第一章【ハジマリ】第十七節-前編
暗い通路を黙って進む。
道を先導する、景色と同化しているかと言うほどに黒いフードを被った人物……ノーウィッチ。
ファナリヤは何故か、この人物が気になって仕方がなかった。
「(この人……会ったことが、ある……?どうして……?)」
マグメールに連れ去られ、初めて邂逅を果たした時からこの顔も見えぬ人物に妙な既視感と懐かしさを感じる。
それは初めてトラベロと出会った夜に感じたものとほぼ同じものであってほぼ同じものではない。
どう表現すればいいのかファナリヤ自身にもわからないが、ただ一つだけ違うと言えることはトラベロに対して感じた安心感というものが一切ないという点だけだった。
きっと自分は記憶があった頃にこの人物と接している……決して、良くはない出会い方で。
「……こちらへ」
そう思考を巡らせていると、当のノーウィッチ本人が声をかけてきた。
目の前にある手術室の入口にあるものと変わらない自動ドアが機械音を立てて開く。
ユピテルが先頭で入り、次にノーウィッチ、そしてファナリヤと続く。
「私は別用がありますので、失礼します」
会釈をしてジョン・ドゥは踵を返す、と同時に自動ドアが外と中を隔てるように閉まる。
彼のことが気になるが会わせてはくれまい…、諦めてファナリヤは部屋を見渡す。
中の容貌は手術室というよりは実験室と表現する方が相応しかった。
ずらりと並ぶフラスコに沢山の書物がしまわれた本棚、薬品用のアルコールを始めとして様々な液体の入ったビンが置かれた机。
それらから少し離れたところをカーテンが隔てている。
「待ちくたびれたわよ。さっさと入っていらっしゃい」
カーテン越しに声がする。女性の声だ。
ノーウィッチに連れられファナリヤはカーテンの先へ。
そこにあったのは怪しげな機械でもなんでもなく、一台のベッドに女性が一人横たわっていた。
金髪にビビッドピンクのメッシュが入ったその人物は静かに寝息を立てている。
そしてその隣の椅子にもう一人、白衣を纏った赤いドレスの女性が足を組んで腰かけていた。
透き通ったような銀髪に紫の眼、とても端整な顔をしている。
誰の目から見ても美人という表現しか出てこないが、それよりもファナリヤの視線を釘付けにするものがこの女性には存在した。
身に纏うドレスと同じ、いやそれ以上に紅く強いオーラが彼女から発せられている。
見間違いでも何でもなく、ファナリヤたち神秘力者が必ず発するそれが見えるということは――
「ユピテルは?きているんでしょう」
「向こうで待たれるようです。この後お話されるかと」
「そう。……そちらが例の子?少し顔を見せてくれるかしら」
女性がそういうと、ノーウィッチはファナリヤを彼女の前まで連れてくる。
すると女性はじ……とファナリヤを見る。
眺めるように、念入りに。値踏みをするかのようにあらゆる角度から覗き込まれる。
「あ……あ、あの…………?」
「……ああ。食べてしまいたくなるぐらい可愛かったから、つい眺め回してしまったわ。ごめんなさいね」
「た、食べ……」
「冗談よ。確かに私は女色家だけれど無闇やたらに手を出すような節操なしでもないの。貴女の話は伺ってて気になってはいたけれどね」
女性はそう言って悪戯っぽく笑ってみせ、次にファナリヤの心境を見透かしたかのような質問を投げかけた。
「……同性の神秘力者に出会うと思わなかったというような顔ね?」
「…………!」
「まあ、女の神秘力者は覚醒率が男と比べて非常に低いし無理もないわね」
「……わたしを、どうするつもり、なんですか」
「別に取って食ったりするワケではないわ、そこについては安心なさい。そこのフードにも変な手出しをさせるつもりもない。肩の力をお抜きなさいな」
にこりと微笑むその顔にそれ以上の裏はない……ように見える。
少なくとも、無理やりに何かをさせる、というつもりがないというのは確かなようで、ファナリヤの緊張の糸が少しだけほぐれたような気がした。
彼女の顔のこわばり――本人は気づいていなかったが――がなくなったのを見てまた女性はふっと微笑み、話を本題へと進める。
「……私はシャット、科学者よ。神秘力について研究していてね」
「……研究?」
「ええ。神秘力は発見されてから60年程になるけれど、未だ未解明な部分が殆ど。手がかりに困っていた時にノーウィッチから貴女の話を聞かされてね……
何もなかった人間を神秘力者に覚醒させる力を持つ少女がいる、と」
その言葉を聞いた瞬間、ファナリヤは不快そうに顔を俯ける。
拳をきゅ、と握りしめて唇を噛み締めるその表情は怒りに染まり、静かにかつ震えた声でこう言った。
「……あなたたちは、そう言っていつも、わたしを付け狙って……わたし、そんな力なんて知りません!
