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地図屋/監視塔

 フォーマルハウト地区と名付けられた魔界の一区画は、広大な荒野が延々と続く未踏地域過半の場所で、開発が進んでいない。どんな貴石が採れるのか、魔法資源と呼ばれる貴重な資源がどれだけ埋蔵されているのか、どんな魔物が出現するのか、あまり分かっていなかったが、地図屋の有村麒一郎がフォーマルハウトを拠点にしたということで、魔界関係者の多くが期待した。有村麒一郎という凄腕の地図屋が携わった場所は、その後数年間で急激な発展を見せる。神秘のベールに覆われていた魔界の未踏地域の全貌があっという間に明らかにされ、魔物の巣から人間の支配地域へと早変わりする。

 有村麒一郎が作成する地図はただの地図ではない。地形情報はもちろんだが、その場所に誰がいるのか、魔物が近づいてきていないか、どんな構築物があるかをも、その地図は記述する。リアルタイムで情報が更新されるので、それは地図というより超高性能レーダーとでも言ったほうがいいかもしれない。その場所に百台の監視カメラを仕掛けるより効率的だと、とある常連が言っていたらしい。

 これは有村麒一郎がセットしている「地形探査」スキルの効果だった。地形探査スキルは自分が踏破した場所を自動的に解析し地図に仕上げてくれる便利系スキルだが、グレードが上がれば上がるほど情報量が増える。Sともなれば、その地図上の場所をリアルタイムでモニタリングしているも等しい。これさえ持っていれば、魔物の奇襲を確実に防ぐことができ、生存率はぐっと上がる。有村麒一郎の地図を買った人間が、その地図上で亡くなったことはこれまで一例もない。多くの冒険者が麒一郎の地図を買い求めた。たとえ一枚数百万円したとしても、買わざるを得ない。命には代えられないからだ。


「地図屋……、と聞いたときは地味な印象を抱きましたが、凄いですね」


 僕は自分のかつての仕事の詳細を聞かされて素直にそう言った。教えてくれたのは雫石だった。


「地形探査Sをセットしている地図屋は、たぶん魔界でも数人しかいないと思います。日本人だと有村さんだけですね。地形探査スキルを宿した貴石がわりと珍しい部類というのもありますし、容量を戦闘スキル以外のスキルで圧迫するのは、結構勇気が要るんですよ」

「そうなんですか……」

「スキルには物理系、魔法系、技能系があると前に説明しましたよね。地形探査スキルは技能系スキルに分類されるのですが、技能系の容量の平均は15です。麒一郎さんはその倍以上の33。麒一郎さんは技能系の容量に余裕があるからこそ、地形探査Sをセットしてもまだ一定の戦闘能力を維持できていたんだと思います。スキルをSまで上げると、それだけで容量を11も食らいますからね……、その分効果は強力なんですが」


 たぶん褒められているのだろう。スキル容量は完全に才能の話だから、もちろん悪い気分はしないが、どこか他人事になってしまった。まだその意味するところをはっきりと理解していないからだろうか。


「……もし、そのスキルを全部僕が扱えたとして……。僕は地図屋を続けるべきなんでしょうか」

「いきなりは無理でしょうね……、ただ、技能系の容量が33を超える人間がさほど多くありません。誰にでも真似できるような仕事ではないことは確かです。麒一郎さんが地図屋をやめれば、業界全体に大きな穴が開くことになるでしょう」

「僕ってそこまで影響力のある人間だったんですか……!?」

「ええ。そうなりますね。当人はあまりそういう評判を気にしているような感じではなかったですが」


 話を聞くたび、記憶を失う前の有村麒一郎という人間は、僕と真逆の人間だった。本当は全くの別人なのでは。そう思うことも少なくなかった。

 僕はずっと気になっていたことを質問することにした。


「あの……、僕が記憶喪失になったのは、僕が突然暴れて他の人を傷つけたからですよね」

「ええ。そうですね」

「もっと詳しく状況を教えてくれませんか。どうも気になって仕方がないんです」

「うーん、まあ、そうですよね」


 雫石は苦笑した。しかし彼女はなかなか説明を始めてくれなかった。どうも躊躇しているようだった。僕は彼女の困ったような顔を見つめた。


「……今までは、本当にそれが自分のしたことなのか信じられなくて、あまり話を聞きたくなかったんです。でも、いつまでもそうは言ってられませんし……、やったことの責任を取るというのなら、状況を理解していないとダメですよね。負傷した方々に謝罪しにも行きたいですし」

「あー……、そうですよね。謝罪ですか。確かに必要ですね、うん」


 雫石は何度も頷いた。そして非常に言いにくそうにしていたが、


「いえね、状況を説明するのは簡単なんです。というか、本当に突然麒一郎さんが暴れ出したので、周囲の人間は何が起こったのか理解できなかったと思います」

「そ、そうなんですか」

「……ただ、これまで黙っていたことが一つあって。麒一郎さんに魔法をぶつけて昏倒させたのは私なんですよね」

「えっ」


 僕は驚いた。雫石は力なく笑みを浮かべている。


「謝るつもりはありません。ああするしかないとは思ってましたし。ただやっぱりちょっと気まずいですよねー……。あはは」


 僕は雫石が僕に優しくしてくれるのは、彼女本然の性質によるものだと思っていた。しかし僕に少なからず思うところがあったからなのだろうか。他に誰も僕の看病をしてくれなければ、傷つけた人間が看病をするのは自然な流れな気がする。雫石は医師だと名乗っていたが、それだけにしては親切過ぎると思っていたところだ。


