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61 風邪とスープと事件

 ギルドに戻ると、ミニケとロネットが僕らの寝室に集まっていた。

 一日養生したが、クーナの容態は回復するどころかより悪化してしまったらしい。


「熱はないみたいだけど……と言うよりむしろ体が冷えてる?」


 ロネットがクーナの額に手を当てて、体温をみる。彼女の言う通り、どういう訳かクーナの身体は冷える一方だった。


「ね、おかしいでしょう?」


 最初にその事に気づいたミニケが、不安そうに頷く。僕とミニケにはこの手の知識がほとんど無いので、ロネットに頼るしかない。


「竜人種特有の反応なのでしょうか?」


 頼みの綱であるロネットも分からない様で、首を傾けた。


「クーナさん、具合はどう?」


「うーん。なんだか頭がふらふらするぅー」


 容態を聞くと、クーナは疲れた顔でそう答えた。急を要するほど深刻な状態ではなさそうだが、辛いのは見ていて伝わってくる。


「やっぱり風邪かな?」


「一度専門の医師に診てもらった方が良いかもしれませんね。私では、これ以上は何とも。お役に立てず、すみません」


 彼女が悪いわけでは無いのに、謝るロネット。相変わらず責任感が強い人だ。

 状態異常解除系の魔法は呪いを解くのに近い効能のため、魔法で作られた麻痺毒や睡眠毒にしか効果が無い。通常、病ならば医師か薬師の領分となる。

 ロネットに見てもらったのは、これが呪いかどうかの確認だけだったのだ。気を遣わせてしまったみたいで申し訳ない。


「ううん。そんな事ないよ。ありがとう、ロネットさん」


 クーナもロネットに感謝を伝えて、彼女の言葉を否定する。


「じゃあ、ボクは消化に良いモノでも作って来るよ」


 そう言って、ミニケは一階の厨房へと向かった。

 ウチのギルドのご飯担当は、実はミニケだったりする。意外な事にかなり美味い。任せっきりも良くないと思ってたまに手伝うのだが、その度に彼女の手際の良さに舌を巻く。本人曰く、昔から趣味で色々作っていたのだそうだ。

 まあ、稀に創作料理に走ってとんでもない物が出てくることも有るにはあるのだが、真面目に作ればすごいのだ。


「あ、私も手伝います」


 ロネットも立ち上がってミニケの後を追う。

 急に人数が減って部屋が寂しくなったので、落ち着かせるつもりでクーナの頭を撫でてあげる。


「明日は病院に行こうね、クーナさん」


「調べ物の方は良いの?」


「うん。しばらくはお休みかな」


 スレインかシンシアのどちらかが動きを見せない限り、状況は動かない。

 今無理にシンシア達から遺体を取り返したら、次は取り返しのつかない行動に出そうな程に、彼女の様子は切迫しているように感じられた。下手に手は出せない。

 できれば、悲惨な展開には発展してほしくないが、それはスレインの出方次第だろう。


「レイズ君、ちょっと来てー」


 唐突に、下からミニケに呼ばれた。


「呼ばれたから、行ってくるね」


 クーナにそう断って、下の階へと下りる。

 ロビーでエルドラが待って居た。


「エルドラさん、いらっしゃい」


「クーナちゃん風邪だって? 聞いたわよ。これ差し入れ。みんなで食べて」


 エルドラはカウンターに、抱え持っていた紙袋を置く。中には赤い果物がぎっしり詰まっていた。


「ありがとう。わるいね」


「得意先からいっぱい貰ってみんなに配ってるから、遠慮しないで。それとお願いがあって。明日もロネットに付いて来てもらいたいの」


「ああ、それならさっきロネットさんから聞いたよ。教え甲斐のある新人が居るんだって? すごく張り切っていたよ。しばらく探索調査の予定は無いし、こっちは問題無いよ。その辺りはロネットさん自身に任せてる」


 エルドラの連れている後輩に回復魔法使いが居るらしく、ロネットは今日一日その子に指導していたのだ。どうやらかなり優秀な子の様で、教えるのが楽しいらしい。


「そう。良かったわ。ありがとう。―――そう言えば。遺体の件はどうなった? 見つかったの?」


「うーん、また微妙な所かな」


 エルドラに進捗を聞かれ、今日の出来事を話した。

 事の微妙な展開に、エルドラが渋い顔をする。冒険者の彼女なら、僕の憂鬱を理解してくれると思って居た。


 シンシアに手を出せないのは、彼女の暴発を恐れている面もあるが、何より僕ら自身が冒険者の諦めの悪さと言うものを身をもって知っているからだ。


 憲兵隊に連絡して対処してもらう手もあるが、彼女が遺体盗難の犯人として世間の目に触れれば、それこそ彼女の思うつぼ。彼女は今日の話を世間に向けて話すだろう。そうしてスレインとの全面闘争は始まってしまう。


 そこでスレインの罪が暴けなければ、彼女は世間から白い目で見られるだけだ。今彼女たちの手元に在る証拠だけでは、スレインの犯行を証明できるとは思えない。無実だった場合も同様だ。

 人が良過ぎるかもしれないが、仲間の死の真相を知りたいと切実に願う彼女たちを、そんな形で貶めるのはなんだか気分の良くない話だと思ってしまうのだ。


 だから、どうにもできずに今日は引いたのだ。僕らが介入する隙すら、シンシアは頑なな姿勢で拒んだから。


「また随分と面倒な事になってるわね。あんまり深入りしない方が良さそうじゃない?」


 エルドラは難しい顔をして、そう意見を述べる。


「まあね。でも、あのまま放って置くのも良くない気がするんだ。何とか穏便に事を済ませたいんだけどね。シンシアはどうも硬派すぎる。……君は、スレインについて何か知っている事は有るかい?」


