第一章【ハジマリ】第十三節-後編
旅は道連れ、世はなんとやらと言う。
しかし、その道連れに人数制限というものは存在しないのである。
最初に訪れたのはファンシーグッズ店。
女の子が大好きそうな可愛らしいキャラクターのグッズで溢れているこの店に、マリナはファナリヤと共に意気揚々と足を踏み入れる……
が、もちろん男三人は躊躇った。躊躇わないワケがなかった。
明らかに男子禁制のオーラが滲み出ているこの店に、大の男が三人も入るなど流石に抵抗感を禁じ得ない。
特にレヴィンは顔に大量の冷や汗をかき、ぷるぷると震えている……
「あんたらどうしたの?さっさときなよ」
男三人の葛藤に容赦なくツッコミを入れる女子一名。
ファナリヤは思わず苦笑い。間違いなくマリナは確信犯だ、口元は半ばほころんでいる辺り間違いない。
――最初にここにしたのわざとなんだろうなあ。と心の中で呟いた。
「あ、おr……わっ私、外で待ってる……」
「お、俺も!場違いすぎてアレだし!トラ任せた!」
「ええっ僕だけです!?」
「大丈夫お前はまだセーフいけるいける!」
やいのやいのと同行者――彼らにとっては犠牲者である――を選ぶだけでただ時が過ぎていく。
しかしてそんな時、救世主は突然やってきた。
「あれ?どしたのみんな、今日お休みなのに集まってるって珍しいねー」
……エウリューダだ。
しかも、堂々と店内から声をかけてきた。
背丈や声は男性相応のそれなものの、生来の中性的な外見と所謂ゆるふわスタイルな服装。
この店に入るには全く持って問題のない唯一の男性。
――これが神タイミングというものか……!
男三人は勝利を確信した。こんな問答に勝利もクソもへったくれもあったものではないのだが。
「あらエウリューダ。奇遇ねー」
「そうだねー。二人もこれ買いに来たの?」
「あっ、そ、それ!ふわみゃストラップの、あの、アレですよね……!!」
「そうそう!あっ、すぐに売り切れそうだし二人の分も確保しようと思って……じゃーん!」
「ええっ!?そんな、ありがとうございます……!」
「やだもうホントいい子すぎない!?やーんありがとー!!」
わいわい騒ぎ出す女子三名、否、女子二名と男子一名。
「……エウリューダさんに全部、お任せしませんか?」
トラベロの問いに、レヴィンとアキアスは黙って頷きそっと店の外へ出た。
「――おや、やっぱり。見慣れた人影だと思ったら」
店を出たら出たでさらに偶然の遭遇。
レヴィンが少し目を丸くして返事を返す。
「レイン?……何か偶然が続くな」
「偶然……ですか。なる程、用事を済ませて帰ろうとしたら皆揃ってて何かと思いましたけども。マリナたちは中に?」
「あ、はい。たまたまエウリューダさんにお会いしたのでお任せして……」
「おや、彼まで?本当に偶然が続いてるようで……でも確かに、三人にこういった店は難しいですよね」
まあ私でも難しいですが、とレインはくすくす笑う。
「私も同行させてもらえませんか?この後特に用事もありませんし、せっかくですから皆で何か食べに行くのも良さそうです」
「昼も夜も一緒、か。悪くねえんじゃねえの?そういやみんなで食いに行くとかあんましねえもんな」
「ですね。だいたいスピルさんとレインさんがお留守番でしたもんね」
「サボり癖直してくれれば私一人で留守番でもいいんですけどねえ……」
そう笑顔でレインは言うが、声はいつもより数段トーンが低く思わず男三人は背筋に寒気を走らせる。
「……わかってるとは思うが、レインは一番敵に回したらいけないタイプだ。覚えとけ」
こっそりとレヴィンが耳打ちし、トラベロはもの凄い勢いでこくこくと頷く。
そんな二人にレインが声をかけると慌てて何でもないと主張し、そうですかとだけ告げられて終わった。
直後のレヴィンの顔に店内のやり取りの時程ではないとはいえ、冷や汗がたらりと流れている辺り恐らく気づかれてはいるが。