「あの、雫石さんは悪くないですからね。僕に原因があるんですから、気にしないでください」

「気にしてませんよ?」

「なら、いいですけど……。本当ですか?」

「本当はちょっぴり罪悪感が。威力が強過ぎたのは確実なので」


 雫石は言う。


「ただ、魔界で発狂したり、犯罪行動に対する抵抗感を失ったりする人間は、珍しくないんですよね。あのまま放置していたら、他の方々があなたを殺しかねない状況だったのも確かです。私も、正直言って、咄嗟にあなたを殺すべきか拘束するべきか悩みました。殺したほうが手っ取り早いですし、手加減をして仕留め損ない、反撃を食らったらこちらの命が危ないですから。でも……」

「でも?」


 雫石は決然とした様子で言葉を放つ。


「麒一郎さんは優秀な地図屋でした。麒一郎さんがいなくなったら困る人が大勢いるな。そう思ったので生かす方向で戦いました。他の人はとどめを刺そうとしていましたが――特に負傷した方々と親しかった碓氷うすいさんはそうでした――それをなだめるほうが、麒一郎さんと戦うことより大変だったかもしれません」

「碓氷さん……?」

「碓氷夢路さん。負傷した恵良えらさん、大神田おおみだくん、京田ちゃんと一緒に、4人でチームを組んでいましたね」

「……碓氷さんは今、日本に?」

「いえ。まだこの砦にいますけど……。会いに行くのはやめたほうが……」


 僕はしかし、逃げてはならないことを知っていた。記憶がないということを免罪符にしていのか? 紛れもない、自分のした行いなのだから、きちんと向き合うべきでは? それに、記憶を取り戻すきっかけになるかもしれない。有村麒一郎という人間が粗暴で、自分勝手な人間だというのは分かった。今の自分とかけ離れていて、できればそんな人間に戻りたくないというのが本音だったが、今の僕はあまりに無知で、責任を取る方法もろくに知らず、ただ庇護の下でうじうじ悩んでいるだけ。そんな自分に耐え切れないというのも、僕の本音だった。


「雫石さん。会わせてくれませんか……、その碓氷夢路さんに」

「殺されるかもしれませんよ? 私が助けに入っても、止められるかどうか」

「助けはいりません。僕が僕の言葉で謝罪したいんです。ダメでしょうか?」


 うーん、と雫石は腕を組んだ。


「……正直言って、気が進みませんけど……。ただ、魔界で他人の行動を束縛するのはタブーとされています。健全でなくとも自由であれ。私の師である志知さんの言葉です」

「じゃあ……」

「せっかく必死に看病してたのに殺されたんじゃあ、ここ最近の私の頑張りがパーになるので、同席させてくださいね。碓氷さんはいつもこの時間、砦の監視塔にいます。一緒に参りましょう」


 僕は雫石に感謝した。雫石に苦労ばかりかけている現状に申し訳ないという気持ちが立ったが、これは必要なことだと僕は考えていた。記憶が戻ってから謝罪するべきではないかという気もするが、それまで碓氷の存在を無視してベッドの上でのんびりしているというのも違う気がする。難しいところだが、碓氷がどこか別の拠点に移動する前に会っておくべきだろうと思った。

 部屋から出た。僕の今の恰好は、有村麒一郎が持っていた着替えの中からチョイスしたものだった。彼は黒っぽい服が好みらしく、黒いジャケットに紺系のズボン、靴も黒だった。砦の中の通路を僕と雫石はゆっくりと進んでいく。

 監視塔は砦の南端の通用口から伸びた通路から階段を上がった先にあった。階段を上るのは、まだ体が本調子ではなかったので結構骨が折れたが、真理に課されたリハビリに比べればどうということはなかった。

 監視塔の頂上に到着する。胸壁に凭れていた長身の女性がいた。気配に気づき、すぐに振り返った。最初に雫石を捉え、次いで僕を見た。

 黒髪の長い若い女性だった。美貌の持ち主であり、風にコートの襟をなびかせているのが様になっている。彼女が僕を見た最初の表情は、敵意でも憎悪でもなく、恐怖だった。碓氷の顔が引き攣り、咄嗟に雫石を睨みつけた。


