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魔族/窮地

 魔族が紫色の翼を縮めて極端な前傾姿勢になり、一気に突進してくる。玉垣はそれを冷静に見つめていた。もしかして反応することができずにいるだけではないか、と僕は危惧したが、そうではなかった。

 魔族の体が発光した。それは魔族の力によるものではなかった。体表にこびりついていた血の塊から更に血が噴き出し、魔族の体勢が崩れた。下手な人形遣いがその体を操っているかのように、手足の動きがばらばらになった。そして突進の勢いそのままに玉垣の傍を行き過ぎた。


「なんだこれは……!」


 魔族は自分に起こっていることが信じられないようだった。床に倒れ、それからよろよろと立ち上がろうとする。その魔族に近づいたのは真理だった。雷魔法を力任せに魔族の首にぶちまけた。そのまま魔族の首が飛ぶ。頭部から下の体は瞬間的に燃え上がり、消滅を始めたが、魔族の頭部は床に転がった後も驚愕の表情を続けていた。


「何をした、何をした人間――!」

「知る必要があるとは思えないな。もうすぐ死ぬんだから」


 玉垣はまるで悪役みたいなセリフを吐き、魔族の頭部に近づいた。魔族は一瞬表情をゆがませた後、口から鋭い炎の矢を吐いた。玉垣は寸前で躱し、尻餅をつく。


「おおっ、危なかった! 頭だけになっても戦えるのか。とんでもない根性をしているなあ。感心するよ」


 魔族は苦しげだったが今すぐ死ぬという感じではなかった。頭だけになってまだ生きられるとか、どんな生命力をしているんだと僕は呆れたが、もう仕留めたも同然だった。

 それにしても魔族をどうやって倒したのか、僕は分からなかった。突然魔族の体が出血し、自分から崩れ去ったかのように見えたが……。


「たぶん、あの魔族はここに来るまでの間に、虎伏さんたちと戦って、逃げてきたんだと思います」


 雫石が説明してくれる。


「魔族が負っているあの魔創きずは、志知さんの魔法によるものですね。地雷魔法です。本来、地面とか壁に埋め込んで起爆することで発動する魔法ですが、あれを魔族の体内に埋め込んでいたようです」

「地雷……? えっと、それは」

「戯れですよ。瞬殺するとつまらないので……。万が一取り逃がしても、ちょっとした衝撃で起爆するようになっていたので、あの魔族の敗北は決定していたというわけです」


 真剣勝負の世界でそんなことがまかり通るのか? もし虎伏たちが確実に処理してくれていたら、障壁を魔族に破られることもなかっただろうに……。魔族が突き破ってきた障壁から、数体、中に入り込もうとしてくるのが確認できる。やがて何十、何百という魔物が襲ってくるだろう。僕たちがそれに対抗できるとは思えない。


「本当はもう少しゆっくりしていたいところだったんですが」


 雫石はぼやいている。頭だけになった魔族が考えつく限りの汚らしい言葉を吐いているが、もう有効な攻撃手段を持たないようだった。段々元気がなくなっているようにも見える。

 僕はまだ魔族に聞きたいことがあった。おっかなかったが勇気を出して近づく。

 真理が慌てて制止してきた。


「危ないですよ、有村さん」

「大丈夫。気を付ける。ちょっと話を聞きたくて」


 僕が近づくと、魔族はその禍々しい瞳を向けてきた。首の断面からはとめどなく血が流れ出ている。いつその血は枯渇するのか。床一面に血が広がっていた。


「魔族……。お前は僕を殺しに来たんだろう。さっきそう言っていた」

「……だから?」

「どうして僕を狙う。砦を破壊しに来てまで……」


 魔族は哄笑した。首だけなのにそんな大声で笑えるのか、とこれもまた驚きだった。


「何を言っている! まさかまさか、お前、他の人間の耳目を気にして、猫をかぶっているのか? 我々魔族にあれほど楯突いておいて、まさかまだ魔界をうろついているとは思っていなかったが、殺される覚悟があるからここにいたのだろう。違うのか?」


 僕はここ最近何度も言っている、記憶喪失の件を、この頭部だけの化け物に説明した。魔族はなおのこと笑った。


「記憶喪失? 随分都合の良いことを……。お前たち人間の頭はガラスか何かで出来ているのか?」

「そりゃあ、頭だけにもなってもぺらぺら喋るお前と比べたら、人間の体は繊細だろうけど」


 僕がそう応じると、魔族はにやりと笑った。


「ふん、いいだろう。それなら、一つ教えておこう。有村麒一郎、お前は全くもって『正しい人間』だよ。誇りを持って良い。本当、すがすがしいくらいだ」


 僕は顔をしかめた。


「いったい、どういう……」

「ふふ、ハハハ! なるほど、記憶喪失、まんざら嘘ではなさそうだな。しかしさっきも言ったが、記憶喪失など都合が良すぎる。いったい、誰がそんなことを仕組んだんだろうな? いったい誰がお前を殴り倒した? お前が眠っている間に接触した人間は? 誰がお前の傍にいた? 断言するが、お前の記憶を奪った人間は、今もなお、お前の傍にいるぞ。お前の動向を戦々恐々としながら観察している……」


