第一章【ハジマリ】第二十節-前編
――痛い、痛い、痛い……!!
先程からその思考にしか頭が傾かない。
今にも破裂しそうな程の激痛がファナリヤの頭を蝕んでいた。
その原因となっているのは。
『……態…………良好…………』
『因子……合……及び記……竄……どれも正常…………』
『…………自我…………傾向無………………ディション…………』
ひどくノイズに塗れた声が何かを言っている。
数々のケーブルが繋がれた機械、カルテを持った黒い影、無影灯の灯り、様々な現実とは違う光景と音声が次々と脳内に流れ込み、その波は止まる気配を少しも見せない。
休む間もなく謎の光景が、情報が入り続ければ当然個人の脳で処理できるキャパシティなど簡単に越えてしまう。
ファナリヤの脳はオーバーヒートを起こし、悲鳴を上げている。
しかしそれを伝える術を考える余裕すら奪われていた、いやそもそも現実の光景など今の彼女には映っていないのだ。
流れ込んでくる様々な光景をファナリヤは目にする。
今度は今いる部屋……マグメールの拠点の深部たるこの研究室と思しき場所、そこであったであろう人道を逸脱した事象が彼女の脳内に刻み込まれていく。
ベッドに磔にされ、様々な拷問に似た仕打ちを受け、神秘力を発動させながら泣き叫ぶ少年、狂ったように部屋中の設備や人を自分の力で壊し、殺しては錯乱する青年、
背から異形を生やし呻く中年の男……他にも様々な残酷な光景を目の当たりにしてファナリヤは声なき悲鳴を上げる。
何故?どうして?
今は神秘力を使ってもいない、そもそも手袋だって外していない。
なのに勝手にここであった出来事が、そこに刻まれた過去の記憶が流れ込んでくる。
――もうやめて!見たくない、聞きたくない!このままじゃ本当に頭が割れちゃうの!お願いだからもうやめて!!
そう願っても、叫んでも記憶の激流は止まらず、痛みに気が狂いそうになる。
誰か、助けて……
ファナリヤは再び慟哭する。目の前に助けがきたことなど認識できぬままに。
叫びに呼応して、彼女の髪はまた凶器と化した。
「……う、わっ!?」
ナイフのようにこちらを突き刺さんとする髪を間一髪でかわして床に転がる。
「ファナリヤさんっ!落ち着いてください!」
先程からトラベロは何度も何度も名を呼べば手も伸ばした。
けれどファナリヤがこちらを認識することはなく、ただただ劈く悲鳴を上げてはその髪を振り回し伸ばした手は拒絶される。
彼女の目は明らかに正気ではない。最初はこちらがを見て怯えているのかと思ったがそうではない。
というより、ファナリヤの目はトラベロを全く見ていないのだ。こちらではない何かを見ていると、そういう風に感じ取ることができる。
しかし彼女がこんなことになっている原因がわかったワケではないし見当など全くつかない。
部屋に満ち溢れるこのオーラは何を意味しているのかもわかるハズがない。
どうすれば彼女を正気に戻せるのか迷いながら、攻撃をかわしては近づこうと試みるしか今のトラベロに手段はなかった。
「ファナリヤさん!僕です!トラベロです!!お願いです、僕の声を聞いて!!」
叫びながら、伝わるように祈りながら、髪の猛攻を掻い潜りながら近づいていく。
時に横から殴られ、突き飛ばされては距離を引き剥がされ、それでも諦めず近づいて……を繰り返し続け、トラベロの身体はすっかりボロボロになっていた。
正直、手に全く力が入らなくなってきたし左腕に至っては骨か筋かが逝ってしまったのか上げることすらままならない。足もすっかり棒のようだ。
だがそれで諦める程度の覚悟で彼女を護ると誓ったのではない。瀕死の身体を引きずってでもファナリヤを助けようと手を伸ばし続ける。
"彼女を救えるのは、きっと君だけだ"
スピルのその言葉を信じて、自分にできることは必ずあると願って。
