第一章【ハジマリ】第十九節-後編-
銃声が反響し、炎が上がる。
剣戟の音もそれに負けじと言わんばかりに激しく響く。
敵の攻撃をトラベロの炎が壁のように阻み、その合間にスピルが敵の鳩尾を細剣の柄で突いては気絶させ、
そうして一人仕留めるとスピルは袋叩きを避けるべく距離を取り、追撃させまいとトラベロが炎の柱を立てて道を塞ぐ。
これまでで何人仕留めただろうかと考える余裕もなく、次々と現れる敵の群れを駆逐しては距離を取る。
倒しても倒してもキリがない――本当に先に進めているのかと疑問すら湧いてくる程にキリがないのだ。
トラベロが不安そうにスピルを見やると、彼の顔には明らかに疲弊の色が滲み出ていた。
このまま状況が続けば倒れてしまいかねない……ぽたり、ぽたりとスピルの頬を汗が滴っては落ちていく。
「スピルさん……っ」
「……はは、大丈夫さトラベロ君。これでも長いこと"生きて"るんだ、今更20代30代そこらの坊やたちには負けないよ……!」
呼吸を整え、スピルは再び敵の群れに突進していく。
迫りくる斬撃を、拳撃をかわし、銃弾を盾で弾き飛ばし、一人一人確実に仕留める。
トラベロも彼を支えんと神秘力で援護する、いやそれしかできなかった。
自分が前に出たところでどうなるのかなんてわかっている。
余計にスピルの足を引っ張ってしまうだけの結果しか生まないからこそ、手段を変えるワケにはいかない。
スピルの死角からくる攻撃を防ぐように炎を生み出し、彼の盾とする。
現時点では息はぴったりである。しかしその息は相手の状態と、敵の動きによって簡単に崩されるものだ。
「っ……!!」
スピルが大きくバランスを崩す。敵が足払いをしかけたのだ。
疲弊が確実に彼の思考力と判断力を鈍らせていた故に気づけなかったのだろう、故にまんまと敵の手に引っかかったのだ。
そしてそれを好機と言わんばかりにナイフが、ハンマーが、銃が一斉にスピルに襲いかかる!
「やめっ……スピルさんっっ!!」
トラベロの叫びも虚しく、それらがスピルの体に呑み込まれる。
目を見開き、信じたくないものを見てしまってその場に膝をつこうとした瞬間ボン!と勢い良く煙がスピルから溢れ出す。
煙幕だ。トラベロも敵も、その場にいる全員が視界を奪われ立ち止まる。
いったい何が――とトラベロが辺りを見回すと、煙が立ち上る空間の真上に小さな人影が見える。
それは手に持っている得物であろう影を構え、そして。
「はぁあああああああッ!!!」
少年特有の甲高い声による雄叫びと共に、それを振ると共に一つの旋風を巻き起こした。
煙と共に敵の群れが天高く舞い上がり、壁に床に叩きつけられる。
視界が晴れるとそこには緑色の髪を靡かせ、特徴的なアホ毛をぴんと立てた少年が剣についた汚れを払うように振りながら立っていた。
「……ふう。危なかった……やっぱり最後はまとめてぶっ飛ばした方がいいね」
「す、スピルさん…………!!」
よかった、とトラベロは心底安堵の息を漏らすと共にその場に尻餅をつくかのように崩れ落ちる。
「ごめんごめん。やっぱり体が子供ってのはダメだね、大人たちの勢いにはついていけやしないよ」
先程スピルが畳み掛けられた、と思ったとこには彼の着ていた上着を着ただけの丸太がどん、と存在していた。
それから上着を取って再び羽織ると、座り込んでいるトラベロの手を引き立たせてやる。
「さ、行こう。すぐに目を覚まさないとは思うけどできるだけ撒いておいた方がいい」
「……そうですね、今のうちに」
すっかり静かになった通路を再び走り出す。
何ともないように振る舞うスピルだが、いざ走るとその疲れがはっきりと出ているのか息が少し上がっているのが見て取れた。
こんな状態でまた敵に遭遇したら、先程のようにはいくとは限らないだろう。
「スピルさん、大丈夫ですか?休んだ方が……」
「まー正直今ので大分持ってかれちゃったのは確かだけど……それで休むとこなんてないだろうし仕方ないよ」