「――ああ、そうそう。しばらく出てきませんでしょうし、軽くメールを送っておかないと」
こうしてレインも道連れに加わったのであった。
「……ん」
程なくして一方。マリナの携帯から着信音。
すぐに携帯を取り出し確認。内容に目を通したと同時に表情が険しくなる。
「マリナさん……?」
それを心配に思ったファナリヤが不安げに声をかけると、マリナはあ、と声を上げて携帯をしまう。
「ごめんごめん、何でもないわ。ただのメール。レインがついていくって」
「えっレインさんもきたの?偶然って続くもんなんだねー」
「せっかくだし夜も何かみんなで食べない?って言ってるんだけど」
「あっ、いいですね!わたしは賛成、です。おばさまに連絡しますね」
「じゃあ俺代わりにお会計済ませてくるねー。後でレシート渡しとくよー」
「おっけー!あとでお金渡すわね」
エウリューダは三人分の買い物カゴを手にレジへ向かい、ファナリヤはメールを送ろうと携帯画面に集中する。
そしてその間に、マリナは先程届いたメールにもう一度目を通した。
『アキアスから連絡が入っていると思いますが、尾行者が一人。姿を消す力を持つ神秘力者の模様で今店内に潜んでいます。
恐らくマグメールの手先か何かでしょうが、気づかない振りをしてください。それと皆にも敢えて連絡は避けるように』
――せっかくの休日に無粋なことをしてくれるもんだわ。そう心の中で独りごちる。
しかしこうして全員で行動している以上手を出してはこないだろう。
何よりファナリヤがこうして楽しんでいるのだ、わざわざそれを自分たちから潰しに行く必要はない。
『了解』
その一言だけをメールにしたため返信した。
その後、合流した7人はゲーセンに足を踏み入れる。
入り口を通った瞬間、様々なゲーム機の音楽や効果音が不協和音となってファナリヤを襲う。
その騒音は初めてきたばかりの彼女には少々刺激が強く、思わず耳を塞いでマリナたちについていく。
「そういやファナリヤちゃんゲーセン初めてだったねー。そりゃびっくりしちゃうよね」
くすりとエウリューダが笑うが、耳を塞いでいるファナリヤは何を言ってるかわからず首を傾げる。
聞き返そうと思って耳から手を離すが、途端に騒音が再び彼女の耳に突き刺さり耐え切れずにまた耳を塞いだ。
「無理しない無理しない。そりゃ初めてなんだからうるさいのもしょうがないわよ」
――と、マリナは携帯で言葉を記してファナリヤに見せる。
なる程その手があった、と皆して携帯を手に持つ。
慣れてはいても、やはり声による意思疎通はこのような騒がしい場所では難しいもの。こういう時こそ文明の利器というものは非常に役に立つと思い知らされる。
「どうする?それぞれ好きなゲームやりにいく?」
まずエウリューダが提案する。
「あまりバラバラになりすぎてもアレですし、二手に分かれるのが良いかと」
一番最初に返事をしたのはレイン。それにエウリューダは即座に返事を返す。
「じゃあ、アキアスとレヴィンさんと俺で組もっか。残った四人で一組。どう?」
「それが妥当だわな」
「とんらいはいろほもお」
瞬間、レヴィンの文章に全員の視線が集中した。
……何を言っているのか、全くわからない。全員が全員首をかしげた。
「……畜生、やっぱり合わせるんじゃなかった……!!!」
自分の携帯の画面を見返して恥ずかしさのあまりレヴィンはその場にしゃがみ込む。
「……お前まだメールできねえのかよ。ファナはもうとっくに覚えたってのに」
アキアスが呆れた顔で大きく溜息をつく。
レインとエウリューダががまあまあ、と苦笑いしながらレヴィンを励まそうとするが効果は明らかに薄そうだ。
「見た目からは想像できないレヴィンのマル秘情報その2。超弩級の機械音痴」
一方、マリナは新米二人に堂々と彼の恥ずかしくて隠したい情報をさらりと公開し、「だからガラケーなんだ……」とトラベロを納得させていた。
