第二章【千里の双子】第二節
「……そうですか。いつもすみませんね。……ええ、戻ってきたらこちらでも。全く…………はい、気をつけて帰ってくださいね」
ぴ、と携帯を切り盛大にため息をつく。
頭を抱えて椅子にもたれかかるレインの様子に、丁度彼にコーヒーを持ってきていたトラベロが尋ねてくる。
「レインさん、今の電話は」
「アキアスからですよ。依頼は無事終わったそうです。――が」
「……レヴィンさん、また怪我したんですか……?」
「ええ、また派手に……全くもう……」
頭を抱えてまた大きくため息をつく。
さて、これで何度目の無茶だっただろうか……据えるお灸もより大きくしなくては。
いつもそうだ。決して無理をするな、無茶はするなと何度言ってもレヴィンは聞く耳を持ちはしない。
依頼が入る度に今度こそ病院送りになってもおかしくない怪我をするのでは――という不安が過ぎらずにはいられない程である。
電話越しのアキアスも大層怒っていたことから、彼が止めたにもかかわらず決行したのも明らかだ。
「本当、あの人は……はあ……」
「レヴィンさん、大丈夫なんでしょうか……」
「傷自体はだいぶ塞がっているそうですから、病院へ行っても軽い消毒ぐらいでしょうね。
とはいえ毎度怪我をしてやってこられる医者の身にもなるべきですが。……はあ」
僅かな間に三回もため息。
口調こそいつものように柔らかいが、感情が滲み出ている様子にトラベロが恐る恐る訪ねてくる。
「……レインさん、今日は相当怒ってますね?」
「え、そんなに顔に出てますかね」
「どっちかっていうと声ですかね……」
「顔もかなり眉間に皺寄ってるよー。まあそりゃそうだろうねって感じだけど」
さらに横から入ったエウリューダの意見にえ、とレインは声を上げる。
「……すみません、萎縮させるつもりはなかったのですが」
「あ、いえ全然です!というかレインさんが怒るのも正直わかりますしね」
「そうそう。ねーファナリヤちゃん」
「ふえ!?……え、えっと、わたしは、怒るというよりは……でも、気持ちはわかります」
唐突に振られたファナリヤも同意を示す。
新人二人も首を縦に振る、即ちそれぐらいティルナノーグでは日常的な光景として馴染んでいるということ――馴染んではいけないものなのだが――。
それぐらいレヴィンは無茶をすることに定評がついてしまっていた。
そしてそれをこれっぽっちも改めようとしない癖して、他のメンバーが無茶をすると烈火の如く怒りを露わにするのだからある意味で尚更タチが悪い。
一番心配なのは他の誰でもないお前だ、と声を大にしているというのにこの始末なのだから。
だけど。
「…………私が言えた義理ではないのかもしれませんがね」
ぽつり、独りごちる。
脳裏に子供の頃の無知な自分が過っていく。
何も見えないが故に、兄がどんな目に遭っていたのかすら録に知らなかった自分――
「レインさん?どうかしました?」
「……何でもありませんよ」
ファナリヤの声に思考を引き戻され、レインはいつものようににこやかな笑みを浮かべてはぐらかした。
――マゴニア郊外の市立病院にて。
「(もう傷塞がってるんだが……)」
傷の具合を見ながらレヴィンは自動ドアを潜るか否か迷っていた。
自身の力で移動している間にも再生は進み、ここにくるまでに大方塞がっている。
派手に動いても開くことはないだろうし、このまま帰っても良いのではないかと正直思わなくもない。ないのだが。
「(……行ったことにしないと怒られるよなあ)」
アキアスに鬼のような形相で迫られたのを思い出す。
彼のことだ、すぐにレインにも連絡を入れているに違いない。
そしてこの場合自分を庇ってくれる味方がいるかというと、NOである。自業自得だが。
とりあえず入るだけ入って、患者が多そうなら帰ろう。そう考えて恐る恐るドアを潜る。
中の様子は平日の病院、しかも定時前である故にそこまで忙しない状況ではないようだ。
