49 動き出す夜
コーデリアはロネットと共にギルドの一室に籠って、解呪魔法を作り始めた。
僕は少しでもホランドとの再戦に備えようと、コーデリアに貸してもらった北皇地方の魔法に関する書物に目を通している。
「まだ調べもの? コーデリアちゃんたちは、対策魔法の作成に移ったんでしょ?」
ミニケは気を遣ってコーヒーを持ってきてくれた。
彼女からマグを受け取り、一休みする。
「ああ、ホランドの使う魔法について知っておきたくてね。彼は相当な呪術の使い手だったらしいから。それに、雷撃魔法もなかなかのものだったしね」
「北国の呪術使いだっけ?」
「専門家のコーデリアに言わせると、大昔の闇の魔法なんだって。クーナさんに使われたのもその魔法の一種らしい。それで、少し気になる項目を見つけてね」
今読んでいた頁を開いて、ミニケに渡す。
「どれどれ―――食人鬼の作りの魔法? 死体を魔物に改造するのか。また醜悪な物を……」
ミニケが顔をしかめた。
食人鬼とは、人の死体を材料にして作る使い魔の一種である。
人を優先して襲い、襲った人間に呪いを感染させて同じ食人鬼にしてしまう事から、一度野に放つとネズミ算式に増えて行くため、とても危険なのだ。
事後処理の手間や、人道的な配慮から条約等で禁止され、今ではほとんど扱える者は居ないらしい。
「僕の考え過ぎなら良いんだけどね……」
杞憂と分かって居ても、ホランドの出自を考えると、この手の呪術には明るい可能性も捨てきれない自分がいる。
本に載っている魔法のほとんどは、単体の相手に対してのみ効果を発揮する呪いが多いが、この食人鬼の項目だけは明らかに集団戦向きだ。
味方を失ったホランドにとっては、今一番必要な魔法として挙げられる。カリアビッチ曰く、彼は戦争がしたいらしい。それならこれは十分使い物になるはずだ。
「どういう事だい?」
ミニケが怪訝な顔をした。そんな彼女に、僕は想像と言うにもお粗末な懸念を話す。
「ホランドの部下たちが死ぬ事にこだわった理由は、なんだったのかなって」
「おいおい。いくら夢想家の君だって、それは発想が悪趣味すぎるよ。彼らは亡き祖国の思想に準じて、この街で最後に一花咲かせようとしていたって話だろう? 色々自棄になっていただけじゃないのかい?」
予想通りの反応で、ミニケは戸惑った様子で苦笑した。
「だからさ。自分たちが死ぬ事まで織り込み済みだったなら――って、どうしても考えてしまうんだ。ホランドの計画はとことん詰められていたからね」
それこそが、僕がホランドを恐れる理由になっている。
僕が過去を暴く人間なら、ホランドは未来を見据える人間だ。僕はいつだって、彼が綿密に立てた計画を、後ろから追いかけているだけに過ぎない。
予測や対策、そうした先回りの行動がほとんどとれないのだ。
「でもこれって、広域に魔力を伝播する魔法だろう? ボクは全く詳しくないけれど、これって数人の魔法使いでようやく動かせる代物なんじゃないか?」
「普通ならね。でもここは、ダンジョンを中心にして造られた街だ。ダンジョンは何の収束点に立っているか、知っているかい?」
「ああ、地脈か!」
思い出したようで、ミニケが頷く。
この世に生きる全ての生命には少なからず魔力が生じる。それは草木や星その物も例外では無く、自然界にも魔力が循環する機構が存在するという。
それが地面の下を流れる魔力の流れ。地脈とも霊脈とも言われるそれは、魔力で満たされた川の様な物。
そして血管の様に張り巡らされた地脈の収束点の一つに、ダンジョンは生えている。新大陸のこの地域は、世界有数の地脈密集地でもあるのだ。
「魔法に心得のある者は、地脈から魔力を補充できる。ダンジョン内の魔物が地上の個体より強力で危険なのも、このせいだと言われている」
「じゃあ、ホランド一人で食人鬼は作れるの?」
「地脈の流れに沿って魔法を置く必要はあると思うけど、それで遠隔操作は問題ない。後は、彼がどれほどの魔法使いかによる」
ミニケも僕の杞憂の訳を、理解してくれた様だった。
「そんなに心配なら、明日憲兵隊へ行って、デイビスさんに確認取ってもらえばどうだい?」
「うん。ただ、心配なのは死んだ兵士たちじゃなくて、ホランドの方なんだ。彼はどうして、こうも日を置いたのかなって。僕はこの五日間、ずっとここで待っていたのに、彼は襲って来なかった。こんなに大きな隙を作っているのにね。それが気がかりなんだ」
僕の事を心配症とは言い切れないのか、ミニケは呆れた様な戸惑った様な、どっちつかずの顔をする。
「まさか、今もホランドがこの街のどこかで、魔物をせっせと製造してるって言うのかい?」
「だったら、マズいよね」
僕の方もただ、苦笑いくらいしか返せなかった。
◆
「これはマズいぞ!」
冒険者ギルド『凪の雫』の執務室で、ノーデンスは叫んだ。
彼は今、執務室の扉の前にバリケードを作り、部屋に立てこもっている。
というのも、とうとうしびれを切らした所属冒険者たちが、ギルドに押しかけてきたからだ。
絶えず扉をノックする音と、怒号の様な声が廊下から響いて来る。