"大きくなったらおねえちゃんに会いに行くね"
"楽しみに待ってる"
何故か、いつか見た夢の光景を脳裏に過ぎらせながら、ボロボロの足を再び踏み出した。
「(……予想以上に変化がない)」
それをある人物は訝しむように見ていた。
「(そもそも今のファナリヤの状態を理解してすらいない。神秘力者としては経験が足りなさすぎましたか……
いや、"彼が神秘力者になった経緯の特殊さ"を踏まえておくべきでしたね)」
今起きている自体を冷静に、何一つ感情を動かすことなく思考を並べて分析・整理する。
この状況はこの人物にとっても好ましくない。
現状に何らかの変化が起きてくれることを期待していたが、どうやらその為の準備が少し不足していたということだろう。
そのような結論に辿り着き、今からでも軌道の修正を図る必要がありそうだと判断して……
「ファナリヤ」
「!」
彼――いや、彼女だろうか?――は姿を現した。
ファナリヤの後ろに、黒いフードに身を包んだ謎の人物が現れたのを目にしてトラベロは足を止める。
何故だろうか、この人を目にしただけでとてつもなく寒気がする。吐き気がする程の危険さを感じてならない。
……僕は、きっとこの人を知っている。トラベロはそう確信した。
ファナリヤの時に感じた既知感をこの人物にも感じているのが自分でもわかる。
そしてそれはファナリヤに感じたものとほぼ同じものであって、ほぼ同じものではない。
この人物は、敵だ――既知感が、そうトラベロに語りかけていた。
そして、あちらはその通りの行動をし始めた。
「何を戸惑っているのです。あの男が全ての原因ですよ」
「なっ……!?」
「奴を殺せば、貴女の神秘力の暴走は収まる。もう嫌な光景を見なくてもよくなりますよ」
ぴくりと、ファナリヤは反応を示す。
「……本……当、に………?」
「ええ。貴女の苦しみは、消える」
淡々とした感情のない言葉。明らかに真実とは思えぬその発言によってファナリヤの目が据わり始める。
瞳から光は完全に消失し、憎悪の炎が揺らめき出す。
「まっ……待ってファナリヤさん!ダメだ、騙されちゃダメですっ!!僕がそんなこと――」
「ええ、するワケがありませんね」
トラベロの弁解をあっさりと肯定する。
口元をにたりと緩ませて、けれど声は一切の感情も乗らぬ冷たさで。
まるで人の皮を被った何かのように見えて気持ち悪さすら覚える。
「貴方にそんな力がないことぐらい理解していますよ、トラベロ・ルシナーサ」
「じゃあ何で!ファナリヤさんに何をさせようとしてるんですか!!」
「今の彼女の状態はわたしにとっても望ましくはないので。一番手っ取り早い方法を用いたまでのこと。貴方が何をしていようがいまいが関係ない」
「どういうことですか……!!!」
「神秘力に覚醒して間もない貴方が理解できぬのは当然のことでしょう。先達として現状の解説をして差し上げます。
――このオーラ、見えていますね?」
溢れるオーラの波がトラベロの目に再び映る。
部屋中に満ち溢れる、ファナリヤから発せられる神秘力者の持つオーラ。
未だに留まるところを知らず、最早目に痛い程に眩しく輝き続ける。
「今、ファナリヤは神秘力を暴走させています」
「暴走……!?」
「ええ。わたしは"彼女の記憶を取り戻す手伝いをしただけ"なのですが、記憶野への作用が少し強すぎたようでしてね。
昔のトラウマまで掘り起こして恐慌状態に陥った。その結果、感情により因子が揺さぶられ、神秘力が本人の意志とは無関係に発動した」
「……っ!!」
淡々と告げられる内容にトラベロは拳をわなわなと震わせる。震わせずにはいられない。
記憶野に作用した?トラウマまで掘り起こした?
ふざけるな、要は彼女の頭を好き勝手に弄くり回したってことじゃないか!