今まで使ったことだって!使えたことだって一度もない!!本当にあるかすらわからないのを、あるって決めつけて、わたしや他の人たちを巻き込んで、何が楽しいの……!!!」
ファナリヤには、神秘力者を覚醒させる力がある。
そう言われているせいで、逃げ続けてきた。
そのせいで、助けてくれたトラベロは殺されかけた。彼の育ての親にだってたくさん迷惑をかけてしまった。
ティルナノーグのみんなにもたくさん心配をかけてしまったし気遣わせてしまった。
あるかどうかなんてわからない力のせいで。たった一度しか見たことがないような力のせいで。
自分の意思で使えたことなんてないもののせいで……!
潤んだペリドットの瞳がき、と女性を睨みつける。
涙を堪えるかのように唇を噛み締めて、ただただ真っ直ぐに睨み続ける。
彼女の有り余る怒りを直に感じ取ったシャットは何も言わない。
ただ、決して目を逸らさずその感情を受け止めるかのように視線を交わらせるだけ。
ファナリヤはしばらくその顔を崩さずにいたが、何も返さずただこちらを見る姿に疑問を抱き、一つの質問を投げた。
「……どうして、何も言わないんですか」
「その言葉に返せる答えを持っていないもの」
「科学者、なんでしょう?」
「知的好奇心を満たす為の手段は然るべきものを選ぶわ」
堂々と、こちらを見据えてシャットはそう答えた。
不思議とファナリヤの中で怒りが収まっていく。
何故この女性は敵でありながらこんなことをするのだろう……そんな疑問が逆に湧き上がってくる。
ジョン・ドゥといいカンパネラといい、確かにこちらに対して優しい人物が存在しているとはいえ――いや、彼らのような人物がいる時点で既に疑問があるのだが――。
「……蒸し返すようで悪いけど、もう一度聞かせて。
貴女はその力を使ったことがない……正確に言うなら自分の意志では使えない。そういうことでいいのね?」
「……はい。わたし、嘘なんか言ってません」
「――だ、そうだけれど?」
シャットがそう言葉を投げかけた先はノーウィッチ。
眉をひそめ、訝しげに見つめる表情に動じることなく、フードから覗かせる口が開く。
「……ええ、どうやらそのようですね」
「知らずに連れてきたというの?」
「ええ、予想外でした。彼女の"記憶障害がここまで酷い"とは」
「……!!」
ファナリヤは驚きに目を見開いた。
それと同時に、とてつもない寒気が背筋を走り抜ける。
――嫌な予感がする。
体が自然と震え始めて止まらない。ノーウィッチに対して、自分の中にある何かが警鐘を鳴らしている。
この人物は、この人物からは、絶対に逃げなければいけない……!
