c1 墓場にて
街の外れには唯一の墓地が存在する。
この街で亡くなった全ての人が、街を見下ろす丘の上に埋められるのである。
その場所へ、エルドラは月に一度訪れる事を決めていた。祖父の墓参りの為である。
先代のギルドマスターである彼が急死して以降、エルドラはこの一年間毎月欠かさずここを訪れている。
そんな彼女の事を、この墓の管理人は印象深く記憶にとどめていた。今時、こんなに熱心に遺族を弔う若者も珍しいと。
「おや、おじいさまのお墓参りですか?」
ある日の事、管理人はとうとう挨拶代わりに、そんな事をエルドラに訊ねた。
エルドラは見知らぬ他人にそんな事を指摘されたのがただただ驚きで、目を丸くする。
「ええ。まさか管理人さん、私の事を覚えていらっしゃるんですか?」
「そりゃあもう。毎月必ずお見えになるもんだから、自然と覚えてしまいましたよ。おじいさまも、貴方の様な優しいお孫さんがいて誇りに思っている事でしょう」
祖父想いの優しい孫なのだと、純粋にそう見ているだけの管理人は笑顔でそんな事を言う。
しかし、エルドラにしてみればそれほど純粋な思いばかりでないというのが、後ろめたい。
「そうだと嬉しいのですけど……」
薄っすらと微笑むエルドラに影がある事を、管理人は不思議に思った。
「祖父は誰かに殺されました。私はその犯人を見つけて、必ず償いをさせたい。けれどきっと、祖父はそんなことは望まないでしょう。だから私は、不孝者の孫ですよ」
エルドラは祖父の墓標に向かい、自身の闇を管理人に打ち明けた。彼が、他人だったからだ。身内にはむしろ打ち明けられない弱さだった。
強い女で居ようというプライドか、同じ怒りを抱えるガーランドやレイズに対する申し訳なさからか、もしくはその両方か。
復讐に対して迷いがある事を、とても身内に打ち明ける気にはなれなかったのだ。
エルドラは仇を取るつもりでいる。それはつまり、ノーデンスを祖父と同じ目に遭わせるという事。
レイズもガーランドも、そこまでやると知れば、エルドラを止めるだろうという事が分かっている。
だからなおさら言えなかった。
事情を知らぬ管理人は、そんな彼女に危うい気配を感じて心配になった。
「……事情はよく存じませんが、これからしようとする事を貴方が正しくないと思うのなら、それをする前に誰かに相談するとよろしい。友達や家族に、信頼できる人は居ますか?」
レイズ、ロネット、ギルドの信頼する仲間。色々と顔は浮かんだが、その全てをエルドラは否定する。
「……どうかしら。信じる事はできるけど、巻き込みたくはない人達よ」
「その人たちはきっと、巻き込んでほしいと思ってますよ。貴方が相手を想うのなら、相手も貴方の事をそう思っているはずだ。そういう人となら、大事な問題を一緒に考える事ができるはずですよ」
独りで抱えても良い事はないと、管理人は伝えたかった。エルドラもそれは理解している。ただ、それを実行するには、すでに強引な手を使いすぎた感が否めない。
彼女はノーデンスとフルシを追い詰めるために、無断でレイズやロネットを振り回してしまったという自覚があった。
「そんな資格ないかもね。私は、その人たちをすでに利用してしまったもの。巻き込み方としては最低だわ。けれど、忠告は覚えておく」
「忠告なんてそんな……ただの爺のお節介ですよ」
「ありがとう」
謙遜する管理人に心からの礼を伝えて、エルドラは墓地を後にした。
その背中を見送って、管理人はエルドラが正しい未来を選べる事を願う。
あのお嬢さんに何事も無ければ良いのだが……
けれど彼らはどこまでも他人で、管理人にエルドラを助ける事などできないのだった。
「ふぅ。そろそろ帰るかな……んん?」
エルドラと別れた後、点検のために歩いていた管理人は妙な事に気が付いた。
墓地の一角には一時的に遺体を置いておく地下施設が存在するのだが、その入り口から錠が消えていたのだ。
浮浪者が勝手に侵入しないように、その扉には錠前が付けられていたはずだった。
