第一章【ハジマリ】第七節
ピリリ、ピリリと携帯が鳴る。
セットしていたアラームだ。
「ん~~~……」
枕に顔を突っ伏したままトラベロは充電コードを手繰り寄せて携帯を手に取り、眠気に微睡みながら携帯のアラームを止める。
時刻は朝8時……だが、カーテンが真っ黒で光を通さないせいか、まだ深夜かと錯覚してしまう。
目を擦りながらもぞもぞと起き上がり、背伸びをしながら欠伸を漏らす。
起きなければとベッドを降りようとしたのとタイミングをほぼ同じくしてバン、と勢いよくドアが開いた。
「うぇっ!?」
思わずその音に驚いてドアの向こうを見やる。
立っていたのは先日自分に強烈な蹴りをかました神秘力者にして、ケーキを振る舞ってくれた青年。
朝日に照りつけられるそのアッシュブロンドの髪が眩しくてまたトラベロは目を細めた。
「……お前はちゃんと起きる奴なんだな」
「え、あ、は、はい。おはようございます、えっと……アキアスさん」
「おう」
アキアスはそのままずかずかと部屋に入り、カーテンを思いきり開く。
真っ暗な空間に一気に光が入り込む。
眩しさに目を細めるトラベロにベッドから降りるように促し、本人もさっさと降りようとするが…
「ん!?」
何かに服の裾を掴まれていたようで思うように動かない。
ベッドから降りたくてもそれを拒むかのようにその手はぎゅ、とトラベロの服を掴んでいる。
呆れたようにアキアスは大きな溜め息をついた。
「あー……トラ」
「と、トラ………ってあぁ僕か。何ですか?」
「しばらく耳塞げ」
「え、あ、はい」
トラベロが耳を抑えたのを確認し、アキアスはまず布団を引き剥がす。
「……すかー……」
するとトラベロの服を掴んで爆睡しているエウリューダが姿を現した。
そしてそんな彼の耳元にアキアスは二つのフライパンを近づけ――
「さっっっさと起きんかぁああああッッ!!!」
「うぇえええぇ!?!?!?」
そう叫んでフライパンを渾身の力を込めてぶつけ出した。
その騒音足るや耳から手が離れたら間違いなく鼓膜が破れると冷や汗が流れる程。
先程までとてもいい寝顔をしていたエウリューダは途端に目を丸く見開いて飛び起きる。
「……み、耳が、耳がっ……」
弱々しい声でトラベロは呟いた。塞いでいたというのに耳が痛い、頭がガンガンする。
だがしかし、こうでもしないと起きないということは相当朝に弱いようだ。…次元が違う、とぽそりと呟いた。
「あぅぅぅ……」
「いつまで寝てんだよ。しかもトラまで巻き込んで全く……」
「………………」
「エイダ?」
顔を覗くとすーすーと寝息を立てる音が耳に入る。
アキアスの顔にぴき、と血管が浮かぶ瞬間をトラベロは逃さなかった。
そして直後フライパンがエウリューダの後頭部てっぺんに綺麗に命中し、またとても気持ちのよい音が響き渡る。
「あだぁっ!!!ひっ、酷いよアキアスっ!痛いじゃんかぁ!!!」
「てめぇが寝るからだろうがバカ野郎!さっさと起きろや!!!」
「うぅぅ~……あ、ほんとだもうこんな時間」
「ったくお前は新人を見習えよ。ちゃんと目覚まし通りに起きたぞ?とりあえず二人共着替えて顔洗ってこい。朝飯できてっから」
「はーい。行こうトラベロ君」
「え、あ…は、はい」
エウリューダに手を引かれ、二人のやりとりに半ば圧倒された表情でトラベロは洗面所へと向かった。
……そもそも。
何でトラベロが彼らと寝ていたのかというと、あのあと夜になっていたのもあり諸々の説明を翌日に回すことになった。
寝床のない現状のトラベロはスピルの指示で二人の住んでいる社宅で一夜を明かすことになったのだ。
何故アキアスとエウリューダかというと、年齢が一番近いだろうからとのことだそうで。
二人の年齢は知らないが、見た目からは確かに自分と然程変わらない年代と察することができる。
「そういや、エウリューダさんっておいくつなんですか?」
「俺?19だよ。トラベロ君は?」
「あ、20です」
「へーそっか年う……………………えっ?」
かたん、と自らの髪を梳いていたヘアブラシを落とすエウリューダ。
動揺と戦慄の入り混じった表情を浮かべ、ぷるぷると人差し指をトラベロへ向ける。
「…え、マジで?…………えっ?」
「…一応、はい」
「16かそこらだとばっかり……!」
