第一章【ハジマリ】第十四節-前編
その日は静かだった。
「戻りましたっ」
依頼を済ませたファナリヤがドアを開けると、珍しい光景が広がっていた。
かたかたかた、とキーボードを打ち続ける人物に少し目を丸くする。
それは何故か。
「ああ、お帰りファナリヤちゃん。お疲れ様」
スピルが画面に目を向けたまま労いの言葉をかける。
その目を向けている画面がゲーム機ではなく、パソコンのモニターでキーボードを動かし続けているのが室内が静かかつ珍しいことの理由だ。
……要するに、スピルがちゃんと、仕事をしているのである。
「マリナ、これコピー取って」
「はいよ」
「トラベロ君はこれシュレッダーにかけてくれる?」
「わかりました」
「レヴィンはそこの資料片っ端から取って。アキアス、それそこ置いといて」
「ん」
「はいはい」
「レイン、この前のデータある?」
「残してますよ。いつも通りの量送っておきます」
メンバーに事細かに指示を出しながら次々と溜まりに溜まった仕事を消化しつつ、電話がくれば丁寧に応対するその姿。
こういうところを見ると一事務所の所長なんだなあ、と思わされる。
思わされるのだが普段の振る舞いが振る舞い故のギャップが凄かった。
「……スピルさん、わたしも、何かすることありますか?」
「ん、ありがとう。じゃあ紅茶を淹れてくれるかい?」
「はい!」
ファナリヤは軽い足取りで流し台へ向かい、ポットに入れるお湯を沸かし始める。
最初レインにコーヒーを入れた時とは違い、その手つきにはぎこちなさも手を触れることへの抵抗感も感じさせない。
「……ファナリヤさん、すっかり変わりましたね」
資料を机に起きながらトラベロが感慨深そうに呟いた。
あの日みんなで遊んでからというもの、ファナリヤは自身の宣言通り何でも積極的に取り組むようになり、
普段……否、少し前の彼女ならばトラベロと二人で行っていたであろう依頼も一人でやってみたいと申し出ることが増えた。
自信もついてきたのか、最初に出会った時とは大違いな程表情もぐっと明るくなった気がする。
トラベロは何だか、ファナリヤが自分より遠くに行ってしまったような気持ちになっていた。
「トラベロ君。寂しい?」
「うーん……そうなんでしょうかね。とってもいいことなんですけど」
「気持ちはわかるよ、出会った時は凄く周りにびくびくしてることが多かったもんね?」
「あたしも、嬉しいんだけどちょっと寂しく感じちゃうわ」
母さんも寂しそうにしてるのよ、とマリナが笑う。
一緒に暮らしている彼女はトラベロよりもファナリヤの成長ぶりを目にしていることだろう。
「いいことなんだけどな」
「ええ、とても喜ばしいことなんですけど同時にこう、どうしても複雑というか?」
「何か凄く子供の成長を実感した親みたいな気分だよねー」
「レヴィンとレインはともかくエイダはそんな歳じゃねえだろ……」
レヴィン、レイン、エウリューダと次々に現在の心境を口にし、アキアスが大きくため息をつく。
そんなアキアスも嬉しいが複雑、といった顔をしている。
エウリューダの言う通りの娘の成長を寂しがるような口ぶり、顔ぶりだ。
「僕も負けてられないなあ。もっと頑張らないと」
「トラベロ君普段から頑張ってるじゃない」
「そうなんですけど、こう、頑張ってる姿を見ると当てられちゃうじゃないですか。
それに僕、神秘力者としてもまだまだですし。もっと成長して足手まといにならないようにしないとですから」
マリナからファナリヤの話を聞いて、トラベロは思い出したことがあった。
――それは、彼女の方が神秘力者として、実力が自分より格段に上であること。
一番最初にマグメールの手先に出くわした時も、先日の話も、性格が関係して実力を発揮しにくいだけで
実際は彼女の方が自分より随分と器用に立ち回れるのだ。
マグメールがいつ襲ってくるともわからない……自分が護らなければと強く想うはいいが、現状を改めて認識すると自分の方が足手まといになってしまうことの方が多い気がしてならない。
「安心しろ、お前のスペックはそこら辺の初心者より数倍上だから」
「えっ」
トラベロは驚き声を上げる。
アキアスはコーヒーをすすってどかりと椅子に座り、それ以上は言わなかった。
しかし、神秘力の使い方に長けている彼が言うということはそういうことである。
