66 キノコの源流
これまで集めた魔物の記録を漁ってみたが、結局キノコの魔物に繋がる記述は見つける事が出来なかった。
「駄目だ……やっぱり、前例がない」
自分で記録した物なので、その辺りは分かり切っていた事ではあった。見落としている物、忘れている事が有るかもしれないという、悪あがきである。
ここで簡単に解決方法が発掘されて問題が一気に片付く様な、そんな上手い話を期待していた自分は、存外に馬鹿者だ。
前例が有れば、とっくに他の誰かが思い出しているだろう。
「レイズ君、起きてるー?」
ミニケが資料庫の扉を開けて覗いてきた。同時に、ロビーの方からパンの焼ける良い匂いが流れてくる。
「うひゃあ、これはまた派手に散らかしたね」
紙と箱が散乱した資料庫を見て、ミニケが笑う。
「片っ端から魔物の資料を引き出したからね」
「少し休憩にしない? 朝ごはんもまだだろう?」
ミニケの提案に乗ってロビーに出ると、パンとコーヒーが用意されていた。ありがたい事だ。
「まさか、また一睡もしてないのかい?」
椅子に座ってあくびをすると、ミニケは心配そうに訊いてきた。
「いや、流石に少し寝たよ」
まあ、二時間程度の仮眠なのだが。どうにも、焦りが有ると深く眠れなくなる。
「少しねぇ……気を付けなよ。君は追い詰められると、無茶する傾向にあるからね。人間、最高の能力を発揮するには冷静じゃなくっちゃ。という訳で、とりあえずこれでも食べて落ち着きなさい」
叱るように言って、ミニケは僕の口にパンを突っ込んだ。途端に、口の中にバターと砂糖の甘みが広がった。
「むぐっ―――甘いな」
だが美味い。
「ミニケちゃんの特製だぜい!」
ミニケは満足げに親指を立てる。今は朝の七時だが、パンってどのくらいで作れるものなのだろうか?
「君こそ何時に起きたんだが……」
「私のは趣味だから良いんだよ。――それで、成果は有ったかい?」
「いいや。駄目だった。死ぬ前に種をばら撒く植物系魔物が三体居たが、それら全てが菌類とは無縁だ。そもそも、キノコが足を生やして歩いているのなんか見た事がない。六層で見たのも、虫の背中にキノコが生えている魔物だったしね。その魔物は本体の虫が菌と共生関係にある様な雰囲気だったが、今回のは完全にキノコ単体で動いていた。前代未聞だよ」
成果とはとても呼べない状況を報告する。なんだか少し愚痴っぽい言い方になってしまっている事に、言ってから気が付いた。
それでもミニケは、気にした様子も無くいつも通りで居る。
「ダンジョンは霊脈の影響で、面白いくらい滅茶苦茶な進化をする魔物ばかりからね。世界で最も危険な職場と言われるのも納得だ。でもそうなると、今回できる事はそんなになさそうだね。クーナちゃん連れて、討伐隊に参加してくる?」
ミニケはそんな提案をしてきた。
「もう現場復帰できるのかい?」
「昨日の時点でだいぶ良くなっていたよ。今日の状態次第かな。今はまだ寝てるから。相変わらず体温が下がったままだけど、なんだか冷えるほど元気になっているみたいだね」
「冷えるほど元気に……」
なんだか妙な話だった。だが、そう言われると納得もできてしまう。
ふいに玄関の扉が開き、リリィが現れた。彼女は僕らの様子を見て、困り顔をする。
「やあ、レイズ殿。食事中にすまない」
「いえ。大丈夫です。それで、ダンジョンの方は?」
リリィは僕の隣に座って、頷く。
「君の睨んだ通りだった。例の場所、壁がぶち破られていて、先には地図に書かれていない空洞がありそうだったと。ただ、キノコ共の数が多くてな。突入にはそれなりの戦力が必要になる。今、志願者を募って掃討作戦を計画中だ」
「そうですか。それなら、どうしてここに?」
