まれたら余計に怖いので言うに言えない。



「とりあえず……そうですわね。貴方が誰かを選べば……まぁ選んだ相手にもよりますが……そうだわプリシラさん、貴方、この中なら誰がお好み?」


 ゴージャス縦ロールが机の上にざっと並べたのは写真であった。

 この世界、写真というかカメラがないわけではないのだがいかんせんお値段が高く庶民には手が出せない。お金持ちの道楽だとかでないととてもじゃないが手を出せないくらいの高級品。

 そんな高級品を用いて撮影されていたのは、顔はカッコイイかもしれないけれど、乙女ゲームの中に出てくるタイプとはまた違う男性である。

 その写真の枚数、五枚程。


「……え?」

「彼らのうちのどなたかに嫁ぐのであれば学園から速やかに脱出できますわ。そして彼らも手出しはしてこないでしょう」

 いやそれでなくとも色んな男に手を出してヤバイってなってるのに、他にまだ男を増やすの? という自分が悪いのはわかってるけど的な顔でゴージャス縦ロールを見上げれば、彼女は真剣な眼差しをプリシラへ向けていた。


「えっと、あの……? お話が、よくわからなくて」

「彼らは辺境騎士団所属の者たちです。家柄も血筋も決して悪くはないのですが、いかんせん辺境警備の任にあたっているものですから……王都の生活になれた令嬢たちの大半は、というかご両親が娘に苦労させるのは、と見合いを遠ざける傾向にあるのです。

 勿論すべての令嬢がお断りしているわけではないのです。ですがその……男性に対して女性の数があまりにも少なく、どうしたって余るのです」


 ぎゅっと顔のパーツが寄ったのをプリシラは見逃さなかった。感情を揺らさず表情は保ったままであるはずのご令嬢の表情がしわっとしたのである。

 もしかして、結構大変な事なのでは? とプリシラは訝しんだ。


「確かに辺境騎士団は激務だとか言われておりますし、隣国との関係次第では戦場になりかねません。それを考えるとそういった場所に娘を嫁に、と考える貴族はあまりいないのも仕方ないかな、と思いはするのですけれど、だからといって彼らに嫁を諦め家は彼らの代で諦めろとはとてもじゃないけれど言えるわけがありません。あまりに酷い話ではありませんか。彼らは国のために日々鍛錬を怠らず努力を重ねいざという時のために備えているというのに」

 ゴージャス縦ロールがそんな事を言っている横から、青髪クールビューティが「こちら釣書です」とそっと彼らのプロフィール的な物が載せられた冊子を渡してくる。釣書ってこんな見た目だったかな、とプリシラは思ったけれど、いざ中を見てみれば一応釣書と呼べる代物であった。


 学園内にいる攻略対象者たちが少女漫画だとかの住人と仮定するならば、辺境騎士団の彼らは格闘ゲームに出てきそうなタイプであった。最近は少年漫画の絵柄もかなりクオリティの高いものがあるので攻略対象者たちはそちら寄りと言ってもいい。けれども辺境騎士の五名は少年漫画の世界の住人か、と問われるとちょっと違うなとプリシラは小首を傾げつつ釣書を見ていく。


 ついでにもう一度写真に視線を向ける。


 顔だけではなく上半身――胸のあたりまで写っているのだが、二の腕とか胸筋が凄い。

 少年漫画の住人のような見た目と言うにしても、間違いなくバトルが主流の作品とか出身でラブコメ系の登場人物ではない事だけは確実だろう。


 だが、しかし。


(これは……とても良い筋肉です……!)


 プリシラが当初、というか前世、お友達からこの乙女ゲームについて熱く語られた時にあまり興味を持てなかったのは、単純に絵柄が彼女の好みではなかったというのもあった。お友達の中ではドストライクな絵柄であったとしても、プリシラの好みではなかったのだ。

 正直な話攻略対象者である次期騎士団長になるだろう男も、プリシラから見ればちょっと筋肉足りてないな、と思っていたのだ。いや、一応鍛えてるのは鍛えてるので、風が吹いただけで飛んでいきそうとかそういう事はこれっぽっちもないのだが。