「よかったねトラベロ君、将来見込まれてるよ?」
「あ、ありがとうございます!そう思われてるなんて何というかびっくりですけど」
「俺は世辞は言わねえからな」
「表現が素直じゃないだけだもんね!」
ごん、とアキアスの拳骨がエウリューダの頭にお見舞いされる。
「余計なこと言うんじゃねえ」
「あぅ……で、でも!ファナリヤちゃんもアキアスと同じこと思ってるっぽいよトラベロ君」
「はっ、はい!?」
スピルに紅茶を出していたファナリヤが素っ頓狂な声を上げる。
何故か凄く顔が真っ赤である――何故かわからないのはトラベロだけだが――。
「は、はい!わたし、トラベロさんがいてくれるってだけで、凄く心強いです!」
裏声気味に力説。
直後、いつものハの字眉はさらに下がり、うつむきもじもじとした様子を見せる。
髪の毛も彼女の思考に呼応してか、先と先をつんつんつくつく突き合わせた。
「そ、その……だ、だから、わたし……わたしも、えっと、トラベロさんが「いてくれるだけで心強い」って……思えるぐらいに、なりたくって……」
かしゃーん……スピルの手からティーカップが滑り落ち机に紅茶が散乱する。
彼だけではなく、トラベロを除いた全員が目を丸くした。
今の聞いた?聞いた!?とスピルがメンバー一同を見ると全員が全員こくこくと頷いた。
「(今超大胆発言したわよ!?)」
「(じ……実質、告白じゃないか、これ……)」
「(凄い……ファナリヤちゃん凄い……)」
彼女の発言に驚きを隠せないコメントがひそひそと囁かれる中、言われた本人は最初ぽかんとした顔を浮かべていたのが照れくさそうに頬をかいた。
「……あ、ありがとうございます。そう思ってもらえてるなんて嬉しいなあ」
「(あれ、これもしかして……)」
溢れた紅茶をごしごしと拭っていたスピルの手が止まり、食い入るように二人を見る。
他のメンバーも同様に息を呑んで見守り始めた。
……まさか、鈍いトラベロがついに……!?そんな一縷の希望を抱いたが――
「僕も、ファナリヤさんにとってもっともっと心強く思えるような人になる為に頑張りますね!」
――結果はいつも通りのオチであった。
一縷の希望は砕かれぷしゅー、とファナリヤの顔から蒸気が上がる。
「……ファナリヤさん?顔真っ赤ですよ、大丈夫ですか……?」
「え、あ、あの、あの…………その……な、なんでもないです……」
そんだけの台詞言っておいて気づかないんかい。
口にはしなかったが全員が全員同じ感想を抱いた。
こんな台詞をさらりと口に出しておきながら、ファナリヤの気持ちには全く気づいていないというのがまた凄いというか、ある意味たちが悪いというか……
「トラベロ君。……「天然タラシ」ってよく言われない?」
「えっ!?あ、う、うーん、そんなつもりないんですけど確かに団長にそうからかわれたことは何度か……」
「……ある意味、うちで最強だね。君は」
苦笑を浮かべるスピルに他のメンバーはうんうんと頷いたのだった。
「――さて、仕事の続きっと」
新しく淹れてもらった紅茶を一口含み、スピルは作業を再開する。
黙々と仕事をこなしていく姿を見て、ふとトラベロに一つの疑問が浮かぶ。
「……そういや、スピルさんは貴族の当主様なんですよね?そっちの方のお仕事は大丈夫なんですか?」
普段、良く言えばフランクすぎる故に忘れがちな事実だが、スピルはティルナノーグの所長だけではなく自身の生家であるプリンシパリティ家の当主も努めている。
となると、トラベロたちティルナノーグの職員よりも遙かに仕事量は多いハズ……なのに普段のサボり様では家が回らないのではないかと若干心配にもなってしまう。
んー、と唸りスピルはこう答えた。
「家の方は僕より優秀な子がいるから、その子に主に任せてるんだ」
「へえ……」
「後々その子にあとを継がせる予定でね。まだ大学に通ってるからまだ正式な手続きは済ませてないけど、
終わったら僕はその座を引いてティルナノーグに専念するつもり」
「もうそんなとこまで決めてるんですか!?スピルさんまだまだこれからな歳なのに……」
これもまた忘れがちな事実、スピルはまだ16歳……神秘力の都合で中身はそこそこ人生経験が豊富なようだが、実際の年齢は一番年下だ。
人間の個体寿命80年の四分の一すらたどり着いてない年端の行かぬ少年だというのに随分考えが早くないだろうか?
