50 食人鬼の発生
憲兵隊基地の地下には、犯罪者の遺体を一時的に安置しておく場所がある。
そこには、ダンジョンから回収されたホランドの部下たちも運び込まれていた。
陽が沈んだ頃、誰も居ない地下室から突然叫び声が響いた。
それを聞きつけた憲兵の何人かは、怪訝な顔をし、そして恐怖に震える。
質の悪いいたずらだと笑った憲兵の一人が、施錠された地下室の扉を開いて下を覗いた。
「誰かいるのか?」
憲兵が地下の闇へそう呼びかけると、何かがその向こう側で蠢いた様な気配があった。
「なんだ?」
闇に目を凝らした憲兵は、次の瞬間には顔を吹き飛ばされて即死した。
ひっくり返った首の無い死体を見て、他の憲兵たちが身構える。
「うあああっ!」
「敵襲! 敵襲!」
途端、地下室から死人の集団が飛び出した。
数の暴力に呑み込まれ、憲兵たちは轢かれていく。
「こ、こいつら人間じゃない!」
憲兵隊が対峙したそれは、リビングデッドだった。
人間の死体から造られる兵器であり、人だけを殺す魔物である。
一度外に放たれれば、それは街を滅ぼす危険な存在だ。
◆
「ギルドマスター、大変だ! ゾンビが出やがった!」
ガーランドがそう叫びながら、血相を変えてギルドに飛び込んできた。
「……まさか、発生場所は憲兵隊の死体置き場とか言わないよね」
青ざめたミニケの発言に、ガーランドは頷いた。
「なんだ、もう聞いていたのか」
「レイズ!」
ミニケは焦った顔をこちらに向ける。
「クソッ、やはりいつも一手遅い!」
ついさっき、そんな話をしたばかりだ。ただの杞憂であったなら、どれだけ良かった事か。
ミニケは深呼吸して気を落ち着けると、顔を引き締めた。
「ゾンビの発生って事は、緊急対応の範囲ね」
「ああ。連盟が招集をかけた」
ミニケの確認に、ガーランドが頷く。
ゾンビは人に感染する呪いで、街存続の危機である。そういった魔物が街に放たれた時は、全ての冒険者が討伐戦に参加する義務が発生する。それをまとめたマニュアルを緊急対応と呼んでいるのだ。
「分かった。みんな、いったん集まって頂戴」
ミニケがロビーに居た冒険者たちに声をかける。
仕事終わりの時間という事もあって、冒険者たちがちょうど報告の為にギルドに集まっていた。
騒ぎを聞きつけてか、ロネットとコーデリアも二階から降りてくる。
ミニケはギルド各員に、それぞれ指示を出し始めた。
「ガーランドさんには組合の代表として、連盟会議に向かってもらいます。月が替わったから、今月の集合地は『真紅の同盟』だ。ボクはここに待機しているから、何かあればすぐに連絡を」
「了解した」
「エルドラは……いないのか。じゃあ、ロネットちゃんにはウチの冒険者を率いて、この地区の警戒に当たってもらう。最優先は住民の安全の確保だ。放送も流れるとは思うけど、外に出ている市民に、屋内へ隠れるように注意を促して」
「了解です」
「レイズの調査で分かった事だけど、そのゾンビは、例の北皇の残党が魔法で作り出した食人鬼である可能性が高い。みんな噛まれないように絶対に気を付けてね。それじゃあ、始めようか」
話の締めにミニケが手を叩き、それに追い立てられるようにして、冒険者たちは行動を開始した。
「ああ、ガーランドさん、ちょっと待ってくれ」
連盟会議へ向かおうとしたガーランドを引き留める。
「どうした、レイズ?」
「連盟会議に行くなら、一つ頼まれてくれないかな」
そう頼んで、手紙を渡す。たった今、大急ぎで走り書きしたものだ。
「僕からだと言って、リリィにこれを渡してくれ。それで伝わるはずだ」
「分かった。じゃあな」
信用してくれているのか、ガーランドは何も聞かずに頷いて出て行った。
「レイズ君、今のは?」
ガーランドが訊ねなかった事を、ミニケが不思議そうに訊いてきた。
「反撃――と言うよりかは、最後の抵抗かな。やられっぱなしじゃ悔しいからね」
あの手紙はホランドの計画に対する、僕の反撃の一手だ。