「あぁ…よく言われます」
そう言って苦笑いを浮かべるトラベロの顔はますます幼く見える。
人は見かけに寄らぬとはまさにこのことだろうとエウリューダは実感させられた。
どう見てもトラベロの見た目というか顔は10代後半、高校生ぐらいにしか見えないのだから人間の神秘というものは末恐ろしい。
「おいお前らいつまで顔洗ってんだ?遅刻するぞ」
「ああっはい、すいませんもう終わりました」
「ちょ、ちょっとアキアスっ」
「あ?」
様子を見にきたアキアスをトラベロの隣へとエウリューダが連れていく。
トラベロの翠眼が思わずアキアスの瞳へ視線を向ける。右は淡い紫色だが、左はとても鮮やかな朱色……そのコントラストの対比がとても綺麗に思えた。
そして改めて見ると小柄だ。隣にいるエウリューダと比較するとますます小さく感じてしまうが、きっと触れてはいけない気がしてあまり意識を向けないようにした。
一方エウリューダは二人の顔を交互に見比べては驚くばかり。よっぽどトラベロの顔立ちが衝撃的だったのだろうか。
「なぁエイダ、何がしたいんだ」
「……や、やっぱりトラベロ君の方が年下に見える!!!」
「はぁ?用が済んだんなら早く飯食えっての。冷めるから」
「えっいやだからっあぁちょっ待って、待ってよアキアスー!」
すたすたと去っていくアキアスを慌てて追いかけるエウリューダ。
何故だか、トラベロは家の中なのに嵐の中にいるかのような目まぐるしい移り変わりを見ているような気分でぽかんと口を開けていた。
何というか、凄く……着いていけないというか、割って入っていいのかというか……
「トラー、お前もさっさと食わねぇと遅刻するぞー!」
「あっ、はいすみませーんっ!」
アキアスの呼ぶ声に我に帰り、空腹感に促されながら食事の待つリビングへ向かった。
「なーんだ、アキアスはトラベロ君が年上だって知ってたんだ」
「レインから先に聞かされてただけだがな」
「えーじゃあ教えてくれたっていいのにー」
頬を膨らませながら、エウリューダはストックから自分のタイムカードを取り出して打刻し、続けてアキアスも打刻しながら悪態をついた。
「んなこと知るか。第一年齢的な年功序列なんざうちにゃねぇだろ?」
「フランクなんですね……そういやアキアスさんは」
「エイダと同い年。ああ、お前の分もあるから通しとけよ」
そう言われ、ストックを見たらトラベロとファナリヤの名前が入ったタイムカードもきっちりと入っている。
迷わず手に取り二人に続いて打刻し、きっちりと出勤時間が刻み込まれたそれを見て少し驚いたようにトラベロは呟いた。
「早いですね、僕たち昨日採用されたばかりなのに」
「マリナさん、仕事早いからねぇ」
「普段横暴だけどきっちり仕事はするよなーあいつ」
「あぁん?誰が横暴だってこのドチビ」
後ろからドスの効いた女性の声。振り向くと噂の人物――マリナが立っていた。
おかしい。昨日の記憶の限りではとても物腰柔らかい人じゃなかっただろうか。そうトラベロは疑問に思い思わず凝視する。
そんな彼の隣でチビと言う言葉に反応したのか、アキアスが顔に血管を浮かび上がらせて彼女につっかかった。
「誰がドチビだゴラァ!!」
「あたしより背ェ低いような男をドチビっつって何が悪ィんだよバーカ。悔しかったらあたしを越してみ…あっそーかあんたもう成長期ないから無理ですよねーごっめーん!」
「るっせぇよお前が身長高過ぎるんだろうが10cm俺に寄越せや!!」
「やだね、できたとしてもてめぇにゃ絶対やらないよ」
「っぐぐぐ……!!!そういうとこが横暴なんだよお前はぁっ!!」
「やっほーマリナさんおはよー!」
「やーんエウリューダおっはよーう!今日もヘアスタ決まってるーぅ!いぇーい!」
「いぇーい!!」
アキアスには酷くぞんざいというか、小馬鹿にしたというか、とにかく決していい意味ではない扱いだったのに一変。
エウリューダに対しては、今時の女性らしいテンションでハイタッチをかます。
マリナのそんな姿を目の当たりにしたトラベロは口をぽかんと開け硬直することしかできなかった。
自分の中でできていた彼女のイメージはとても真面目で柔和そうな女性だったのに。あれは僕の見た夢だったんだろうか、そもそも今見ているこれがまだ夢の中なんだろうか!