ちらりとファナリヤがレヴィンを見ると、相当恥ずかしかったようでずっとしゃがみ込んでいる。
ずーん、とした暗いオーラが明らかに出ている辺りこれはしばらく直りそうにない……しばらくここに留まることになるだろう――
「おおお……!」
――と、思っていたら塞いでいた耳にも届く程の歓声が届く。
他の皆も同じように声のする方へ顔を向けると、何やら人だかりができている。
そして歓声の中に紛れてひたすら何かを踏みつけるような音も響いている……興味を示した一行は向かってみることにした――尚、未だに動かないレヴィンは強制連行である――。
「ぬぐぅぉおぉおおおおお……ッッ!!!」
その人だかりの中心にいたのは他の誰でもない、我らがティルナノーグ所長であった。
今までに見たこともないような決死の表情で、手すりを掴み画面をガン見し、ひたすらパネルをどこどこどこどこ踏み続けている。
どう見てもその画面の矢印は人間の足でできる領域を抜けているとしか思えないぐらいの量とスピードで進んでいるようにしか見えない。
「う、うわあ……」
トラベロがおもわず声を上げる。
まるで足が何本もあるかのような素早さで画面のタイミングに合わせてひたすらにパネルを踏むその姿、今彼が行っているのは人の所業なのか。
ファナリヤは気づけば耳を塞ぐのも忘れてその光景に半ば驚きかつ引き気味な表情で見入り、一方先輩職員一同の表情は、当然ながらいつも見せる所長に対しての各々呆れた顔。
「あの情熱を少しでも仕事に向けてくれませんかねえ……」
そう呟いたレインの声は非常に低く抑揚のないトーン。
以前ある依頼に同行した時と同じ冷たさに「よっぽど困ってるんだ」とファナリヤは思わざるを得なかった。
「おいここまでノーミスだぞ……」
「あんな小さい体でよくできんな……」
「てかここだとまだフルコン達成者出てないよな……!?」
野次馬共も動揺している。何がなんだかよくわからないが、スピルが凄いことをしようとしているのだけはわかった。
そして数十秒後……
画面に現れたのはどうやらスコアを示すであろうゲージと「SSS」、「FULL COMBO」の文字。
「いぃいいいいいよっしゃあああああぁあああああああああああああ!!!!!」
瞬間、スピルはその場に崩折れると同時にガッツポーズを決めた。
野次馬共も大きな歓声で彼の健闘を称える。
「……あいつは放っときましょ」
そしてマリナの一言により、一行は撤収を始めた。
「あれ?みんなきてたのk……ってちょっと待って何で黙って撤収してんの待ってええええええ!?!?」
また旅の道連れが増えたのは言うまでもなかった。
――その後。
「全くもー、ずるいじゃないか僕だけ置いてってご飯しようだなんて」
帰りの電車内、爪楊枝を咥えたままスピルは頬を膨らませる。
しかしその表情とは裏腹に食った食った、と言わんばかりに腹をさすり非常にご満悦そうだ。
「やーなんか衝動的においてこって思ったのよね」
全くの悪びれもなくマリナは返事する。
「酷いなあ、僕がいなかったらもし割り勘してもお金払いきれなかった場合どうしてたんだい?」
「お前堂々と自分を金ヅル扱いすんなよ」
「だって貴族ですから♪」
「そんなんでいいのか貴族……」
てへぺろ、とわざとらしいポーズと表情を取るスピルに全員が呆れてため息をつく、あるいは苦笑する。
「で、でも……スピルさん、凄かったです。あの動き……」
「そうかい?ふふーん、ゲーセンデビューしたばっかのファナリヤちゃんに僕の勇姿を見せられたのは幸運だったなあ」
「何が勇姿よただの百足にしか見えなかったわよあたしゃ」
「でもホントに凄いですよ。アレ譜面動画見たことありますけど人がやるもんじゃないレベルじゃないですか」
「おっトラベロ君知ってたんだ!みんなそう思うよねー、しかしアレを乗り越えてこそホントのガチ勢、廃人を名乗れると思わないかい!?
