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砦/戦死者

 僕はしばらく部屋の中でじっとしていた。眩暈が治まったのでベッドに腰かけ、誰かが部屋に来ることを期待していた。しかし、砦の揺れがなくなってからというもの、物音が一切しなくなり、人の気配も皆無だった。

 部屋の中に時計はなく、僕はどれだけ時間が経過したか分からなかった。質素な病衣を着ていた僕は、着替えることもできないまま、部屋の外に出ることにした。

 扉を開けて廊下を覗くと、石造りの回廊が続いていた。据え付けられた扉は全て閉め切られ、依然人の気配がなかった。みんなどこへ行ったのだろう。戦闘は終わったのだろうか。静けさが怖かった。

 僕は壁に手をつきながらゆっくりと歩き始めた。砦の構造が分からないので、迷子になる可能性もあったが、どうにもじっとしていられなかった。

 廊下を進み、途中あった階段を無視してずんずん奥へと向かった。窓も何もないので石造りの天井と壁に囲まれて閉塞感が酷かった。やがて人の話し声が聞こえてきて、一瞬安堵したが、すぐに緊張した。

 声は泣き叫んでいた。悲嘆の色が濃いその声は、あろうことか僕の名前を呼んでいた。


「どこにやったんだ、有村の野郎を! どこに隠した!」


 しゃくりあげながら言うその男の声。涙を流しながらも喉が許す限りの大音声で僕の名前を呼んでいる。有村という苗字の人間が他にいるんじゃないか、なんて馬鹿な期待を僕はかけた。そんなことを考えてしまうくらい、僕はこの場から逃げ出したかった。誰かの怒りを真正面から受け止めて平然としていられるほど、今の僕は図太くなかった。


「麒一郎さんは関係ないでしょう」


 誰かが男の声に応じている。しばらく分からなかったが、雫石巴菜の声だと遅れて気づいた。先ほど聞いた声に冷たさが加わっていたので分かりにくかった。


「雫石さん! あんた、あの男を庇うっていうのか!」


 男は信じられない、と言わんばかりに言う。僕はゆっくりと歩き、広間のような部屋に辿り着いた。そこで8人ほどの男女が輪を作って話し合っているようだった。ちょうど僕が通ってきた通路を迎える形で雫石巴菜と目が合った。僕がここに来たことに気づいたのは彼女だけのようだった。雫石は赤いフレームの眼鏡の奥にある大きな目を何度か瞬きさせ、そしてふっと息を吐いた。


「庇う? 彼を? 事実を述べているだけですよ、剣持さん。あなたのパートナーが死んでしまったのはお気の毒ですが、麒一郎さんの過失ではありません」

「何を言いやがる! あの男がいなければ、この砦がここまで手薄になることもなかった! 魔物相手にもっと余裕を持って戦えたんだ!」


 死んだ? 僕はその単語に衝撃を覚えた。そして目を凝らすと、輪を作っている8人は何かを囲んでいるようだった。布をかけられたそれは、もしかすると誰かの死体なのか。胸の鼓動が強くなる。心臓の音がどんどん大きくなり、それはやがて轟音となって僕の鼓膜を叩く。男と雫石の会話が聞こえなくなるほどだった。

 深呼吸を繰り返している内に胸の騒音は止んでいった。落ち着くのに時間がかかってしまった。僕が自分のことに集中している間に、8人の男女のほとんどが僕がそこにいることに気づいたようだった。僕がいることに気づいていないのは、剣持と呼ばれていたあの激昂する男だけ。

 雫石は嘆息する。


「剣持さん、魔界では人の生き死になんて日常茶飯事です。誰かの所為にしたくなる気持ちも分かりますが」

「いいや、分からない! 雫石さん、有村を拘束している部屋を言え! 言うんだ、あいつを殺してやる!」

「冷静になってくださいよ。殺してやると言われて、はいどうぞと教えられるわけないでしょう。それに……」


 雫石の視線が露骨に僕を捉えた。他6名の同席者も同様だった。息を荒げた剣持が不審げに振り返る。そして僕を見つけた。壁にもたれ、青ざめた顔をしているであろう僕を睨みつけた剣持の眼は、存外理性的だった。

 いや、恐怖、とでも言うべきだろうか。殺してやると息巻いていたくせに、その場から彼は動こうとしなかった。僕が突っ立っているのを眺めて、息を荒くつきながら、ただ僕の反応を待っている。


「……剣持さんが冷静な方で良かった。ふふ」


 雫石はぽんと剣持の肩に触れた。彼は打ちひしがれたように肩を震わせる。


「遺体を日本に持ち帰りましょう。砦の守りが手薄になりますから、本土から何人か援軍を要請しましょうかね。剣持さん、彼女のご遺族の連絡先をご存じですね。任せてもいいですか」


