第一章【ハジマリ】第二十節-後編
『――おい、火事だ!火事が起きてるぞ!』
『ヤバいよアレ、隣に燃え移るんじゃない!?』
『110番!110番呼べ速くっ!!』
野次馬の叫びが木霊する夜の住宅街。
何故ここにいるのだろうと、ファナリヤは立ち尽くしてそれを見ていた。
先程まで見ていた光景とはがらりと変わったその場所を、何故か"知っている"ような気がする。
同時にひどく胸がざわつく。嫌な予感が悪寒となって彼女の背を駆け巡って止まらない。
彼女の前には、轟々と燃え盛る一軒家があり……
気づいた時には走り出していた。
『おいあんた!危ないぞ!?』
『ごめんなさい、どいてくださいっ!!』
何故こんなにも嫌な予感がするのかはわからないが、急がなければならなかった。
早くしなければと、強迫観念にも似た感情がファナリヤの背中を押していく。
――お願い、無事でいて!
それは誰に対する祈りなのか。
家のドアに手をかけて無理やり扉をこじ開ける。
軽く手が焼ける音がしたし外野が止めようと叫んでいるがそんなことはどうでもいいかと言わんばかりに中へと入り、炎の城と化した屋内を慎重に、かつ迅速に進む。
熱い、息が苦しい……早く"彼ら"を助けなければ。
自分を"おねえちゃん"と呼び慕って暮れた少年を巻き込んではいけない――ファナリヤの頭は夢の中にいるあの少年への想いで埋め尽くされていた。
ここが"彼の家である"と何故か確信ができていて、彼と彼の家族が危ないと直感していて、ますます強迫観念じみた使命感が促すように背中を押す。
――早く、早く!どうか間に合ってくれますように……!!
焼け落ちる廊下を進みきり、リビングへと繋がるドアに手をかける。
『――――!!』
少年の名を叫ぶ。
ノイズに塗れすぎて自分には全く聞き取れないが、少年にはちゃんと届いたのかぴくりと反応を示す。
顔が塗り潰された少年はそこにいた。
見るも無残な有り様となったリビングの中心に、血塗れで呆然とした状態で。
ファナリヤは青ざめ息を呑む。
炎に包まれ、早くも骨が見えている男性、子をかばうようにして倒れている女性の死体。
そして、少年がその身に浴びている血と、彼の前に広がっている肉の欠片……
間に合わなかったと、その現実を理解するのに時間は必要なかった。
『――――……!!!』
『……あ……ぁ』
駆け寄り、その血塗れの肩を掴んで揺さぶる。
彼だけでも助けなければいけない。本当は後を追わせてあげる方が彼にとって幸せだったとしても、それだけはできない。
こんなことになっても、彼には生きていて欲しい、彼に待っている未来を潰してはいけないのだ。
だって、こんな悲劇を招いてしまったのは……
――?
何故、"自分のせいだ"と"知っている"のだろうか。
ファナリヤがふと我に返ったその時、堰を切ったように少年が慟哭する。
『――ああぁぁあアアァアアアあああああぁぁああああァァァァAAAAAAああああああああaaaaAAA!!!!!!!!!!!!』
悲鳴と同時に炎よりも鮮やかなオレンジ色のオーラが部屋に満ち、炎が少年自身をも包んで暴れ狂う――!
「――――ッ!!!」
そこでファナリヤは現実に引き戻された。
……頭が痛い。自分はさっきまで何をしていたのだろうかと呆然と立ち尽くす。
確かあの時、フードの人物の話を聞いてから、急に頭が痛くなったのだけははっきりと覚えている。
しかし、それから後の記憶がひどく曖昧だ。思い出そうにも頭痛が酷くてしばらくはできない。
けれど何故部屋はこんな酷い有り様になっているのだろうか。それにこの焦げるような臭い……
「……!!!」
ファナリヤはやっと目の前に広がる炎を認識した。
自分の髪の毛先が焦げてちりぢりになっている、いやそれ以前に。
「あ……あ……」
目の前で、燃えている、その、青年は……
「いやぁあああああああああああああああああああああああああぁあぁあああああああああああッッッ!!!!!」
劈く悲鳴を上げて、ファナリヤは飛び出した。
「あ、つ……っ!!」
手を伸ばせば青年を包む炎が手を蝕み、手袋はあっという間に焼けて、自分の肌も焼け爛れる。
けれどそんなことはどうでもいいと言わんばかりに必死に手を伸ばす。
早く消さなきゃ!助けなきゃ!!早くしなきゃ死んでしまう!!