「それもそうなんだけどまあ、僕の方も色々と事情があってね」
苦笑するスピルの答えはどことなく歯切れ悪さを感じさせる。
サボり以外でそんな答えをするのは初めて見た気がして、仕事をしている彼と同じぐらい珍しいなとトラベロは思った。
「まあ家は問題ないのはホントさ。……溜めてないから」
「その発言で全部台無しですよ!?」
「ほ、ホントに溜めてないって!こっちの仕事も今消化したし!!」
「それ溜めてないって言わねえわよ」
スパン――マリナのファイルブックによる一撃がスピルの頭に命中。
きゃん、と子犬のような悲鳴を上げて机に突っ伏す。
「うう……終わらせたんだからもう溜まってないじゃん……!」
「それは「溜めていたのを消化した」であって「溜めてない」ではありません」
「ノリ悪い!ノリ悪いよ!もうちょっとこう芸を凝らしたツッコミしてよアキアスみたいに!!」
「私彼と違ってそんなんできる程器用じゃないですから」
俺を巻き込むな、とアキアスが文句を言っているのをよそ目にレインはスピルに言葉の刃をぐさりと突き刺した。
うう、とうなだれるスピルはアホ毛がしょぼんと垂れ下がりまるでしょぼくれた子犬である。
流石レインさん、容赦ない……トラベロだけでなくファナリヤも苦笑した。
歳こそ下だが仮にも所長――組織のトップ、つまりお偉いさんである彼に対して何とも言えない扱いをする先輩職員一同。とてもではないが自分にはできない。
かといって、フォローを入れると「甘やかすことになるから」と普段から厳しいレインやマリナどころかエウリューダも言う程
スピルの振る舞いは随分自由すぎるのもあるのだが。
しかし仲の悪さは全く感じず、「喧嘩するほど仲が良い」という言葉に近いような気がしてある種、彼らの信頼の表れでもあるのだろうと思った。
「ま、まあとにかく今ので全部終わったよ!他は!?」
「今ので最後よ」
「よっしゃー我慢してたストーリークエの続きやるぞー!!」
ふふん、と鼻歌を歌いながら携帯を取り出してソーシャルゲームを起動するスピル。
「あ゛っ今日スペシャルレア確定チケットあんの!?うへー行く途中コンビニ寄っときゃよかった……」
「帰りに寄ればいいだろう……」
「ていうか帰りにしてくださいそういうのは」
呆れ気味にレヴィンとレインが一言申すとえー、と頬をふくらませる。
こういう姿は年相応の少年らしいなあ、とトラベロは微笑ましくその光景を眺めた。
今日はそんな平穏な時間が過ぎるだけだと思ったが……
「失礼」
ノックもなしにドアが開き、男が一人入ってくる。
体格の良い黒スーツにいかつい顔、サングラスといった外見のSPのような風貌だ。
その見た目に緊張しながらも、それを出さまいとぎこちない様子でファナリヤが最初に声をかける。
「……うちに、何かご用、ですか?」
「プリンシパリティ卿はおられるか」
「え、えっと……所長のこと、でいいです、か……?」
合っているか不安で首を傾げる。
プリンシパリティ家はスピルの生家……つまり、スピルのことを指しているハズだ。
ファナリヤが振り向くと、スピルは携帯を仕舞い険しい顔で男を見ていた。先程の少年らしさとは打って変わり厳格な大人の雰囲気を漂わせる。
他のメンバーの表情も決して良いとは言えない。
マリナやアキアスは明らかに警戒しているし、エウリューダもいつもの笑顔とは程遠い心配そうな顔。
何より一番印象的なのは、いつも穏やかなレインが普段とは想像もできない程の嫌悪感をむき出しにした目で睨みつけていることだった。
レヴィンが諌めているからかろうじて飛びかからずにいる……ぐらいの怒りに満ちてもいて、ファナリヤは困惑を隠せなかった。
「……用件は」
「主が直接お話になります」
淡々とした口調のスピルの問いの後、男の後ろから一人、のしのしと歩いてやってきた。
白髪交じりの禿げ頭とビール腹、肥満体型の顔つきの悪い中年男性だ。
嫌そうな顔でふん、と鼻を鳴らして室内を見回し、ファナリヤの姿が視界に入ると一変。ニヤけた表情で嬉々として近寄った。
「おお!おお!なんと可愛い子じゃ……お嬢ちゃん、名は何と言う?」
「あ、あの……えっと……」
「恥ずかしがり屋さんか?照れなくて良いぞ~♪ほほ、ほんに可愛い娘じゃのう」