あっ因みにガチ勢ってのはねえ」
「ファナリヤちゃんにいらん知識を教えんじゃねえ」
すぱーんとマリナの平手がスピルの脳天に直撃。電車内のマナーに則った可能な限り小さい声で悲鳴を上げた。
そんなやりとりをしていると次の停車駅のアナウンスが車内に響き渡り、ファナリヤがあ、と声を上げる。
「わたしたち、次の駅で降りるんでした、よね?」
「そそ。もう着くなんて、時間過ぎるの早いわねえ」
「そうですね……」
少しばかりの名残惜しさを胸に、二人は荷物を持って立ち上がりドアの前へ。
やがて電車はゆっくりと止まり、二人を帰路へ誘うかのようにドアを開く。
「んじゃねみんな、今日はありがと!」
「凄く楽しかったです……!またみんなで、遊びたいですね。じゃあ……」
「うん!またねー二人共!」
「気をつけて帰れよ」
エウリューダが勢い良く手を振り、アキアスは軽く手を上げて見送る。
ファナリヤは嬉しそうに小さく手を振り返してから、先に進むマリナを小走りで追いかけた。
……そして、先程から見ぬふりをしていた追跡者も、後を追うように出ていった。
《千里眼》でそれを捉え続けていたレインは、電車のドアが閉まると同時に携帯を取り出しメールを送った。
街灯が照らす道の下。先程とは違ってファナリヤの後ろを歩くマリナの携帯から着信音が鳴り響く。
二人して歩みを止め、マリナは届いたメールの内容を確認する。……レインからだ。
『背後に例の追跡者。注意』
という一文だけが綴られている。
「……ま、狙うとしたら今よね」
ぼそりと聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟くと、ファナリヤが不安げに声をかけた。
「マリナさん……どうかしました?」
「んー?いや、レヴィンに荷物一つ預けてたの忘れちゃって。んで今届けにこっちきてるって」
「あ、わ、わたしも今……思い出しました……」
「たくさん買い物しちゃうとこうなるわよねー。ところでファナリヤちゃん」
「はい?」
「……あたしの後ろ、何か憑いてない?さっきからめっちゃくちゃ肩重いんだけど……」
瞬間、ファナリヤがびくぅと震え上がった。
やはり(恐らく)年頃の少女らしく、ファナリヤはホラー系統が苦手である。
涙目な表情でぷるぷると震えながら必死に訴えた。
「つ、つつつつついてないですよぉぉ……ゆ、幽霊なんていないです……いなくていいですぅぅ……!!」
――ヤバい、めちゃくちゃ可愛い。
と思いながらも今はそういう状況ではないのでぐっと呑み込み、マリナはこう告げる。
「いやあ、よく見てみてよ……後ろ何かいるっぽいんだけど……"あたしには"見えないのよねえ」
「わ、わわわわたしにも見えませ……――!!」
瞬間、ファナリヤは息を呑み込んだ。
彼女の後ろからオーラが吹き出ている……神秘力者が必ず有する、自身が力を持つ者の証たるそれが。
しかしマリナから放たれているのではない、マリナの後ろにいる何者かがそれを放っているのだ。
その何者かが悪意を持っていることは確かであり、何かを構え、今にも後ろから飛びかかろうとしている――!