受付に行き診察を頼もうと思えばできる。
「(……怖がられるよなあ。うん)」
――だがしかし、このレヴィンゼード・リベリシオンという男はひどく人見知りをする人物であった。
ただ受付をするだけのわずかなやり取りでさえ、自分とは全く関係ない相手と接するということに緊張の余り寒気が背筋を駆けていく。
知らない人と話すぐらいならこっそりと一人で応急処置を済ませた方が、彼にとっては少なくとも落ち着ける選択肢であり、
迷わずそれを選択した結果としてこっそりと病院を出ようとしたのだが。
「ねえパパ!あのおじちゃんけがしてる!」
と、急に後ろから子供の声がして思わず肩を震わせる。
恐る恐る後ろを振り向くと、4,5歳程の少女がこちらを指差して父親に語りかけていた。
そう言えば怪我の名残を一切隠していなかったことに今になって気づき顔が真っ青になる。
「(…………どうしよう)」
考えるもすっかりパニック状態となった頭に出てくる案などロクなものばかりではない。
上手く説明して何とかやり過ごさなければ。しかし子供に見られたということは親も近くにいるということ。
きっと見てはいけませんだの、危ないだのそういうことを言って遠ざけにかかるだろう。
「(――ああ、何だ。いつものパターンか)」
途端に一転して頭が冷えてきた、というよりは諦めたといった方が正しいだろうか。
こうして人との距離が遠ざかっていくのは今に始まったことではない。気づいた時からもう既にそうだったから。
もう諦めて下手すれば通報沙汰になるなり何なりしろと自棄になりつつあったレヴィンにかかった次の一声は、彼が予想だにしないことだった。
「おじちゃん、どうしたの?いたいの?」
「――!」
心配そうな顔で、少女ががこちらを覗き込んでくる。
「いまね、パパがせんせいよんできてくれてるよ。だからそれまでがまんしてね!」
「……え、あ、その」
「ヒナもね、ころんでけがしたらすっごいいたいけど、せんせいがきてくれるまでがまんしたらいっぱいほめてもらったもん!
おじちゃんも、がまんしたらきっとたくさんほめてもらえるよ!」
「……そ、そう……なんだ。よかったな……?」
別に痛くも何ともないどころか傷は塞がっているが、外から見ただけではそんなことはわかるまい。ましてや子供なら尚更である。
で、あるのだが……自分の怪我は一応土手っ腹を貫かれてできたものだ。
血の量はおびただしいと言っても指し支えない量が出ていて、その痕跡が服に残っているというのはこんな幼子相手にはグロテスクにも程がある。
そんなものを見てこの子は怖くも何ともないのだろうか?
「あの……その、お前――」
「先生、あちらです」
子供に語りかけようとしたタイミングで再び声。
おそらくこの子の父親であろう男性とが医師を連れてきたようだ。
あ、とレヴィンの口から声が飛び出る。それとほぼ同じくしてか、医師もまた朗らかに笑ってこちらへ歩み寄ってきた。
「はっはっは、何だレヴィン君じゃないか。また派手にやったんだねえ」
「……あ、はい。塞がってるからその、別に治療とかは……なんですけど、その」
「またレイン君に怒られるんだろう?わかってるよ」
すいません、とレヴィンは頭を下げる。
少女の父親が連れてきた医者がまさか主治医だったとは、運が良いのか悪いのか。
「よかったね!せんせいがなおしてくれるって!」
「……あ、ああ。ありがとうな」
「えっへん。どういたしまして」
自慢気に胸を張る少女に、思わずくすりと笑みを溢す。
その後父親に呼ばれ、その手を繋いで帰っていく。
「おだいじにねー!」
手をぶんぶん振るその子を、レヴィンは軽く手を振って見送った。
「知り合いだったのかい?」
「いいえ。その、入り口にいたら……はい」
「ははは、人見知りなのも相変わらずか」
「……まあ、こんななりですし」