そう本能が感じ取っているのに何故か逃げられない、足が動かない。
それどころか無意識のうちにファナリヤは口を開き、一つの言葉を投げかけていた。
「……あなたは、わたしを、知って……いる、の……?」
「――それは貴女自身がよくわかっているでしょう?」
くすり、とノーウィッチは笑う。
しかし笑っているのは顔だけだ、声は変わらず無機質で冷たく抑揚もない。
それがますますファナリヤを恐怖させる。
なのに、それなのに逃げようと足が動くことはない。
完全に竦んでしまっているのか、否、この人物に感じる既視感が謎の枷となってこの場に彼女を縛り付けていた。
震えが止まらないのに、怖くて怖くてたまらないのに、逃げられない。この人物から目を逸らせない。
この人物の言葉に、耳を傾けずにはいられない……
「けれど、折角の"再会"です。答えるならば「YES」……ええ、わたしは貴女を知っていますよ。ずっと、ずうっと昔から」
「……あ……っ」
その答えが帰ってくると同時に頭に鋭い痛みが走る。
例えるなら急に頭を撃ち抜かれたかのような激しい痛みに思わず頭を抱える。
「貴女が忘れてしまったものを全て、わたしは知っています」
ノーウィッチの声が反響する。
「生まれも、育ちも、持っている力も、"記憶を失くした理由"も。貴女が忘れてしまったこと全て」
「いや……や、め……」
「貴女は"忘れてしまっているだけ"なのです。力の使い方も、何もかも」
「やめ、て……いやっ……いた、い……っ!!!」
声を聞けば聞く度、頭痛が酷くなっていく。
撃ち抜かれて、殴られて、刺されて……この世に存在するあらゆる凶行を以て頭を嬲られているかのようなそれに頭を抱えて蹲る。
息が苦しい。気持ち悪い。吐き気がする。痛い。痛い、痛い――……
「大丈夫、すぐに思い出せますよ。わたしが手伝ってあげますから」
「いやっ……いや……!!嫌……!!!」
「一度に全て思い出せとは言いません。そう、ほんの少しだけ。今貴女が思い出すのは、少しだけでいいんです……」
「あ……あっ、ああああ……!!!」
頭が痛む。息ができない。気持ち悪い。何も見えない。何を言っているのかわからない。
なのにその声だけは頭の中に入ってきて自分の中をぐちゃぐちゃに掻き乱して、ますます頭は割れそうな程に痛む。
痛い。痛い。痛い、痛い、痛い痛い痛い痛いいたいイタイイたいいタいいたいイタ――
「あぁあああああああああああぁああああああああぁぁあぁあああああああッッッ!!!!!」
痛みが頂点に達し慟哭となって口から飛び出した瞬間、ファナリヤの視界は暗転した。
「……間違いねえ。ここが入り口だ」
場面は変わり、巨大なサーカステントを見上げてアキアスが一言。
《氣力昇華》によりファナリヤの髪飾りに残った氣を辿り始めてから10分後、トラベロたちはここに辿り着いていた。
このテントの中に彼女が連れ去られたという「下」へ続く道があるという。
「おっっっっっっっっきいなあー……!こんなとこにマグメールはアジト作ってるの?そういった趣味でもあるのかな」
「いや趣味はねえだろ。純粋に人気がねえし広いから隠れ蓑にはうってつけだったってだけだろ」
「……お二人とも、ここまできても相変わらずですね」
「だってさエイダ。もうちょい緊張感持ったらどうだ」
「そういうアキアスはもうちょっと肩の力抜こうよー気持ちわかるけどさー」
「お前のそれは抜きすぎっつーんだよ!!」
エウリューダとアキアスのやり取りにトラベロは思わず苦笑い。
今自分たちは敵の本拠に乗り込もうとしているというのに緊張のきの字すら感じ取れぬ気楽な会話だ。
同時に二人は既に覚悟が決まっているということの示唆でもあるのだろう。
自分とはとても大違いだ……と羨ましく思った。正直に言うと、トラベロは緊張のあまり吐きそうで仕方がない。