ファナリヤは完全に引いており一歩後ずさるがそれも気にかけず男はにじり寄る。
明らかに下心丸出しで鼻の下を伸ばしているその姿は同性から見ても気分の良いものではなく、見かねたトラベロが間に入る。
「あ、あの!ご用件は何でしょうか!」
そう声をかけると、男の顔が途端にもの凄く嫌そうなものになり舌打ちする。
「近寄るでない化物が。汚らわしい」
「な……っ!?」
突然の暴言にトラベロは思わず固まった。
トラベロだけではない、他のメンバーも聞き逃すことができず不快な表情を浮かべる。
「貴様なんぞに用はない、とっとと去ね」
「随分な仰り用ですね。仮にもクライアントとは言え必要最低限の礼儀はお踏まえになるべきではと存じますが?」
真っ先に反論したのはレインだった。
明らかに怒りを露わにしているが、男は全く悪びれずにこう返す。
「ふん、人ならざる力を使うのだ、化物と言って何か指し支えでもあるのか?」
「その化物に依頼するというのですか?」
「手段を選べんから恥を忍んで訪れたのだ。"リベリシオン家"の"次期当主"殿は思ったより頭が回らぬのだな?」
「っ、誰があの家なんか継ぐものか……!」
「レイン!」
飛びかかろうと立ち上がるレインの肩をレヴィンが掴んで止める。
気持ちはわかるがとその目は語りかけていて、レインが顔を俯けて謝罪するとレヴィンは黙って首を振った。
一方男は不機嫌そうに鼻を鳴らしている……
「リベリシオン家?次期当主……?」
「……知らなくても、大丈夫なことだ」
レヴィンはそう告げる。
どうか触れないでやってくれ、と頼み込むような言い方でファナリヤはごめんなさいと頭を下げ、気にするなとレヴィンは返す。
だが、レインのあの怒りよう……以前ロッシュの依頼を受けた時の悲しげな笑顔と感情を消したかのような冷たい顔の中にあった
とてつもなく重い何かを感じずにはいられない。
「……部下の非礼はお詫びするよ」
一部始終を見ていただけのスピルが口を開く。至って淡々と形だけの謝罪を告げて静かに立ち上がる。
「貴方ともあろうお方がうちに依頼してきたんだ、内容は僕が直接お聞きしよう。マリナ、お茶の準備をして」
マリナは黙って頭を下げて用意に取り掛かり始め、その間にスピルが応接室へと男を連れて行く。
二人が部屋を出ると先程からの空気が少し和らいで、ファナリヤは脂汗を浮かべて一息ついた。
「……何なんですかあの人は!」
トラベロが不機嫌さを露わにする。
ファナリヤが嫌がっているのにしつこく迫り寄る姿といい、神秘力を侮蔑する発言といい、あまりにもの傲慢さには不快感しかなかった。
「アジルターカ卿――大手IT企業の経営者でプリンシパリティ家とは別のコミュニティに所属する貴族ですよ」
レヴィンに諌められてからずっと無言だったレインが口を開く。
「……貴族って、たくさんコミュニティが、あるんですか?」
「ええ、いくつかに分かれて縄張りを作っているような感じですよ」
「あれ?でもスピルさん……貴族同士が関わるのも少ないって」
「同コミュニティ内でも少ないのは確かです。ましてや別コミュニティなら尚の事。特にあのアジルターカ卿は性格の悪さと女癖の悪さから敬遠されています」
女癖……その言葉を聞いた瞬間ファナリヤの背筋を寒気が走る。
トラベロが割って入ってくれなければ押し負けて個人情報を教えていたかもしれないと思っていた故に尚更ある種の恐怖を感じた。
「で、ドがつく神秘力嫌いと」
アキアスの発言を肯定するようにレインは頷きため息をつく。
「そんな!神秘力があるだけでなんて」
「悲しいけど、人間って自分がわからない、自分にできる範囲を越えたモノを持ってる人を怖がるようにできてるからねー……
神秘力自体が見つかったの結構最近な方だし……」
エウリューダの発言にトラベロは否定しようとしてできずに口をつぐんだ。
そういう人々が存在していなければ、ファナリヤはあんなところで行き倒れたりはしなかった……残酷な現実を改めて突きつけられる。
ティルナノーグで生活している故にすっかり抜けてしまっていたが、そういった差別・偏見がそう簡単になくなるワケがない。