泣きながら炎を手で払おうと躍起になる。そんなことで消えるワケがないということなどすっかり忘れて。
「トラベロさん!!トラベロさん!!!トラベロさんっ!!!嫌っ、死なないでっ、死んじゃやだあっっ!!!!」
伸ばす手はますます焼け、服の袖も燃えて白い肌が露わになる。
しかしそんなことはどうでもよかった。それよりも彼が死んでしまうことの方が怖くて怖くて、恐ろしくて。
失うことへの恐怖が彼女をその場に縛り付けて思考も奪う。
トラベロを包み込む炎は、当然消えるワケもない。
簡単にこの状況を表すならば、詰み。
……と、普通ならそうなるハズだったのだが。
「ファナリヤさん……っ!?ダメですそんなことしたら火傷しちゃいますっ!!」
これはいったい何の奇跡か。
炎の中からトラベロが手を伸ばし、ファナリヤの腕を掴み止めた。
え、と素っ頓狂な声を上げる彼女の目からは涙が引っ込み、思わず掴んだトラベロ自身も呆然とする。
「………………あれ?……え、あれ??」
何が起こったというのだろう。
トラベロを包み込んでいた炎は綺麗さっぱり姿を消し、自分の体を見回しても傷はあれど火傷の類は全くない。
それどころか服も炎にかかったというのに穴の一つすら空いていない。
――僕、確かに自分に火をつけたのに……?
「…………ええと、その…………すみません、心配、かけちゃって」
まさかこんなことになるとは思わず、トラベロは余りにもの申し訳無さから目を逸らして謝罪。
これは当分口を聞いてもらえなくても仕方がないだろうなあと心の中で独りごちながら、ファナリヤの反応を伺うように頬を描きながら横目に見る。
そしてそのファナリヤ本人は。
「…………トラベロ、さん」
「……はい」
「……………ふぇっ、え……」
「!?」
「うぇっ、ふ、ぇぇ、えええええぇぇええ……!!!」
ぽつりと名を呼んだかと思いきや、大きな声で泣き出した。
「ふぁ、ファナリヤさんっ!?ご、ごめんなさい、本当に!すみませんっ!!」
「ドラベロざんんん……よかっ……よがっ、だ……う゛ぇええええええええええええ……!!!」
「ああああ本当にごめんなさいファナリヤさんっ、もうこんなことしないですから、大丈夫ですからね……!」
だから泣かないでください――とは流石に言えず、トラベロは困ったように笑って泣き続けるファナリヤを慰める。
護ると言っておきながら心配をかけて挙げ句の果てに泣かせてしまうとは情けない男だなと恥ずかしく思うが、
こうしていつもの彼女が戻ってきたならそれでいいか、とも思い色々な意味で複雑な気分である。
ただ、もうこんなことは絶対にするまい……彼女の涙を見てそう心に誓う。
ファナリヤを慰めるトラベロの顔は、困った笑顔でありながらもどこか安心しているような、そんな表情をしていた。
「――終わったか」
ぽつりとユピテルは呟く。
トラベロが駆け抜けた先を数秒程見つめた後、地に突き刺さった剣を引き抜いてその場を去らんと足を踏み出した。
スピルは呆気にとられた顔でその場に座り込んでいたが、ユピテルが自分の真横を通り過ぎた時ふと我に返ったかのように友の名を叫ぶ。
「ユピテルっ!!」
願うように呼んだ名は友の耳に届き、足音がぴたりと止む。
振り向くことなくただ次の言葉を待つユピテルに、スピルは疑問をぶつけた。
「……何故、殺さなかったんだい?」
「…………」
「確実にやれたハズだよ。君なら」
そう、あの瞬間のスピルに防ぐ術など一つもなかった。
また死ぬのかと、諦めて目を閉じた瞬間、剣が地面を抉る音がしてそこでユピテルがそのとどめの一撃を外したのだと察するに至ったが、
何故そうしたのか、疑問が残る。
あの時のユピテルは確実に殺す気で剣を振るっていたし、彼はあのような状況で攻撃を外すような腕の人物ではない。
わざと剣を地に突き立てたのだ。
しかもその後、黙したまま何もせぬままにその場に突っ立って、ただこちらを見つめていただけなのがより疑問を加速させる。
「……本当に、君は何を考えているんだい?」
「……さて、な。私にもわからないよ、"今はそうとしか言えない"」
「……ユピテル?」