ロクに戦ったことのない自分が、ファナリヤを助ける為に自ら敵陣に飛び込もうとしている。
もちろんそれは当然のことだ。ファナリヤは大切な仲間で、自分が最後まで助けると誓った少女なのだからこの身を挺するのはトラベロにとって当たり前、前提中の前提。
しかしそれでも、いざその時がくると色々と考えずにはいられない。足を引っ張ってしまわないか、自分に何ができるのか、たくさんのことが頭の中で堂々巡りする。
「!」
と、そこで突然後ろから肩をぽん、と叩かれトラベロは驚いて後ろを向く。
……レヴィンだ。そのまま強張った肩をほぐすかのように優しく叩いてくる。
「……大丈夫だ。私たちがついてる」
相変わらずあまり動きのない表情だが、眉は困ったように動いている。
「励ましてあげたいけどどういう顔をすればいいかわからない」のだろうとトラベロはそう思った。
彼の目を見ればこちらを気遣おうとしてくれているのは十分伝わるし、その優しさが心強いのは言うまでもない。
「……はい、わかってます。ありがとうございます」
「……ん」
微笑んで感謝を告げると、レヴィンは安心したように口元を僅かに緩ませる。
そのぎこちない笑顔がまた心強く、頼もしい。
トラベロは深呼吸して、再び前を向く。一番先頭に立っているスピルと目が合うと彼はにこりと微笑んで声をかけてきた。
「少しは緊張ほぐれた?」
「はい、おかげ様で」
「よろしい。じゃあ、改めて状況確認をしようか。
……言うまでもなく、これから僕たちはマグメールの本拠地に乗り込む。ここから先、何人もの神秘力者との戦闘は免れないし何があるかわからない。
僕とレヴィン、アキアスで先陣を切って戦線を確保、敵を各個撃破して進撃する。
エウリューダは後方から《絶対障壁》で可能な限り敵の攻撃を防いでくれ。敵への言霊の使用も視野に入れておいて。
トラベロ君はエウリューダの後ろで待機だ。絶対に《絶対障壁》の範囲外には出ないこと!自分の身を護ることを最優先に考えて、無理な援護はしないように。
――以上だ。何か質問はある?」
全員が言葉でなく視線で答えを返す。
覚悟はできていると、それらは語っていた。
口程に物を言う瞳たちにふっと微笑み、スピルは神秘力を発動。
スクラップブックから放たれる眩い光が彼の右手に薔薇があしらわれた細剣を、左手に鏡のように光を反射し煌めく盾を形作る。
一切の色はなく、黒塗りとトーンのみで表現された剣の切っ先を目の前の道へ向け、鼓舞するように一言。
「――さあ、行くよみんな!!」
一人は拳を突き合わせ、一人はごくりと唾を呑んで、決意の一歩を踏み出した。
――時を同じくして、マシンガンの銃口は激しく火を吹き続けていた。
けたたましい銃声が響けば響く程、目の前に砂煙がもくもくと立ち上る。
引鉄を引く金の眼は真っ直ぐ正面を捉えて離さない。
銃弾が底を尽きるまで、どれだけ彼の眼にすらターゲットが映らなくなる程の煙に塗れても連射を続ける。
これでもかというぐらいに銃弾をぶち込み続けているが、仕留めたという感覚はレインの手に一切なかった。
何故なら、先程から撃ち続ける銃弾は全て何かの壁に弾かれるような音と共に落ちていくばかり。
やがては弾数が底を尽くと、ふう、と一息ついて銃を持つ手を下げる。
「……ひえー、こっわいことすんなあ……!」
青年の驚きに満ちた声。
砂煙が段々と消え、不可視の壁に阻まれた銃弾の残骸と一切の傷もない敵二人が姿を現す。
「レイディエンズさん、あんた確か戦えないんじゃなかったっけ?」
引きつった笑いを浮かべるカンパネラの問いに、レインはにこりと笑ってこう返す。
「ええ、私は戦えませんよ?だからこうして文明の利器に頼っているのです」