 剣持はうなだれていた。体が震えている。


「美咲は……、魔界に潜ってまだ半年だぞ。反対する彼女の両親を説得したのは俺だ。なんと説明すればいいんだ……」

「半年前、あなたがどんな説明をなされたのかは知りませんが。魔界とはそういう場所でしょう。むしろ、無事に日本に帰還できることを幸運だと思ったほうがいい。……私がご遺族に説明申し上げても構いませんが」

「……いや。俺がする。遺体を持ち帰るのも俺一人でやる」


 剣持は一瞬僕を見た。しかしそれきり、僕のほうを二度と見ようとはしなかった。僕は壁にもたれたまま、彼の動きをじっと見つめていた。よく事情が呑み込めないが、悲劇が起こってしまったことは事実のようだ。彼女の死の遠因が僕にあるのなら、無関係な風を装ってはいられない。

 雫石がゆっくりとした足取りで僕のほうに歩いてきた。その後ろには僕の部下だった神代真理もついてくる。


「ご加減はいかがです、麒一郎さん。一人にしたまま放っておいたから、痺れを切らしましたか」

「いえ……、はい。そうですね」

「あら、以前の麒一郎さんなら『ふざけろメガネ、減らず口はよせ』とか言ってきたと思いますけどね。ほんと、調子が狂ってしまいます」


 雫石が真理のほうを見て「ねえ?」と同意を求める。真理はぎこちなく頷いたが、麒一郎のほうをはっとして見た。しかし僕が苦笑しているのを確認すると、いくらか表情が和らいだ。


「……あの、人が死んだって……」

「あ、やっぱり聞いてました? できれば聞かせないようにしたいと考えていたんですが……、いえ、以前の麒一郎さん相手ならむしろどんどん聞かせて反省しろー反省しろーと訴えてたところだと思うんですが、今の麒一郎さんは繊細な好青年って感じなので、必要以上にショックを受けやしないかと危惧していたんです」


 茶化すように雫石は言う。人の死に関わることでそんな軽い口調で言うなんて、彼女の気持ちが分からなかったが、魔界では日常茶飯事とさっき彼女は言っていた。慣れっこなのかもしれない。


「誰が、死んだんです。僕の所為とか言っていましたが……」

「亡くなったのは武東美咲さん。結構なお金持ちらしくて、武器習熟系スキルのハイグレードを三種揃えてましたね。相当な手練れだったんですが、まあ死ぬときは死にますよね」


 武器習熟とかハイグレードとか言われてもよく分からないが、雫石が何でもないように言うので、僕はただ頷くしかなかった。


「さっきも話しましたが、麒一郎さんが暴動を起こしたとき、負傷した人間が何人かいて、日本に送り返されたんですよ。補充人員ゼロなので、その分守りが手薄になったというわけです」

「それって、やっぱり僕に原因が……」

「いえいえ。手薄になったと言っても、9人もいたわけですからね。防衛戦力としては十分です。ただ、さっきの襲撃がわりかし大規模なものだったので、犠牲者が出てしまいました。これほどの規模の攻勢は、年に一度あるかないかってところです」


 いや、やはり、僕が暴動なんて起こさなければ砦の守りはより堅牢で、犠牲者は出なかったかもしれないじゃないか。僕は雫石のようにあっけらかんとはしてられなかった。

 それより、と雫石が詰め寄ってくる。


「そういえば体は大丈夫なんですか? 詳しく診察する前に呼び出されてしまったので、麒一郎さんがどれだけダメージを受けているのか把握していないんですよね」

「ええと、何とか歩ける程度には元気ですが」

「壁によりかからずに歩けていたら、こちらも安心していられるんですけどね」

「すみません……」

「しばらく安静にしてもらいますよ。さあ、部屋に戻りましょう。肩を貸しますよ」

「申し訳ないです」

「あっ、もしかして、私に肩を貸してもらって密着するためにここまで来たとか? あはん、麒一郎さんったら!」

「……はあ……?」


 雫石はふくれっ面を作った。


「昔の麒一郎さんなら言い返してきたのに、つまらないの。まあそういう反応も新鮮で面白いと言えば面白いのかな」

「一人で歩こうと思えば歩けますけど」

「あっ、冗談ですって! 冗談! 肩貸しますよ、無理しないでくださーい!」


 不必要に明るい雫石に違和感を覚えつつも、僕は彼女の肩を借りて歩き始めた。驚くほど雫石は力強い体をしていて、その華奢な見た目からは想像もつかないほど安定していた。たぶん、僕を担ぎ上げて移動するのも容易いだろう。僕をこうして歩かせているのも、もしかするとリハビリがもう始まっているからなのかもしれない。