「おいっ! 出てこいノーデンス! そこに居る事は分かってるんだ!」
「貴方ギルドマスターでしょう! 隠れてないで、ギルドの仕事をしなさいよ!」
「事務員が居なくて、誰が依頼の斡旋するんだ!」
「こっちは、組合費払ったばっかなんだぞ! 金返せ!」
ノーデンスの差配によって翻弄された冒険者たちの怒りが、炸裂する。
ギルドを移転するというのはそれなりに費用も掛かる事なので、彼らは安易にそれができず、ギルドに止むを得ず残った人々であった。
「駄目だ駄目だ駄目だ! このままじゃ、奴らに殺される」
絶えず聞こえてくる怒りの声に震え上がり、ノーデンスは部屋を飛び出す。
わざわざ外へ逃げた様に見せるために窓を全開にして、隠し部屋へと逃げ込んだ。
このギルドの施設は大昔に建てられたもので、その当時の世情を反映して、執務室には秘密の脱出通路があった。
「はぁ、はぁ、ひとまずこれで時間は稼げるだろう」
ノーデンスが隠し部屋へと逃げ込んだ直後、バリケードが破られて執務室の中へと冒険者たちが突入した。
「居ないぞ!」
「そんな馬鹿な!」
「外に逃げたな。探すんだ!」
壁一枚隔てた向こう側で、そんな声が聞こえてくる。
ノーデンスは再び安心を手に入れて、ほくそ笑む。
「ふっ、馬鹿者どもめ。隠し通路があるとも知らずに……」
彼は音を立てないように慎重に移動しながら、隠し通路を通ってギルドの一階へと移動した。
ノーデンスの目指す場所はただ一つ。ギルドの財産保管庫である。
「こうなってしまっては仕方がない。海を渡って王国まで逃げるか。カリアビッチが死んだとは言え、ホランドの奴が捕まれば、私との関係が漏れるのは必至。ここは大人しく、逃げるが勝ちだ」
業務が停止したのはほんの数日前の事なので、今のところギルドからの資金の出は全くない。
未だ金庫には、潤沢な資金が保管されていた。
ギルドの責任で仕事が停まった以上、本来はギルド側から冒険者たちに、失業手当として払わなければならない金である。
それをノーデンスは、全て自分の鞄に詰め込んだ。
「どうせ、このギルドはもうおしまいだ。野蛮人共にくれてやるくらいなら、貴族たる私が有効にこの金を使ってやろうじゃないか」
鞄二つ分にもなる大荷物を抱えて、ノーデンスは裏口から抜け出す。
「さあ、こんな街とはおさらばだ!」
勝ち誇った様な笑い声を上げて、彼は港を目指して走り出した。
◆
「デイビスという人はここに居るかしら?」
日が暮れてから、デイビスのオフィスに急な来客があった。
自分の名前が出た事でデイビスが顔を上げると、そこに見覚えのある魔法使いが居た。
デイビスはすぐに魔法使いの元へと向かう。
「確かレイズの連れの――」
「エルドラよ。実は、ある犯罪者について憲兵に通報したい事が在るの」
エルドラは真剣な顔で、デイビスにそう告げた。
通報と聞いて、デイビスも気を引き締める。
「何だって? 何かあったのか?」
「ええ。しばらく港を監視してほしいの。ある男が近々追い詰められて逃亡を図るはずだから。そいつはギルド崩しに関わった黒幕の一人で、殺人も犯している男よ」
「ホランドの事じゃないみたいだな。いったい誰の話をしている? どうして君は、それを知っているんだ?」
問い詰めるデイビスに、エルドラはかぶりを振る。
「詳しい事は、今は話せないの。ごめんなさい。こんな曖昧な話で」
要領を得ない内容で、とてもそれだけでは捜査に移れない様な話だった。
ただ、デイビスとしてはレイズのおかげでホランドの計画を阻止できた手前、彼の仲間であるエルドラの話を無視する事もできなかった。
「まあ、レイズの事もあるし話は信じるよ。港は朝の事件の関係で、しばらくは一課の憲兵が見張ってる。俺の方からも気を配るように言っておくよ」
「朝の事件って? 何かあったの?」
デイビスの返しに、今度はエルドラが怪訝な顔をする。
「なんだ、夕刊読んでないのか? カリアビッチの野郎が殺されたんだよ。おそらく、犯人はホランドだ。レイズに気を付けるよう言っておいてくれ」
「なんてこと……失礼するわ」
事件の話を聞いた途端、エルドラは顔色を変えて駆け出した。
「あっ、おい! ……何だったんだ?」
突然去って行ったエルドラの背を見送って、デイビスは首を傾げた。
◆
街中の廃屋で、ホランドは魔法の準備を始めていた。
床一面に描かれた円形の巨大な魔法陣の上で、ホランドは発動に使う触媒を撒いていく。
その様子を、クーナは離れた場所から静かに眺めていた。
「子供の頃、この魔法を祖父から教わった。その時は、一生使う事は無いだろうと思っていたのだがな。己の一生で何が必要になるかは、その時が来るまで分からないものだ」
ホランドは物言わぬ傀儡相手に、そんな教訓を語って聞かせる。
やがて準備は整い、ホランドは己の魔力を魔法陣へと注ぎ始める。
「眠れる同志たちよ、準備は整った。今一度戦争を始めようか」
ホランドの宣言と共に、魔法陣が怪しい光を放ち始めた。
それは太古の魔法。仲間の遺体を醜悪な人食いの怪物に変える、ホランドの最後の策だった。
読んで下さり、ありがとうございます!