「その文明の利器を十分に扱える時点で戦えるようなもんじゃないのかい?」
「神秘力者の力の前ではこれっぽっちも役に立ちませんよ。未知の力の前では文明なんて無力――それは貴方が今ここで証明していると思うのですが」
「いやあ、随分変わった見方だなあ……あんたのそれは非戦闘員とは呼ばないぜ?こいつの相手だって簡単にやっちまいそうだ」
カンパネラがそう笑うと、後ろにいた少年が人形を掲げて神秘力を発動する。
レインの目の前にどろどろと蝋が溢れ、持っているそれと全く同じかつ等身大の大きさをした異形の戦士を次々と形作っていく。
「(なる程、その場で戦力を次々増やしていくタイプですか)」
レインは懐から拳銃を取り出し即座に発砲。
人形の頭部に鉛玉サイズの穴が開くが、それを物ともせず人形は接近、腕を振り上げ――
「おらァッ!!!」
――た、ところで勇ましい声と共に女性が飛び込み、人形の腹部に拳で風穴を開ける。
渾身の力で拳を振るう度、手に握られたメリケンサックが火を噴くかのように襲いかかる人形の首を折り、腹を裂く。
さらに地に落ちた頭部をサッカーボールのように蹴飛ばしてそれごと人形を粉々に砕く。
神秘力者でない人間とは思えぬその戦いぶりにカンパネラはわお、と思わず声を漏らす。
「助かりましたよマリナ。流石ですねえ」
「そりゃどーも」
マリナは衣服に散った蝋の残骸を手で払いながらぶっきらぼうに答えを返す。
そして次に、引きつった顔でレインの手にあるマシンガンを指して恐る恐る問うた。
「……ってか、何でんなモン持ってんだよ」
「護身の為に仕入れておいただけですよ。念には念を入れて」
「念の入れすぎだろ!!」
「神秘力者相手ですからこれぐらいは当然かと」
「だからってマシンガン軽くぶっ放すのが護身の範疇とかお前の中での概念どうなってんだ!」
「非力ですからせめて武器は威力の出るものにしなければ」
「マシンガン撃つ時点で非力もクソもねえわ!!非戦闘員の称号返上しろ!!」
「いやいや私戦えませんって。マリナみたいに運動できませんしレヴィンみたいに戦いに向いた神秘力があるワケでもなし」
「あああああああもう何なの感覚どうなってんの!?こればっかりはあたしゃ敵に同意するわてか同意しかできねえわ!!!」
「えー?」
おかしいなあ、と言いたげなレインにマリナは大きくため息をつく。
――ホント、見た目と中身正反対すぎるっつーの。
今は仲間を助けに行く為に別行動を取っている兄の性格と比較して、またため息。
「ソレぶっ放したくってこの作戦にしたっての5割、いや7割ぐらい入ってんだろ」
「そんなまさか。私は可能性が高い敵の手動きを想定しただけですよ。
それにあちらは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてましたし、現時点では良い方向へと向かっているかと」
「ああはい、そういうことにしといてやるわ……考えるだけで頭が疲れる……」
マグメールがファナリヤとトラベロを連れ去ることでこちらの戦力を分断し、そこを狙って叩くという目論見であるならば――
という仮定に基づき、レインは一つの案を立てた。
『いっそのこと、敢えて罠に乗って一泡吹かせてやりましょう』
簡単に説明するならば、作戦を立案した時のレインのこの一言に尽きる。
敵の作戦にまんまとひっかかる自分たちを装い、マグメールが叩いてくるところを逆に叩き返し二人を救出して連れ帰ろうではないか、というものである。
戦闘経験が最も多いレヴィンとアキアス、そのサポートにスピルとエウリューダを加えた救出班と、レインとマリナによる事務所への襲撃に備えた防衛班。
普通に考えれば戦力の差があまりにも空きすぎた無謀な組分けであり、流石に反対や心配の声も上がったがレインは一切の譲歩をしなかった。