「……レインさんのこと、知ってるみたいでしたね」
「まあ、色々とありましてね……」
視線を逸らすレイン。レヴィンも複雑そうな顔で俯いている。
先程耳に入った単語から何やら因縁のようなものがあるのは確かだが、それに触れるのは彼らの心に土足で踏み入る行為にも等しいと
トラベロもファナリヤもそれ以上の言及はしなかった。
「――で、アジルターカ卿。神秘力者を嫌いプライドに定評のある貴方がうちに依頼なんて、一体どんな事案なんだい?」
一方応接室では、依頼の話が始まったばかりだった。
スピルの言動に不満があるのかアジルターカ卿はふん、と機嫌悪そうに鼻を鳴らす。
「年功序列を弁えない小僧だ」
「僕に礼儀正しく接してもらっても嬉しくない癖に。それにそちらのコミュニティには"リベリシオン家"がいる。仕事とは言え警戒してしまうものさ」
「そこについてだけは安心せい。別に協力を頼まれたからではない、"次期当主"殿には手を出さぬ」
「レインはあの家を継ぐつもりはないしあっちが勝手に言っているだけだ、その呼び方は訂正してくれ。……話を戻そうか」
スピルがそう言うと、アジルターカ卿は一枚の紙を取り出した。
新聞の見出しの記事をくり抜いたかのような文章の内容は至って単純明快。
……卿の殺害予告である。しかも差出人は「マグメール」と書いてあった。
「――なる程。こちらに助けを求めるワケだ」
「察しの良さは褒めてやろう。予告日は3日後、我が家で行われる立食パーティの日だ。貴様らには護衛をしてもらうぞ」
まだOKの返事は返していないんだけど――そう反論したくなる気持ちを抑えてスピルはふうん、と呟いた。
こちらの意向を考慮しないような人物であることは嫌でもわかっていた。卿はさらに煽り立てるようにふんぞり返って続きを話す。
「非常に気に食わんが、化物に対抗するには化物をぶつけるしかないからなァ。それに貴様は小僧の癖に実力は確かだ、
それを評価してやったからこその依頼であることをゆめゆめ忘れぬようにな」
「それはどうも、お褒めに預かり光栄だ」
上辺だけの礼を返す。あちらが皮肉を混ぜればこちらも皮肉を混ぜる、口と口の応酬は互いに一歩譲らない。
しかし話は着実に進んでいた。……ほぼあちらの一方的な提示をうまく受け流しているだけとも言う。
「で、護衛なんだ、報酬はそれなりに保証してくれるよね?命と生活がかかってるんだから」
「化物相手とは言え儂も承認、踏み倒すような真似をする程落ちぶれとらん。――ただし、男だけはむさくるしいのでな。あの娘もつけてもらおう」
スピルの表情が変化する。眉間にさらに皺を寄せ、不満の意を示す。
マグメール相手の依頼に彼女を連れて行けなど……ファナリヤの素性を知らないのは当然だが、それ故に余計にたちが悪かった。
それを読んでか読まずか、いやらしそうにアジルターカ卿は言葉を付け足した。
「それを呑めんのならば、踏み倒して良いと見なすが?」
――この男、調子に乗って。
流石にスピルも胸倉を掴み上げたくなるような怒りを覚えるが、それに蓋をする。
こちら側の事情を知らない以上は何を言っても無駄だ……それにこの様子では相手は知っていようと譲らないどころか、知っていてわざと持ちかけるだろう。
この男はそういう人物なのだとスピルは痛い程に理解していた。
条件を、呑むしかない。
呑んでも酷く指し支えがあるどころか、ファナリヤを連れて行かれるという心配はない。それだけの確信が彼にはあった。
「(マグメール……もし、首領の本質がそれならば。きっと――)」
そんな期待をしながら、スピルは了承の意を示した。
話を終え部下たちに説明すると、予想通り反対の声が上がる。
真っ先に反発したのはアキアスとトラベロの二人だった。
「冗談じゃねえ!何でそんな条件呑んだんだよ!!」
「そうですよ!マグメールの計画なんでしょう!?ファナリヤさんが連れて行かれるかもしれないじゃないですか!!」
スピルにとっては想定内の反論。
二人が意見を代弁してくれたからか、レヴィンとマリナは納得のいかない顔をするだけに留まっている。
ただ、引き受けただけの理由は説明してくれるだろうなと視線でこちらに語りかけていた。
