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協議/売上

 真理はかわいい顔に似合わずスパルタだった。砦の中庭に引き出された僕は、リハビリと称して走り込みをさせられ、自重筋トレ、近くに生えていた木に登らされたりもした。すぐに息が上がり、眩暈を感じた僕はリハビリの中止を訴えたけれども、真理は冷たい眼差しで、


「私が骨折したとき、有村さんはリハビリと称して私をさんざんしごきました」


 と言った。近くで様子を見ていた雫石も苦笑しながらうなずいていたので事実らしい。有村麒一郎というのはとんでもない男だ。僕はつくづく思ったが、真理にとって僕と記憶を失う前の麒一郎は同一人物であり、その怒りを受け止められるのは僕しかいなかった。僕は覚悟を決めてリハビリという名の激しいトレーニングに挑んだ。

 その日の夜は、ろくに食事が喉を通らなかった。魔界にも朝と夜というものがあったが、砦の中は窓が皆無だったし、なぜか時計が極端に少なかったので、時間の経過を報せるものが自分の感覚しかなかった。僕の感覚からすれば早めに就寝し、早めに起きたのだが、目覚めたとき近くにいた真理によれば、目覚めたのは昼前だった。


「今日もリハビリかな」


 僕が力なくベッドから起き上がり言うと、真理は読んでいた本を閉じてかぶりを振った。


「いえ。それはやめておきましょう」

「そう? もう気が済んだのかな」

「今、砦のメンバーが協議中です。有村さんに貴石を返すかどうか」


 僕はその言葉に緊張した。貴石……、それさえあればスキルを使いこなせるようになる。今の僕は、自分で言うのもなんだが、無害な人間だ。他人を傷つけるようなことはたぶんない。しかし他人からすれば、あの凶暴な有村麒一郎が猫をかぶっているとしか思えないだろう。貴石を返して、また暴れられたら困る。そう簡単に貴石を返してもらえるとは思えなかった。


「……真理ちゃんは協議に参加しないの?」

「真理ちゃんなんて呼ばないでください。そうお願いしたのをもう忘れたんですか。まさかそれも記憶喪失だと主張するつもりです?」

「あ、いや、ごめん」


 僕は素直に謝った。真理は拍子抜けしたように嘆息した。どうも真理はまだ僕の態度に慣れていないようだった。あえて態度を厳しくしようとしているが若干空回りしているような。


「……協議には参加しません。私は有村さん寄りの人間ですから」

「そうか。きみは僕の弟子だったんだよね……」

「確かに私は有村さんの弟子のような存在でしたが、有村さんは私を弟子とは呼ばなかったです。部下、と言っていました」

「部下か。なんだかビジネスライクな呼び名に感じちゃうな」

「実際本人はそんな感覚だったんじゃないですか? どうでもいいですけれど」


 真理はつれない。僕はそんな彼女の固い態度を虚勢のように感じていた。自分の気持ちをなだめるために、わざとそんな冷たい態度を取っているのではないか。僕が彼女の態度に苛立ち、怒りだすのを待っているかのようだった。もしかすると、僕は彼女の要望通り、ちょっと怒ったフリをするべきなのかもしれない。そのとき彼女がどう反応するかは分からないけれど。

 しかし僕はどうしても目の前の少女を怒る気になれなかった。憐れみのほうが先に立つ。彼女が無理をしているのが分かるから、どうしても過去の自分を責めるほうに僕の思考は動いてしまう。

 僕と真理はそれからぽつぽつと雑談をしていた。たぶん真理も、砦の人間が協議中で邪魔できないから暇なのだろう。僕は彼女と仲良くなりたかったが、彼女のほうはできるだけ距離を保ったまま、僕がかつての有村麒一郎のような粗暴な態度を見せるのを待っているように思えた。

 昼食の時間になると真理が食事を持ってきてくれた。濃厚なソースがかけられた肉料理、野菜がたくさん入ったスープ、サーモンっぽい魚の蒸し煮など。僕はふと気になって、


「この料理は誰が作っているの?」


 と疑問を口にした。真理は何でもないように、


「私が作りました。あなたに料理スキルをセットしておくように言われたので。砦に私がいるときは、大抵私が料理番です」

「料理スキルなんてものもあるのか。ふうん。食材は日本から持ってくるの? それとも現地調達?」

「日本から食材を持ち込めるのは、魔界ポータルにある大要塞だけでしょうね。普通は現地調達です。主に魔物の肉ですね」

「魔物って食べられるの!?」

「普通は食べられません。ただ、狩猟スキルを持っていると、調達した魔物の肉が可食になります。採取スキルを持っていると、本来猛毒の魔界の植物も食べられるようになりますし」


 なんだそれは。狩猟スキルを持った状態で魔物を倒すと、たちまちその魔物の肉が食べられるように変化する?


