52 ノーデンスの終着
真夜中だというのに、街の城壁を越えて草原の街道を走る馬車が一台在った。
貴族家の家紋が描かれた高級な箱車の向かう先は、新大陸第二の玄関口とされる港だ。
「ふざけている。どうして私がこんな目に!」
箱車の中で、ノーデンスが腹立ちまぎれに壁を殴る。
彼は当初、街の中に在る港から王国行きの船に乗ろうと考えていたのだが、港は捜査中の憲兵たちが監視の目を光らせており、どういう訳か船に乗る人間の身元検査までしていた。
そのせいで船に乗れず、仕方なく馬車を走らせて、街から遠く離れた資材輸出用の第二の港まで向かっているところである。
「まあ、いい。家の財産とギルドの金があれば、王都でいくらでも繋がりは作れる。出世の道を切られたこんな街など早々に捨てて、本国に帰れば良かったのだ」
復讐心がこの地に自分を縛り付けていたことを、ノーデンスは今になって自覚する。
だが当然、彼の性格上それで自分を省みる事は無い。
「北皇人と冒険者には二度と関わるか。アイツらのせいでひどい目に遭ったわ。思い出しても忌々しい!」
そうノーデンスが呟いた直後、箱車の右側面が爆発した。
「なっ、なんだぁー!」
強烈な衝撃を受けて、馬車が横転する。
「ひっ、ひぃいいいい。こ、攻撃を受けたのか? 魔物か?」
倒れた馬車から何とか荷物を抱えて脱出し、ノーデンスは怯えながら周囲を見渡した。
草原には野生の魔物がうろついているため、常に襲撃を受ける危険がある。
特に夜は魔物の活動が活発になるため、街道を使う事は本来避けなければならないのだ。
しかも馬車はそれほど街から離れてもおらず、襲撃の様子を見た門兵たちが助けに来る可能性もある。
そうなれば、ノーデンスが大金を持って高飛びしようとしていた事がばれてしまうだろう。
二重の意味で、ノーデンスは状況に追い詰められた。
「おい、御者! くそっ、気絶している。いったい誰がこのクソ重い荷物を運ぶんだ!」
気を失った御者にノーデンスが悪態をついていると、ふいに声がかけられた。
「この期に及んでも、自分が一番? そんなにお金が大事?」
声のした方向をノーデンスが見上げると、そこにエルドラが居た。
エルドラは横転した馬車の上に立ち、ノーデンスを見下ろす。
「おっ、お前は、確かフルシのパーティーに居た……」
「エルドラ。エルドラ・ノレントス・ノーリッジよ」
冷酷な口調で、エルドラは名乗る。その名を聞いた途端、ノーデンスは震え上がった。
「ノーリッジだと! 貴様っ、貴族院の刺客か!」
「まあ、確かに父は貴族院の議長だけれども、貴族院は貴方みたいな小者を相手に暗殺者は送らないわ。それより、貴方を殺すのにもっとそれらしい理由が在るでしょうよ」
どこか呆れた様に言葉を返すエルドラ。
ノーデンスは必死に心当たりを探し、そして一つの答えにたどり着く。
「……オムシグか! お、お前の祖父を殺したのは私ではない! 北皇人どもだ!」
「いい加減になさい!」
この期に及んで白を切るノーデンスに、エルドラが我慢の限界を迎えた。
ノーデンスの真横で、小規模の爆発が起こる。
「うああっ!」
髭を焦がしながらも回避し、ノーデンスは荷物を投げ捨てて逃げ出した。
エルドラは馬車から降りて、ゆっくりとした足取りで後を追う。
彼女が指を鳴らすたびに、ノーデンスの周囲で爆発が起こった。
爆風に煽られ、飛び散る土砂を被って、ノーデンスはボロボロになりながら地を這うように逃げ惑う。
「あはははははっ! 逃げろ逃げろ! 虫の様に地べたを這いつくばれ!」
エルドラの嘲笑が夜の草原に響く。
「や、やめてくれ! 助けてくれぇ……」
とうとう体力の限界を迎えたノーデンスは、地面にへばりついて命乞いをした。
そんなノーデンスを、エルドラは嘲笑う。
「お前がホランドやカリアビッチと共に悪事を働いていた事は、全部分かっているのよ。お前はクズだ。冒険者を下民と蔑み、自分の出世のためには平気で人を殺す! お前のような人間は、この世界に要らない!」