そんなトラベロが心配になったのか、マリナの後ろについていたファナリヤがひょこりと姿を現して声をかけた。
「あ、あの……トラベロさん」
「はっ!……あ、ああファナリヤさん!おはようございます、よく寝れました?」
「おはよう、ございます。……はい。おかげ様で、ぐっすり…です」
そう言って微笑んだファナリヤの顔は、初めて会った時よりよっぽど明るい表情をしている。
髪を切り顔が露わになったせいもあるのだろうが、それを抜きにしても表情が様変わりしたように見えた。
そんな彼女の表情を見てトラベロも自然と釣られて笑う。
「よかったです。ファナリヤさんはマリナさんのお家に泊まらせてもらったんでしたっけ」
「あ、はい。これからも、居候……させてもらえることになった、ので」
「あ、そうなんですね?……じゃ、じゃあその、聞きたいんですけど、マリナさんって…」
「……え、えと。あれが、元々…………みたい、ですよ?」
「……そ、そうなんですか」
トラベロが初めて会った時のマリナはとても物腰が柔らかく穏やかな女性にしか見えなかった。
という辺りから察するに、彼女は公私のギャップが激しいということなのだろうが……男性相手であまりにも態度が違いすぎる。
自分はアキアス側なのか、エウリューダ側なのか……恐る恐る声をかける。
「あのっ、おはようございますマリナさん」
「トラベロ君!おはよう、今日からよろしくね!」
「はい、こちらこそ」
「ファナリヤちゃんといいトラベロ君といい、可愛い新人が入ってきてくれてお姉さんすっげぇ嬉しいわ!仲良くしてね!」
「あ、は、はいっ」
マリナはとても嬉しそうにトラベロの手を握ってふるふると手を振る。
流石に最初から態度が違いすぎるということはないか……ほっ、と胸を撫で下ろす。
そんな彼らの後ろから足音が聞こえ、振り向くと二人の男性がやってきた。紅い髪と水色の髪が対になっている双子の兄弟だ。
「おやおや、みんな早いですね。新人が増えたのが嬉しいみたいで」
「それはレインもだろう?」
「レヴィンこそ。……何はともあれ、おはようございます。全員揃……」
全員の顔をひと通り見たところでレインの言葉がぴたりと止まる。
見終わったかと思いきやまた辺りを見回し、再度確認するとはぁ……と溜め息をついた。
「……またスピルがきてないんですか」
「え?あ、そういやスピルさん見てないですね……どうしたんでしょうか」
「ああ、大丈夫ですよいつものことなので。どうせ深夜アニメをリアルタイムで見て爆睡しているんでしょう」
「えっ?」
思わずトラベロは聞き返す。
「ああ、もしかしたらゲーム消化で寝たのが5時辺りだったりするかもしれませんね?」
「えっ、え……!?」
「オタ稼業に精を出すのはいいけどちゃんと仕事のこと考えなさいって感じよねー」
「スピル君新人入っても相変わらずだねー」
……何が何だか。
仮にも所長である人物に対してかなり好き放題言っているようにしか見えない。割と扱いがぞんざいである。
とりあえずアニメやゲームが好きなのだろうということはわかったが、遅刻が割といつものことという所長とはこれ如何に……
と、トラベロがぽかーんとしているとドアの向こうから勢いのある足音が聞こえてきた。
どたどたどたとそれはこちらに近づく度に勢いを増し……
「だぁあああっしゃぁぁぁああセ――――――フッッ!!!!」
バァン、と勢いよくドアを開け、噂の人物が滑り込みで入ってきて――
「うわっちょちょちょちょぉわああああああああ!?」
「わっとぉ!?」
――勢いよく足を滑らせて転がり込んだ。
たまたま自分へ目掛けてきたものだからトラベロは反射的にそれを避け、スピルは壁に気持ちいい音を立ててぶつかった。