「すみません、ホントなら僕が前に出れたらいいんですけど……」
「気持ちはわかるけど焦っちゃダメだよ。大丈夫、きっと君は強くなれる。
ただ一つ言うなら、君は前線で体張るより後ろでサポートするタイプの方が向いてるのは確かだね」
「そう、ですか?」
「うん。せっかくだし君のスタイルについてちょっと話をしてみようか。あくまで僕が今まで君の戦闘における立ち振る舞いを見た上での主観に過ぎないけど、
今後もこういったことが起きる可能性は十二分にあるだろうし一つの参考にしてくれると嬉しいかな」
トラベロは無言で、かつ真剣な顔で頷いた。
スピルは脳内で今までトラベロが戦ったたったものの数回の記録を振り返る。
そして普段の言動や思考、初めて出会い今に至るまでの付き合いの中で見えた彼の人格、性質も。
それらを踏まえ、走りながら考えを固めてスピルは口を開く。
「……トラベロ君は本当に真面目な子だよね。真面目でしっかり者で聞き分けもよく周りも見ていて、それでいてちゃんと考える。
今のご時世においては凄く貴重な人材だよ。カノーナさんの教育がしっかりしてたんだろうね」
「あ、ありがとうございます……?」
「でも、聞き分けがいいは君にとって「理解ができる」であって「納得する」とはまた別物なんだよね。
じゃなきゃ、最初にアキアスが先に行けって言った時にあんな言動を取っていない」
図星を突かれたと言わんばかりにトラベロは顔を俯ける。
確かにその通りだ。状況は確かに理解できる、けれどそれが歯痒くて歯痒くて仕方がない。
思えばアジルターカ卿の件が終わった翌日から今に至るまでずっとその感情が奥底で燻っている。
ファナリヤと同じように本当は食い下がりたかったが、レヴィンの言っている言葉の意味をすぐに察せてしまったが故に口を噤んだ。
「別に咎めてるワケじゃないよ、君にとってはどちらかというと嫌いな部分なんだろうけど……君のそれはこういった状況において特に強みのある長所だと思うんだ」
「え……?」
「コレは一緒に戦う度に思ってたことなんだけど……君の支援って凄い助かるんだよね。その時の状況を見て、こっちから話しかけずともすぐに理解してくれて、
その場で最善のサポートしてくれるって感じ?卿の件の時も今回の時もだけど凄く助かったよ」
さっきやられたのは僕の不注意だからノーカンだよ――そうスピルは苦笑して続ける。
「だから、僕は君は前に出るんじゃなくて後ろで状況を見ることのできる位置にいる方が向いているんだと思う。
うちのメンバーで言うならそうだなあ……レインはちょっと別のとこでぶっ飛んでるから微妙なんだよね……」
確かに別のところでぶっ飛んでるのは否定できないと、今回の作戦を立てた参謀を思いトラベロもまた苦笑する。
「いやまあ、状況を見て理解できるっていう点はトラベロ君も負けてないんだけど……ううん」
「確かに、レインさんはいつも落ち着いて周りを見ていますもんね……でも僕、あそこまで冷静にはなれませんよ?」
「それもわかる。そうだね……エウリューダみたいに自分に言い聞かせて動くタイプの方が近いかな。
あの子はああ見えて、言霊を操る為に感情を常に律している。君と同じく理解と納得を分けて動いてるからね」
「……!」
憑き物でも落ちたかのような顔を浮かべるトラベロ。
今の話とは関係がないのだが、やっと自分の中でエウリューダの行動や言動が腑に落ちたのだ。
あの時はただ強い人だという風にしか思っていなかったけど、それは間違いだった――いや、確かに強い人物なのだが――。
"俺よりトラベロ君がその気持ちを吐き出してくれる方が全然いいもん"
その言葉の意味が、今のスピルの発言でやっとわかった。
と同時に何かがトラベロの中で見えてきたような気がする。
「……よくわからないけど、何かが吹っ切れた顔してるね?」
「まあ、理解と納得が同等になったといいますか……でもとにかく、自分のこれからの動き方がちょっと見えてきたような気がします」