「理由は2つ。一つはアジルターカ卿が暗殺されることによる経済界のデメリットが大きすぎること。
そして何よりももう一つ。……今回、マグメールはファナリヤちゃんを狙って動こうとはしないと考えたからだ」
「……どういう、ことですか?」
当の指名された本人は意味がわからず首を傾げる。
しばらくして、その言葉の意図を解釈したレインが自身の見解を口にした。
「今回の目的は経済界の重鎮であり、反神秘力者であるアジルターカ卿の殺害。
そんな大物を殺すのだから我々以外にも護衛を大勢雇い厳戒態勢を取るのは間違いない……」
「つまり、ファナリヤちゃんを狙ってる余裕があるワケじゃないってこと?」
エウリューダが要約すると、その通りだとスピルは頷いた。
「マグメール首領ユピテル・ヴァリウスは冷静沈着で頭も回る。
その人物像が変わってないなら暗殺とファナリヤちゃんの誘拐を両方するような無謀な真似はしないだろう」
「……よく知ってますね、スピルさん」
まあね、と返すスピルの顔はどこか複雑そうだ。
敵の親玉である男のことを知っているような口ぶりが引っかかるが、これ以上問うていい内容ではないだろうとトラベロは言及を止めた。
「その通り、今回はその子にゃ手出さないよ」
そこへ一人の"侵入者"がスピルの言葉を肯定するように口を挟んでくる。
ドアの前に、以前出会った暗い緑髪の青年が同じく以前出会った不思議な子を連れて立っていた。
「カンパネラ・フェリチータ、ナギト・スメラギ……!」
レインが真っ先に警戒の意を示し懐の銃に手をかける。
レヴィンとアキアス、エウリューダの三人はファナリヤを護る為彼女の前に立つ。
カンパネラは嫌われたなあと苦笑するが、堪えているような素振りはない。
「……マグメールの、人だったんですね」
「ごめんな、騙すつもりはなかったんだよ」
ファナリヤの一言に申し訳なく笑う。
正直、未だ警戒心を抱き切れずにいる。それはナギトを助けたトラベロ、レヴィン、マリナの三人も同じだった。
マグメールの一員であることすら疑いたくなってしまうような敵意のなさ……
そもそもこちらを敵と思っているのかすら怪しく思えるような雰囲気を感じてならなかったのだ。
「目的は何だい」
「うちのボスからの伝言を届けに」
「――宣戦布告、ということかい」
「よくおわかりで。"少女には手を出さない、暗殺を止めてみせろ"とさ」
「……その言葉を信じろと?」
「それは所長さんが一番わかってるんじゃないか?ユピテルさんがそういう人だって」
否定も肯定もせず、スピルはただ鋭い視線をカンパネラに向ける。
「どういう事ですか?」
「所長さんとうちのボスは因縁があるのさ」
トラベロの疑問にカンパネラは笑って答える。
因縁があるからこそ相手の人物像を知っているのかと納得が行った。もちろん、詳細な内容など聞くつもりはないが。
「わざわざその為だけに敵陣に乗り込んだのですか?」
「そうさ、あんたが信じるかどうかは置いといて」
「……いえ、そうでなければこのタイミングでやってきたりしないのは確かですから」
レインも今回は疑ってかかるのをやめた。
直接乗り込むことのメリットなどマグメールには存在しない、正確に言うならカンパネラがすることには何も利益がない。
彼は恐らく以前の宣言通り、命令がなければこちらに仕掛けることはないだろう……また人物が変わると話は別になるのだが。
それを察したのかカンパネラは次にこう告げた。
「ま、それを伝えるのが今回の命令さ。お遣い終わったし俺は失礼するよ」
「待って」
カンパネラが踵を返そうとしたタイミングでスピルが声をかける。
「……何故ユピテルは、それを僕たちに伝えるように命令を?」
その言葉に敵意はない。ただ純粋に、それが知りたい。
それだけが、その想いだけが詰まった瞳でカンパネラを見据える。
「さあ。ボスもあのおっさんが好きじゃないから、そいつ絡みに乗じたくなかったんじゃないか?ある種のプライド的に」
それだけかと、スピルの目はまた語りかける。
「ああ、でもこう言ってたぜ。"スピリトゥス・フォン=プリンシパリティという男はただでそんな奴に従う人物じゃない"――ってな」
ふっと微笑み、カンパネラはそう残してナギトを連れて立ち去った。