詳しく説明しようとした途端、ギルドにデイビスが駆けこんできた。
「レイズ!」
「デイビスさん、どうしてここに?」
「憲兵隊の基地からゾンビが出たのは聞いたな。それは全部、ホランドの部下たちの死体だった。お前さんなら何か掴んでるんじゃないかと思ってな」
「これだよ、デイビスさん」
情報を求めるデイビスに、僕は食人鬼の事が書かれた本を差し出した。
ミニケと同じように、一目見て顔をしかめた。
「ホランドは呪術師なんだ。おそらく、彼はダンジョンで事が失敗した時の保険に、二つ目の計画を用意していたんだろう」
「それがこの騒ぎか? 街ごと滅ぼすつもりか」
「そうなんだろうね。カリアビッチ曰く、彼は死に場所を求める狂った兵士で、この街を最後の戦場にしようと定めたらしい」
「冗談じゃない。そんなふざけた理由で、滅ぼされてたまるか!」
デイビスが怒りに叫んだ。
「同感だ。コーデリア、魔法の方はどうだい?」
端の方で待機していたコーデリアに魔法の完成具合を訊ねると、彼女は満足そうに頷いた。
「いつでも行けますわ。最高の仕上がりでしてよ」
仕事が早くて助かる。たった二時間で仕上げるとは。
だが、一つ困った問題が出来た。
「危ない目に遭わせるかもしれないけれど、ロネットが居ない以上は君に付いて来てもらう必要がある。頼ってばかりで申し訳ないけど、頼めるかな?」
「何を仰るのですか! 私のこの命、レイズ様に捧げるとお伝えしたはず。貴方様が望まれるのなら、どんな所へだって付いて行きますわ!」
心配する僕とは対照的に、コーデリアはやる気に満ちた顔でそう宣言する。
「ありがとう。じゃあ、行ってくるよ」
ミニケにそう告げると、少し不安そうな顔になる。
「クーナちゃんを助けに行くんだね」
「ああ。ミニケさんのおかげで、ようやく居場所の目途が立った」
ミニケに貰ったホランドの目撃証言は、分かり易い程に彼の居場所を示している。
ここ数日徹底的姿を隠していた彼にしては、らしくない事だ。
おそらくこれは、向こうからの挑戦状なのだろう。こちらから仕掛けて来いという、ホランドのメッセージの様な気がした。
「そうか。……ボクはここで君たちの帰りを待つ事しかできないけれど、その分ちゃんとずっと祈ってるから。必ず帰って来るんだよ」
普段は気楽に送り出すミニケが、今日だけは不安な顔をする。それだけ事態を重く見ているのだろう。
「ああ。絶対に帰って来るよ。だから、ここで待っていてくれ」
負ける気なんて端から無いけれど、それでも絶対に戻ってこようと心に決める。ミニケをまた独りになんてさせられない。
「デイビスさん、一緒に来てくれ。この騒動はホランドを止めればおそらく終わる」
「ホランドを捕まえに行くって言うのなら、もちろん付き合うさ。最初からそのつもりで隊も連れてきた。アイツにはやられっぱなしだからな。せめてこの手で捕まえてやりたい」
デイビスは気前よく頷いて、やる気を見せた。
ホランドを逮捕するには、どうしても憲兵隊の力が必要になる。僕が彼の優位に立つには、人数を揃えるしかないからだ。
「そういえば、さっきエルドラが来たぞ」
ふいに、デイビスが思い出したようにそう言った。
「エルドラさんが? どうして?」
「お前さんが使いに寄越したんじゃないのか? ギルド崩しの犯人が港から逃げるかもしれないから、見張っていてくれと言われたんだ」
デイビスも意外なという顔をして、そう返す。
エルドラの姿が見当たらないと思ったが、この混乱に乗じてノーデンスが逃げると考えたのだろう。
「……なるほど。彼女はそっちに向かったのか」
「どういうことだ?」
不思議そうにするデイビスに、僕はかぶりを振った。
僕に何も言わなかったという事は、エルドラなりに考えがあるのだろう。
今はそれに関わっている暇も無いので、彼女に任せる事にする。
「いや。なんでもないよ。ギルドの問題さ。僕らはホランドと片を付けよう」