「休んで来いと、ギルドの連中に追い出されてしまった。まあ、昨日から働き詰めだったからな。その必要はないと言ったんだが……そう言う訳でここに来た」
どういう訳だ。人の事を言えた義理じゃないが、そこはしっかり休まないと。リリィは僕なんかよりずっと体力を消耗する仕事をしていたはずなのに。
「いや、素直に休みましょうよ……それにしたって、元気ですね」
「体力だけには自信があるからな!」
全く疲れを感じさせない爽やかな笑顔で、リリィは答える。
「そう言う人に限って、急にぶっ倒れるのよ。休みどころを自分で測れない冒険者っているんだよね」
少し呆れ気味にそう言って、ミニケはリリィの前にもパンとコーヒーを出した。
「おお、申し訳ない。いくらだ?」
「ここは食堂じゃないから代金は取らないよ」
ミニケが珍しく、少しだけ不機嫌になる。
酒場や食堂を中に備えたギルドもそれなりに在るので、リリィの勘違いも悪気が有る訳では無いのだろう。
「あ、彼女はここのギルドマスターのミニケさん」
紹介すると、リリィは立ち上がって姿勢を正した。
「なにっ! ああ、これは申し訳ない。『真紅の同盟』のリリィです」
「そんな畏まらなくても良いよ。ミニケです。よろしく。さあ、温かいうちにお食べ」
リリィは椅子に座り直してパンを食べる。直後、彼女の顔がわずかに綻んだ。
「いただきます。……うまい。それにこれ、もしかして昨日ダンジョンに待機していた冒険者たちにパンを届けてくれたのって――?」
「ああ、それ確かにボクだね」
「そんなことしてたんだ、ミニケさん」
「まあね。こんな時だし、助け合わなきゃ連盟の意味ないでしょ。いろんなギルドが協力してるし、ここはボクも何かできる事をしなくちゃって思ってね。手の空いてる知り合いに声かけて、みんなで差し入れしたんだ」
ミニケさんはそう言って、照れくさそうに笑った。朝からパンを焼いていたのも、おそらく差し入れ用なのだろう。
「ありがたい。冒険者を代表して、感謝申し上げる」
深く頭を下げるリリィに、ミニケは気前の良い笑顔を向ける。
「良いって事よ。私たちは私たちで、君らの働きに救われているんだからさ」
焼き加減を見に行くと言って、そのままミニケは厨房に駆けて行く。
その背中を見送って、リリィが呟いた。
「立派な人だな、ミニケ殿は」
全く同感だけれど、普段彼女をそう褒める人が居ないせいで、珍しくて少し笑ってしまう。
「はは、そうだね。あの人がいつもああやって明るく振舞ってくれるから、どんな時でもどん底にならずに済む。いつも助けられてるよ」
「そうか」と、リリィは微笑む。
彼女はわずかに僕の方へ向き直って、別の話を切り出した。
「……さて、もう一つ話がある。遺体の件だが、サリーが魔法学院に持ち込んだ。あそこでは胞子を吸った患者の為に治療薬を作っていてな。魔物たちの大元になったかもしれない菌類が、遺体の一部に留まっていたらしく、それも胞子を研究する為に調査するらしい」
「ええ。知っています。僕も遺体回収の現場に居ましたから」
「そうか。ならば話が早い。今から学院に行かないか? 連盟としても掃討作戦前に薬を確保しておきたい。進捗を聞きに行こうと思って居た」
「なぜ、自分に?」
今となっては、それは連盟幹部の仕事だ。僕は一介の冒険者なので、そこに立ち入る権限はない。
それを問うと、リリィは真剣な目をして答えた。
「遺体捜索の件では、君には世話になりっぱなしだったからな。最後だけ仲間外れと言うのも違うだろう。この件に関しては、君も見届けたいだろうと思ってな」
「お気遣いありがとうございます。そうですね。確かに興味があります」
僕の答えを聞くと、リリィは意気揚々と立ち上がる。
「なら決まりだな。すぐにでも行こう」
「あっ、ミニケさんちょっと出かけてきます」
厨房に声をかけると、開きっぱなしの扉の向こうで、手だけが出てきて縦に振られる。