怒りが膨れ上がることなど相手は意に介さず、淡々と説明を続ける。
「今の彼女は《接触感知》が暴走を起こした結果、全身がアンテナになっている。
この状態が続く限り、彼女はあらゆる物の記憶を永遠に読み取り続ける……しかし、それはよろしくない。
個人の脳に一度に収容できる記憶量には限度が存在する。これが続けば脳は使い物にならなくなる。つまり――」
このままでは、ファナリヤは死ぬ。
そう淡々とこの人物は告げた。自分たちの行いを棚に上げて、今ある事実をトラベロにつきつける。
「ふざけるなッ!!自分たちのしたことをよくもそんな白々しく……!!貴方たちが彼女をこんなにしたんでしょう!?」
「ええ、だから収集をつけようとしているのです」
「僕を消すことがですか!?」
「今の彼女は情報を読み取れる物全てに憎悪と恐怖を抱いている。それら全てを読み取れぬまでに粉々にしてしまえば記憶の吸収は止まり、連鎖的に暴走も収まる
……そして、その情報媒体には人も含まれる。ここまで言えば貴方ならわかりますでしょう?」
その口元は最高に、かつ最悪に緩んでいる。
トラベロは愕然とした。
察したくなくて嘘をつくことすらできないぐらいに、状況を完全に把握してしまったのだ。
自分の行いなどは関係なく、自分がいる限りファナリヤの暴走は止まらず、死の危険と常に隣り合わせ続けることになる……と。
「まあ、ファナリヤが正気に戻った頃には貴方は物言わぬ屍になっているとして、そうなると彼女の精神は無事ではありませんでしょうが……
彼女が我らにとって有用な"駒"として扱えるのは変わりません。……護ると誓ったのなら、見事彼女の生命を守ってみせて頂きたいものですね?」
「……何でそれを知って――!?」
トラベロが言及しようとした瞬間、フードの人物は途端に姿を消した。
どこに消えたかわからない状態で追いかけるなどできるワケがなく、廃屋も同然となった部屋には自分と彼女だけが残される。
「……もう、嫌…………見たく、ない……」
ファナリヤの髪がいくつもの束に分かれ、鋭く煌めきながらトラベロへと向けられる。
「ファナリヤ……さん……!」
どうしよう。どうすればいい?
ここから逃げるなんて論外、けれど今の彼女を止める術はない、思いつかない。
自分の声はますます届かなくなってしまった。
かといっておとなしく殺されるなどもっと論外だ。自分が死んだら云々以前に彼女に殺しなんてさせたくない。させてはいけない。
ティルナノーグの仲間たちだってそう思うに違いない。
――なら、なら僕は、どうするべきなんだ……!
「もう……これ以上ッ、わたしに何も見せないでぇえええええええええええええッ!!!」
戸惑い悩むトラベロに向かい、憎悪の刃が一斉に飛んだ。
ガキン、ガキン――刃のぶつかり合う音がけたたましく響く。
男の剣を受け止める細剣は、地震よりも一回り二回りも幅のある刃を受け止めながらも折れる様子を一切見せない。
まるで主の闘志を体現するかのように力強く己をきらめかせ、主の右腕に導かれて次の一撃を見舞い、再び弾かれる。
「――はぁッ!!」
刃同士が弾きあった、その直後の僅かな隙を逃すまいとスピルは勢い良く剣を突き出した。
はらりと髪の毛が数本程宙を舞い、ユピテルの頬からつう、と血が滴り始める。
ユピテルはその血をそっとと指でなぞり、少し感慨深そうにふむ、と呟いた。
「――久しぶりだな、自分の血を見るなど。相変わらずの腕だな」
「その台詞、二回目なんだけど」
「そうだったか。……また、こうして剣を交えられるとは思わなかったからな。また言ってしまったよ」
「まあ、そうだろうね」
細剣についた血を振り払い、スピルは再び構え直す。
「まさか、死んだ友達とまた相見えるなんて……普通夢にも思わないだろう?」
「……ああ、全くだ。この手で殺したお前が、あの時と変わらぬ姿でまた生まれてくるとはな」
「僕自身驚いたさ。まさかまた同じ家に生まれて、しかも同じ名前を与えられるなんて――まるで奇跡のようだと思わないかい?」