「それならよかった。……ああでも、これだけは言っておくね。
もし、この先理解も納得もできない、理解はできて行動はできるけど、どうしてもそれに納得できない……そんな場面に遭遇した時は、自分の素直な気持ちがどっちなのかを考えるんだ。
その上で、選択する――そうすればきっと、君にとって後悔しない選択肢を選べるハズだよ」
「素直な、気持ち……」
そう呟いた瞬間、いや、ほぼ同時とも言っていいだろうか。
「――!」
とてつもない悪寒を背筋に感じてトラベロは立ち止まる。
目の前に見える強く深い蒼のオーラがそれを感じさせたのだ。
あのオーラ、嫌でも見覚えがある。あれを纏った手が自分の首を絞めた時のことは忘れたくても忘れられない。
そしてスピルはトラベロ以上に覚えがあるだろう、いや、ない方がおかしい。
今この場にいる誰よりも警戒心を露わにして細剣を構えている彼の、そしてトラベロの目と鼻の先にいるのは――
「……ユピテル!!」
ユピテル・ヴァリウス。
マグメール首領、スピルのかつての友にして、彼の前世を殺した張本人。
そして……トラベロの神秘力を封じた張本人でもある、最強の神秘力を備えた神秘力者。
剣を携え、かつかつと靴音を立ててこちらに数歩ほど歩み寄ると淡々とした口調で告げる。
「トラベロ・ルシナーサ」
「僕……?」
「行くがいい、お前はこの奥に進む権利がある。少女はこの先だ」
「……!?」
理解が全く及ばない。納得もできない。
ユピテルは道を開き、先に進むように促している。しかも少女……即ちファナリヤがいるという情報を出してまで。
これはどういうことだろう。何故敵をわざわざ奥へ進ませようとするのか?
そして何より、何故スピルでなくて自分なのか?
様々な疑問がトラベロの頭を交錯する。
「どういうことだい、ユピテル」
「……今の私にできるのはこれが精一杯だ」
「……ユピテル?」
「スピル、剣を構えろ。久方ぶりの手合わせといこう」
スピルが代わりに問いかけるが答えになるような言葉は返ってこない。
ユピテルは剣の切っ先をゆっくりとスピルへ向ける。
これはもう何を言っても聞かないだろう……覚悟を決めてスピルも細剣を握り締め、応戦の意を表す。
「トラベロ君、先に行って。僕はここで彼とやらなきゃならない」
「スピルさん!でも……!」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず……その言葉の意味はわかってるね?まあ、もうとっくに虎穴の奥の方まできているから今更だけど。
これは所長命令だ。行って、ファナリヤちゃんを連れて戻ってくるんだ。それから――僕がさっき言ったことを、忘れないで」
大丈夫、絶対にやられはしないから……スピルはにこりと笑ってみせる。
嘘だ、そんな疲れきった状態で……そう言いたくなる気持ちをごくりと唾を飲み込むように押し込んで、
「……はい!!」
トラベロはユピテルの横を突っ切るように走り、先へ進む。
残った二人に話す言葉など何もなく、彼の姿が見えなくなったのを合図に激しい剣戟が始まった。
「はあっ……はっ……はぁ……っ!!」
息を切らし、力の限りトラベロは走る。
僅かながらに聞こえる剣戟の音に振り返りたくなる気持ちを抑え、ただまっすぐに走り続ける。
スピルはあんな状態で戦って大丈夫なのか。
レヴィンは、エウリューダは、アキアスは今も無事なのか、事務所で待機しているレインとマリナには何事もなかったのか。
彼らがいない状態がとても心配で、同時にとても心細くてたまらない。
けれど、それでも自分を先へと進ませてくれたのはきっと。
"彼女を助けられるのは、きっと君だけだ"
"助ける、ということは必ずしも力が必要なワケじゃないんだよ"
スピルのこの言葉に、彼らの理由が全て集約されているのだろう。
それがどういう意味かはまだわからないけど、その言葉を信じて先へ進む。
ファナリヤはこの奥にいる……ユピテルはそう言っていた。
きっと今目の前に見える扉の先に彼女はいる。