 多分、彼らは脱いだらそれなりに筋肉はついているのだと思う。見た事ないから知らんけど。

 けれどもそれでも。きっとプリシラが思っている程の筋肉ではない。


 けれども今しがた見せられた写真に写る男性は、いずれも素敵な筋肉の持ち主であり、顔立ちもプリシラにとってかなり好みである。

 ともあれ渡された釣書を見る。


 確かに家柄がいい。

 けれども辺境。王都での暮らしに慣れたお嬢様には確かに厳しいかもしれない。

 いざという時の事を想定してか、農業だとか畜産だとかもやっているらしい。まぁ、国境で戦い始めたら物資とか、すぐに来るかって言われると……うん、とプリシラも理由としてはわからなくもないのだ。

 戦いにおいて物資はとても重要なので。

 備えておくのは大事。それはわかる。

 だがそれ故に、騎士としての仕事以外までもがとてもハード。


 お家の手伝いをとなった時、例えば王都やそれに近しい場所でならば妻として社交の場であれこれやるのだけれど、ここではそうじゃない。

 畑の手伝いや、家畜の世話などもやらなければならないだろう。

 確かにそれは今まで蝶よ花よと育てられてきた貴族令嬢にはとんでもなく大変な事だろう。

 というか、それは今世のプリシラもそうであるのだけれども。


 だが実のところ。

 プリシラの前世、実家では母がおもむろに家庭菜園に凝り始め、最初は庭の片隅でちょっと野菜を育てていただけのはずが気付けば庭全体的に畑に変貌しており、それらの手伝いに駆り出される事が度々あった。収穫物を報酬としてもらっていたからまだしも、それでも結構な重労働だったのは覚えている。何せ途中で母が腰をやって、治るまでの間とにかくこまめに実家に顔を出して畑の世話と母の世話と家の手伝いをしていたのだ。


 正直結構大変だった。

 けれども、仮に辺境に嫁いだとして、別に畑を一人でやれとは流石に言われないだろう。自分しかやる人がいないという状況ではない。まぁ、畑をやってたのは前世なので今の身体には慣れるまでが重労働だろうと思っているが、コツは前世で掴んでいる。どうにかなるはずだ。


 次に動物の世話。


 こちらはやはり前世、田舎に暮らすおばあちゃんの家のご近所が牧場やってたので、たまにそっちの手伝いをしていた。手伝うと、搾りたてのミルクとか採れたての卵とかまぁ色々ともらえたのだ。しっかり働けばバイト代までもらえてとてもおいしいお手伝いであった。まぁそれなりにハードだったけど。

 しかし新鮮な食料にはあらがえない。鮮度が違う。味が濃厚。正直バイト代いらないからあともうちょっと食料でもらえないかなと思ったこともあるほどだ。

 むしろもらったバイト代でそこの牧場が生産しているベーコンとか買って帰る勢いだった。


 確かに重労働であった。

 動物はこちらの言葉なんて聞いてくれないから、思い通りにいかないなんてのは当たり前で。

 けれどもある程度の家畜の世話のコツはやはり覚えている。体力をもうちょっとつければいけるだろう。

 何より新鮮な食料の魅力にはあらがえない。


 確かに王都で豊かな暮らしをする方が、楽と言えば楽だろう。

 けれども、その楽な暮らしをするために、夫の家の財産をアテにするにしても、その家でやっていくために必要最低限の知識として覚えなければならない事は、プリシラの頭ではとんでもない難易度で達成できるかもわからない。

 別にプリシラがどうしようもない馬鹿というわけではない。多分人並みである。攻略対象者の婚約者であるご令嬢たちがプリシラよりハイスペックなだけで。


 家のしきたりだとか親類との人間関係の把握だとか、常に頭を働かせなければならない堅苦しい家よりは、前世で多少馴染みのある生活を送る方がのびのびと過ごせるのではないだろうか。何より辺境にはいい筋肉の持ち主が沢山いる。旦那以外と浮気をするつもりはないが、いい筋肉を鑑賞し放題であるのは確かだろう。


(そう、下手に婚約者のいるお相手に手を出して……婚約を穏便に解消するならいざ知らず、最悪私のせいで有責での破棄なんて事になったら、慰謝料とかとてもじゃないけど払えないし……けれども今ならまだ、私が辺境に行けばお咎めは無し。寛大すぎでは……? しかもこんないい男のところに嫁いで許されるとか、破格対応では……? いいの? 本当にそれでいいの? 皆さん女神か??)