全員がぽかんと口を開けてその先を見る。
「……あ、危な…………ってすいません大丈夫ですか!!」
「い、今の素晴らしい回避だったねトラベロ君…………あいたたた」
頭にできた大きなたんこぶを擦りながらスピルはゆっくりと立ち上がる。
「と、とりあえず間に合ったからいいかな……」
「残念ながら定時を30秒オーバーしています。遅刻ですね」
「えぇええええええええええええ!?!?!?」
「はいスピル遅刻ー。ほらお前ら席つけ、ああトラベロ君はそこ、ファナリヤちゃんはあそこね」
マリナの号令に応じて皆が席へとつく。
しかもトラベロとファナリヤ以外はスピルをちらりと見もせずすたすたと進み椅子に腰掛けているではないか。
慌てた表情でスピルは遅刻宣言をしたレインに訴える。
「ちょちょちょっと待ってよ!!!定時ぴったりってことは間に合ったってことじゃん大目に見てよぉ!!」
「いつも最低で1,2分遅刻しているんですからこんなものでしょう?」
「もおおおおおおおおおおおレインのバカ!ケチ!!」
「ケチで結構。仮にも貴方は所長なんですから、規則はちゃんとして頂かないと困ります」
ぴしゃりと言われ、スピルはしょぼんとした顔でとぼとぼと席へつく。
つくやいなや机に突っ伏してのの字を書く姿はどこか不憫でならずトラベロが声をかけようとするとレヴィンが途中で口を挟んだ。
「放っとけ。いつものことだから」
「えっあ、そうなんですか……で、でも何か可哀想に」
「普段から遅刻常習犯だから放っとけ。どうせ1分あれば直る」
「えっ抜け……!?」
一事務所の所長がそんなんでいいのか、と思ってしまうようなことばかりである。
昨日の印象では若いながらも聡明な印象の方が強かったのだが、マリナといいスピルといい、初対面とのギャップが激しい人物ばかりだ。
そしてレヴィンの言った通り一分程経過すると、スピルは途端に気を取り直し元気よく喋り出した。
「よし!気分転換終わりー今日も一日頑張るぞーぅ!」
「(うわっほんとだ早っ!!)」
「さて、今日は期待の新人君たちに業務を実際に教えるのがメイン……なんだけど」
スピルがマリナに目配せをすると、即座にマリナはファイルを開いてぱらぱらと捲るり、ざっと目を通す。
「今日に指定されてる依頼は今のとこないわね、何もなかったら丸々フリーだわ」
「あー。実践研修って形にしたかったんだけどなー仕方ないね。じゃあまずは、二人にわかりやすく流れを説明しようか」
スピルはがたりと勢いよく立ち上がり、がらがらとホワイトボードを席に寄せる。
直後、ペンの蓋を開き勢いよく書き出した。
……どうやら簡易な図式のようだ。とても大雑把に書かれた丸と矢印とを多用している中、文字だけはとても綺麗な筆跡でより目立っている。
一定まで書ききると指差し棒を取り出して図式を差しつつ口を開いた。
「うちは基本依頼受注による仕事がメインだ。
荒事だったら警察組織が神秘力者が悪さしてるからちょっと手伝ってーとか、何気ないことだったらご近所さんがちょっと公園の掃除手伝ってーとか。
非道徳的、非人道的なものじゃなければ何でも受けてるよ。報酬はクライアントから提示された額に必要があれば上乗せ要求する形。もちろん、報酬をもらうものはよっぽどのことに限られるけどね」
「なる程……所謂何でも屋ですね」
「そうそう。至ってシンプルな仕事だよ。…で、他にも色々、神秘力者向けにやってることもある」
ホワイトボードの記述が消され、また新しく字が書き記される。
大きく分けて3つ、でかでかと整った字体で表記されてある。
"1.神秘力者向けの情報提供
2.神秘力の制御講座
3.神秘力者向けのメンタルケア"