「聞こえてたよ。行ってらしゃい!」
そう言う訳で、僕らは魔法学院へと向かった。
魔法学院は魔法の教育と研究を行う政府機関で、本格的に魔法を使う者は誰もが一度はここの世話になる。僕は補助魔法や魔道具の使い方を先輩冒険者から教わったので、一度もここに来たことが無かった。
元々は貴族の為の魔法学校だったので、建物の趣味からして豪華で、どうにも近寄りがたい雰囲気が有る。
「―――という訳で、結局類似する魔物の記録は見つけられませんでした」
とりあえず道中は手持ち無沙汰だったので、手持ちの記録が役に立たなかった事をリリィに話していた。
「そうか。閉鎖空間の中で生まれた完全な新種。また厄介な物が外に出てきたものだ。
しかし、ルドウイック殿が47年前にあの空間を閉鎖したという事は、その時点で既に魔物として成立していたはずだろう。全く情報が無いと言うのも、なんだか奇妙だな」
「ええ。それは本当に」
新種とは言え、その前提となった魔物が必ずいるはずなのに、僕らは歩くキノコなんて存在自体初めて目にしたのだ。
そういった未発見の個体が、探索の手が届いていない五層や六層から上がってきたというのならば話は別だが、状況から見てその可能性は無い。
忽然と現れた魔物キノコは、何から何まで謎だらけの存在だ。冒険者にとって、この"謎"というのは何よりも天敵となる。
危険を冒しながら、その討伐方法を実験的に模索しなければならない。場合によっては、今よりも深刻な被害を出す恐れがあるのだ。
研究室の前まで行くと、見知った人物が休んでいた。遺体の管理の為に居座っているという、サリーだ。
「おっ、そろそろ来ると思って居たわ」
「どうだった?」
リリィが進捗を訊ねる。
「それなりに成果があったわ。私より専門家に聞くと良い。こちら錬金学の教授をしてる、ジョージ先生。特にキノコは専門分野だそうよ」
サリーがそう言って、隣で同じく休んでいる人物を紹介した。ジョージ先生は温厚な顔立ちをした、ダークエルフの男性だった。
「ああ、どうも。連盟の方ですね」
「リリィといいます。こっちはレイズ。それで先生、薬の方は?」
「残念ながらそっちはまだだけど、胞子の正体が分かったよ」
そう言って、ジョージは僕らを研究室に入れてくれた。
彼は僕らの前に、閉じられたシャーレを二つ並べる。
「こっちが魔物から採取された胞子で、こっちが遺体の頭蓋から採取した胞子。調べてみたら、類似点が多く見られた。しかも、この遺体から採取された胞子は『アオキリダケ』と同じものだった」
「先生、アオキリダケとは?」
リリィが更に訊ねると、ジョージはまた別のシャーレを出す。そこには、干からびた極小キノコが乗っていた。
「これだよ。遺体の中にこれ一本だけ生えていた。だいぶ古いものだけどね。これが生えただけでも奇跡だよ。
本来は、霊脈の噴出孔近くにしか自生しない、非常に珍しいキノコだ。世界的に魔力の噴出孔は珍しいからね。錬金術師の間では、一生に一度拝めればものすごく幸運って言われてる代物さ。まず、普通の場所では見られない。この遺体も、よほど魔力濃度の濃い場所に在ったんだろうね」
ジョージの説明を聞いているうちに、以前自分でもその名を聞いた事が有る事に気が付いた。
「その名前なら聞いた事がある。確か三年前に、一時期だけ三層四階に霊脈の噴出口が現れた事があったんだ。その時、方々の錬金ギルドから場所を聞かれたのは、そう言う事だったのかな」
リリィもその話を聞いて、頷いた。
「ああ、そう言われてみれば私も一度護衛任務をしたな。あの時は何も見つからずに、採取ギルドの連中がへこんでいた」