 釣書を持つ手に思わず力が入る。かすかに震える手で危うく釣書を握り締めるところであったがどうにか堪えた。




 ――さて、ここで一つ、残念な話をしよう。


 婚約者でもあるご令嬢たちは決して単なる親切だけでこの話を持ち掛けたわけではない。

 婚約者である令息たちとは、そこそこ仲良くやってた者もいれば政略で別段恋だの愛だのといった感情は持ってないけれど、まぁそれでもいずれは家族になるんだし……といったような者もいた。

 だがそこにやってきたのがプリシラである。

 ビックリするくらい彼女は周囲の男性たちと仲良くなっていき、当初令嬢たちはどこぞの刺客か何かを疑った程だ。調べても黒い何かが出てくる事もなかったので、別の意味で驚愕したが。

 恋人さながらの仲の良さではあるけれど、常に露骨にベタベタしているわけでもなく、まぁたまにちょっと眉を顰めるような事もなかったわけではないけれど、一応節度は守っていた。具体的には学園の中で盛るというような行為はしていなかった。

 していたら大問題である。


 それぞれの婚約者である令息たちは一人の少女に夢中になって、水面下で牽制しつつ誰が彼女を射止めるか静かに争い始めるし、しかも令嬢たちにはそれらを悟らせないように上手く取り繕っていた。まぁ、取り繕いきれなかったわけだが。

 けれども衆人の目がある場所で醜い争いはしていなかったからこそ事件になっていなかった。


 令嬢たちも一体あの娘の本命は誰なのか、と思っていた。

 相手によってはさっさと婚約解消して他の相手を見つけたいという者もいたのだ。

 プリシラが本当にその人の事を好きだというなら、譲ってさしあげてもよろしくてよ、くらいの気持ちの令嬢もそれなりにいたのだ。


 けれども一向に誰が本命なのかがわからない。


 あまり時間をかけられてしまえば、誰か一人、プリシラが選んだ相手の婚約者でもある令嬢はその後の新しい婚約に困ることになってしまう。婚約解消しました、他の婚約者と結婚しますとなったとしても、そう簡単に次が決まるわけではない。


 だからこそ、もういっそ直接本人に確認してしまえと思って呼び出したのだ。

 ついでに、もし彼と結ばれるなら最低限これらの知識は覚えなさいという、ほんのちょっとの悪戯心と親切心を持って。


 だがしかし、令嬢たちはそれなりに前から少しずつ覚えていたから今ではすっかり余裕なそれは、プリシラにとってはとんでもない難易度だったのだろう。顔色を青くして、無理ですとばかりに首を横に振る。


 確かに覚えたからとて結婚後にも新たに覚えていかなければならない事やものは沢山ある。

 それに思い至ったらしいプリシラは、結局誰との結婚も選ばず。

 考えなしの娘か、と令嬢たちは内心で呆れてすらいた。


 とはいえ、じゃあこれからは令息たちと関わりません、では彼らは納得しないだろう。

 だからこそ、令嬢たちはもしそうなった場合にのみ提示するつもりだった辺境騎士団で嫁を求めてる男性を紹介した。これを紹介と言っていいのかは微妙なところだけれど。


 家柄、血筋申し分なし。

 けれどもその体格の厳つさや目つきの鋭さなどから普通の令嬢ならその雰囲気や迫力に圧倒されて見合いをしても令嬢の家からお断りされつづけていた。さめざめと泣いてわたくしには無理です、と言うような令嬢を嫁にしたところで続くかもわからないし、ましてや仲良くやっていけるかとなればもっと微妙である。


 だが、仮にプリシラがこの中の誰かと婚姻すると言えば、今まで誰が彼女の本命なのかを水面下で争っていた令息たちも諦めるしかない。

 辺境騎士団の嫁不足は密かに王都でも深刻な問題と化しているので。


 釣書を見ていたプリシラの手が震えているのを見て、令嬢たちはさてどうするのかしら、とプリシラをじっと見ていた。

 これを拒めば、婚約者との仲を引っ掻き回した事で彼女に処分をと学園側に、そしてプリシラの実家に要求するつもりであった。

 一人二人が仲をかき回されたわけじゃない。被害を訴える令嬢たちの数は流石に学園も無視などできようはずもない。プリシラの実家に関しては身分がそこまで高くないからこそ、数名がちくりと物申せば簡単に白旗を上げるだろう。


 あとはプリシラの選択次第。


 その選択如何によっては、とことんまで制裁を加えよう。令嬢たちはそう決めていた。

 本当に好きな相手がいたならまだしも、結局は後先も考えずに彼らに手を出していたのだ。令嬢たちだって不快な気分が全くないわけではない。


 まだ婚約者も決まっていないがそれでもそういった令嬢たちからも辺境だけは勘弁してくださいまし、と懇願されている相手。

 悪い人ではないのだけれど、それでも常に危険に身を置くような男性と、今まで安全な場所で育ってきた令嬢とでは文字通り住む世界が違ったのだろう。

 彼らも何気に結婚は無理かもしれないと内心で諦めつつあった。家の身分がもう少し下であれば平民相手でも問題なかったが、そういうわけにもいかなかった。だからこそ、最悪遠縁からでも養子を……という話まで出ているのが今回プリシラに紹介した者たちである。

