第一章【ハジマリ】第八節
「――!」
ふと何かを感じてファナリヤは振り返る。
もちろん、振り返る先には何もない。ただ人混みが溢れているだけだ。
「(……トラベロさん…?)」
声にせずその名を読ぶが、直後自分の思考に疑問を覚える。
――何故真っ先に彼のことを思い浮かべたのだろう?
彼は今、スピルに連れられて自分の新しい住処となる一軒家に赴いているだけなのに……
物思いに耽っていると、前を歩いていたマリナが声をかける。
「ファナリヤちゃん?どうかした?」
「…あ、いえ……何でも、ないです」
「ならいいんだけど。はぐれちゃったらいけないからちょっと心配になっただけよ」
「ご、ごめんなさい…」
「いいのいいの!謝ることじゃないわ」
にこりと笑いマリナは手を差し伸べる
ファナリヤはそれを握ろうとして…躊躇った。
今ここで《髪繰り》を使うワケにもいかない、けれどこの手で握るワケにもいかない。
もちろん、素肌を晒してはいない。今自身の手を包んでいるのはガチガチに縛り付けられた包帯ではなく、リボンのあしらわれた可愛らしい黒の手袋だ。
気休め程度だが、手を包帯ではなく別の物で包んでおくことでより紛れやすくなるだろうという話で身につけ、こうして街に出ているが…
「…やっぱり、怖い?」
問いかけにこくりと頷いた。
やはり、怖い。手を縛っていなければどうしようもなく不安になる。
このまま手袋に慣れてもいい。しかしそれで素肌で無意識に触れるようになってしまったらどうすればいいのだろう。
人の心なんて読んだところでいいことは何もない。先日のエウリューダのように、相手側から読んでくれと言われない限りは自分が傷つくだけなのだ。
自分の手をぎゅ、と握りしめて俯いていると……
「引っ張られるのが怖いなら後ろから押しちゃえばいいのかな?」
そう言って声をかけてきたのはそのエウリューダ本人だった。
え、え、と戸惑っているファナリヤににこりと笑いかけると、後ろに回ってそっと肩に手を置いて優しく押し出した。
すると自然にファナリヤは一歩足を踏み出し、またエウリューダがちょこちょこと優しく押し出す度にペースよく進んでいく。
「え、エウリューダさん…?」
「これなら手を握らないし、前も後ろも俺たちがいるから怖くないよね?」
「……あ。……は、はい…!」
「えへへ、よかったー!さーファナリヤちゃん、出発進行だよー!」
「は、はい!」
まるで子供が列車ごっこをしているかのようなペースで進み出す。
くすりと笑ってマリナがその後をついていき、少し先の横断歩道で待っているレインと合流し目的地へと向かう。
彼の先導で電気街へと入ってすぐの交差点を左に曲がると一つの店が見えてくる。
「さ、着きましたよ」
レインが自動ドアを潜って入店し、それに続いて三人も入る。
ファナリヤは目を丸くして辺りを見回した。
店の陳列棚に並んでいるのは少し分厚い板のような電子機械たち。確かトラベロがこれに似たようなものを持っていた気がすると記憶を掘り起こす。
新鮮な表情をしている彼女に、レインはにこりと笑って声をかけた。
「携帯電話を見るのは初めてですか?」
「は、はい……!」
「これがあるといつでもどこでも電話もできるし、手紙も送れるし、わからなかったら地図も見ることができるしと、とても便利なんですよ」
「そ、そうなん…ですか?!」
「そうですよ。ファナリヤさんも使いこなせるようになればやみつきになること間違いなしです。
それに今後仕事をする上で必要になりますし、この際に持ってしまいましょう」
「え……!?で、でも、凄く……高そうです、よ…!?」
「大丈夫大丈夫、スピルのアホにツケとくから」
「え、えええ…!?」
「気にしなくて大丈夫だよ、スピル君すっごいお金持ちだから。実際スピル君の指示もあってのことだしね」
大丈夫大丈夫と三人は言っているが何が大丈夫なのかファナリヤには全くわからない。
しかし自分が買うことができる金を持っているワケもなく、本当にいいのかという疑問を残して恐る恐る並ぶ携帯を見る。
「……あの、これって、どういうのを、選んだら……」
「そうですねぇ……とりあえず、まずはファナリヤさんの好みで選んでみませんか?最初から性能等について触れても分かり辛いですし」
「わ、わたしの……?」
「ええ。色ですとか、大きさですとか。そういった好みから入ってみましょう」
「………」
レインのアドバイスを意識して自分に合う携帯を探していく。
大きさは本当に大から小、両手でやっと持てそうなものから自分の手にもすっぽりと収まるものまでピンキリだ。
あまり大きいものは使えないだろうと、小さいサイズのものを重点的に見て行く。
「…………あ」
ぴたりとファナリヤの視線が一点に集中する。
それからじー…とそればかりを見つめ、手に取ろうとしてはぷるぷると震えて引っ込めるの繰り返し。
「ん?ファナリヤちゃんいいの見つけた?」
「あ、あの…あの、えと」