止めを刺そうと構えたエルドラを、突然横から現れた人影が制止した。
「駄目だっ、エルドラ!」
人影はレイズだった。
レイズはエルドラに掴みかかり、魔法の軌道をそらす。
ノーデンスの真横で爆発が起こった。
「ひぃいいいいっ!」
ノーデンスは頭を抱えて、恐怖に縮こまる。
「放して! どうして止めるのよっ! 貴方だって、父親を殺された恨みがあるでしょう!」
復讐の邪魔をするレイズに、エルドラは苛立ちを露にする。
「それでも駄目だ! こんな奴の為に、君に人殺しをさせたくはない!」
「黙りなさい! 偽善者!」
エルドラがレイズを殴った。
痛みに耐えてなお、レイズはエルドラを離さない。
「ぐっ……何と言われようと構わない。僕は止めるぞ。先代が君にそんな事を望むはずがないんだからな!」
「うっ……」
祖父の事を引き合いに出され、エルドラが躊躇った。わずかに怒りが引いて、冷静さを取り戻す。
二人がそんなやり取りをしている間に、ノーデンスはこっそりと逃げ出そうとする。
しかしその前方を、空から落ちてきた巨大な剣が遮った。
「うわああ!」
「おっと、どこへ逃げる気? あんまり往生際が悪いと、クーナが殺しちゃうよ」
しりもちをついたノーデンスが顔を上げると、地面に突き刺さった剣の上にクーナが乗っかっていた。
「クーナさんがお手を汚す事もありませんわ。こんな方はお父様の部下たちが、片付けてくださいますわよ」
どこからか現れたコーデリアが、冗談めかしてそんな事を言いながら、ノーデンスを見下ろす。
「エルドラを泣かせた貴方を、絶対に許しませんから」
ロネットも現れ、非難の視線をノーデンスに向けた。
「なっ、なんなんだお前たちは!」
突然現れた少女達に、困惑するノーデンス。
しかし彼は、直後により恐ろしい光景を目にする。
大地を揺らす大群の足音が、遠くから聞こえてきた。
「―――な、なんだこれは!」
ノーデンスは立ち上がり、驚愕する。
城門の方から冒険者の一団がやって来るのが見えたからだ。
その数は800人に近く、街の冒険者のほぼすべてがその場に居たのだ。
「ノーデンス男爵―――いや、『凪の雫』のギルドマスターよ。連盟の規約に基づき、貴方をお迎えに参りました」
一団を率いるリリィが、ノーデンスへ宣告する。
「き、規約だと?」
「おや、ご存じにならない? ギルドマスターだというのに?」
わざとらしく発されたリリィの問いに、ノーデンスは返す言葉も無い。
「この街の冒険者は、冒険者の名誉を傷つけた者を決して許さない。お前が父とリュートさん、そして先代を殺した事は証明できないが、この場に居る全員がそれを知っている。お前が敵に回したものの姿を見るがいい。これが、冒険者だ」
ノーデンスの背後から、レイズが言い放つ。
「わ、私はこれからどうなる?」
ノーデンスはレイズに訊ねた。
助けを乞うノーデンスの様子に嫌気がさし、レイズはかぶりを振った。
「僕は情報屋なので、ただで教える事は出来ませんね」
リリィの仲間たちがノーデンスの両脇を抱え、立ち上がらせる。
「さあ、一緒に来てもらおうか。なあに、殺しはしないさ。それよりもっと悲惨な事になるのは保障するがね」
残酷な笑みを浮かべたリリィを前に、ノーデンスは震え上がる。
800人の冒険者たちが、一斉にノーデンスを見ていた。その静かだが強大な威圧感を前に、ノーデンスは己の運命を悟る。
「や、やめろ! やめてくれ! 金ならやる! 誰か助けろおおおおお!」
「連れて行け」
騒ぐノーデンスは冒険者の隊列に呑まれ、城門へと運び返されていく。
その様子を見送って、エルドラは膝から崩れ落ちた。
「うっ、ううっ……」
顔を覆って嘆くエルドラに、レイズは寄り添い、謝罪した。
「ごめんね、エルドラさん。でも、君に仇討ちなんてさせたくなかったんだ」
エルドラは顔を伏せたままかぶりを振る。
「大丈夫よ。いいの。貴方を、恨んだりなんてしないわ……」
そう言って、涙を拭いて立ち上がると、エルドラはノーデンスへ向けて中指を立てた。
「ざまあみやがれ、ノーデンス!」