「ただ、お前を今殺さなかったこと。それは――それだけは、今の私の本心からの想いで決めたことだ。
二度も、友殺しの罪を犯すなど……流石に、な」
「!」
「行け、スピル。……可愛い新人なのだろう?迎えに行って、その頑張りを褒めてやれ。
お前にそれをさせることが、今私にできる"精一杯"だ。次はどうなるかわからない。だから――」
ユピテルは再び歩き出し、静かにその場を去っていく。
スピルはそれを黙って見送った。追いかけたい想いがないと言えば嘘になるが、それよりも優先すべきことが今はある。
だからせめて、姿が見えなくなるまで友を見送るだけに留め、それが終われば先へ進むべく走り出した。
「私は願う。お前たちが強くなることを。そして、いつか、"私を止めてくれる"日がくることを」
去り際に残された友の言葉を、何度も頭の中で繰り返しながら……
「……落ち着きましたか?」
「ぐずっ……はい……」
目尻に残った涙を拭い、鼻をすする。
ファナリヤの目はすっかり赤くなってしまっていたが、その表情は晴れやかだ。
「トラベロさん……助けにきてくれたんですよね。ありがとうございます」
「当たり前じゃないですか。それに僕だけじゃない、スピルさんにレヴィンさん、アキアスさん、エウリューダさん……
みんな、ファナリヤさんを心配してここまできてくれたんです。僕一人じゃ絶対に無理でした」
「みんなが……」
そういや結局、アキアスとは仲違いをしたままここへ連れ去られてしまったことを思い出す。
あの時は言葉をその通りに受け止めてしまったが……
"仲が良いからこそ、相手が大切だからこそ譲れないこと、間違っていることを恐れずに指摘する。その人のことが大事だから"
トゥルケのあの言葉の通りだった。
でなければ、こんなところに危険を冒してまできてくれなどしないのだから。
「……皆さんには、謝らないといけないです、ね」
「そんな、ファナリヤさんは悪くないんですから……」
「ううん、謝りたいんです。わたし自身のけじめでもあるんです」
いかに自分の考えが軽率だったか、今回のことで身を以て思い知った。
心配してくれているからこそ前に出させまいとしたのに、それよりも自分の気持ちを優先させて、勝手なことを言って、勝手に落ち込んで……
ファナリヤのしたことは、ただの独りよがりでしかなかったのだ。
「だから、トラベロさんにもちゃんと謝ります。ごめんなさい、たくさん心配をかけちゃって……本当にごめんなさい」
「……ファナリヤさん」
深々と、ファナリヤは頭を下げる。
心配させたのは僕の方なんだけどなあ、と思いながらもそれを言うことは彼女にとってのけじめではきっとなくなるだろうか。
そう思ってトラベロはただ黙ってその言葉を受け取り、言葉を返そうとしたその時。
――ぱち、ぱち、ぱち。
唐突に響く拍手の音。
「お見事でした。自決のつもりが予想外の最良の結果を招くとは……貴方は類稀なる幸運に恵まれているのですね」
賞賛の言葉を抑揚なく淡々と紡ぐ拍手の主。
黒いフードに身を包んだ人物が再び姿を表していた。
緩やかな微笑みを口元にたたえ、何一つ感情篭もらぬ声で二人を寿ぐ。
「認めましょう、今回は我々の敗北です。勝利の報酬として彼女を連れて帰るがよろしい」
「ファナリヤさんをモノのように言わないでください」
「これは失敬」
あまりにも形しか意味を成していない謝罪に不快感と嫌悪感を覚え、トラベロは表情が険しくなる。
ファナリヤも同様で、彼を護ろうとするかのように前に立つ。
二人して感じる既知感が、よりそれらの感情を煽り立てていた。
――こいつは、間違いなく敵だ。
本能が告げる。絶対にこいつだけは許してはならないと、二人は確信を抱いて対峙する。
「……あなたはいったい何者なの?」
「ノーウィッチ。マグメール首領ユピテル・ヴァリウスの側近を務める者です」
「そういうことじゃないわ!!」
「ええ、そうでしょうけれど自己紹介はしておくべきかと思いましてね」
こちらの怒りなど意に介さぬかのような返し。
まるで話にならない……ますます不快感が募る。
こちらの思考を読んで、その上でわざと返しているのか?
