33 魔物の正体
微かに攻撃の構えを取るホランドの後ろで、クーナは直立不動で佇んでいた。その様子があまりに虚ろで、彼女の心が消えてなくなってしまった様に見えて僕は恐ろしくなった。
「クーナさん、大丈夫?」
クーナが微かに反応を見せた。呪術で縛られているだけで、こちらの声は届いているらしい。
安堵する僕へ、ホランドは嘲笑を向ける。
「……反応したか。よほどお前は良い飼い主だったみたいだな」
「クーナさんを解放しろ」
僕の事をそんな風に呼ぶという事は、彼の中でクーナは奴隷の扱いという事だ。それが許せなかった。
「断る。コイツは俺が作り上げた中でも最高の戦士だ。手放すのは惜しい」
「戦士だと?」
「ハッ、カリアビッチから聞いていないか。奴隷商からこいつを買い上げて、戦い方を教えたのは俺だ。冒険者にしておくには惜しいくらい強かっただろう?」
確かに、僕がダンジョンでの立ち回り方を説明すれば、それをすぐに呑み込んだくらいには、彼女は戦い慣れている風ではあった。
素人の動きとは思えないそれを、僕は天才的な感性と認識していたが、僕と出会う以前にそういった経験があったのなら不思議ではない。
だが、それではどうにも話が噛み合わない。ホランドの話が本当なら、どうしてカリアビッチは彼女をオークションに出そうとしていたんだ?
「どんな事情があれ、お前にその子の意思を捻じ曲げる権利は無い。術を解け!」
気になる事はあるが、クーナの過去は今関係ない。はっきりと言えるのは、クーナがホランドの言いなりになって戦う事を望む様な子では絶対に無いという事だ。
分かれて行動していた憲兵隊が、残り二つの通路から現れた。
三方向からの攻めに、逃げ路を塞がれたホランドの部下たちは徐々に制圧されていく。
すでにウェンディッドも騎士隊長に連れられて避難しており、ホランドの計画は完全に潰れた形となっていた。
「……計画は失敗か。三年間の忍耐が、全て無駄になった。お前のせいでな!
キレ者なのか強運なのかは知らないが、どちらにしろ見事な手腕だ。故に、お前はたった今、始末するべき対象になった。覚悟しておけ。必ずお前を殺す。クーナが惜しければ逃げるなよ、レイズ!」
そう言い残し、ホランドが背を向けて逃げ出した。その後をクーナも追う。
「待てっ! ――くそっ!」
追いかけようとした僕の前に、ホランドの部下が立ちはだかる。
「そいつを逃がすな!」
ホランドの部下たちに襲われながらも、デイビスは憲兵たちへ指示を飛ばす。
しかし、立ち塞がった憲兵たちはクーナにことごとく吹き飛ばされ、ホランドはあっさりと脱出して通路の闇へと消えていった。
その後、僕らはかなりの時間をかけてホランドの部下を制圧する事になった。
一人一人が執念深く抵抗を続けたために、僕らは逮捕劇ではなく殺し合いを余儀なくされたのだ。
「捕まえられたのはたったの三人だけ。残りの奴は戦死か、自決だ。大した忠誠心だよ。ホランドって奴はそれほどの男かね」
拘束したホランドの部下たちを見て、デイビスはうんざりした様子で呟いた。
「彼らが忠誠を示しているのは、ホランドではなく祖国かも」
「どちらにしろ厄介だ。尋問しても何も話はしないだろう。……大丈夫か、レイズ?」
デイビスは、落ち込んでいる僕を気遣ってくれた。
「うん。大丈夫。クーナさんの事は心配だけど、ホランドの口ぶりからして、彼女に危害は加えないだろう」
アイツの悪事に加担させられているのは可哀想だし、すぐに助け出してあげたいが、今は追いかける手がかりも無い。
デイビスは任せろと言う様に、僕の背を叩いた。
「残ったのはアイツだけだ。必ず捕まえるさ」
「ああ。もちろんだ」
僕も気を取り直して、頷いた。
ホランドは僕と決着をつける気の様だし、近いうちに必ず姿を現すだろう。その時が来たら、クーナを救い出す。
「貴方がたは、英雄です。よくぞここまで、殿下を助けに来てくださった」
騎士隊長が僕らにそう礼を言いに来た。
「礼は必要ない。俺達は仕事のポカを清算しに来ただけだ。褒めるんだったら、コイツを頼む」
デイビスはそんな事を言って、僕を騎士隊長に突き出した。
「えっ、僕?」
「当たり前だろうが。俺達をここに連れてきたのはお前だろう」
どこか呆れた様にそう言って、デイビスは笑う。
「先の魔法障壁は本当に助かった。休息中であったため、魔法除けの防具一式を外していたのだ。直撃を受けていたならば、私の命は無かったであろう。礼を言う」
ウェンディッドまでが僕の前に来て、そう礼を告げた。
領主の子息から直々に感謝されて、思わず畏まってしまう。
「ああ、いえ。お怪我がなくて何よりです」
「それにしても、ボロボロだな。見たところ、探索は失敗したのか?」