 僕には魔族の言っている意味がまるで分からなかった。分からなかったが、その言葉には真実味が込められていると感じた。いや、もしかすると、記憶を失う前の僕が、魔族の言葉の意味を補足し、この言葉を信じよと訴えかけているのかもしれない。

 雫石がさっと前に進み出た。


「麒一郎さん。魔族の言葉をそのまま受け止めないように。こんな連中の言葉を真剣に吟味することないんですよ」


 魔族はにやにやしている。雫石を見上げて、小さく息を吐いた。


「お前か? お前が有村麒一郎の敵か? そうなんだろう?」

「はい?」

「お前からは我々魔族と似た魔力の流れを感じる。隠そうと思っても隠し切れないぞ」

「何を言い出すかと思えば」


 雫石は鼻で笑った。


「死ぬ間際の最後の抵抗ってことですかね? もし私が麒一郎さんの敵で、魔族の味方なら、魔族のあなたが私を糾弾する意味が分かりません。もうちょっと頭を使ったほうがいいのでは?」


 魔族の笑みが消えた。そして僕のほうを見る。


「有村麒一郎……、有村麒一郎! 日本、とかいったか、お前の国は! きっと生きて帰ることはないぞ、生きて帰ることはない! なぜなら、なぜなら……、死を覚悟していたからだ! 以前のお前なら、そのように、無警戒に魔族に近づくことも、他人を信用することもなかった! いいか、よく聞け、我ら魔族の敵よ、仇敵よ、おぞましくも尊敬すべき宿敵よ! もし今、貴様が記憶を失っていなかったなら、日本には帰ろうとはしなかっただろう、けして、けしてだ! なぜなら貴様は今ここにいる! そして裏切られたからだ! 仲間に! 戦友に! 人類に! それでもなお同胞のために孤独に戦う、それがお前の正体だ!」


 僕にはさっぱり理解できない話だった。雫石や真理のほうを見ても、二人ともぴんときていない顔をしている。

 玉垣が魔族に近づく。


「錯乱状態にあるのかな。そろそろ始末しないと、万が一逃げられたらせっかくの手柄がパーだ」


 僕は慌てて止めた。


「ち、ちょっと待ってください。こいつ、色々と気になることを……」

「妄言を撒き散らしているようにしか聞こえないのですが……、有村さん、あなたのことは、そこの神代さんや雫石さんのほうが、この魔族より詳しく知っているでしょう。わざわざこんな化け物の話を聞かなくてもいい」


 それは、そうだ。弟子である真理より、こんな化け物のほうが僕のことに詳しいなんてことがあるはずない。しかし僕はどうしても気になった。僕が思うに、記憶を失う前の有村麒一郎には、他人が知らないような謎を多く秘めている人物だった。一筋縄ではいかない気がする……。単純に性格が悪いとか、地図屋として大儲けしていたとか、そういう話で済ませていいのだろうか。

 僕はもっと僕について知りたい。魔族が僕という人間について知っていることがあるのなら、何でも教えてもらいたかった。

 魔族の頭が煙を立て始めた。肉体の気化が始まっているのだろうか。魔族は僕を見て笑っている。


「有村麒一郎、お前は可哀そうな奴だ……。しかしあるいは記憶を失ったことは幸せかもしれん。我々としても、好都合だ……。ああ、そうだ。これは吉報。間違いなく吉報。いいじゃないか、有村麒一郎、これは褒美だよ、お前と、我々が戦いを続けてきた甲斐があったというもの。ご褒美なんだ。ご褒美――」


 ここで玉垣が魔族の頭を踏み潰した。皮だけ分厚いすかすかの果物を潰したかのようだった。ぶちまけられた脳漿があまりに少なく、本当にそこに魔族の頭があったのかどうか自信がなくなるほどだった。

 魔族を殺害した玉垣は、ちらりと障壁のほうを見た。


「さて、敵の親玉は仕留めたわけですが。魔物が統率を失って共食いでも始めてくれたら楽ですね」

「魔物が共食いするんですか」


 僕は魔族が殺されたことが心残りだったが、考えるべきは今後自分たちが生き残れるかどうかだろう。魔物が共食いしてくれるなら確かに嬉しい。

 真理が仏頂面で、


「しませんよ。いや、もしかするとするのかもしれませんが、少なくとも近くに人間がいるのに魔物同士で戦うことはありません。たぶん、魔物より人間のほうが、食材としては上等なんじゃないですか」