どうやらこの三つを請け負っているらしい。
トラベロが急ぎメモに記述しようとするとスピルが大丈夫だよ、と止める。
「これに関しては担当がきっちり決まっててね、トラベロ君たちは何かあったらお手伝いを頼まれる程度だから細かく覚えなくていいよ」
「あ、いいんですか?」
「オーケーオーケー。まぁ、仕事については大体こんな感じかな。次は……」
瞬間、スピルから鮮やかな緑色のオーラが発せられる。
トラベロの目に映るそれは、ファナリヤを見た時のそれと全く同じで自分よりも力強い。
このオーラを発しているということは、つまり……そう考えているのが顔に出ていたのか、スピルはその通り、と笑う。
「次は僕たちの手の内を曝け出す。……君たちに、僕たちの神秘力を改めてお見せするよ」
そう言ってスピルは一つのファイルを取り出して開き、手慣れた手つきでページを捲り一つの絵に定める。
彼の緑色のオーラが、ますます輝きを増していき、それと同時にファイリングされた絵も白く光り出す。
やがてその白い光はファイルごとスピルの手を包み込み、眩い光に思わず二人は目を瞑った。
光が消えても尚目を瞑り続けていたら……
「みゅい!」
「……へ?」
何かとても愛らしい鳴き声が聞こえてくる。
トラベロとファナリヤが恐る恐る目を開くとそこにいたのは――
「みゅい!みゅっ。みゅーい!」
その鳴き声の通り、兎耳のついた毛玉のような愛らしい動物だった。
つぶらな瞳をにこりと細めてこちらに挨拶するかのようにみゅい、と鳴いている。
「……わぁ……!」
ファナリヤが目を輝かせ、感嘆の声を上げる。
それに答えるかのように動物はみゅいと鳴いて彼女の肩に飛び移った。
その頬に嬉しそうに自らの肌を擦りあわせてくる姿は愛らしいの一言に尽き、トラベロや他のメンバーもその可愛さに思わず顔が綻ぶ。
「可愛いでしょ!可愛いでしょ!!」
「す、凄く、かわいい……ですっ……!」
「えへへ、この子はねー週刊少年ギャングで連載中の「羽耳兎のラトペリカ」に出てくるうさ玉ていうめっっっっちゃくちゃ可愛い生き物でね!!!!!!!!!いやもう本当マジあざといのあざとかわいいのまずこの見た目だけでヤバいのにみゅいみゅい鳴くし人懐こいしでこりゃもう愛でろって言ってるようなもんなんだよいやもうマジでヤバくて――」
ごん――と、勢いよく語りだしたスピルの頭にファイルが叩きつけられる。
いった、と声を上げて見上げると鬼の形相をしたマリナが無言の圧力をかけていた。
だらだらと冷や汗が流れ、スピルの口から反射的にすいません、の言葉が飛び出し、直後大袈裟に咳払いをして話を本筋へ戻す。
「……えーと!まぁこれが僕の神秘力の一つ、《幻想具現》だ。
漫画や絵本の架空のものを現実に呼び起こすことができるスグレモノさ、ただし……人の形をしていないものに限るけど」
スピルが合図をすると、うさ玉はファナリヤの肩を離れてぴょこぴょことファイルの中へと戻っていく。
その辺りから察するに、本人の意思次第で具現し続けるか否かを左右できるようだ。戻ったのを確認するとスピルはファイルを大げさに音を立てて閉じる。
「と、まぁこんな感じで、君たちに僕たちの力の詳細を説明しようと思う。
互いに手の内を知っていれば何かあった時に連携もしやすいし、何より必要外の隠し事がなくなるから……」
ぴりり、ぴりりり。…説明を続けようとしたところで電話の着信音が鳴り響く。
その音はスピルの懐から聞こえてくる……どうやら彼の携帯にかかっているようだ。ちょっとごめんと携帯を取り出して通話に入る。
「はい。……ああ、いつもどうも!…え、もう?うわぁ流石、早いですね!ありがとうございます、じゃあそのようにしといてもらえます?