何もわからぬまま連れ去られて、さぞ怖い想いをしたことだろう。一刻も早く助けなければ。
そしてみんなの下へ――ティルナノーグへ帰るんだ。
「――ファナリヤさんッ!!!」
自動で開くことなど知らんと言わんばかりに扉に手をかける。
そこは見るからに嫌な空気を漂わせた、研究室とも言うべき空間だった。
散乱した本棚、床に入っていたであろう液体と破片をぶちまけているフラスコや薬品瓶の残骸、ボロボロに引き裂かれたカーテンと、誰かがいたであろう痕跡の残るベッド……
その中心にファナリヤはいた。
頭を抱えるように蹲っている痛ましいその姿が視界に入った瞬間、トラベロは火がついたように彼女に駆け寄っていた。
「ファナリヤさん!!!ファナリヤさんっ、しっかりして!!大丈夫ですか!?」
「……ぅ……ぁ……」
揺さぶられると小さく声を漏らす。
よかった、意識はあるみたいだ……トラベロは心の底から安堵した。
間近で見ても怪我をしているようでもないが、怖い目に遭わされたから震えていたのだろうか。
「もう大丈夫ですよファナリヤさん。一緒にティルナノーグに帰りましょう」
「…………あ」
「……ファナリヤさん?どうかし――」
トラベロはその時何が起こったのか全くわからなかった。
ファナリヤが顔を上げたその瞬間、何かをぶつけられたかのように背後の壁へと叩きつけられる。
「がっ……!?」
後頭部を強く叩きつけてしまい、視界が揺れる。三半規管を変に揺らされてしまい気持ち悪い。
痛みに顔を歪めながら、トラベロはふらふらと立ち上がる。
「ふぁ、ファナリヤ……さん……?」
恐る恐る彼女の名を呼ぶが、反応はない。
いや、反応を見ずとも明らかに正気ではないだろう。
虚ろな目で、何かに怯えるかのような表情で、鮮やかなピンクのオーラが部屋中に満ちんばかりの勢いで溢れ続けている。
そして頭を抱えて先程と同じように蹲るのだ。
「いや……いや……嫌、嫌、嫌嫌いやいやイヤイヤいや痛い痛いいたいいたいイタイイタイ痛いいたい!!!!」
「ファナリヤさん!!どうしたんですか、落ち着いてください、どこか痛……」
「あぁあああああああッ!!!!!」
劈く悲鳴と共にファナリヤの髪がしなり、今度はトラベロの腹を貫かんばかりの勢いで殴りつけてきた。
激しい痛みに加え胃液が逆流し、吐瀉物を撒き散らして床に転がる。
「ぐっ……げっほ……ぉぇ……っ」
叩きつけられた衝撃にまた吐瀉物が口から飛び出し、咳が止まらない。
「げっほ、ごほっ……ファナリヤ、さん……っ」
いったい彼女はどうしたというのか。
明らかにこちらを認識していない……というか、自分が別の何かに見えているのか、あるいは……
こんなになる程怖い想いをしたのだろうとは思ったが、状況の原因は考えても考えても答えは出ない。
ただ、部屋中を埋め尽くす彼女のオーラは現在の状態が異常だということを本人の振る舞い以上にトラベロに告げている。
しかし、何故ああなっているのかが検討がつかない。そしてそれがわからない以上は術も見出だせない。
「ファナリヤさん……いったい、何が……!」
「いや、いや、いたい、いや、いやいたい、いや、いた……っ」
「ファナリヤさんっ……!
「ぁあ、あ、あぁぁああああああああああアァアァァアアアアァァアアAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!」
戸惑うトラベロに、苦しみ錯乱するファナリヤの髪が再び牙を向いた。
当然、二人は気づくハズもない。
この状況を一人だけ、観察するように見ている人物がいるということに。
「……さて、結びつきが確かならこの状態から何らかの変化が起きるハズ記憶が無くとも既知感だけは覚えていた……その絆の深さが因子の適合に何の影響をもたらすのか。
見せてもらいますよ、トラベロ・ルシナーサ。貴方とファナリヤにあるそれの、その強さをね」
黒いフードから覗かせる口元が、期待するかのように微笑んだ。