「君が思ってる程周りは君を見ておらんよ、肩の力を抜きなさい。……どれ、消毒はしておこうかね」
シャツの下にある傷口に消毒液が塗られていく。が、ほぼふさがった状態のそれがしみることはなく、体のあちこちに残った傷痕と違って早くもその姿が薄れてきていた。
「やはり神秘力というものは凄いなあ。大きさと出血からしてかなり深く刺さっていたんだろう?」
「まあ、それなりに」
「通常なら何針縫うか分かったものじゃない傷だろうに」
「……あれぐらいなら、慣れてるんで。前受けたのに比べたら」
最早それがどれぐらい前に受けたのを指すのか、口に出しておいてわかっていない。
主治医はレヴィンの発言がそういう意図だということなど見透かしているかのように困った笑みを浮かべながら処置を施す。
消毒と念のためのガーゼと包帯、それからすっかり血で汚れてしまったシャツの代わり……一通り終わったところでまた診察室を出る。
「……すみません。シャツ代、必ず返します」
「いいよいいよ、もう長い付き合いなんだから」
「いえ、流石にそれは……その、俺にも何て言うか、義理とか意地とかありますので」
「変わらんねえ君は。あの時からずっと」
「……変われるような歳でもありませんし、ね」
そう言って会釈の後、帰路に着こうと踵を返すタイミングでまた医師から声がかかる。
「ああ、あの子は元気にしているかい?」
「あの子……?」
「ほら、君が川に流されていたのを助けた」
ああ、とレヴィンは納得したように手を打った。そういや出会いはそれが始まりだったな、と懐かしむ。
……あの時目の前で川に身を投げた少年が、今やこちらに説教を垂れる程と考えると色々と感慨深い。
「アキアスならうるさいぐらいに元気にしてますよ」
「そうかそうか。それならいいんだ。引き止めて悪かったね」
会釈して今度こそ帰路に着く。
……が、今素直に帰宅する気にはなれなかった。
今帰れば弟のドス黒いオーラに溢れた空間が待ち受けている……と考えただけで背筋が凍る。自業自得と言われればそれまでなのだがそれでも怖いものは怖い。
思えば最近警察依頼も少なくここを通るのは久しぶりである、折角なのでゆっくり景色でも見ながら帰ろうと思ったその時、ピリリリと携帯のアラーム音が響く。
う、と声をあげてレヴィンは恐る恐る携帯を取り出し着信相手を確認する。
……ファナリヤからだった。
「……?」
よっぽどの用がなければ彼女から電話がかかることなどない。何もなしに電話がかかるなどあるだろうか?
……最悪のパターンとしてファナリヤ経由でレインに繋がるなんてこともありそうだが、彼女がかけてきたものを知らぬ振りするワケにもいくまいと電話に出る。
「どうした?」
『あ、あの。ええっ、と……き、聞こえて、ます?』
「ああ、一応。……何か凄く騒がしいみたいだが」
『え、と……あの、その』
「……ファナリヤ?」
妙だ。変に彼女の声が小さく、それに加えて雑音も酷い。
まるで人の声が雑踏になったかのようなノイズに塗れている。少なくとも人が2,3人程度ではこのようなことにはならないハズだ。
まだ事務所にいる時間ではあるだろうが……何かあったのだろうか。
ファナリヤ本人も酷く戸惑っている様子で、こちらから要件を伺った方が良いだろうと口を開く。
「ファナリヤ?何かあったのか?」
『あの……その、えっと……何て、言えばいいんでしょう……と、とりあえず、今どこにいますか?』
「どこって……都内の病院の近くぐらいとしか」
『じゃあ、まだ家には帰ってない、ですよね。あの、"今日は事務所に寄るな、家にも帰るな"って伝えて、って……』
「誰が?」
『エウリューダさんが……"あいつらがきた"って言ってるんですけど、よくわからなくて……』
「……!!」
刹那、レヴィンの顔から血の気がみるみると引いていく。
髪色とは真反対の真っ青な表情で、呆然とファナリヤの会話を聞き続ける。