「……ねえ、それってどういう原理なのかな」

「分かりません。そういう効果があるとしか。家電がどういう原理で動いているのか、正確に理解している人間は多くないと思いますが、誰だって使えるようにデザインされているものでしょう。スキルも、貴石を解析して、誰でも使えるように加工を施されています。効果が不明のもの、動作が安定しないもの、役に立ちそうにないものは弾かれ、一般の冒険者が入手できないようになっています。原理はともかく、魔物の肉が食材になるスキルが存在し、その効果は保証されている、それだけで十分だと思います」


 真理のその理路整然とした言葉に僕は頷くしかなかった。確かにそうだ。原理を理解しているのは、そのスキルを解析し、世の中に供給している人間だけでいい。現場の人間は正しい使い方だけ理解していればいいのだ。


「しかし、料理スキルかあ。そんなものがあれば、日本で料理屋を開いて生計を立てるのも楽なんじゃないかな」

「できませんよ」

「え、どうして」

「スキルの効果が出るのは魔界だけです。私たち魔界の冒険者は、日本に帰ったら普通の人間と同じですよ」

「え……。そうなの? それはどういう原理で?」


 また原理とか言ってしまった。真理が怒り出すかと思ったがそうでもなく、むしろ少し誇らしげに、


「魔界にはエーテルがあるからです」

「エーテル?」

「はい。魔力の伝導物質と言われているものです。この存在を予見したのは19世紀の物理学者で、貴石が持つ不思議な力を物理学で記述しようとしたときにどうしても必要になる仮想物質でした。地球上にはごく微量しかないのですが、魔界には隙間なく充満しています。昔から、ときどき人間は魔界に渡って、魔界にある貴石を採掘して持ち帰ってくるのですが、その貴石のパワーは時間の経過と共に減衰してきました」


 真理は歴史のレクチャーを始めてしまった。どうせ暇だったので僕は静かに聞いている。


「昔の人は、単に貴石に含まれる何らかの物質が、不思議なパワーを発揮するとともに消耗しているだけだと考えていました。しかしそうではなく、エーテルがないと貴石がうまく力を伝える物質がなく、効果を発揮できないだけでした。事実、貴石をもう一度魔界に持ち帰るだけで、たちまち効果が復活しました。20世紀になってエーテルを採取・保存できるようになると、地球にエーテルを持ち帰り貴石を恒常的に利用できるようにはなりました。ただ、体内に貴石を埋め込んでいる場合は、人間がエーテルを吸気して貴石にエーテルを送り込む必要がありますが、新鮮でないエーテルは人体に有毒であることが知られています」

「新鮮……?」

「はい。魔界にあるエーテルがいったいどこから補充されているのかは謎ですが、魔界から持ち出したエーテルはどんどん劣化していくのが普通です」


 なるほど……。魔界で戦う人間はスキルで肉体を強化したり、魔法を使えたりするが、日本に帰ったらその超人ぶりはなくなってしまうということか。残念な気もするが、これのおかげで色々と面倒事を回避できるとも考えられるわけで、むしろ日本社会にとっては良かったと言えなくもない。


「料理スキルがあると、料理が上手くなるの?」

「いえ。火がなくても肉に火が通り、包丁を使わずとも良い具合に切り分けられ、なんかいい感じの調味料が加えられるものです」

「いい感じの調味料……? なにそれ」


 全くイメージできない。今僕の目の前にある料理は、結構手間暇かけられた料理に見える。


「……じゃあこの料理はどんな感じに作ったの?」

「食材がごちゃまぜに入れられた袋を掴んで」

「掴んで」

「料理になれと念じ」

「念じ」

「完成です」

「……マジで?」


 とんでもなく便利だが、それだと完成した料理の盛り付けとかはどうなるんだ。皿とかは別途用意するのか? それとも皿ごと出現してそのまま食べられるようになっているのか? やはり全くイメージできない。真理はそんな僕の様子を面白く思ったのか、


「じゃあ、今日の夕飯を作るところを、見学しますか」

「え。いいの」

「いいですよ。どうせ数十秒の作業です」


 少しわくわくした。今日の夕飯をその場でリクエストできたりするんだろうか。僕はそんなことを考えながら昼食を摂った。

 食事を終え、昼食で使った食器を真理が下げている間、僕は一人だった。ドアが開いて真理が帰って来たのかと思ったが、じゃらじゃらというガラスが鳴る音が聞こえてきた。雫石が纏うアクセサリーの音だと気づく。ひょっこり顔を出した雫石は、不気味なほど笑顔だった。