 養子といってもそう簡単な話ではない。なのに五つの家が養子をとなると、これまた決まるまでに時間がかかるだろう。

 せめてどこか一つの家だけでも嫁が決まれば、少しは……と思わなくもない。


 釣書を見ているプリシラの様子から、怖れている様子が窺えた。無理もない。

 今まで彼女が仲良くしていた男性と比べれば、粗野だとか粗暴だとか、ともあれそういう風に感じたっておかしくはないのだ。いやまぁ、悪い人達ではないのだけれども。



 とはいえ、こちらの意図を感じ取ったのかプリシラはやがて、一つの釣書をこちらに差し出してきた。


「それでは、こちらの方と……」

 言葉は最後まで続かなかった。

 これまでも多くの令嬢に見た目から怖ろしい人だと思われてお断りされていた男。プリシラが選び差し出してきた釣書は、まさしく彼のものだった。



 ――と、まぁ、令嬢たち視点からだとプリシラは己に課した罰として、多分このままだと絶対結婚できそうにない相手を選んだのだ、と思われていたのだが。


 プリシラの手が震えていたのは恐怖からではなく興奮からであるし、更に選んだ相手はプリシラの好みを遠慮なく反映させた。ムッキムキの筋肉! 釣り目というか三白眼がちの目! 更にはちょっと細かな傷とかそこかしこに見えてるのがとてもセクシー!! えっ、こんないい男との縁談を結んでくださるとかマジですか!? ひゃっふぅヨダレでそう……おっといっけね☆


 そんな気持ちで、言葉が最後まで続かなかっただけである。


 お互い知らない方がいい事ってある。



 かくしてプリシラは意気揚々と学園を出て辺境へと嫁いでいった。

 家への説明はゴージャス縦ロールがしてくれるそうなので、遠慮なくお任せした。そんなとこまでやってくれるとかアフターサービス万全すぎて、流石未来の王妃様! と思った程だ。

 プリシラの両親が反対などしようはずもない。勿論辺境へ嫁ぐという事実に思う部分はあるだろう。けれどもプリシラは望んでそちらへ行くわけだし、そこら辺は何かこう上手い具合にゴージャス縦ロールがしてくれるし、更に更に今まで散々手を出してあとはエンディングへ行くために攻略対象者の中から誰かを選ばなければならなかったはずの状況からは辺境へ嫁ぐ事で逃げおおせる事ができた。


 婚約を解消したり破棄されたりするご令嬢はいないし、プリシラもまだ直接お目にかかった事はないが好みの男性との結婚ができる。そういや持参金とかどうするのかしら、と思ってゴージャス縦ロールへ問いかけてみたが、そこら辺一切心配ないらしい。いっそ身一つで充分だとか。そこら辺もゴージャス縦ロールがどうにかしてくれるとかまさに至れり尽くせり。

 貴女の婚約者にまで手を出していたのに、こんな親切にされるとか本当に未来の王妃様の器が大きすぎて、というか他のご令嬢たちもそれは同じくだ。

 ここは女神の国だった……?

 そう思ったって仕方がない。



 プリシラが学園卒業を待たず退学をした事で攻略対象者たちが何やら言う事も考えられたが、そこら辺はそれぞれの婚約者であるご令嬢様方に任せていいとも言われていた。


 本当に至れり尽くせりである。



 ちなみに、攻略対象者――特に王子は自らの婚約者が何か画策してプリシラを強制的に追いやったのではないか、と疑っていたし、次期宰相が約束された少年も同様であった。けれども、ゴージャス縦ロールのいっそ完璧なまでの微笑みと共に彼女もまた国の将来を憂いていて、それ故に自ら向かう事を決めたのですわ、とかいう言葉に。