その方が相手が油断してくれるだろうという理由と、スピルから《幻想具現》で道具を生成してもらい、それを使って戦力をカバーするという対策案の提示で言いくるめたのだ。
実際、今二人がいる空間はスピルから借り受けた道具により作った仮初の領域。
いくら退けることに成功しても自分たちの仕事場がボロボロになっては困るが、仮想空間ならばいくら破壊されても事務所自体に影響はない。
そしてまんまと乗せられていると敵に錯覚させることができていれば、こちらの襲撃を担うのはエイヴァスやジョン・ドゥといった戦いに長けた神秘力者ではない可能性がある……つまり。
「……俺がこっち任されるのまで想定してたんだ、流石だなあ」
カンパネラは感心したように笑う。
彼と対峙することになったのはレインの想定通りだった。確かに"戦いに長けた"神秘力者では"ない"のだから。
が、しかしだからといって侮っていい相手でも決して無い。
この青年は戦いこそ不得手ではあるが、マグメールで最も護りに優れた神秘力者なのだ。
その神秘力者が別に神秘力者を連れ、そのサポートに徹するスタイルを取れば間違いなく長期戦そして苦戦は免れない。
そして何よりも、この青年のこれまでの振る舞いはこちら側を揺さぶるには十分な影響を持っている。
「……マリナ、わかっているとは思いますが」
「わーってるっつーの。レヴィンじゃあるまいし躊躇しねーわよ」
ああ、あいつがこの場にいなくてよかったかも。そうマリナは思った。
レヴィンやトラベロがこの場にいたら間違いなく躊躇ってしまってとても戦えそうにない光景が目に浮かぶ。
そう考えると、レインの考えたこの配分は間違いなく正しい。マリナ自身に一切の躊躇がないかと言われればそうではないが、それはそれである。
そういう風に割り切れる人物だとレインは理解して、戦闘の相棒に自分を選んだ……と、思うと思わずマリナの口から笑いが零れる。
「あたし、思った以上に信頼されてるっぽいわね?」
「当たり前でしょう?」
「それもそうね。……ああ、レヴィンがここにいなくてホントよかったわ。絶対勘違いする」
「そうですね、これが終わったらいい加減誤解も解かないと。何年も両片想いを見せられてる私の身になって欲しいです」
「何年も片想いさせられてるあたしの身にもな」
拳を強く握りしめ、改めて身構える。
二人の目の前には次々と人形が生み出され、各々凶器を手に同じように構えている。
談笑などしている場合ではないこの状況、人形を生み出している少年が不機嫌そうに口を開いた。
「お姉ちゃんたち、僕に勝てると思ってるの?殺すよ?」
「さあ?でも殺すなんて物騒な言葉、子供が言うもんじゃないわよ」
「うるさい。バディスをやったくせに都合のいいこと言わないで」
「……人違いじゃないかしら?その名前、聞き覚えがな――」
と、そこでマリナの言葉は途切れる。
レインが急に首根っこを引っ掴み彼女を後ろに突き飛ばしたのだ。
マリナが何すんのよ、と声を荒らげようとしたと同時に人形が一体、後方から跳躍して遅いかかってくる!
「そのまま伏せててくださいよ!」
レインはそう言って何かを人形に投げつけた。
一体何を投げたんだ、と思ったが彼の左手にある安全ピンを見てマリナは慌ててそのまま屈み込む。
直後、派手な爆発音。音が収まってから恐る恐る前を見ると、襲いこようとしてきた人形は粉々に砕け散っていた。
爆風に巻き込まれて他の人形も何体かバラバラだ。マリナの顔から血の気が引く。
カンパネラも思わずうへ、と声を上げ、少年はますます激昂した様子を見せる。
「ちょっとちょっと。手榴弾とか、色々仕込みまくってんなあ!」
「そんなに驚かれなくても、絶対防御が相手ではこの程度虫の羽音がする程度でしょう?