いや違う、このノーウィッチと名乗る者の言動は決してこちらを嘲笑う目的で発言しているのではない……トラベロはそう直感し、怒りを露わにするファナリヤを諌めるように声をかける。
「……やめましょう、この人と話をするのは時間の無駄にしかならないです。それよりもスピルさんたちと合流しなきゃ」
「懸命な判断ですね。無事を確認するためにも合流を果たすのが現時点最良の選択肢でしょう。"無事にここを出られるか"はさて置き」
「……どういうこ……ッ!?」
トラベロの言葉を遮るように揺れる地面。
同時にどこからか派手な爆発音も聞こえてまさか、とトラベロの顔が青ざめる
「ここはあと5分……長くかかっても7分程度もすれば跡形もなく崩れ去る。攻略されてしまった敵の本拠など、現実であっても存在する意味はない」
「な……っ!!」
「報酬を与えるついでに、最後に脱出ゲームのご案内をさせて頂こうと思いましてね。無事に全員抜け出せたならば、時を見て再戦と致しましょう。
今回、想定していた程のデータを得られなかったのが残念ですが、今後に十分期待する価値があるものを見せて頂きました。
できればまた会いたいですね、トラベロ・ルシナーサ。……貴方はきっと、より良いデータを持って対峙してくださることでしょう」
と、残してノーウィッチは再び姿を消す。
直後、真後ろの壁が派手な音を立てて崩れ落ち、こちらの手前まで瓦礫で埋まってしまった。
色々と思うことはあるがそんな悠長な時間はない。
今眼前に迫っているのは文字通り、死だ。
「で、出ましょうファナリヤさん!本当にヤバいですコレッ!!」
「はっ、はい!」
「スピルさんたちも残ってますし知らせなきゃ……!!」
そう話している間にもまた轟音が響き、天井が崩れる様子を見せてくる。
うわ、と小さく悲鳴を上げて二人は慌てて部屋を脱出、同時に天井は完全に崩れて入り口は瓦礫で埋まってしまった。
先程までいた部屋の無残な有り様に背筋が凍らずにはいられない。
しかして固まる余裕もない程に崩壊は進んでいるのも確かで、空間の壁が、天井が、次々ひび割れていく。
二人は脱出を急いだ。疲れとか痛みとかそういったものは一切忘れて無我夢中でとにかく走った。
今の自分に出せる最大速力を振り絞り、崩壊の足音から逃れようと躍起になるが崩壊はそれ以上に早いスピードで二人の行き先に回り込んでくる。
天井から岩屑が次々と地に落ち、次々と道端に障害物が生まれては二人の脱出を邪魔しにかかって……
「う、わあっ!?」
トラベロの足に引っかかった。
躓いて派手に転ぶ。体を地面に打ち付けた時の衝撃で思わず吐きそうになる。
「トラベロさんっ!!」
「だ、大丈夫ですから先に行ってくださ……痛っ!」
立ち上がろうとする足に激痛が走る。転んだ際に足をくじいてしまったようだ。
――嘘でしょ、こんな時に限って……!
崩れる音が段々と自分の手前まで近づいてきているのが尚の事トラベロを焦らせる。
ファナリヤは助けようとUターンでこちらに向かおうとしているが、今のこの状況でそれは悪手だ。
彼女だけでも先に行かせなければ!
「だ、ダメですファナリヤさん!先に逃げて……!」
「嫌ですっ!絶対にできないです!!」
制止を突っぱねてファナリヤは神秘力を使う。
髪の毛を伸ばし、トラベロの体に抱えるように巻きつけ持ち上げる。
「ふぁ、ファナリヤさん!?」
「しっかり掴まっててください!ちょっと、苦しいかもですけどっ……!」
トラベロを抱えてファナリヤは再び脱出を急ぐ。
男にとってはあまり嬉しくないことだろうとは思うのだがそんなことを言っている場合では断じてない。
後でこのことを謝っておけば良いだろう、命あっての物種なのだから今は余計なことを考えてはいけない。
赤く染まる自分の頬をぱん、と手で叩きながら崩れ落ちる道をひたすら走る。
だが助けるという"手間"を取ったことで崩壊は相対的に勢いを増し、すっかり行く先まで追い越してしまった。
二人の真上から大きな音を立てて、天井だった大岩が落ちてくる!