 王子はまんまと丸め込まれたのである。

 もし彼女が不幸になっているという噂が出るようならば、その時は助けに行こう。

 そう、内心で決意もしたらしい。一応婚約者の言葉を信じるつもりはあったようだが、それでも完全に信じていないのは明らかだった。


 なおこの心配はものの見事に杞憂となる。



 この一件で一番訳が分からないと言いたくなったのは、プリシラの嫁ぎ先の男であろう。

 確かに辺境騎士団は深刻な嫁不足に陥っていた。場所が場所なので場合によっては戦渦に巻き込まれる事だってある。だからこそ、今はそうでなくともずっと安全とも言えない場所だ。

 そんなところに嫁いでくる貴族の娘というのは多くはない。

 国のためにと何らかの覚悟を背負ってやってくる娘が多かった。

 一応、こちらでの生活に慣れてそれなりに楽しく暮らしている者もいるけれど最初からご機嫌でやってくる娘はいない。

 だがしかし、プリシラは最初からウッキウキであった。

 新生活に期待を寄せている……ように見えなくもない。

 だからこそ、彼女の夫となる男はもしや家族と仲がよくなくて、逃げ出したくてここを選んだのではないか……と勘繰った。

 大体小さく華奢でか弱い少女が自分を選ぶはずがないのだ。過去何度か行われた見合いで自分に向けられた目は、いずれも怯えを含んでいた。

 平民の娘でもこの際嫁に迎える事ができればよかったが、いかんせん家の格を考えるとそれも難しい。平民でも結婚してくれるという娘をどこぞの貴族の養子としてそれから婚姻を結ぼうにも、様々な事情から中々難しい話であった。


 なので男は自分の結婚に関してはほぼ諦めていたというのに。


 そこへ次期王妃でもある公爵令嬢から貴方の嫁を紹介しますととんでもない報せがやってきたのだ。

 一体この少女はかの令嬢とどんな取引をしたというのだ……? とそれはもう困惑した。何か裏でもないと自分と結婚とかないだろうとも思っていたのだから。


 何か、とんでもなく重たい過去でも背負っているのではないか、とかそれはもう色々と考えた。

 だがしかしやってきたプリシラは早速畑の手伝いだとか動物の世話だとかに交じってそれはもうイキイキしていたものだから。


 本当に、一体どういう経緯で……?


 とそれはもう大変に困惑したのである。


 プリシラ本人にそれとなく問いかけても、

「公爵令嬢様から紹介されたので!」

 としか言われなかった。

 いや、紹介されただけで嫁にくる事を決めてしまうものなのか……?

 男は多分人生で一番困惑したと思っている。



 とはいえ、まぁ。

 内心で嫌がっている様子もなければ愛想の良い演技をしているわけでもないプリシラとの結婚生活は、男が困惑していながらも何だかんだ上手くやっていた。

 困惑していたのが無駄な時間だったと思えるくらいにプリシラは出会ってから今の今までずっと男に対して変わらぬ態度であったのだ。


 吹っ切れてからは二人の仲がより一層進展するのは早かった。

 子供もあっという間に三人目である。



 ちなみに王となった元攻略対象者である王子は、そんな辺境での様子を知ってそこでようやく遅ればせながらかつての恋を諦める事ができたという。他の攻略対象者に至ってはもっと早くに諦めたり心の整理をつけていたので、王子が一番長く引きずっていたが、それもようやく終わりを迎えたというわけだ。

 思ったよりも長かったわね……とゴージャス縦ロールが呟いたとかどうとか。


 ま、ともあれ。

 攻略対象者たちが思い余ってそれぞれの令嬢に婚約破棄を突きつけるような事態になっていたら、間違いなくとんでもない事になっていたわけだし、失恋した男性の気持ちを考慮しなければほぼ全て、丸く収まったと言えなくもない。

作中後半の令嬢に呼び出された時の

どおりで最近キュンキュンときめく事が多かったわけだわ……などと思ってすらいた。

のどおりで、の部分は本来ならどうりで、が正しい文ですがそこはプリシラさんの脳内モノローグ的なやつなのであえてちょっと頭の足りない感じで表現されております。

誤字脱字報告からだとしてくれた相手にそういう説明や報告はできないのでここに追記しておきます。

誤字脱字報告ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです! 転生してやらかしたヒロインは数多くいれどこういった形でハッピーエンドに到達したのはかなりレアケースな気がします。 ハッピーエンド万歳! [一言] 旅行先で味わった搾りたて…
2023/11/02 02:06 退会済み
管理
[良い点] オチ最高!! 誰もざまぁされないオチお見事です。
[一言] デッドエンドの選択肢を避けて、ヒロインも攻略対象者達も幸せになれた様でなにより。 この王子、「真実の愛」やらかしそうな素質があったみたいだなぁ。
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