危ない、とファナリヤが警告する暇はなかった。
「そこに――いんだなァッ!!!!」
何故なら彼女の反応で位置を特定したマリナが即座に回し蹴りを放ち、その何者かを見事に路地の壁に叩きつけたからである。
その衝撃で力の発動が止まったのか、それは浮き出てくるかのように姿を現した。
大凡30から40代ぐらいの中肉中背、いかにも悪党として描かれそうな顔をした髭の濃い男だ。
男はしばらく咽ぶも立ち上がり、マリナへ向かって突進するが、彼女はそれを軽々と一蹴。男はまた数メートルふっ飛ばされ、咳き込む。
「げぇっほ、ごほっ……い、いつから気づいてやがった……!」
「あんたがこっちの後をつけ始めた時からに決まってんじゃねえの。うちには索敵値MAXの優秀な職員が2人いますから?
集団行動で隙がない以上、襲ってくるとしたらあたしと彼女が二人きりになるその瞬間しかない。ホントにテンプレ通りに事が進むもんねえ」
実に嫌味ったらしそうにマリナが笑う。
一方、ファナリヤは驚きのあまり目を丸くした。
あの楽しい時間全てにこの男が存在していた……つまり、常に敵はこちらを狙う機会を伺っていたということになる。
しかし誰一人として気づく素振りは見せていなかったのは何故なのか。それはすぐ、謝罪と共にマリナの口から告げられた。
「ごめんね、黙ってて。でもその方が相手をよりよく騙せたし、何よりファナリヤちゃんがみんなと楽しんでるの邪魔したくなかったのよ。
トラベロ君たちにも話してないわ、知ってるのは二人だけ」
――レインとアキアスだ。
ファナリヤはすぐに確信した。
ティルナノーグの仲間の中で、事態にいち早く気づける力があるのは彼らしかいない。
この二人だけは偶然の同行ではなかった。それを気づいていたから、自分を護る為にわざと偶然を装ってくれていたのだ。
……それに気づいた時、彼女の中で、今まで仲間たちと過ごしてきた時の光景が走馬灯のように駆け巡った。
あの二人が、マリナが、トラベロが……仲間たちが自分にしてくれてきたことを思い出せば思い出す程、胸の中に熱い何かがこみ上げてくる。
マリナと男のやり取りを見ている中、ファナリヤは拳を強く握りしめた。
「くそっ、神秘力がねえ女にこの俺様がしてやられるなんざ……!」
「神秘力者だからって必ずしも天下に立てるとは限らねえ、そんなこともわからないなんてホントモブ悪役お似合いだわ」
「このアマ……ッ!!」
マリナの挑発にまんまと乗った男は再び神秘力で姿を消し、マリナの背後を取ろうと行動する。
が、その行動もまさに彼女の言う通り、モブの悪役が似合うも同然だった。
――ここにもう一人、神秘力者が存在していることをすっかり忘れているのだから。
「《髪繰り》!!」
ファナリヤの掛け声と共に、彼女の髪がうねりを上げて姿を消した男に襲いかかる。
ぐえ、という情けない声と共に男はその身を捕らえられ、身動き一つ取れない。
「ぐ、く、くそ……何ですぐに……」
「神秘力者はそれぞれ、力を持つ証として……オーラを纏ってます。……貴方の力は、それを隠しきることは、できないみたいですね」
はっとした表情を浮かべる男。
どうやら言われるまで気づかなかったようだ、とことんモブである。
「……マリナさん、ごめんなさい。わたしのせいで気を遣わせちゃって、ごめんなさい」
「何言ってんの、ファナリヤちゃんが謝ることじゃないって」
「ううん、謝らせてください。
――わたし、自分が許せない。護ってもらってばっかりの自分が、凄く、許せなくなったんです」
ファナリヤは引き続き髪を動かし、男を軽々と持ち上げる。
「わたし……いつも、怖がってばっかりで、その度にトラベロさんやマリナさんや、ティルナノーグの皆さんに、助けてもらって。
それにずっと、甘えてばっかりで、結局何もしてなかった……何一つ恩返し、できてなかった。
怖いの繰り返しで逃げてばっかり……でも、それも今日でやめます。今日でやめれなくても、やめる努力をします!」
ぶんぶんと男を掴んだまま髪を振り回し、遠心力をつけ始める。
「今まで自分の身は自分で護ってきたもの……!わたしだって、戦うことはできるもの!