しまった――と目を閉じたその時。
「……――に――――あ―――――――え―――――――――――――――ッッ!!!!」
乞うような叫び声。
クレッシェンドを体現するかのように段々と耳が痛くなる程はっきり聞こえてくる。
恐る恐る目を開けるととてつもないスピードで何かが迫ってきているではないか。
ガン、と何かにぶつかる音と共にその何かの姿をようやく認識する。
天井の痕跡だったものは不可視の壁に阻まれ、二人の目の前には何よりも頼もしい仲間たちが駆けつけてくれていた。
「ま、間に合った―――――……!!!」
エウリューダが緊張の糸が切れたかのようにぺたんとその場に座り込んだ。
何やら大きな雲のような乗り物に乗っている……スクリーントーンが貼られたような外観からスピルの神秘力で具現したものだろう。
それを証明するかのようにスピルが顔を出してファナリヤに手を伸ばす。
「早く乗って!!」
「は、はいっ!!」
「トラベロ、大丈夫か……!」
「大丈夫です、一応……!」
レヴィンも手を伸ばし、ファナリヤから受け取るようにトラベロを抱えて雲に乗せる。
二人を収容したのを確認し、スピルが合図すると雲はとてつもないスピードで走り出した。
エウリューダの障壁の範囲から逃れた大岩が勢い良く地面にぶつかるのを見て、トラベロもファナリヤも恐ろしさに固まる。
皆がきてくれなかったらどうなっていたことか……
「皆さん無事だったんですね……!よかった……!」
「そっちも無事でホントによかったよー……!」
「エウリューダさんこそ!怪我は大丈夫なんですか……?」
「大丈夫、レヴィンさんが治してくれたから!でもトラベロ君は見ない方がいいかなって思って上着借りちゃった。
あと、アキアスのことも心配だと思うけど今は見ない方がいいよ。酷い怪我してて……」
エウリューダはアキアスに目を向ける。
毛布に身を包み、レヴィンに抱きかかえられた状態で意識を失っている……
少しだけ覗かせる髪が少しだけ赤黒く染まっているのにトラベロは吐き気がして目を逸らす。
髪まで血に濡れる程にエイヴァスとの戦いは過酷だったのだろう。
「積もる話もあるだろうけど後にして!喋ってると舌噛むよッ!!」
スピルがそう言うと雲はさらに勢いを上げて走り出す。
口を開けば本当に舌を噛みそうなぐらいのスピードで、崩れ落ちる瓦礫を掻い潜る。
このスピードを維持しつつ軌道を細かく変えていくのに思わず落ちそうになると感じてトラベロもファナリヤも雲にしがみついた。
「このまま出口まで一直線に走れば間に合うハズ……!まだ無事だろうし……」
「……………………あっ」
スピルの発言に対し、何か思い出したようにレヴィンが声を上げる。
大量の冷や汗をかいてどうしよう、といった様子で、彼の顔を見たエウリューダが嫌な予感を感じたのか恐る恐る声をかけると。
「れ、レヴィンさん?どうしたの……?」
「………………ごめん…………」
「ちょっ、レヴィン何かしたの!?」
「……そういや、入り口。……俺が……壊、してた……」
ざああ、と全員から一気に血の気が引く。
そういえば、最初乗り込んだ時に追手がこないようにとレヴィンが神秘力で歪めて開かなくしていたのだったか。
やらかした本人もすっかり失念していた程にこの状況が切羽詰まっていたということなのだろうが……
「ちょっっっっっっっっっっっっっっっっっっっとお!!!!!!どうすんのさこれもう止まんないんだけど!?!?」
「ごめん!!!!ごめんなさい!!!!!こんなことになるなんて思わなかったんだっっ!!!!」
「どどどどうしましょうっ、入り口しまってたら出られないですよね!?!?」
「お、おおおお落ち着いてみんな、落ち着こうよ!何かあるハズだよ何か!」
「え、エウリューダさんも落ち着いてください……!」
全員が全員慌てふためき、ロクに頭が回ったものではない状態に。
そうしている間にも、雲はあっという間に最初の階段手前までやってきた。
ここから出口まであと少し、それこそ1分もかからない。
「あああああああっどうしようえっどうすればいいんだこれ俺どうやって出るって言ってたっけ」
「ええっともう僕の炎で溶かすとかっああああでもそれはそれで皆さんが危ないどころか大惨事だどうしよう……!!」
「どうしよう俺のせいでみんな生き埋めに……あああああああ……!!」
「……ぅるっせえなあ……!!」
「ぐはっ!?」
唐突にさっきまで気を失っていたアキアスが口を開き、レヴィンの腹に肘を叩きつける。
「……あ、アキアス……いきなり、何、を……」
「言い出しっぺだろうが……責任持ってこじ開けろやバカ野郎……!!」
アキアスから淡い光が発せられ、次々とレヴィンに入り込んでいく。
神秘力で彼の体を強化したのだ。
そうだ、確かにレヴィンは言った。"殴れば開く"と。
慌てすぎてそれが全員頭からすっぽ抜けてしまっていたのに今更になって気づいた。
歪んだ入り口はもう目の前にある、間に合うか……!