あいつらという単語だけで誰が事務所に訪れたのか嫌でもわかってしまった……思えば、その兆候はあった。
先日レインが苦虫を噛み潰したような顔で引き裂いていた手紙の、その宛名――
ぎゅ、と拳を強く握りしめる。
「……ファナリヤ。レインは?」
『え、ええっと……その、わたし、今レインさんと一緒に、隠れてて。何かあった時のために、レインさんを護って、って……』
「……そうか、ならいい。エウリューダとトラベロは?大丈夫なのか?」
『今、二人が帰ってもらうようにお話してるみたいなんですけど……全然帰ってくれなくって。エウリューダさんが言霊を使ってるハズなのに……』
「――何?」
ますます嫌な予感が募る。
……言霊が通じない?そんなバカな話があるものか。エウリューダの言霊は言葉が理解できるモノであれば全てに通用する程の強いモノだというのに。
何か仕掛けがなければそんな事態そのものが発生しないハズだ――
「!」
直後、背中から強い視線を感じ思わず振り返る。……誰もいない。
しかし確かに自分を狙うかのような視線を感じた。レヴィンは注意深く辺りを見回す。
まばらながらも人がうろついている街道から自分を真っ直ぐに見つめてくるこの視線には覚えがある。少なくとも味方のモノではない。
すぐ目の前、自分が今しがた通った直後の横断歩道の先。その遥か後方に自分に向けたであろう視線の主はいた。
無機質で氷のような瞳をした青い髪の長身の男の姿にレヴィンはバカな、と目を見開く。
「ユピテル・ヴァリウス……?!」
一度戦った相手のことを間違えることなどないが信じられず声が思わず震える。
何故このようなところでマグメール首領たる男と見えることになるのか。
アジルターカ卿の一件以降、少なくとも自分は一度も見ていない。それが何故――
まさか、とレヴィンの声はますます震える。同時にこちらに向かって走ってくる足音が響いてきた。大凡数人の単位だろうか。
事務所に訪問した連中のことも考えると間違いなくそれは自分を狙っている。
そして前にいるのはマグメール首領……嫌な予感が寒気となってレヴィンの背筋を駆け巡る。
「……まさか、あいつら」
『……さんっ、レヴィンさん!大丈夫ですかっ!?』
「……ああ。大丈夫だ、今はまだ……悪い、悠長に電話してられそうにないから一旦切る」
『ま、待って――』
ぷつん、とファナリヤの声はそこで途切れた。
何か言いたそうにしていたがそれを聞いている余裕すらないだろう。
何故なら自分を追いかけてきているであろう足音の主の姿がはっきりと見えるまでに距離が縮んでいたのだから。
数人のスーツを纏った大柄の男たち――所謂SPといった出で立ちの連中。本気で逃げ切らないと自分の身の保証はない。
丁度自分の真隣に存在する横断歩道の信号が青を示したのを好機と言わんばかりに、レヴィンは全力で駆け出した。
「レヴィンさん!待ってください……!!」
ファナリヤが必死に呼ぶが、もう既に電話は途切れた後でツー、ツーとただただ回線が切れたのを示すだけ。
一度切り、急いで再びかけ直すがレヴィンは電話に出ない。何度も何度も繰り返しても彼が出ることはなく、不安と焦りに駆られていく。
「ど、どうしよう……どうすればいいの……!?」
いったい何が起こっているのか、ファナリヤには全くわからなかった。
――事の発端はおよそ十数分程前に遡る。
事務所の窓から来客と思しき者の姿が見えた為出迎えるべくファナリヤがドアへ向かおうとした時。
「"待って"!!」
エウリューダの言霊が彼女の脚を止める。
それは普段の明るくにこやかな彼とは程遠いような血相を変えた顔で、それだけで只事ではないことを察するのは難しくはなかった。
だが何故、いきなり止めるなどということをしたのかがわからない。トラベロも首を傾げて彼に問いかける。
「エウリューダさん?どうかしたんですか?」
「ごめん、説明は後で絶対するから。俺の言う通りに動いてくれる?」