「そんなテンパらなくていいのよ?どれどれ…おっ」
マリナがファナリヤの後ろから覗き込んだのは、緑色の小さな携帯。
少し鈍い光沢を放つ緑を見てマリナはなる程、と笑った。
「ファナリヤちゃん、もしかして…」
「えっ、あ、あっちが、違います、そのっ、その…」
「隠さなくてもいいのよー?…彼のこと結構好きでしょ」
「ひゃ!?ま、マリナさんっっ…!」
「冗談よ、半分はね。でもファナリヤちゃんの目の色でもあるし丁度いいんじゃない?」
「うぅ……酷い、です」
顔を赤らめて頬を少し膨らませるファナリヤ。
その顔に可愛いとマリナは笑い、レインは苦笑して彼女を諌める。
「マリナ、ファナリヤさんをからかうのも程々にしてくださいね?」
「わかってるわよーファナリヤちゃん可愛いしか弱い子だもんあんま悪戯はしないわ」
「……あ、あの、その…」
「ああごめん。どうする?他のも見てみる?」
「……いえ。わたし………これにします」
少し震えの残る手で携帯を手に取る。
いざ手に取ってみると思ったよりも軽く、しっくりくる。――思えば、自身の手に物を持つことがほとんどなかった。
そう考えるととても新鮮な気持ちだ。
携帯が決まったならあとは手続きをし使えるようにするだけらしい。レインが呼んだ店員の指示に従ってカウンターで手続きを行っていくこと一時間程。
「…………」
店を出、携帯を大事そうに持つファナリヤ。
手続きが終了し、晴れて彼女の物となったそれは一時的に電源が切られている。
「……これで、もう、使える…ように、なるんです……か?」
「ええ。まずは一旦事務所に戻ってから、説明書を改めて読みつつ動かしてみましょう」
「これでファナリヤちゃんとメールしたりできるのかー、嬉しいなー楽しみだなー!
色々設定し終わったらNINE入れない?ティルナノーグのメンバーでグループ作ってそこで喋ったりしてるからさー!」
「な、ない……?」
「エウリューダ、気が早すぎます」
「あぅ…そうでした。後でアドレス交換しようねファナリヤちゃん!」
「は、はい!」
エウリューダはまるで自分のことのように喜んでいて、先程から嬉しそうに笑ってばかり。
彼が笑っているとつい釣られて笑ってしまいそうだ。
たったこれだけのことでも、自分を心から歓迎してくれているように思えて嬉しいと心が弾む。
――やっぱり、彼らについていこうと決めてよかった。早くも確信に近いものを抱いていた。
「……ん……?」
トラベロはゆっくりと目を開く。
どうやら自分はベッドの上にいるようだ。
視界に映り込む窓からは少しずつ茜色に染まる空が見える。
「気がついたか?」
隣でレヴィンの声がし、彼の方を見る。
蒼い瞳がじっとこちらを見つめ、その眼光の鋭さに思わず肩を震わせてしまいそうだ。
しかしよく見ると眉が少し下がっている。……自分のことを心配してくれたのは明らかだった。
「……僕……」
「驚いたぞ、いきなり倒れたもんだから」
「ああ…………すみません、ご迷惑をおかけして」
「迷惑とは思ってない。…荷物なら全部私たちでやっておいたから」
「すみません…」
「謝らなくていい。怪我もちゃんと治してある」
「ありがとうございます」
起き上がると、部屋は荷物を置いたばかりのからっぽの部屋ではなく、ちゃんとした個室に姿を変えている。
愛用していた机も、本棚も、箪笥も然るべき位置に置かれ、ダンボールがどこにもないことから収納も全て終わっているのだろう。
前住んでいた家の個室よりも少し広いからか違和感を覚えながらベッドを下りようと地に足をつけたところでノックの音。
レヴィンがドアを開けるとスピルとアキアスが色々とまた違う荷物を抱えて入ってきた。
「よかった、目が覚めたみたいで」
「すみません心配かけちゃって」
「流石に驚いたぜ、怪我を見るなり顔真っ青にしてぶっ倒れるもんだから。はいこれ。倒れてから何も食ってねぇだろ」
「あ、ありがとうございますっっ!!!」
「(…マジ食い意地張ってんな)」
アキアスが差し出したおにぎりやパンの入ったコンビニ袋を見るなり目を輝かせて唾液を飲み込む。
その食付きっぷりに驚きつつも、その様子ならもう大丈夫そうだと安心した。
「本当、もう体調は大丈夫そうだね」
「あ、はい」
「……答えられないなら答えなくていいんだけど。血、苦手?」
「…はい。あの程度でも凄く吐き気とか眩暈が酷くなっちゃって。仕方ない…らしいんですけどね」
「らしい?」
「…医者からそう言われた、だけなんで」
そうトラベロは苦笑する。
「……何か、聞いちゃいけないこと聞いたかな?」
「あ、いえ。今後の仕事にも関係してきますし僕もよくわかってないことなので、話しても問題は」
「わかってねぇ……って?」
「僕、その。――記憶がないんです、12歳より前の。ある事件が原因で……ニュースになった程なので多分知ってるかと」
「12ってことは今から8年前……ニュースで取り上げられたというと……あの放火殺人事件か?見た記憶がある」