「そうそう。あったね、そんな事。その時は私も依頼を出したんだよ。もしかしたら、君たちの世話になったかもしれないね。あの時は噴出していた期間が短すぎて、特に何かが生えてくることは残念ながらなかったんだ」
ジョージも僕らの話に頷く。
ダンジョンは複数の霊脈が重なった交差点に位置していて、ダンジョンそのものが大量の魔力を霊脈から吸い上げているとされる。
その為、ダンジョンの中は至る所に霊脈の魔力が流れていて、稀に噴出孔が発見される事もある。しかし、それもダンジョンの自浄作用なのか、自然に塞がったり、地形変動に巻き込まれて消えたりするので、長い期間見られる事の無い現象なのだ。
噴出孔は自然界ではほとんど見られないので、ダンジョンで発見されるたびに、街の研究者と素材屋が大騒ぎするのである。
「……という事は、例の空洞内にも噴出孔が在る可能性は考えられるのか?」
リリィがそんな予測を立てる。
閉じられていた空洞の中に魔力の間欠泉が現れて、そこに自生していたキノコが特殊な進化をした、という話らしい。
まあ、ありそうな事ではある。キノコはともかく、魔物は魔力が濃い場所に居ると狂暴に変質したりするものだ。だから、ダンジョンの魔物は地上の物より狂暴だと言われている。
「ええ。その可能性は有るかと。
先生、霊脈から直に魔力を吸い続けていたら、キノコが魔物に進化する可能性は有ると思いますか?」
せっかく専門家が目の前に居るので、訊いてみた。
「キノコが魔物に進化か……一見あり得ない話に聞こえるが、実はそんな話は結構あるんだよ。植物系の魔物はそのほとんどが魔力を吸う植物から分かれて進化したものだと考えられている。私たちが錬金術で使う素材は全て、そう言った意味では魔物のご先祖様だ。
アオキリダケは特徴から見ても、特に高濃度の魔力を好んでいる。霊脈からの魔力を浴び続けていれば、大きく変質するかもしれないね―――って痛いっ!!」
丁寧に解説してくれたジョージ先生を、背後から容赦のない蹴りが唐突に襲った。
「魔物だって、魔力が濃い所に居続ければ変質するのにゃ。植物だろうが菌類だろうが変化するに決まっているのにゃ。動かないだけで、みんな生き物には違いないのにゃ」
珍妙な語尾を連発する獣人族の女性は、八つ当たりみたいにジョージを蹴り続ける。
その様子に唖然としていると、リリィが女性の名を呼んだ。
「おお、タズマじゃないか! ほら、昨日の人工スライム。あれを作ったのは彼女だよ」
ああ、胞子を体から除去してくれた便利アイテムか。この人が作ったという事は、彼女も錬金術師なのだろう。
「どーもタズマにゃ。今回の件で薬の開発指揮をしている者にゃ」
「ああ、これはどうも―――」
名乗られたので名乗り返そうとすると、手で制された。
「いや、挨拶とかいらんにゃ。どうせ聞いても名前覚えられないしにゃ。それよりジョージ、いつまでサボってるのにゃ! 人手が足りないって言ってるだろうにゃ!」
「わー、悪かったよ。だから蹴らないでー」
げしげし蹴られ続けるジョージ。見た感じそれほど強くは無いのだろうけれど、痛そう。
「まあ、そう言う訳だから、早く薬が欲しければ邪魔しにゃい事にゃ。それとも、お前たちが検体でも持ってきてくれるのかにゃ?」
「必要であれば、何でも用意しよう」
即座にリリィがそう返すと、タズマは苦い顔をする。本人も言ってみただけだったらしい。
「……言ってみたものの、今は特にないにゃ。自力で胞子を克服した人間でも居れば何かの参考になるかもしれにゃいが、昨日の今日でそんな奴も居ないだろうしにゃ」
「それは確かに難しいな。都合良くそんな奴も居ないだろう」
リリィも渋い顔をする。
「克服した人間……あっ!」
一人だけ、心当たりがあった。
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