「っ、うおおおおおおおおおおああああああああああああぁぁあああああああああああッ!!!!!!!!」
半ばヤケになった状態で叫びながらレヴィンは全力で左拳を突き出した。
雲のスピード、アキアスの与えた生命の氣、そして本人の神秘力による重圧の乗った拳がぶつかり――入り口どころか周辺の天井までが木っ端微塵に砕け散る。
そして、数メートル程勢いよく飛び上がったところで雲がぽん!と音を立てて消え去った。
「えっ」
全員が全員呆気にとられた顔をする。
宙に浮いたとは言い難い高さまで達した状態で、足場となっていたものがなくなれば……
「ちょ、わ、あ、ああ、ああああああああああああぁぁぁぁ!!!!」
当然、落下は免れない。
どすん――と派手な音を立てて全員地面に落っこちた。
各々体のどこかしこを強く打ち付け、死屍累々の如く倒れ込む。
「あいっだだだだだだ…………み、みんな大丈夫かい……?」
「1番トラベロ、全く大丈夫じゃありません……起き上がれません……」
「……傷っ、傷口モロッ、モロ当たったんだけどっ……ちょっ、マジで痛、泣きそう……」
「れ、レヴィンさん……だ、大丈夫、ですか……?」
「……せ、背中…………背中が……無理、ちょっともう動けない、本当に無理……」
「お前な、こういう時ぐらい俺を庇うんじゃねーよ……」
この中で一番頑丈なレヴィンが顔を真っ青にして痛みに呻いている。
アキアスはレヴィンが庇ってくれたようだが元より重傷、ぐったりとした状態だが悪態を吐く元気はある模様。
トラベロもファナリヤも喋ることはできても動くことはできそうにないし、エウリューダはもう見ているだけでこちらも痛くなってくる気がする。
空は夜明けの色に染まり、ボロボロのサーカステントの隙間から見える地平線から昇り始める太陽が既に一日経過していることを告げている。
つまり、丸一日かけて自分たちは戦っていたのだ。
「……まあいっか!みんな無事なら結果オーライってことで!」
スピルは再び地べたに寝転んだ。
時間の経過を知るとどっと疲れが出てきてとても今から動くという気にはなれない。
丁度全員動けないなら、いっそのこと休んでしまえばいいじゃないかとのたまう所長。
部下は苦笑や溜息、各々の感想を表情にして返す。それはいつものティルナノーグの光景そのものだった。
スピルが何かを言えば、みんなが呆れたり笑ったり、時に誰かが悪ノリしたり……それが彼らにとっての日常。
明日から再びこの日常に帰るのだと思うとほっとする。
「……ファナリヤさん」
「はい?」
「お帰りなさい」
「……はい、ただいま、です」
長い長い一日、最初の全面衝突はこれを以て終わりを告げた。
「……うう、ん」
マリナは目を覚ます。
どうやらすっかり眠ってしまっていたようだ。ソファーから起き上がり、背を伸ばす口から欠伸が漏れる。
時刻は午前5時を指していて、空が段々と夜明け色に染まりつつあった。
「いい歳した女性が、足を開いて座って寝ていたらダメですよ?」
という声と共にコーヒーの香りが漂ってくる。
顔を向けると、幼なじみの双子の片割れがコーヒーを差し出していた。
「放っとけ」
「レヴィンが見たら同じことを言いますよ」
「じゃああんたもレヴィンみたいにコートを布団代わりにかけたりしてくれりゃいいじゃない」
「私と貴女の関係が誤解されてもいいなら」
「……それは困るわ。やっぱなしで」
受け取ったコーヒーを一口含み、ほうと息を吐く。
寝起きの体に染み入るような苦味を心地よく感じながら、マリナは窓の外を見た。
「……結局、まだ帰ってきてないのね」