「それです。えっと…改めて説明しますね」
――八年前、マゴニア郊外で夜……丁度夕食の時間帯になる頃辺りで発生した事件。
とある一軒家で放火と殺人が起こった、よくある――本来はよくあってはいけないのだが――事件の内容だ。
殺害されたのはその家の住人だった一家。夫婦は殺害された後火に巻き込まれ焼死体となって、三人の子供のうち2歳の男児と生後半年の女児は見るも無惨な姿で発見されたという。
長男は無事保護され救急搬送されたが命に別状はないと報道され、当時どのニュース番組でも特集を組んだ程だ。
その後長男は快方へと向かったというのも特集の過程で報じられている。
「…その無事だった長男が君なんだね?」
「はい。……火傷もすぐに完治して、体自体は全く問題はなくなりました。けど……」
「それがショックで記憶がごっそり抜け落ちて、さらに血液恐怖症になったと」
トラベロは黙って頷いた。
至って平然としているような表情を見せているが、苦労し苦悩していたことは容易に察することができる。
家族も記憶も失って残ったのは後遺症だけ……当時年端もいかぬ少年だった彼にとってはあまりにも酷すぎる仕打ちだろう。
漫画にあるような出来事は漫画の話であるからこそ楽しめるのであって、それを現実に味わうの筆舌に尽くしがたい辛さなのだから。
「すみません、そういった荒事も多いでしょうにこんなんで」
「謝らなくていいよ、そういうのを言ってもらえると僕たちも回す依頼の内容に配慮できるから助かるし。
大丈夫大丈夫、荒事は本当によっぽどじゃないとこないしそういうのはこの二人に任せちゃえばいいし!ねー」
スピルがレヴィンとアキアスに視線を向ける。
二人共こくりと頷き、任せろと言った目をこちらに向けた。
トラベロは実際二人と交戦し、その強さを身を以て思い知っていることからより心強く思える。
実際レヴィンの重力操作の神秘力も、アキアスの生命の力を操る神秘力も味方が持っているととても頼りになるもので敵でなくてよかったと心底思う程。
「本当にありがとうございます。何から――……ん?」
携帯の着信音。トラベロから聴こえてくるということは彼の携帯のものだろう。
ポケットから取り出して着信先を確認すると、非通知着信だ。
「……誰だろ。……はい?」
『もしもし、トラベロさん?レイディエンズです』
「レインさん!どうしたんで…………そういや何で僕の番号知ってるんですか!?」
『ふふふ、すみません。実はあの時携帯を拾った時に』
ぽかんと口を開けるトラベロ。
どう記憶を掘り起こしてもレインは拾っただけ。
確かにロックを解除したばかりだったが、弄ったようには全く見えないしそんなことをする人物ではないことはあの時点でわかっていた。
なのにどうして……戸惑っているとレインから答えが提示される。
『ふふ、それが私の神秘力なのですよ。情報媒体から自分の欲しい情報を手にできるというね。……誘導する為とは言え、大変失礼を致しました』
「い、いえ大丈夫です!どの道連絡し合うこと多くなるでしょうし登録しておきますね」
『ありがとうございます。…ああ、それと。今から別の方が電話かけますので、この後の電話に出てあげてください」
「は、はあ…わかりました」
では、と言葉を残してレインが電話を切る。
ゆっくりと電話を耳から外し、数秒程待ち――着信がかかった。
応答ボタンを入力し、ゆっくりと電話を耳に当てた。
「はい?」
「…………ぁ、あ、の………トラ、ベロ………さん……?」
「――ファナリヤさん!携帯買ったんです!?」
「は、…は、はい。その………今後、連絡も、必要だから、って」
「なる程……でも嬉しいなぁ、番号登録しておきますね」
「!!は、はい!ありがとう、ございます!!」
ぶちっ、と電話が切れる。
きっと間違えて切ってしまったのだろう、微笑ましくて思わずくすりと笑みが溢れた。
けど、こうして連絡を取り合えるようになったのは本当に嬉しい。
「よっしゃあファナリヤちゃん携帯ゲットきたあああ!!!慣れてきたらNINEのティルナノーグコミュ紹介しとかなきゃ!」
「ソシャゲは勧めんなよ」
「そして廃課金の道に染めようとするなよ」
「酷い!!!!酷い!!!!ソシャゲは進めるけど課金推奨するワケないでしょ!!!!!」
レヴィンもアキアスも嘘つけと言うかのような視線でスピルを見やり、それに対してまたスピルは強く反論をするが視線が変わることはない。
むしろますます怪しくなっていきその度にスピルは否定し続けその光景にトラベロは思わずくすくすと笑う。
――やっぱり、ここにきてよかったなぁ。心の底から、そう思う。
故にこの楽しい生活がいつまでも続くことを、願い続けることにした。
そうしてその光景に笑っていて、夕日が沈みつつあることに気づくのが遅くなってしまい、タイムカードの打刻と荷物のために慌てて事務所に戻る……
なんてことになったのはまた別の話である。