「……巴菜、どういうこと? 私がこいつと会いたいと言っても会わせてくれなかったのに」

「だって、碓氷さん、麒一郎さんを殺そうとしていたでしょう?」

「でも」


 碓氷はそこで改めて僕を見た。そして顔を顰める。


「貴石を返したの? つまりこいつは、今……」

「いえ。スキルを何も装備していません。協議で貴石はまだ返せないと決定したじゃないですか。全くの無防備状態です」


 碓氷はほっとした様子だった。そして舌打ちする。


「どういうつもり? 殺してもいいよってこと? だったらこの場で撃ち殺してここから地面に投げ落としてやるけど」


 碓氷が手をかざすと、そこに突然銃が出現した。何もないところから生まれたので僕は驚いた。碓氷が怪訝そうに僕を見る。


「……なにこいつ。雰囲気違うわね」

「あれ。言ってませんでしたっけ。記憶喪失になったんですよ、麒一郎さんは」

「記憶障害とは聞いていたけれど……。そんなに重度だったの? はん、自業自得ね」

「かもしれないです」


 雫石は頷いてから、あははと僕に笑いかけてきた。僕は一歩前に進み出る。


「あの……、碓氷さん」

「な、なによ。っていうか碓氷『さん』って」

「僕はまだ記憶を失っていて、数日前に何があったのか分かりません。分かりませんが、自分のしたことについて責任を取りたいと思っています」

「はあ?」

「謝罪させてください。あなたと、あなたと同じチームの方々に」


 碓氷は黙り込んだ。そして僕と雫石を交互に見比べる。雫石はにこにこしていた。やがて碓氷は舌打ちする。


「なにこれ。別人じゃない。なんだか気色悪いわ」

「ええ。ですね」


 雫石は同意する。碓氷は肩を竦めた。


「謝罪なんて求めてない。ただ死んで欲しい。それだけよ」

「他の御三方に謝罪してから、然るべき罰を受けます。それが死というのなら、仕方ありません。できれば死にたくはないですけれど……」

「はあ? だから、謝罪なんて求めてないって言ってるでしょ。あ、でも……」


 碓氷はじっとりと僕を見た。


「……カネと貴石。それで手を打ちましょうか」

「え?」


 僕はきょとんとした。雫石が前に進み出る。


「碓氷さん、それはちょっと」

「なに? 誠意はお金で示すものでしょうが。それにこれは私と有村の間での取引。部外者である巴菜には何の関係もないわ」

「今、麒一郎さんは正常な判断を下せる状況にありません。記憶喪失なんですよ? もっと言えば、記憶を失う前の麒一郎さんとは別人格です。今の麒一郎さんが差し出せる資産は、別人格の麒一郎さんが獲得したものです」

「だから?」

「今の麒一郎さんが自由にできる財産はほぼありません」

「はあ? 巴菜、あんた随分出しゃばりになるようになったわね。悪い人に騙されちゃいけないから、この人の資産は私が管理しますぅ~ってこと?」

「そんなムカツク言い方しないでくださいよ。でも、それで合ってます」


 碓氷は雫石と睨み合った。僕は自分が原因で二人が対立していることが耐えられなかった。二人の間に入る。


「ま、待ってください! 僕の為に争わないで!」


 僕は必死だった。だから咄嗟に、まるで恋愛漫画でヒロインが自分を取り合う二人の男性に向けて言う台詞のようなことを口走ってしまった。二人の女性は目を丸くし、それから噴き出した。


「あははは、麒一郎さん、なんですか今の。おもしろーい」


 雫石が大笑いしている。碓氷は数歩後ずさり、嘆息した。


「毒気抜かれちゃったわ……。あんた、本当に変わっちゃったのね。それともそれが本性ってこと?」

「ええと」


 僕は返答に窮してしまった。碓氷は僕を睨みつけ、肩をドンと押した。僕は為す術もなくよろめいた。

 碓氷は軽蔑したように僕を見る。


「……本当、寂しいくらいね。そんな腑抜けたツラして。前々から殺してやりたいほど憎らしかったけど、今のあんたのツラ、見てらんないわ」

「碓氷さん……」

「あんたの謝罪を受け入れる。そもそもあんたに怪我させられたのは私じゃなくて他の三人だし。だからもうここには来ないで」

「……すみません、分かりました。このたびは本当に申し訳ございませんでした」


 碓氷はそう口にした僕を胡散臭そうに見ていた。雫石に促されて、僕は監視塔から砦の中へと戻ろうとした。

 しかしそのとき、碓氷が激しく身動きしたのを気配で感じた。僕と雫石は全く同時に振り返った。

 碓氷が胸壁の上に上り、地平線の彼方を見つめていた。そして滑り落ちるようにして胸壁から降り、振り返った。その顔はさっき初めて僕の顔を見たときと同じ、恐怖の色に染まっていた。


「魔物……。魔物の気配よ。国定さんに伝えて。南方より魔物の集団が接近中」

「規模はどれくらいですか」


 雫石が言いながら地平線の彼方を見る。僕も目視で確認したが、荒野が広がっているだけで何も見えなかった。もしかすると碓氷は敵を感知するスキルでもセットしているのかもしれない。

 碓氷の顔は青ざめていた。


「先日の八倍……。八倍の規模よ。十数分後にはこちらに到着する」


 雫石の顔もさっと青ざめた。そんな表情の彼女を見たことがなかったから、僕は戦慄した。真っ先に雫石が言ったのは、


「砦を放棄しましょう」


 僕は事の重大さを思い知った。




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