甘えっぱなしの自分はやめます!自分の身も、マリナさんも、トラベロさんたちも、わたしが護ります……!護るために戦いますッ!!」
その決意の言葉と共に、遠心力に身を任せて飛び上がり――そして、男を思い切り地に叩きつける!
ぐほぁ、と先程以上に情けない声が飛び出し、男はそのまま泡を噴いて気絶した。
恐らく当分、起きる様子はないだろう。
「……はぁっ……はぁ…………ふぅ……」
息を切らしてファナリヤはへたりとその場に座り込んだ。
疲れがどっと押し寄せてきて、手もよくよく見ればぷるぷると震えている……
緊張の糸が切れた瞬間というのは、こういうことなんだろう。
「ファナリヤちゃん!」
心配そうにマリナが顔を覗き込み、ファナリヤの肩を抱き寄せる。
「だ、大丈夫、です……き、緊張、しちゃってたみたいで……凄い、疲れが……」
「……そっか。――まあ、そうよねえ。こんなことほとんどやってなかったもんね」
「はい……でも、今度から……使った時のことを考えて、怖がるのはやめます。やめる努力します。
だから、わたしがまた怖がってたら……叱ってくださいね」
へにゃりと笑顔を浮かべる。
その笑顔は今日見てきた――否、今まで見てきた彼女の笑顔の中で一番輝いているようにマリナには見えた。
……この場にトラベロ君がいないのが残念だわ。彼に一番見せてあげたいのに。
そんなことを思いながら、彼女の成長を心の底から喜びマリナも釣られて笑った。
「……さて、帰るにしてもこいつどうしようかしらねえ。そのまま放置?」
すっかり伸びている男を見ながらマリナが一言。
このまま放置して帰るべきか、警察に突き出すべきか……どっちにしろ色々と面倒なことが免れない選択肢である。
「……どうしましょう」
ファナリヤも答えに困っている。
まあ、マリナが答えに悩むような案件を彼女に回答しろというのも難しい話ではあった――主に人生経験的意味で――。
とはいえこのまま男が起きるまで悩むワケにもいかなくもあるワケであり、どうすれば何事も無く帰宅できるのか……
そう思案に耽っていた時だった。
「ご心配は無用です。この男は我々が回収して帰りますので」
一人の男の声が唐突に聞こえてくる。
――どこかで聞いたことのある気がする声だ。
ファナリヤはそう思っただけだったが、マリナは違った。
「この声……まさか!」
驚きを隠せないような表情で声のする先を見やる。
そこにはいつの間にか、男の前に二人の人物が立っていた。
一人はフードと帽子で顔を隠した小柄な男性――そしてもう一人は、以前幾度かファナリヤに接触した白髪の"狂人"。
「……エイ、ヴァス……ラヴレス……!」
ファナリヤが恐る恐る狂人の名を呼んだ。
あの時のことは嫌でも覚えていて、怖がるのをやめると決意しても体が震える。
その様子を察したのか、フードの男が忠告するかのようにエイヴァスに声をかける。
「今日の目的は、わかっていますね?」
「うるさいな……こいつを回収してさっさと帰ればいいんだろう?ならさっさと終わらせろ」
「おいてめえッ!!」
二人の行動を抑止するかのようにマリナが立ち上がって叫ぶ。
その声が向けられた先はフードの男、僅かに覗かせる瑠璃色の瞳はじっとそちらを見つめている。
「てめえ……何でそこにいんのよ。今までどこに行ってた……!!」
「……はて、私は貴女とお知り合いでしたでしょうか?」
「とぼけんな!!その声であたしに誤魔化せると思ってんのか!!トゥルケ!!!」
トゥルケ――マリナの弟の名。
ファナリヤははっとした顔で同じように男を見やった。男は帽子を目深に被り、一呼吸置いて答えを返す。