それに、先程からこちらの攻撃を受けてくれているようですが……お情けでも頂けるんですかねえ?」
挑発するかのようにレインは笑い、もう一つ手榴弾を取り出しピンに手をかける。
カンパネラはまた顔を引きつらせて笑った。
今彼の目に映るレインの姿はこの状況を楽しんでいるような、そんな雰囲気を全面に押し出しているように思えてならない。
こちらを挑発する笑顔に少し狂気じみたものが垣間見えもしたような気がする。
――もしかしてめちゃくちゃヤバい人を敵に回したかもな……そう本能的に悟った。
一方、そんな空気を読み取れなかった少年はますます怒りに顔を歪める。
「……ねえカンパネラ様、僕あの青いのムカつく。殺していいよね。いいよね?」
「あー……あー、うん。俺は殺す殺さないについては口出すなって言われてるからどうぞ。
初っ端から全力でいいぞクライス、多分アレまだ本気じゃないから。俺はヤバいと思ったら護りに入るんで好きに暴れてくれ」
「わかった」
クライスと呼ばれた少年は手に持つ人形を高く掲げて神秘力を発動する。
すると人形の口からどろどろと蝋が吐き出され、今この場にいる誰よりも巨大な人形が生み出された。クライスはその肩に乗り、人形に指示。
巨大な人形はカンパネラをその手に抱え、他の人形たちは一斉に身構える。
「……おやおや、随分と高く買い被られてしまったようです」
「あんたが火に油注いだだけだろうが……どうすんのよこれ」
「どうするも何も、人形をひとつ一つ破壊していく必要はありませんから。
最低限の数を壊して接近しあの少年を叩けばゲームセットです、詰めチェスの難易度が多少高いという程度でしょう」
レインはそう言って笑うが、マリナの顔は青ざめたままだ。
――これのどこが多少だ。どう見ても最高難易度だろうが!
……と言いたいがきっと彼はわかってて言っている、これはもう腹を括るしか道はなさそうだ。
深く呼吸をして再び構える。
「……勝算、あんの?」
「あります。というかなくても無理やり作ります。マリナはとにかく前へ、私が死角をカバーします」
「爆弾であたしごと巻き込んだらマジで殴っからな」
「嫌ですねえ、そんなことするワケないじゃないですか。信じてくださいよ」
かたや二人、かたや二人と、人形の戦士たちが数十体。
客観的に見ずとも多勢に無勢。誰からも勝てるのかと疑問が浮かぶに違いないこの光景。
しかし、マリナの後ろに構える男は余裕を崩さず笑みを湛えて銃を構えている。
ハッタリではなく本気で勝つ気でいるのは明らかだった。
それが相手にとっては気に食わないのだろう、クライスは先程から苦虫を噛み潰したような顔でレインを見ている。
「クライス、落ち着いてやれよ」
「……カンパネラ様が全部防いでくれるでしょ」
「まあそうなんだけど、あんま怒ってると足元掬われちまうからさ」
カンパネラはそう言うと人形の腕の中で頬杖をつく。
まるでこれから始まる試合を観戦するかのように気楽そうに見えてマリナは少し顔をしかめる。
「随分と余裕ね」
「これでも大分余裕はない方なんだけどなあ……色々とびっくりさせられて。
でも一応現時点こっちが圧倒的に有利だし、こっからどう逆転してくれるのかは楽しみかな。レイディエンズさんの采配、それからあんたの戦いぶり。じっくり見せてくれよ」
にか、とカンパネラは笑う。
先程からほとんど彼はその表情を崩さない。驚いたり引いたりはしているが、それでも笑顔は一切絶やしていない。
最初に相見えた時と同じ、余裕を含んだ笑顔をこの場に置いても湛えている。
つまり彼は一切の冷静さを失っていない、とも解釈できた。
一手間違えれば即座にこちらが詰められる――レインは銃口をゆっくりと目の前の人形の軍勢に向ける。
「……マリナ、いきますよ」
「オーケー。期待されてんだ、それに答えてやろうじゃないの」
「ええ……目にものを見せて差し上げましょう!」
派手な銃声が響き渡る。
それを開戦の合図とするかのように、両陣営は互いに獲物を狙って一気に駆け出した。