「麒一郎さん! 麒一郎さん! 嬉しい報せですよ!」

「雫石さん。おはようございます」

「おはようございますっ! グッモーニンっ!」


 雫石は部屋に入りドアを閉めてベッド近くの椅子に滑るように腰かけた。ベッドの上の僕に詰め寄る。


「な、なんですか、雫石さん。テンション高いですね」

「嬉しい報せです、麒一郎さん! 麒一郎さん!」

「嬉しい報せ……? 何ですか。スキルを返してもらえる、とか」

「あ、それはダメでした。信用できないってことで」


 雫石は真顔になって言った。僕はきょとんとした。


「だ、ダメでしたか……。まあ仕方ないですよね」

「ええ。でも嬉しい報せがあるんですよっ!」


 僕には嬉しい報せと言われても想像できなかった。想像するだけの材料がないのだから仕方ない。魔界における嬉しい報せと言えば? と聞かれても、ベタな答えさえ思い浮かばないのだから、推測なんて不可能だ。


「なんですか。嬉しい報せというのは。生き別れの妹が見つかったとか?」

「え。麒一郎さんに妹なんていたんですか」

「いや。たぶんいないですけど……」


 雫石はふくれっ面を作った。


「麒一郎さん、こんなときに意味のないジョークを言わないでください。もう」

「す、すみません……」


 僕は一応謝ったがちょっと納得いかなかった。


「それで嬉しい報せというのは? もったいぶらないで教えてください」


 雫石はむふふと笑った。


「売れたんですよ。地図が」

「地図?」

「ここフォーマルハウト地区の地図です。かねてより麒一郎さんが取り組んでいた仕事で、買い手なんてつくのかな、なんて私は皆と話してたんですが、いやはや私が節穴でございました!」


 一本取られた、という表情をした雫石は、ひたすら陽気だったが、僕にはよく分からない。


「地図ですか。そういえば僕って魔界の地図屋だったんでしたっけ? そんなことをちらりと言っていたような」

「そうですそうです。もう、麒一郎さん、商品が売れたんだからもっと嬉しそうにすればいいのに!」

「とは言っても……。よく分からないです」


 どうして地図が売れたくらいで騒いでいるんだろう。僕はきょとんとしていた。鼻息荒く雫石は言う。


「今回は七枚売れました。一枚800万なので、5600万の売り上げですね!」

「は!?」


 僕は思わずベッドの上で立ち上がりかけた。あまりに急に動いたので背骨がベキボキ音を鳴らした。


「800万って……、なんですかそのぼったくり!」

「価格設定はあなたがしたんですよ~。覚えてないんでしょうけど」

「いやでも……」


 とても地図の値段ではない。僕は混乱の極致にいた。一枚8万円でも高い。いったいどんな商売をしていたんだ僕は。


「いやあ、素晴らしい地図だ」


 野太い男の声が通路からする。僕はぎょっとした。ゆっくりと部屋の扉が開き、横幅と縦幅が一対一の巨漢がのっそりと姿を現した。

 男はベッドの上の僕に恭しくお辞儀をした。僕は唖然とするしかない。

 男は贅肉の中に埋没する顔をゆがませ、おそらくはにこりと笑んだ。


「あなたがかの有名な有村麒一郎氏ですね。お目にかかれて光栄です。おれは冒険家の乙川おとかわ制司せいじと申します」

「あ……、どうも、有村です」


 乙川は部屋の中に入ろうとしたが、あまりの巨体に入り口でつっかえた。そして困ったように頭を下げた。


「失礼。部屋を壊すわけにもいかないのでここで挨拶させていただきます。いやあ、有村さん、感動しましたよ」

「感動ですか」

「凄まじい精度の地図です。これならフォーマルハウト地区を網羅するのは簡単でしょう。私のチームがこの地区を発展させてみせます。プラント建設まで五年ってところですかな。ふふふふ」


 僕はきょとんとしていた。乙川はもう一度お辞儀をしてのっしのっしと去っていった。僕はまだにこにこしている雫石に顔を向けた。


「……あのー」

「ああ、麒一郎さん。おっしゃりたいことは分かります。分かりますよ。ああ見えて乙川さんは有能なので、ご心配なく。魔界でも指折りの開発業者です」

「いや、それはいいんですけど……、プラントって何です?」

「魔界には貴重な資源がたくさん眠っていますからね。それを掘り起こす施設のことですよ。あるいは特定の魔物を養殖する場合もありますが、大抵は貴石集めが目的ですね」

「はあ……?」


 魔界はもっと恐ろしい場所だと思っていたが、思ったより開発が進みつつある場所なのかもしれない。人の手が入ると途端に「征服感」が強くなる。魔物が跋扈する恐ろしい世界をも人間が克服しようとしている。先日砦に死人が出たというのに、それでも人の歩みにブレーキがかかることはない。

 これが日本なら死人が出た時点で何らかのブレーキがかかるはず。それがないということは、魔界はまさに無法地帯、実力のない人間が生きていける世界ではない。僕は5600万円という売り上げに面食らいつつも、地図屋がどんな職業なのかおぼろげながら理解しつつあった。

 地図屋は危険な魔界の未踏地域に真っ先に乗り込み、地形情報を集めるクレイジーな職業だ。雫石は地図屋を「冒険者の中の冒険者」と言っていたが、まさしくそうだろう。僕はたぶん地図屋にはなれない。そう直感していた。









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