「申し訳ございません、そもそも私は名前がなくて。
強いて言うのであれば、そのまんまで「ジョン・ドゥ」と呼んでください。では、失礼致します」
そう告げた後、エイヴァスが伸びている男を抱えた状態で神秘力を行使する。
「おい待てッ!あたしの話はまだ――」
マリナがそう叫んだ頃にはもう、彼らの姿はどこにもなかった。
……翌日。
「あらファナリヤちゃん。出かけるの?」
昨夜のことなど何もなかったかのように、いつもの調子でマリナが声をかける。
しかしその目には酷い隈。一睡もできていないのだろう。
――無理もない、あんなことがあれば。そう思うも敢えてファナリヤはそこに触れずに置いた。
「はい。ちょっと、お買い物に」
「一人で大丈夫?ついていこうか?」
「わたし一人でやりたくて……大丈夫です、自分の身は、自分で護れますから」
「ふふ……そうね。気をつけていってらっしゃい!」
「はい、いってきます!」
買い物カゴを片手にファナリヤは玄関を出る。
携帯のアプリで地図を見ながら、目的の店へと一歩一歩進んでいく。
「えっと……次の曲がり角を、右に……」
ぶつぶつと確認するように呟きながら画面を見て歩く。
そして曲がり角を曲がった先で……
「きゃっ!」
前を見ていなかったので人と衝突。
互いに尻餅をつくが、ファナリヤは慌てて立ち上がってぺこぺこと頭を下げた。
「あ、ご、ごめん、なさい……!わ、わたし前、見てなかったですね……!」
「いえ、気にしないでください。私もよくやりますから……おや?」
……聞き覚えのある声。前にもこんなことがあったような……
ファナリヤはぶつかった相手の顔を見る。
――ターコイズブルーの髪に、瑠璃色の瞳の小柄な男性。
「また、お会いしましたね」
「あ、貴方は……!」
ファナリヤは目を丸くする。
この男性は以前、アキアスとカフェに行った時に偶然ぶつかった人物。
その時にどこかで見たような気がすると漠然とした何かを覚えていた。
しかし今度は漠然とした何かではなく、確実なものとしてファナリヤの頭に浮かんだ。そう、彼は――
「歩きスマホは危ないですよ。地図を見る為とはいえ気をつけてくださいね」
「あ、あの……」
「では……」
「ま、待ってください!」
立ち去ろうとする男性の後ろ姿へ叫ぶ。
「……何か?」
「あの……あの……トゥルケさん…………です、よね……?マリナさんの……弟の……」
トゥルケと呼ばれた男性は少し意外そうな顔を浮かべる。
そして数秒の沈黙の後、軽い溜息と共にこう答えた。
「…………あの姉のことだから、私のことは言っていないと思っていたんですがね」
くすりと笑った後、申し訳無さそうな顔を見せてから背を向ける。
「――すみません。私はまだ、帰れないんです。やらなければならないことがあって……」
「……やらなければ、ならないこと…………?」
「時がくれば、私から向かい全て話します。だからここで会ったことは、姉と母には黙っていて頂けますか?
それからレヴィンゼードさんと、レイディエンズさんにも同様に。お願いします」
そう告げると、トゥルケは目先にある青信号の横断歩道を渡っていく。
ファナリヤはただ、それを見送ることしかできなかった。
そして同時に、昨夜のことを何故か思い出す。
背を向ける前の揺らいだ瞳が、昨夜のフードの男のそれとデジャヴしてならない。
――例え同一人物ではないとしても、彼は……トゥルケはマグメールに関わっているんじゃないだろうか?
昨夜と今日のこれだけしか根拠のない疑問を、ファナリヤは抱かずにいられなかったのだった。