「まあ、これぐらい時間がかかってもおかしくありませんでしょう」
「あんたはよく素面でいられるわね」
「おや、マリナは皆を信じてないのです?」
「そうじゃねえけどさ……」
「いつも通りに振る舞っていればいいんですよ。
私たちにできるのは皆の帰る場所を護ること、連絡がきたらいつでも迎えに行けるように準備を整えておくこと。それだけです」
レインはそう笑って、自分の分のコーヒーを口にする。
そんなことを言ってショットガンやら手榴弾やらマシンガンやらぶっ放したのはどこのどいつだ……と思わなくはないが、確かに彼の言う通りだ。
待つ側の自分たちが落ち込んでいては帰ってこれるものもこれないだろう。
「……ま、それもそうね」
コーヒーをまた一口含み、マリナはテレビのリモコンに手を伸ばす。
きっと気分が沈みがちなのは音がないせいで、ニュースであろうが番組が流れていれば気分は違うだろうと思って。
ぴ、と電源を入れた、その瞬間。
「…………」
かたーん、と音を立ててマリナの手からコーヒーカップが滑り落ち、コーヒーが派手に床にぶちまけられる。
「……マリナ?どうし――」
その音を聞きつけたレインも同じようにかたん、とコーヒーカップを手から落とした。
床に派手に飛び散る二人分のコーヒー。それすら意に介さず二人共固まったまま、目を見開いてニュースを見る。
『緊急速報です。今朝未明、イリオス市テュール街の某アミューズメント施設跡地付近にて地震が発生、施設内半径3kmに及ぶ地割れが発生しました。
また、震源地付近にて6名の男女が倒れているのが見つかり救急搬送されました。
この地震による近隣への被害状況は現在調査中です、住民の皆さんは落ち着いて避難できるよう準備し、続報をお待ちください。
繰り返します。今朝未明……』
アナウンサーが淡々と読み上げる内容に二人して耳を疑う。
まさか、まさかそんなことは。遊園地の跡地なんてこのマゴニアなんか至る所にあるだろうと思うことにした、いやしたかった。
しかし。
『ここで現場と繋がったので中継をお送りします』
無慈悲なる毎朝5時から8時30分までの生放送ニュース番組。
カメラが映し出している映像にレインの顔がますます青ざめ、急いでパソコンを起動する。
神秘力を用いた検索はものの10秒とかからず結果を導き出し、その結果をマリナと二人で食い入るように見てテレビに映る光景と比較する。
「……嘘でしょう……?」
震えた声でレインは呟いた。
そう、現時点で住所や施設名は伏せられているが報道されている場所はトラベロが連れ去られた先であるアミューズメント施設の跡地そのものだった。
彼を連れ去ったのはこちらを誘き出す敵の策であり、ファナリヤもそこにいる可能性があったワケで。
つまり、スピルたちはマグメールの本拠地に乗り込みに行ったも同然であって。
「……レイン、あっちに行ったの何人だった、っけ」
「……レヴィン、スピル、アキアス、エウリューダで4人。そこにトラベロさんと合流したら5人で、ファナリヤさんがもし見つかったら……」
ぴったり6人。
報道であった救急搬送された男女6名は予想が正しければ、いや予想など問わず間違いなく。
「ねえ、ねえレイン。あんた、ここまで考えてやってたワケ?」
「いやあ、流石に、報道沙汰になるとはとてもとても……はは、はははは……」
乾いた笑いを貼りつかせるレインの目は明らかに死んでいる。
「……さあて、どうしましょうねえコレ!」
「あたしに聞くんじゃねえどうすんのよコレえぇえええええええええ!!!!!」
朝を告げる鶏の声に勝るとも劣らぬマリナの絶叫が、事務所近辺に木霊したのであった。