「え、えっと……?」
「……二人共、今は従ってください。お願いします」
エウリューダに便乗するようにレインが口を開く。
感情がないかのような無表情と淡々とした声だが、それが込み上げてくる感情を無理やりに圧し殺しているかのようにも思わせた。
そう、まるで今にも飛び出しそうなのを自ら律しているかのような……
何が起きているかは全くわからないが、とりあえず只事ではないということだけはわかる。トラベロもファナリヤも黙って首を縦に振った。
それを確認するとエウリューダはレインを連れて事務所の奥の本棚へと向かい、下の棚の戸を音を立てないように動かす。
すると向こう側に隠し部屋と思しき空間が姿を現し、エウリューダはレインに入るように促す。
「絶対に出ちゃダメだからね」
「…………ええ」
「スピル君たちが戻ってくるまでは俺が何とかするから……もうすぐ戻ってくる頃だし、大丈夫だよ」
レインは俯き答えない。ただ黙って拳を握りしめて唇を噛み締め、己の感情を抑え込もうとしているかのように振る舞っている。
その姿に、ファナリヤはかつてのロッシュの依頼の件で見た彼の顔を何故か思い出す。
――あのような顔をした理由に今起きていることに何か関わりがあるのかもしれない、何故かふとそう思った。
「ファナリヤちゃん」
「えっ、あっ、はい!?」
「レインさんと一緒にいてくれる?いざというときに護ってあげて欲しいんだ」
「あっ……は、はい!わかりました!」
「それと、レヴィンさんに連絡するのはファナリヤちゃんに任せていいかな?トラベロ君はスピル君とアキアスにお願い」
「あ、はい!ええと、どう伝えたら……」
「ショートメールでいいよ。"あいつらがきた"……って、俺からの伝言ってことにしたら伝わるハズだから――」
……そして、現在に至る。
何とか持ちこたえてはいるが、相手が素直に食い下がらないということはエウリューダの言霊が通用していないという結論を導き出すには容易過ぎた。
しかし他の神秘力の干渉がなければ言霊が通用しないなどという状態にはならない、ならば一体どういう仕組みか……それは先程のレヴィンとの電話が証明してくれた。
確かに先程、ユピテル・ヴァリウスという名が聞こえたのだ――つまり、今回の件はマグメールが確実に絡んでいるということになる。
つまり奴らの神秘力か何かを用いて言霊が通用しない状態にしているのだろう……妥当な線としてはエイヴァス・ラヴレスの《強制催眠》による聴覚操作といったところか。
「……よりにもよってマグメールと組んだか。そうまでして……」
レインが怒りに震わせた声で呟き、ファナリヤは思わず身を震わせる。
彼女自身が他者からの怒りの感情に慣れていないのもあるかもしれないが、今の彼の声には聞いた者が意図せず竦み上がる程の憎悪が籠っていた。
しかし他者の様子に気づく余裕は残っているようでファナリヤの様子に気づいたレインは申し訳無さそうに口を開いた。
「……すみません」
「い、いえ……!わたしの方こそ、その」
「いえ、何も知らぬ貴女とトラベロさんまで巻き込んでしまった。こうなる前に話をしておくべきだったのにしなかった私の落ち度であることに間違いはありませんから」
俯きながら口を開くレイン。
確かにファナリヤはいったい今何が起きているのかを理解できていないが、何となくレインが言っている「するべきであった話」がどういうものなのかは察することができた。
そう言えば確かに、彼らの名前が出たり彼らは出さないといった依頼を受けたことはある。
――アジルターカ卿の護衛依頼。あの時、依頼主本人がレインのことをこう言っていた気がする……
「……リベリシオン家の、次期当主……って、レインさん、前に言われてましたよね。あの……貴族の人に」
「…………」
「それと……関係がある……んですよね?えと、その、聞きたくないこと聞いちゃってます、けど」