不審に思った管理人は、扉を開けて地下施設に入る。
魔石で光るランプを片手に、暗い地下へ降りていくつもりだったが、妙な事に地下室が明るい。
誰かが下にいる様で、照明が付けられていた。しかし、遺体が搬入されるという報告を管理人は受けていない。
地下には、見知らぬ男が居た。男は地面に何やら魔法陣を書いて、儀式の準備の様な事をしている様子だった。
「アンタら、そこで何をしているんだ!」
墓地の管理を長年していた彼には度胸があった。不審な男を前にして、勇敢にもそんな声をかけてしまう。それが管理人の命運を分けた。
「クーナ、そいつを始末しろ」
男が冷たく命じた直後、物陰から少女が飛び出した。角の生えた少女は、そのまま管理人を異常な力で押し倒す。
「ひぃいい……」
「お願い、逃げて!」
悲鳴を上げる管理人へ、拘束している側の少女がそんな言葉を向けた。
奇妙な事に、少女の方が苦痛に顔を歪めている。
「なっ、何なんだアンタら!」
「……嫌だ。クーナはもう、お前の道具じゃない。誰も、傷つけたりなんかしない!」
少女の叫びが地下に響く。その言葉は、男へと向けられたものだった。
男は手を止めて、面倒そうに二人の元へと近づいていく。
「チッ、意外と粘るな。昔より抵抗力が上がったんじゃないか? 離れている間に、人に寄ったか?」
「クーナは元々、人間だ!」
「もちろん。半分だけだがな」
管理人には、二人が何の話をしているのかさっぱり分からない。
ただ、男が少女に無理やりこういう事をさせているのだという事は理解できた。
少女の様子はあまりにも必至で、対して男の方は恐ろしいほど冷めていた。
「どけっ、クーナ。そのまま動くな」
男が命じると、少女は管理人を開放した。離れた少女はそれからすぐに、硬直した様にその場に止まった。
「だめ。やめて! 早く逃げて!」
少女が、男と管理人へ叫ぶ。
解放された時点で管理人は逃げ出していたが、地上にたどり着くよりも先に、男が追い付いた。
男の持ったククリ刀を目にして、管理人は死を悟る。
「待ってくれ。殺さないでくれ!」
「いいや、ダメだね」
命乞いをする管理人へ、男は容赦なく刃を突き立てた。
◆
手慣れた様子で、ホランドは最小の動きで管理人の急所を確実に潰した。
うめき声を上げて事切れた管理人の姿から、クーナは目を逸らす。
「どうして? なんでこんなひどい事をするの?」
クーナの言葉を、ホランドは嘲笑った。まるで酷い冗談を聞いたとでも言うように。
「酷い? はははっ、笑わせるな。お前だって、散々似た様な事をしてきたじゃないか! 忘れたとは言わせないぞ。お前は俺たちとあの革命の夜を戦ったんだ。反乱分子どもを、散々殺しただろうが」
ホランドは呪術で拘束したクーナの前に立ち、無理やり自分の方へと振り向かせた。
「目を逸らすなクーナ。馬鹿力を振るう事しか能が無かったお前を、そこまで育てたのは誰だ?」
「頼んでなんかない!」
「だが、拒絶もしなかっただろう。あの頃のお前はもっと素直だったよな。感情なんかまったくない、ただ殺す能力だけを備えた純粋な生き物だったはずだ。それが何だ、そのザマは。そんな仮面で自分を取り繕って、人に媚を売る。お前はそんな奴だったのかよ? 幻滅したぜ」
「幻滅してくれてありがとう。クーナはもう、戦争なんか絶対にしない。人も殺さない。クーナは人と生きるって決めたんだ!」
「だからカリアビッチを誑かしたのか? あの裏切り者に媚びを売って、アイツの奴隷になったか? それで俺を出し抜けると? 俺の元から逃げられると思ったのか?」
クーナを売り物にしようとしたのはカリアビッチの独断であり、むしろクーナは彼らからも逃げる気だったのだが、そんな事を今更訂正する気はクーナには無い。
今の彼女には、目の前の男に対する嫌悪感以外には何もない。
「クーナは、お前が嫌いだ。クーナを道具と言ったお前が、人殺しの兵器にしたお前が嫌いだ! お前から離れられるなら、奴隷に戻って誰に売られたって構わなかったさ!」