「同意だよ」
言葉を交わすユピテルの顔は以前に会った時、先程までの無機質さと冷たさが消えていた。
至って穏やかに、友との会話を楽しんで微笑んでいる。
たった今まで生命の奪い合いにも等しい剣戟が繰り広げられていたなど、この場に第三者がやってきたら信じられないと口にするだろう。
それぐらい二人の間にある空気は穏やかで、安らいでいて……けれど、互いに敵対関係であることを忘れず、剣を降ろさぬままに語らい続ける。
「――何故、生まれ変わった?その力を手にした?」
「さあ?何でだろうね、僕にもわからないよ」
「私に殺されたのが余程許せなかったのか?」
「そう思っている風に、君には見えるのかい?」
スピルがそう返すと、ユピテルは目を伏せる。
「……そうならばこんな会話などしていない……と、お前はそう続けるかな。あの時と心も全く変わっていないのなら」
「流石親友、よくわかってるじゃないか。――まあ、確かに昔から色々な意味で僕は変わってないね。自覚はあるよ?」
くすりと笑い、スピルは会話を交わす前の真剣な空気を再び纏う。
細剣を握る手に力が入る……入りすぎて、少し震える。
目の前で親友が敵として立っていることを信じたくなくて、声すらも震えてくる。
「……ユピテル。何故……どうしてなんだい?
君も……君だって、あの頃と何も変わっていないじゃないか。なのにどうしてこんな……こんなことを……?」
最初はすっかり変わってしまったのかと、思っていた。
自分を殺した時の彼は、人が変わったように冷たい雰囲気で。
いつも見せていた穏やかで優しげな人格は感情と共に捨てたかのような機械的に淡々としていて。
アジルターカ卿の一見で再会した時もその時と何ら変わっていないように見えた。
けれど、今ここにいるユピテルは違う。
かつての友として、毎日語らっていた時と変わらぬ穏やかな表情で、自分との語らいを楽しんでいるのだ。
変わってしまったのではない……彼は何一つ変わっていなかった。
この会話でスピルはそれを確信した、それだけに疑問でならない。
何故、マグメールなどというものを作り上げたのか。
スピルの知るユピテル・ヴァリウスという男は、何の理由もなしに凶行に走るような人物ではない――心当たりと思えるものがないと言えばそうではないのだが――。
「……こんなことをするまでに君は、自分の神秘力が憎いのかい?絶望したのかい?
他者を巻き込んでしまう程に、自分の不老不死を嘆いて……?」
「…………」
顔を俯け、ユピテルは何も答えない。――否、答えられない。
スピルにはそういう風に見えた。
悔しそうに唇を噛み締めているのが、目に映ったから。
「……言っただろう、彼を行かせた時に。"私にできるのはあれが精一杯だ"……と」
震えた声で答えを返す。
それを機に、ユピテルの瞳は再び光を無くした。
剣を交えていた時の機械のような冷たさをまた宿して、構えていた剣を振るった。
スピルはそれを盾で受け止め、その影から細剣による突きを繰り出すとユピテルはバックステップで回避、距離を取る。
つい先程の僅かな時間に見せた穏やかさも消え、ただ淡々と目の前の相手に一撃を与えんと向かってくる。
疲れも迷いも見えぬ剣撃、それらを全て避け切れる程の体力が今のスピルには残っていなかった。
一撃、二撃はなんとかかわし、三撃目も盾で弾き、四撃目は剣で受け止める。
しかし。
「ぐ……っ!」
その四撃目が痛手だった。
とても人が出したとは思えぬ力が乗ったその重い一振りに耐えきれず、細剣を握る手から力が抜け、地面に音を立てて転がり落ちてしまう。
取りに行く余裕などない。一撃の余韻は腕だけでなく全身を蝕み、身体はまともに動かず盾は最早ただの飾りだ。
そして冷徹な機械と化した親友は、容赦なくその剣を振りかぶる。
――またか。
また、僕は終わってしまうのか。
同じ後悔を、繰り返すっていうのか……!!