「――そう、ですね。隠せるようなことでもありませんし、私で話せることはお話しましょう。
……連中が何とか帰ってくれたら、ですが」
「だから、"レインさんは今出先で今日はもう帰ってこない"って言ってるでしょ!」
「見え透いた嘘を何度繰り返すつもりだ!ハルフェーズ様がいるのはわかっている、大人しくあの方を――」
ドアの向こう、エウリューダと招かれざる客が言葉の応酬を続けている中、トラベロは不安そうに聞こえてくる会話から様子を伺っていた。
彼には《絶対障壁》がある、強行突破の阻止等対面している以上は容易ではあるが……何となく嫌な予感がしてたまらない。
「(何で、どうしてエウリューダさんの言霊が通用しないんだ……!?)」
会話はきっと、隠し部屋にいるファナリヤとレインにも聞こえていることだろう。それぐらいに相手側の声が大きい。
声の様子から言霊が通じていないということは二人も察知したハズ。
エウリューダ自身も感情を表に出さぬよう努めているとはいえ内心焦っているに違いない。
しかしかと言ってトラベロにできることは何もなく、彼の言う通り連絡を済ませた後はただこうして見守っていることしかできないだろう――だが、どうしても胸がざわつく。
まるで警鐘を鳴らしているかのようで嫌な予感がする。
スピルたちがくるまで持ちこたえれば良いとは言え、杞憂にしては酷い胸のざわつき様でトラベロ自身も戸惑っていた。
そして次の瞬間、その嫌な予感が当たったかのようにパァン、と音が響く。
胸騒ぎが当たったような気がしていてもたってもいられず、衝動的にドアを開け駆けつけた。
「エウリューダさんっ!!」
「トラベロ君!?出てきちゃダメだよ!!」
エウリューダは無事だ。それもそうだ、痺れを切らして奴らが発砲しようが相対している限りは彼に傷一つつけられはしないのだから。
しかし仲間を撃とうとしたのは事実でかつトラベロを憤慨させるには十二分な理由であり、彼は男たちに勢いよく啖呵を切る。
「いったい何なんですか!さっきからいないって言ってるんだから諦めて帰ってくれませんか!?迷惑です!!」
「大人しくあの方の身柄をこちらに引き渡せば我々とてこのようなことをせずに済む!ハルフェーズ様はどこだ!」
「そんな人知りませんよ!うちにはいません、だから帰ってください!!」
「トボけたことを……いい加減にしないと――!」
再び男たちは銃を構える。しかしトラベロもエウリューダも銃を構えられたぐらいで怯むような質ではない――今までの経験上もう慣れた故と言うべきではあるが――。
このまま互いに均衡状態になるかと思われたが……
「こいつら相手にそういった脅しは通用するワケないんだから、実力行使が早いですよ」
聞き覚えのある声が二人を一瞬だけ硬直させた。
相手側の後方からゆっくりと歩いてくる人物――白い髪に紅い瞳、狂気を湛えた笑みの少年。
その容姿がはっきりと二人の目に映った瞬間、目を塞ぎたくなる程の眩い光りが放たれる。
「う、あ……っ!」
まさかの人物の登場に動揺したのが仇となり、二人して光を直視。強い刺激に目を瞑り、目眩に膝をつく。
それは防衛ラインが一気に崩されてしまったことを意味していた。
狂人――エイヴァス・ラヴレスが男共に目配せをすると一斉に事務所内へ雪崩込もうと突撃を仕掛ける。
「しまっ……うわっ!」
「いった……っ!!」
止めなければと動くはいいが、先程の目眩ましでロクに辺りが見えず二人して男共の流れに揉まれて壁に突き飛ばされる。
その上立ち上がろうとすると酷く体がふらふらする……まるで平衡感覚を奪われているかのように体の制御が効かないのだ。
間違いなく元凶はあの狂人だ。先程から聞こえるくすくすといった嘲笑う声がそれを証明している。
エウリューダの言霊も奴がいる限り効くことはないだろう、このままでは……と思った次の瞬間。
「うおおおっ!?」