僕とは対照的に、デイビスは随分と馴れ馴れしく騎士隊長へ訊ねた。憲兵の気質なのか、良くも悪くも畏れの無い人だ。
「ええ。情けない話です。本命の魔物には傷一つ付ける事も叶わず、その手下の捨て身の反撃に全滅寸前まで追い込まれ、こうして逃げてきたという訳です」
騎士隊長は奇特な人で、遥かに下の階級の兵士であるはずのデイビスの無礼にも顔色一つ変えず、そう返した。
「騎士たちの傷は主に裂傷と火傷の様ですが、ここに火属性の魔物が?」
僕は気になっていた事を訊いてみた。
この場で治療を受けている騎士たちの多くに酷い火傷の痕が見られたが、植物系魔物の縄張りであるはずのこの地域で、その手の負傷を負うのは珍しいと思った。
「いいえ。見た目はどう見ても植物の様でしたが……その辺りはフルシ殿から聞いた方が良いかと」
敵の正体についてよく分かっていない様で、騎士隊長は戸惑った様子でそう答える。
「―――フルシ? そう言えばどこに?」
その名を聞いて、彼の存在を忘れていた事に気づいた。というのも、ここに来てから一度も姿を見ていない。
「なんですとっ! いない! いなくなっている!」
騎士隊長は慌てた様子で周囲を見渡すが、結局フルシを見つける事は出来なかった。
「さっきの混乱に乗じて逃げたな……」
デイビスが苦笑して呟く。
「おのれ、あの男!……地上で会ったらタダではおかぬ!」
人の好さそうな騎士隊長が憤怒の形相で、地団太を踏む。フルシの奴、一体何をやらかした。
「その話、良ければ詳しく教えていただけませんか?」
「……もう、よいのだ。アストラが魔物となってしまった今、あれをどうにかしようとは思わない」
僕の問いかけに、ウェンディッドは意気消沈の様子でそう返した。
「アストラさんが魔物に? どういう事です?」
「それが―――」
戻って来た騎士隊長が、言いづらそうにしながらも事の顛末を話してくれた。
「アストラさんの顔をしたアルラウネに、爆発する眷属か…………確かそんなのがいたな。なんだっけな。うーん……」
そんな魔物に覚えがあるのだが、はっきりと思い出せない。こんな事は稀なので、よほどの希少種という事になるのだが。
「もう良いのだ」
諦めた様子でそう繰り返す殿下を、騎士隊長は説得しようとする。
「ですが、殿下。あのままではアストラ殿があまりにも……」
「あっ! 思い出した! ミミックだ!」
急に鮮明に、記憶が脳裏に浮かんだ。それが嬉しくて、つい声に出てしまった。
「ミミック? なんだそりゃ」
デイビスが怪訝そうに訊いてきた。
「プラントミミックと言う、とても希少な魔物だよ。以前五層で一度だけ遭遇した事がある」
「えっと、つまり我々が遭遇したのは、そのプラなんとかと言う魔物で、アストラ殿ではないと?」
騎士隊長の認識に、僕はかぶりを振る。
「いいえ。貴方達が見たのは、間違いなく正真正銘本物のアストラさんですよ。
プラントミミックは食人植物型の魔物で、人質を取るという変わった習性があるんです。弱った冒険者を捕まえて、それを囮にして他の冒険者を誘い出す。傍目にはその様子がアルラウネに見える事から、植物擬態の名が付けられた」
「では、アストラ殿はやはり……」
「いいえ。まだ希望はある。プラントミミックが人質を手元に置いておくのは約一か月。その間、人質が死んで腐らない様に仮死状態になる毒を注入し、同時にわずかな養分も分け与えるらしい。アストラさんがまだミミックから生えているように見えたのなら、助かる見込みはある」
「一か月を過ぎるとどうなるんだ?」
デイビスが重要な事を訊いてくれたので、僕は即答する。
「下の捕食器で食べられてしまう」
「すぐに、助けに向かおう!」
ウェンディッドが立ち上がった。
その姿はさっきとは打って変わって、やる気に満ち溢れている。今すぐ助けに向かえば救えると言われれば、誰だってそうなるだろう。
「殿下、復活なされましたか!」
気を取り直した騎士二人に、デイビスが現実を突き付けた。
「だが、返り討ちに遭ったんだろう?」
「うっ……確かに、我らに戦える力はいくらも残ってはいない。せめて、何か対策がとれれば良いが。何か、知恵はあるだろうか?」
助けを求める様な目を僕に向けるウェンディッド。
その姿が、クーナの身を案じている自分となんとなく重なって、放っておけなくなった。
「お任せを殿下。自分は一度、奴を討伐する現場に立ち会っています」
「おおっ! それは心強い。して、どの様にあの眷属を対処すれば?」
騎士隊長の問いに、僕は簡潔な答えを提示した。
「お二人とも、≪氷≫魔法は使えますか?」
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