……ええ、助かります!では」
ぷち、と勢い良く電話を切り、携帯を懐へしまう。
「ごめんね話の途中に。本来はもうちょっと続ける予定だけど思ったより早く進んでるから…トラベロ君、僕と一緒にきてくれる?」
「え?」
「ちょっと検品してもらいたい荷物があってさ」
「…に、荷物?」
「そ、荷物だよ」
にっこりと笑っているスピルの意図が全く掴めず、トラベロは首を傾げた。
――が、数分後すぐにその意図を掴むことに。
「……え。えっ……こ、これ…!?」
驚きのあまり声が裏返る。
ついてきてと案内されたのは引っ越し業者のトラックが構えてある無人の一軒家。
そこから一箱ダンボールを渡され、開けてみてと催促されるままに封を開けると、そこにあったのは他の何でもない、自分が家に置いてきていた本たちだったのだ。
「えっ、ど、どうしてここにっ」
「あの後カノーナさんにお願いして君の荷物をまとめといてもらったんだ。流石にすぐにはできないし、早くて明日に着く予定のハズだったんだけどね…僕もここまで早く届くなんて思わなかったよ。
まぁ重いものがベッドとデスクと箪笥と本棚ぐらいってのもあるだろうけど」
「……って、いうこと、は」
「そ、うちの抱えてる社宅。今日から君んちになるよ」
改めて家を見ると、本当に人一人が住むには充分すぎる大きさの一軒家。
アキアスとエウリューダが住んでいる家も二人だともて余すところがあるというのに、ここに自分一人が住むというのはとても贅沢な気分……だが、こんな人一人ぽっちには豪華すぎる所に住まわせてもらっていいのかと不安にもなる。
そんなトラベロの思考を察したのか、同行していたレヴィンとアキアスが横から口を挟んだ。
「こいつ必要あればいくらでも作る奴だから気にすんな」
「家をですか!?」
「家をだ。私とレインもそうだし、アキアスとエウリューダもそうだぞ?」
「ちょっ、そんな高いことを……!!」
「お貴族様の財布を心配する必要ねぇよ」
アキアスがちらりとスピルに目を向けるとその通りと言わんばかりに胸を張っている。
「え……スピルさん、貴族だったんですか?」
「まぁ一応ね。貴族っていうポジションがポジションだし知らないのも無理はないさ。僕が物好きなだけだし?」
貴族。マゴニアでは一般的に独自のコミュニティ内でのみ生活をしている一部の裕福層を指す。
財閥等々会社を経営し、国益に多大なる影響をもたらしこの国を世界の中心と言われる程の流通拠点たらしめた存在だ。
いくつかの掟のようなものがあるらしく、基本経済以外で外界に介入することは少ないと言われている。
聞いた話だけだと確かに本人の言う通りスピルは所謂”物好き”に該当するのだろう。イメージだけだと、こうして好意的に人と交流するのは珍しい気がした。
「ま、だからアキアスの言う通り気にする必要はないってことさ!遠慮無く住んじゃってくれたまえ」
「あ、ありがとうございます……!な、何か凄いな…」
「へへーん。ま、とりあえず運ぼっかね!レヴィン、アキアス。重いのは頼んだよ」
「だから呼んだんだろ?とりあえず玄関と窓開けてくれ」
あっ忘れてた、と照れくさそうに笑いスピルは鍵を取り出し玄関を開け、とてとてと中へ入っていく。
「じゃあ重いのは俺がやっとくわ。レヴィンはトラと小物でも運んどいてくれ」
「へっ!?え、そんなアキアスさん一人じゃ無茶じゃないですか!?」
「トラベロ、大丈夫だからとりあえずこれ」
レヴィンからどさり、と先程開けたダンボールを受け取りよろめく。