「半魔のお前に、それ以外何の価値がある? 奴隷商の間でたらい回しにされていたお前を拾ったのは俺だぞ? 俺だけがお前の可能性を役立てる道を用意できた。お前は戦闘の天才だ。ドラゴンの力は戦ってなんぼだろうがよ!」
互いに睨みあい、相容れぬ思想をぶつけ合う。
かつて自分の持ち主だった男の在り方を、クーナは全否定する。
「いいや。クーナはそんなこと信じない。クーナの価値は力じゃないって、レイズさんは言ってくれた。ミニケさんもロネットさんも、私の事を怪物みたいに扱った事はない。世界は、お前みたいなやつばっかりじゃないんだ!」
クーナの口からレイズの名が出た事で、ホランドの様子が変わる。
自分たちの計画を阻止した男に、彼は宿敵と呼べるだけの敬意と敵意を抱いている。だからだろうか。レイズの事を考えると、自然とホランドの口元が歪んだ。
「レイズか……あの男だな。俺たちの計画をここまで壊したあの冒険者。アイツは良い。俺の、俺たちの敵にふさわしい」
「あの人に手を出したら、絶対に許さないから!」
睨むクーナを見て、ホランドは更に愉快になる。
ホランドが知るクーナという少女は、こんな事を言う子供では無かった。
彼が言うとおり、かつて彼の元に居たクーナはドラゴンという性質にもっと従順な獣のような少女だったのだ。
それが大きく変化し、性格が人間に寄り始めていた。
「この短期間でそこまで人間に対する見方が変わったのは、あの男の影響という訳だ。愉快な話じゃないか。アイツはとことん俺の邪魔になっているわけだ」
自分が作り上げた兵器を壊された様で、ホランドは気分が悪い。しかしそれもまた、レイズという宿敵の存在が強くなっていくようで愉快でもあった。
「なに。俺から仕掛けなくても、アイツなら向こうからやって来るだろう。決着はついてないからな。それにお前もここに居る。呪隷紋が発動中の今、お前は俺から離れられない。お前を助けるためには、どうやったって俺の元に来るしかないのさ」
ホランドは地下に戻って、魔法陣に最後の文言を付け足した。
途端、青い光が魔法陣から放たれ、地下室全体を照らし出す。
「それは何?」
「霊脈だよ。この街の地下には血管みたいに魔力が走っている。そいつを拝借しているのさ。そう言えば、お前にこれは見せた事が無かったな」
ホランドが管理人の死体に呪いをかける。
彼が手から発した黒い光に触れた途端、死体の表皮に文様が浮かび上がり、死体がひとりでに立ち上がった。
「うっ……うぐぅ……オオオオォ!」
動き出した死体は不気味なうめき声を上げながら、意志もなく地下室を徘徊し始めた。
嫌悪感に顔をしかめて、クーナは状況の説明をホランドに求めた。
「なに、それ……」
「リビングデッド、ゾンビ、グール。まあ、呼び方なんてなんでもいい。いや、いっそここはお前と同じく死なぬ者とでも呼ぶべきか?」
ホランドの挑発に、クーナは殺意を向ける。
「そう睨むな。いつまでもそんな名前を使うお前にだって問題はあるさ。
俺の生まれた家は呪術師の家系でな。人を呪い殺したり、逆に呪いを消して人を助けたりもしたらしい。俺は殺しの道具としてこれを学んだ。その一つだ」
「死体を操るなんて、趣味が悪すぎる」
「中身の無いただの肉の塊だ。再利用したって誰も文句なんか言わないさ。こいつは軍隊として役に立つ。この霊園にある朽ちていない死体を掘り返して全て使えば、二十体近く用意できるだろう」
「それで街を襲うつもりなの?」
「そうさ。だが、こいつらはあくまでも予備だ。本命はすでに仕込みが終わっている」
ホランドは再びクーナの前に立つと、威圧するようにその瞳を覗き込んだ。
「なあ、クーナ、もう一度戦争をしようぜ。今度は国の内乱鎮圧なんてケチなやつじゃない。本物の侵略戦争だ」
「それに、何の意味があるの?」
問いかけをホランドは鼻で笑った。
「決まってるだろう。戦争を続けるためだよ」