「スレイン? そうね。彼は昔から敵が多い人とは聞いてるけれど、でも黒い噂は聞かないのよね。有っても信憑性の薄い物ばかりで、どちらかと言えば堅実な印象かしら」


「君の御父上と知り合いだったりしないのかい?」


 エルドラが嫌がるのであまり触れないが、彼女の父親は貴族院に所属する政治家だ。

 今は冒険者をしているが、エルドラも貴族のご令嬢なのである。


「あまり交流がある様な話は聞かないわ。そもそも、私は父と仲が悪いのよ」


 エルドラは浮かない顔をして、自虐の様に苦笑する。


「そうだったね。ごめん」


「まあ、一応気にかけておくわ。何か聞いたらすぐに知らせる」


「よろしく頼むよ」


 カウンターに寄りかかっていたエルドラは、その場を立ち去ろうと動いた瞬間よろめいた。倒れそうになるのを自力で踏みとどまる。


「大丈夫かい?」


「ええ。……なんだか頭がふらふらするわ。私も風邪かしら」


 エルドラは額を抑えながら苦い顔をする。確かに具合が悪そうだ。


「最近冷えるからね。気を付けて」


 帰ろうとするエルドラを気遣うと、彼女は笑って言葉を返す。


「ええ。貴方もね。看病しているうちに、うつされないように」


「ありそうだな。注意しておくよ」


 エルドラを見送ると、直後に厨房から酒瓶を抱えたロネットが出てきた。


「あれっ、エルドラは?」


「ああ。彼女ならたった今出て行ったよ」


「果物のお礼をしようと思ったのに。ちょっと行ってきますね!」


 ロネットはそう言って、エルドラを追いかけて出て行った。

 さて、自分もクーナのところに戻ろうかと思った矢先、厨房から死にそうな様子でミニケが顔を出した。


「ろ、ロネットちゃん……たすっ、助けて……」


「はぁっ! どうしたんだいミニケさん!?」


 青い顔をして壁にすがり付くミニケの様子は、クーナより重傷だった。何事かと、急いで駆け寄る。


「すっ……スープが―――」


 ミニケはそう言って、震える指を鍋へと向けた。


「スープ?」


 気になって近づくと、途端に薬草の様な独特な臭いが鼻をついた。


「うっ、なんだこの匂い……」


 きつい薬の匂いと表現するべきか。複数の香草が混ざった様な、爽快すぎる香りだった。

 その発生源と思われる鍋の中には、透明な緑色の綺麗な液体が満たされている。

 刺さっていた匙で回してみると、独特な粘り気があった。


「この独特なとろみ……これってまさか」


 見た目こそ違うが、僕はこの物体を知っている。これは以前、酔っぱらったミニケにクーナが飲ませた気付け薬。通称"クーナ汁"だ!

 あの悪夢の再来が、無駄に見た目だけ良くなって再現されていた。


「滋養に良さそうな物を、これでもかと突っ込んだらこんな事に……一口食べただけで痺れがぁ」


 ミニケのうめきが、背後から聞こえてくる。


「いや、もうそれ毒だろう! なんて恐ろしい物を作ったんだ……いつも通りにしていれば良い物を」


「それ作ったの、ロネットちゃん……ガクッ」


 とんでもない真相を暴露して、ミニケは息絶える。


「……マジで?」


「きゃああっ! どうしたんですか、ミニケさん!」


 直後に犯人が帰還。被害者第一号の無残な死に様を見て、悲鳴を上げた。


「なんか、君の料理? っていうか、ポーション? みたいなものを食べて、ひっくり返ったんだけど」


 もうどんな対応をして良いか分からず、思わず声も顔もひきつってしまう。

 ロネットはいつものミニケ冗句だと思ったらしく、可笑しそうに笑った。


「またまたそんなぁ。引っかかりませんよ、ミニケさん」


 自分が造り出した物の恐ろしさを知らない彼女は、呑気に微笑んで鍋に近づいてくる。


「ほらこの通り、べつに食べても問題な―――」


 匙でスープをすくって口に含んだ途端、ロネットが白目を剥いてぶっ倒れた。


「ロネットさあああん!」


 慌てて体を支えるが、時すでに遅く、ロネットは気を失っていた。

 一体何をやったら、一口で人間の意識が飛ぶのやら。

 "クーナ汁"とは真逆の効能を持つこの飲み物を、秘かに"ロネット汁"と僕らは命名し、永久に封印する事をこの日誓ったのだった。





     ◆




 夜も更けた頃、人気のない博物館の玄関に一人の老紳士が立って居た。

 彼はこの博物館の館長である、エロンシャである。

 エロンシャは懐から鍵を取り出すと、正面扉のカギ穴に差し込んで回す。途端、突然背後から声がかけられた。


「よう、エロンシャ」


 その声に驚いて、エロンシャは慌てた様子で振り向く。逆光で顔は分からなかったが、その声には覚えがあった。


「なっ! お前がどうしてここに!」


 動揺するエロンシャに、人影は笑いかける。直後、人影が刃物を抜いた。

 相手が殺意を向けている事を知り、エロンシャは狼狽える。


「やはり、お前だったのか!」


「これ以上、お前たちに嗅ぎ回られるのは面倒なんだよ」


 逃げ場のない狭い階段上で、エロンシャは人影に腹部を刺されてしまう。

 それも一度ではなく、何度も何度も。絶対に止めを刺すという意思表示が、人影の殺意の強さを物語る。


「うっ―――くっ、スレイン……貴方は、間違っている」


 赤い軌道を伸ばしながら階段を転がり落ちたエロンシャは、絶命の瞬間に呟いた。

 その声を聞いて、人影は嘲笑う。

 人影はその場を走り去り、やがて夜闇に溶けて消えていった。

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