彼程の体格ならまだ納得がいかないワケではないが、アキアスはレヴィンと比べると非常に小柄で、頭ひとつ分の差がある程だ。
多少筋肉がついているようではあるがそれでも華奢な彼にそんな力などあるのだろうか。
「さて、と」
軽く肩を鳴らしたアキアスを鮮やかな黄色のオーラが包み込む。
そこでトラベロはようやく先程の言動に納得がいった。
神秘力を使えば確かに彼のような小柄な人物だろうと何でも持ち運びができるようになるだろうと見ていると、アキアスの身体に青く淡い光が次々と入り込んでいくのが目に映る。
その光を見るととても優しげで暖かく、力強い何かを感じて心が満たされるような錯覚を受けるのは何故だろうか。
光が消えた後、アキアスはトラックの中に入り片手で軽々と箪笥を持ち上げ、重さを全く感じさせない足取りでスピルが開けた窓から家内へと入っていく。
「……あ、神秘力ってホント、凄い…」
「まぁ…な。説明すると、アキアスの神秘力は氣……所謂生命エネルギー的なものを操る力でな。ああやって体内に取り込んで肉体を一時的に強化したりとか色々できる」
「なる程……便利ですねぇ」
「ああ、凄く便利だ」
会話をしているとアキアスから「何してんだよ」と声がかかり、我に返ったように少し慌ててトラベロが荷物を運び始め、レヴィンもその後についていく。
作業が始まってからはあっと言う間だった。引越し業者数人がかりで時間をかけて行うであろうものがたったの4人、こう言えば途方も無い時間がかかるようにしか思えないものがてきぱきと片付いていく。
その光景に混ざりながらも、神秘力というものの恩恵をトラベロは改めて思い知った。
ひと通り荷物を運び、配置し終えたら次は荷物の検品へと移る。
食器、衣服、本……さまざまな私物をひと通りダンボールを開いて確認、検品し終えたものからそれぞれ仕舞っていき、これもまた着々と滞り無く進むが――
「った!」
トラベロが小さく声を上げる。ダンボールを開ける過程で手を切ってしまったようだ。
痛みを走った手を見ると、人差し指に入った切り傷から血がたら…と垂れ始めている。
――どくん。見た瞬間に心臓が大きく跳ねた。押し寄せる強烈な恐怖感が動悸を促す。
「大丈夫かい?」
スピルがトラベロの手を取り、傷を覗きこむ。
「…ありゃりゃ。地味にダンボールって痛いんだよねぇ、とりあえずレヴィンがいるから――」
「…………」
「――トラベロ君?」
スピルが声をかけるが反応はない。
――どくん。どくん。どくん、どくんどくんどくんどくん………
心臓が酷く跳ね上がっている。
トラベロの翠玉色の瞳は自身から流れる真っ赤な雫に食いついて離れない。見ないようにと思っても……いや、そう思う余裕すらなかった。
息が苦しい。吐き気が止まらない。視界はぐらぐらとする。ほんの少しばかりの赤が目に入っただけで頭がぐるぐると回り顔から血の気が引いていく。
「…トラベロ君?トラベロ君!どうしたの、大丈夫!?」
「……スピル、どうした?――トラベロ?」
「おいどうしたんだよ、大丈夫か!」
スピルの声で事態を察したレヴィンとアキアスも駆け寄ってくるが、そんなことも今はトラベロには認識できずにいた。
ただただ血を見つめては苦しそうに呼吸を繰り返し、時折逆流する胃液を止めるかのように口を押さえるばかり……
苦しい、気持ち悪い、怖い、こわい、コワイ、こワい――!!
感情が目まぐるしく駆け巡り頂点に達した瞬間、トラベロの意識と視界は真っ白になった。