「…………くそ……っ!!」
唇を噛み締め、何もできない己の無力さを嘆く親友へ、ユピテルは迷うことなく一撃を飛ばす――……
「が、は……ッ!!」
何度目になるだろうか。
トラベロはまたファナリヤに突き飛ばされ、壁に背を叩きつける。
何故未だに意識を保てているのかが自分でも不思議なくらい、彼は為す術もないまま護ると誓った少女によって追い詰められていた。
「……ファナ、リヤ……さ……」
か細くなった声で少女の名を呼べど、それで彼女の手が止まるならとうに止まっている。
脳の負担などものともしていないだろう。
"貴方が安易をしていようがいまいが関係ない"
あの人物の言うことは間違っていないと、悔しいが悟らざるを得ない。
判断力を奪われ、痛みに喘ぎ助けを乞うと共に暴走しているファナリヤには今、トラベロの声はおろか姿など見えるハズもないのだ。
神秘力の暴走は、アキアスから少し話を聞いた程度にしか認識していなかったが、こうして目の当たりにすると力というものの恐ろしさを思い知らされる。
「――ぅあっ!」
そう思考に耽っていれば追撃が飛んできた。
身体も禄に動かせない避けられるワケがなく、バットに打たれた野球のボールの如くトラベロは宙に浮き、そして地に転がり落ちる。
口の中に鉄の味が広がっていくが気のせいだと思うことにした。
口いっぱいに広がりすぎて吐き気がするが、きっと自分の思い過ごしだ。
「……何、で……何で……まだ、動くの……ッ!?」
息も絶え絶えにファナリヤが叫ぶ。
明らかな殺意をこちらに向けているのがわかるが、それよりも耐えぬ頭痛に苦しんでいる方がトラベロの目には焼き付く。
言葉を紡ぐのすら辛いというぐらいに声はか細く息を切らし、大量の汗に混じって頬を伝う一筋の涙……見ているだけで痛ましい。
助けて、と身体全部を使って訴えているようにしか思えなかった。
まるで最初に出会った時の怯え、戸惑い苦しむ彼女をまた見ているようで……胸が痛む、ざわつく。
"――ごめんね……"
何故か、別の光景が脳裏を過った。
夢の中に出てくる黒で塗り潰された顔の女性が、焼け落ちる部屋で自分に対し謝罪を告げている……
焼け落ちる部屋。……炎。何故今この時にこんなのが見えるのか――
「……!」
トラベロはその時、ある発想に行き着いた。
それはとても簡単で、自分に一番身近なところにある選択肢。
"理解はできて行動はできるけど、どうしてもそれに納得できない……そんな場面に遭遇した時は、自分の素直な気持ちがどうなのかを考えるんだ。
その上で、選択する――そうすればきっと、後悔しない選択肢を選べるハズだよ"
スピルの言葉を思い出し、胸に手を当て目を伏せる。
きっとこれが、僕にとって一番後悔しない選択肢……何で気づかなかったんだろう。
怖気づいていたとするならば、僕は最低かもしれない。もっと早くに彼女を楽にしてあげられたろうに、護ると宣言しておきながらなんて様だ。
そう自分を嘲笑いながらこれでいいんだと、心から思う。
これでよかったと、きっと僕は思える。
目が覚めたら貴女はきっと泣いてしまうんだろうけど、このまま苦しんでいる姿の方がもっと見たくないから。
「――ぁ」
髪がトラベロの首に巻き付き、強く絞め上げられて宙吊りになる。
きりきりと気管を圧迫され、軽く咳き込む。殺すつもりで縛り付けてくる髪の毛は、とても綺麗でさらさらとしていて。
それに触れながら、トラベロは申し訳なさそうに笑う。
「……すみ、ません。せっかくの綺麗な髪の毛……ちょっとだけですけど、巻き込んじゃいます、ね」
トラベロかから鮮やかなオレンジ色のオーラが溢れ出す。
今この空間全体にあふれているファナリヤのそれにも負けない、強く鮮やかな輝きが。
「苦しかった、ですよね。でももう大丈夫ですよ。――今、助けますから!」
刹那、激しい炎が立ち昇る。
少しばかりの髪の毛を巻き込んで、己の主たる青年を強く抱擁するかのように業火は激しく燃え上がった。