「あの……、一つ聞いていいですか」

「一つで良いんですか? 100個くらいまでなら付き合いますよ」

「じゃあ、最初の一つ……。剣持さんは僕を殺すと言っていましたけど、実際に僕を見ても襲ってきませんでしたよね」

「ああ、そのことですか」

「僕にはどうしても、あのときの彼の言葉が虚勢だったとは思えないんです。本気で僕を殺したがってた。それほどの迫力がありました」

「実際、そうでしょうね。剣持さんは麒一郎さんを殺したいほど憎んでいると思いますよ。麒一郎さんからしたらいい迷惑でしょうけど」

「いえ……。でも、僕を見て一気に怒りが萎んでいったような……。何か理由があるんでしょうか」


 雫石は腕を組む。考えるフリをしているが、彼女は最初から答えを持っている気がした。


「うーん、たぶん、びびったんだと思いますよ」

「びびった? 僕にですか」

「麒一郎さんは魔界冒険者の中でも相当強い部類ですし、何より対人戦でも容赦ないですからね……。売られた喧嘩には応じる、そして半殺しの目に遭わせる。それが私の知っている有村麒一郎という男です。さすがに殺人まではやったことがないようですが」

「は、半殺し……。僕ってそんな暴力的だったんですね」


 何度聞かされても違和感しかない。僕がそんな野卑な性格だったとは信じられない。今の僕はなよなよしていて、とても他人を傷つける気になんかなれないというのに。

 雫石は僕の歩調に合わせながら、優しい声で、


「でも、今の麒一郎さんは優しそうですよね。記憶が戻っても、今の麒一郎さんが綺麗さっぱりいなくなるとは思えないですし……、これを機にあの悪魔のような麒一郎さんが浄化されることを望みます」

「浄化って……」

「というか今の麒一郎さんがデフォルトになってください! いやあ、常々思ってたんですよ、麒一郎さんがその実力のまま、人並みの優しさを持ち合わせるようになったら、すっごい人気者になるだろうなーって」

「人気者ですか……」


 ぴんとこなかった。そのとき後ろについてきていた真理が、ぼそりと、


「死んでましたよ」


 と言った。僕と雫石は同時に振り返った。


「……え?」

「なんて言ったの、真理ちゃん?」


 二人の大人に尋ねられて、真理は慌てて手を振った。しかし僕と雫石が完全に足を止めてしまったので、真理は渋々答えた。


「死んでいたと思います。有村さんが、今のような、優しい性格だったなら……」

「それって、どういう意味?」


 僕は尋ねる。真理はしばらく逡巡していたが、思い切ったように、


「七度。私は七度見ました。有村さんが魔物に襲われている人間を見捨てる場面を」

「え」


 僕はぽかんとした。雫石も黙って真理の言葉を聞いている。

 真理は言葉を絞り出すように言う。


「その内三度は、有村さんが他の冒険者を囮にして自分だけ逃げるところでした。そして私に言うんです、魔界で生き残りたかったら正直者になるな、卑怯であれ、と」

「おやまあ」


 雫石は声を漏らした。僕はどう反応すればいいのか分からない。完全に悪党の言動じゃないか。


「そのとき私は、有村さんのことを軽蔑しました。でも魔界で実戦経験を積むにつれて、もしあのとき馬鹿正直に他の冒険者を助けに行っていたら、私たちは確実に死んでいたなと分かるようにもなったんです。他の冒険者を囮にして逃げた場面も、お互い様と言えなくもないというか……。有村さんのほうがより魔物の習性を理解し、逃げ道を確保できていたと言えるんですよね。だから、有村さんの判断は妥当だったと、今は思います」


 真理は麒一郎という男を擁護しているわけではない、僕はすぐにそれに気づいた。教科書に書かれている例題を吟味し、自分なりの意見を吐き出している、そんな無味な感想を僕という無害な男にぶつけている。


「有村さんは良い教師でした。魔界で生き抜く術を教えてくれた恩師です。でも同時に、魔界では道徳倫理なんて通用しないということを強烈に印象付けてもくれました。私はそれを忌々しいと思っています」

「……真理ちゃん」

「有村さんは優秀な冒険者なのかもしれません。でももし有村さんがもっと強かったら? 他人を囮にするまでもなく魔物を駆逐し、助けた人間から感謝の言葉を貰うか、それだけでは飽き足らず金品を巻き上げていたでしょう。あのとき有村さんが逃げたのは、『弱かったから』です」


 真理は挑発的な目で僕を見る。それは剣持が僕に向けた明確な殺意と同種のものだった。僕はおろか、雫石もぎょっとしたようだった。


「私は強くなりたい。いつか有村さんより強くなって、ぶちのめしたい。そんな風に思っていたのに。突然、いなくなっちゃった」


 語気を強めて真理は言うと、踵を返して通路を足早に去っていった。僕はきょとんとして、しばらく動けなかった。


「いやあ、憎まれてますね」


 雫石は言う。


「師匠と弟子の関係はこうでなくっちゃ。ぞくぞくしますね」


 雫石に脇腹を小突かれたが、反応できなかった。有村麒一郎として生きることが、呪われているような気がしてならなかった。まっさらな人間として生まれ変わりたい。無責任なことに僕はそんなことを願っていた。





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