後編
真っ白なベッドの上、目が覚めたら男はいなくなっていた。
変わり映えのしない毎日を過ごして1ヶ月が経った。
男がいなくなったというのに、私は未だに白い箱の住人だった。
小さい頃に読んだラップンツェルを思い出す。
高い塔の代わりに白い部屋、長い髪を伝って訪れる人もいないし、
いなくなろうと思えばいつだってこの場所から離れられるというのに。
待っている、のとは違った。
出て行く理由がまるで見当たらなかったからだ。
男が出て行った日に、テーブルの上には男が私にあてた置手紙とキャッシュカードがあった。
置手紙というのも大げさなくらいあっさりした、ほぼ走り書きのようなもので、
いたいならいるようにという文言と銀行口座の番号が綴られてた。
私は、また元の位置に戻ると真っ白い部屋の一角にある真っ白い大きな窓辺に腰かけた。
薔薇はどうなってしまうのだろう。
私は男が手入れをしているのを見ているだけで、方法は何一つとして知らなかった。
このまま枯れさせてしまうのは男自身の本意には到底思えなかった。
私は同じだった。
彼の残してくれたキャッシュカードのお陰で生活に必要なものは全て賄えた。
暇ができれば本を読んだり、部屋の掃除をした。
男は恐ろしいまでの綺麗好きで、白い部屋に埃が舞っているのを見たことがない。
だからせめて帰ってきたときに家主の不快にならない程度にしておくのが
居候の役に立たないながらのしなければならないことだと思った。
男がいた頃は勝手にご飯が出てきたが今はそうとはいかないので、
3日分くらいの材料を買ってきては自分でご飯を作った。
男の作るご飯の方が美味しかったが、コンビニに行く気には到底なれなかったから仕方ない。
薔薇はやはり手入れの仕方が分からなかったから、
水だけはたっぷりとあげるようにしていた。
いつのまにか寝ていた。
ソファに布団もかけずに横たわっていたせいか、いくらか体が冷えたようで肩を軽く抱く。
外はもうすっかり暗くなってしまっているようで、
白い窓からのぞく、薔薇の向こうに見える外灯の煌めきが驚くほどに鋭利であった。
電気をつけなければと立ち上がろうとした瞬間に息を止めた。
音がした。
聞き覚えのある足跡が玄関の前で止まる。
私は結局電気もつけずに、扉が開くのを待っていた。
「ただいま」
「うん」
「おかえりではないんだ」
「勝手なことを」
そうなのだ、勝手に出て行って勝手に戻ってきたのはこの男なのだ。
「無精ひげが無いわ」
潔癖症に近い性質を持ちながら、ひげだけはだらしなく伸ばすのがこの男だった。
私は顎に指を当てる。
剃り立ての肌さわりがした。
「意外と童顔なのね」
私は笑った。男は逆にどういう反応をすれば良いのか分からないようだった。
「ご飯は食べた?」
まだだと首を振ったので、私はキッチンの方に手を引いた。
「せっかくだから何か作って」
そうしてまた、私は笑った。
何も聞かなかった。聞く必要がなかった。
真っ白な部屋の中に私と男。
今日も男は以前と同じように私の絵を描く。
ただし、
前と違って色付きの私を。