男たちが一斉にドアから引き剥がされた――正確に言うなら吹き飛ばされたと言うべきか。
突如に、かつ局所的に吹き荒れた突風が侵入者を拒むかのように次々と近づく者を薙ぎ払っていったのだ。
そして同時に、男共を指揮していたエイヴァスの首に一振りの刃が突きつけられる。
「そこまでにしてもらおうか?」
「……ちっ。予定より早いじゃないか、所長様」
刃の主――スピルに目を遣り舌打ちするエイヴァス。
スピルは肌に食い込むか食い込まないかのギリギリの位置に剣を突き立て続け、殺意すら籠っているかのような目でエイヴァスを睨む。
「まさかあちらが君らを雇うとはね。これまで通りなら僕がいない隙にレインを連れていくつもりだったのだろうけど……
君が依頼通りに事を運ぶ人間とは思えない。このまま下手に動くなら本気で首を刎ねさせてもらう」
淡々と告げるスピルの言葉は本気だとエイヴァスは確信し、対するスピル自身も反応からこの手段が通用すると確信する。
エイヴァスは加虐嗜好に傾倒する余り隙が生じやすい傾向があるのはこれまでからも、そしてマグメールの男から入手した情報からも明らかだ。
今回もそれに漏れず完全に予定通りに事を運べると過信し、恐らく自らの手筈通りにトラベロとエウリューダを行動不能にした上で嘲笑うつもりでいたのだろう。
「……残念ながら、流石に依頼主が依頼主だからね。悔しいけど従わなきゃ僕の身も危ないんだよ」
「へえ、じゃあ大人しく退いてくれるのかい」
「ああ、今日は退いてあげるよ。非常に業腹ではあるけれど、僕は死ぬワケにはいかないからね…………――のために」
「……?」
最後の言葉がよく聞き取れずスピルは目を細める。
しかしその言葉は事実のようで男たちに目配せすると渋々と引き上げていき、最後の一人の姿が見えなくなったところでエイヴァス本人も神秘力を使って姿を消した。
暫くの間警戒を続け、完全に撤退したと判断してからスピルは剣をスクラップブックの中に戻す。
それと同時に今まで彼の指示で安全な場所で待機していたのだろう、救急箱を携えてマリナがこちらへと駆け寄ってきた。
「二人共大丈夫!?怪我してない!?」
「は、はい……してないですけど……ちょっと、きもちわるい、です……うっ……ぷ」
「う~~くらくらする~~……せかいがまわってるかんじぃ……」
トラベロもエウリューダも乗り物酔いのような症状を訴えてぐったりとしている。恐らく平衡感覚を狂わされたことことによる副次効果といったところか。
それ以外には目立った外傷自体はないようでマリナはほっと胸を撫で下ろす。
「レインは無事なの?」
「レインさんなら……ファナリヤさんと一緒に、隠れてますよ……」
「何とか持ち堪えれてよかったよー……うー気持ち悪い……」
「……ひとまず中に戻ろうか。こんなところで寝転がるのも体に毒だしね。僕が見張ってるからマリナは二人を」
「了解。さ、二人共捕まって」
そう言って二人に肩を貸し、いや最早二人を抱きかかえるようにしてマリナは事務所内へと入っていき、
スピルは周辺を警戒するかのように見回しながら携帯を取り出して電話をかける。
「僕だ。急で悪いがアレを別所に変更してくれ、特定されている可能性があるんだ。……ああ、場所の指定は一任する。
用意ができたらまたいつもの手筈で連絡を頼むよ。じゃあ」
手短に要件を伝えて連絡履歴を削除する。
「(……いい加減終わらせないといけないな。このままでは、きっと――)」
時は黄昏、逢魔ヶ刻。紅から蒼黒へと変わりつつある空を見上げながら独りごちる。
"あいつら"の襲撃はあの二人を迎え入れてからこれで恐らく4度目だが、犯罪組織であるマグメールを雇ってでも奪い去ろうとする程の執念深さ……
この因縁を断ち切らぬ限り、この先の未来は決して明るいものではないと確信する。
しかしそれとは別の懸念がよぎったのか何なのかわからないが、スピルの胸は妙にざわついて止まないのだった。