 玉垣はふふふと笑っている。


「いやあ、有村さん、人が好いですね。何でも信じちゃうと、いつか騙されて痛い目に遭いますよ?」

「こんなときに冗談なんて……」

「こんなときだからこそですよ。恐怖で固まっていても何にもならないものでしょう。さて、そろそろ魔物が来ますよ」


 破られた障壁を乗り越えて、何体か魔物が現れた。砦内の通路を素早く移動できる小型の魔物ばかりだったが、いずれ大型の魔物も追いついてくるだろう。

 真理が前に進み出る。


「まずは私が相手します。狭い場所での戦いなら私一人でも食い止められると思います。疲れたら交代お願いします」


 真理はそう言うと返事を待たずに魔物に立ち向かった。魔物が部屋の中に入ってくる前に迎撃する。狭い場所なら、せいぜい同時に相手するのは二体まで。広い場所で戦うより楽と言える。とはいえ僕は真理のことが心配だった。玉垣が指を立てて頷く。


「大丈夫、ちゃんとサポートしますよ。出入り口は一つしかないから、虎伏さんたちが助けにきてくれるまで、問題なく持ちこたえられるはず……」


 そのときだった。唯一の出入り口で真理が奮戦しているとき、部屋の反対方向からガタンという音が鳴った。僕が振り返ると、中央区画の分厚い壁が音を立てて崩れ、奥から魔物が顔を出しているところだった。

 雫石が唖然としている。


「どうして……。あんなあっさり壁を崩されるなんてありえない。厚みが何メートルあったと思ってるの。百歩譲って壁を突破されるのは良いとして、ほとんど音がしなかったのは……」


 反対方向から部屋に魔物がなだれ込んできた。咄嗟に雫石が相手しようとしたが、魔物の勢いに負けて逃げ始めた。


「真理ちゃん!」


 雫石の叫び声。真理は素早く状況を理解すると、目の前の魔物に巨大な一撃を見舞った。


「皆さん、こっちです!」


 まだ魔物の数が少ない、中央区画へ繋がる唯一の正規通路を通って、僕たち4人は砦の外郭方面へ走り始めた。走りながら真理と雫石が魔物を牽制したり倒したりして、活路を切り開いている。

 玉垣が僕の地図を広げ、状況を確認している。


「どういうわけか魔物が数か所にまとまって行動していますね。部屋になだれ込んできた連中も、その集団の一つです」

「魔物はまだ誰かに統率されているってこと?」

「もしかすると魔族は一体だけじゃなかったのかもしれません。あ、雫石さん、次の曲がり角を右で。左に進むと魔物の群れに突き当たります」


 地図を見ながら玉垣が指示を下す。魔物が少ないほうへ少ないほうへと通路を疾走していく。しかしそれにも限界があった。


「次を右――いや左のほうがまだ……、でも、ああ……、逃げ場がない」


 玉垣が嘆息する。彼の絶望顔通り、真理と雫石が立ち止まった瞬間、通路の前後からわっと魔物が涌いてきた。


「前を突破するのと、後ろに戻るのとでは、どちらがより可能性がありますか」

「うーん、どっちも同じですかね」


 玉垣が言う。そして僕に地図を見せた。


「どっちがいいと思います、有村さん」


 僕の目には、砦の通路内を魔物が埋め尽くしているようにしか見えなかった。そのわりには玉垣は余裕そうだった。


「前に進むのと、後ろに戻るのとでは、どっちが安全だろう? 虎伏さんたちは最初、どちらに攻撃するんでしょうね?」


 玉垣はそんなことを言っている。僕は一瞬言っている意味が分からなかったが、はっとした。

 真理が突然耳に手を当てて、一同に鋭い声を発した。


「伏せて!」


 僕は近くにいた玉垣にのしかかられるようにして強引に伏せさせられた。次の瞬間、前方にいた魔物たちが爆炎に飲み込まれた。しかしその炎には熱さを感じなかった。すぐ傍まで赤い炎が迫っているのに、むしろ涼しい風が流れてきている。

 遅れて数秒後、後方の魔物どもが突然動きを止めた。そして体の表面に霜が下りる。その体をよくよく見ると、魔物どもは瞬間的に凍り付いているようだった。

 僕は状況を理解しきれなかったが、玉垣は得意げだった。


「なるほど、正解は『伏せ』だったか。両方を同時に攻撃してくるとは思いませんでした。虎伏さん、志知さん」


 前方から現れた黒髪の男、虎伏獅狼。後方から現れた長身の男、志知逢魔。二人は僕たち4人が無事であることを確認すると、それぞれ残った魔物の相手を始めた。それからは、僕たち4人は傍観者だった。砦を舞台に繰り広げられたのは魔物のとの戦いではなかった。害虫駆除とでも言ったほうが良さそうな、一方的な虐殺だった。山と積み上げられていく魔物の死体を前に、真理がため息をついている。


「あの人たちの戦いを見るたび、馬鹿らしくなってきます。命を懸けて戦っていたつもりなのに、あの人たちがあまりにもあっさりと魔物を倒していくんですもん」


 少しだけ、その気持ちが理解できた。僕は地図上に表示される魔物の姿がみるみる減っていくのをただ見ていた。戦い――あるいは駆除が終わったのは、虎伏たちが現れて僅か30分後のことだった。





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