第一章【ハジマリ】第十二節-後編
「施設長っ、お願いします……!」
「何かねえか、そのクーヤって子が持ってた奴!何でもいい!」
一方、トラベロは偶然にも依頼を終えたアキアスと合流。
彼の《氣力昇華》で気配を探ることでクーヤを見つけ出そうとしたはいいが、彼の生命の"氣"を理解していなければ徒労に終わってしまう。
本人の私物を借りれないかと一度施設に引き返すが本人が引き取られた時何も持っていなかった上に家に何も残っていなかったとのことで手詰まりの状態にあった。
「はあ……はあ……っ、家からのがないなら、ここにきてからのものとか!はぁ……っ、ありませんか!?」
「と言われても、クーヤは何を持っていたのか…」
「あたし持ってるよ!持ってくる!!」
話を聞きつけたシャノラは小さい足が出せる全力で部屋へと駆け出していく。
一分ほどして帰ってきた彼女の手にあったのは……
「――似顔絵?」
「クーヤが描いてくれたの!クーヤとってもお絵かき上手だったから……
これでさがせるならつかって!トラベロおにいちゃん、アキアスおにいちゃん!」
「……サンキュ!絶対に連れて帰ってくるからな!」
絵を受け取り、アキアスは目を閉じ神経を研ぎ澄ませる。
トラベロとファナリヤが連れ去られた時と同じように、クーヤの気配を一歩一歩確実に辿り……
「――いた!」
「本当っ、ですか!?」
「想像以上にまずいぞ、早くしねえとマジで取り返しがつかねえ……トラ!行くぜ!!」
絵をシャノラに返し、アキアスはバン、とトラベロの背を叩く。
するとどうしたことだろう、切れていた息が瞬時に整ったどころか棒のようになっていた足に再び力が湧き上がってくる。
神秘力で生命の氣を自身に与えたのだろう。今なら先程よりも早く走れそうだ。
状況は一刻を争う……先程よりも速い足取りで施設を再び飛び出しながら、エウリューダに事態を知らせねばと携帯を取り出した。
それから程なくして、アキアスから渡された情報とレインの目撃情報に基づいた地点へとエウリューダは走っていた。
その地点は……イリオス郊外で最も大きな交差点。
クーヤは現在そこへ向かっているという。これだけで最悪の事態を察するには十分だった。
もはや息は絶え絶え、足は棒どころか、鉄の重りのように重い――それでも彼はひたすらに走った。走り続けた。
絶対にそんなことはさせない、させてはいけない、させたくない……その一心で。
「クーヤ君……クーヤ君っ!どこ!?どこにいるのっ!?」
ひたすら名を叫び、時折転びそうになりながらもひたすら探し続ける。
あと数十メートルでその交差点にたどり着く――その瞬間だった。
「――!!」
目の前の風景から、すう……と少年が姿を現す。
フードが脱げたパーカーから覗かせる黒い髪……間違いない、クーヤ本人だ。
しかしまた即座に姿を消そうと、神秘力のオーラを放ち始める。
「クーヤ君!!待って、"消えないで"!!」
エウリューダは声を振り絞って叫ぶ。
言霊による抑止で灰色のオーラが消えたクーヤが一瞬だけこちらを振り返る。
しかしそれでも止まることはなく、交差点に一直線に突っ込んでいく。
そしてエウリューダは思わず言葉を失う……歩行者信号は赤。車が通っているにも関わらずクーヤは足を踏み入れたのだ。
「ダメ……っ!!!"待って"!!」
止めようとするが言霊が遅すぎた。
ぴたりと止まったクーヤの目の前数百メートル先からトラックがこちらめがけて走ってくる。
こんな小さな子だ、すぐに運転手の目に入りはしないし止まる気配もない。
このままでは――といったところで残りの仲間たちが集まってくる――しかし。
「くそっ、間に合わないッ!!」
歩道橋の上にいるレヴィンが手を翳し、神秘力でトラックを無理やり止めようとするが距離が迫りすぎた。
トラベロとアキアスの二人もたどり着いたのが遅く、今から全力で駆け抜けても確実に間に合わない程の後方にいる。
運転手もやっと気づいて急ブレーキをかけるが、それでもクーヤにぶつかるのは避けられない。
「クーヤ君ッ!!!」
最後の力を振り絞り、エウリューダはその間に割って入る。
しかしトラックはもう彼の10メートル程手前まで迫っている――!
「エイダッ!!!」
アキアスが必死の形相で叫んだ、その直後。
――ガシャン!
大きくぶつかった音が響き渡る。
トラベロも、アキアスも、レヴィンもレインも、そしてクーヤも。呆然とした表情でそれを見つめる。
エウリューダはそこに、無傷で両手を広げて立っていた。
トラックは彼との間わずか数十センチ程の間に展開された不可視の壁に阻まれ、そこでやっとブレーキが間に合う。
……彼のもう一つの神秘力《絶対障壁》。使用者の前方全ての干渉を遮断するその力が功を奏したようだ。
「はっ……はあっ……は、あ……っ……」
緊張の糸が解れたかのように、エウリューダはその場に膝をついた。
――その後、交通事故事故未遂とのこともあり警察が呼ばれ、警察署にて各自事情聴取を受けることとなる。
しかし幸いにも生命が一つも奪われなかったこと、運転手としては実質生命を奪ってしまうところを助けられたようなものでもあることから互いに不問とする形で話がついた。
大体の事が終わった後、事態を聞きつけ駆けつけたスピルに連れられた施設長は真っ先にクーヤに駆け寄り抱きしめる。
「ああ、クーヤ!よかった……よかったわ無事で……!」
「……」
「さ、帰りましょう?」
クーヤはうつむき、差し伸べられた手を取らない。 子どもたちに言われたことを引きずっているのだろうか、皮肉るように呟いた。
「……僕なんていない方がいいんだろ」
「そんなこと……」
「クーヤ君」
そんな彼の前にエウリューダはしゃがみ込み、肩を掴んで真剣な表情をする。
怒りを抑えこんでいるかのような淡々とした低い声で、しっかりと見据えて言葉を紡ぐ。
「何であんなことしたの」
「……」
「今回はたまたま間に合ったけど、もしかしたら死んでたかもしれないんだよ」
「……死んだ方がいいんでしょ。"疫病神"なんだから」
「そんなワケない!!」
「だってみんな僕のことを嫌ってるじゃないか!僕がきてから先生が乱暴されたりするようになって!
僕がいなくなったらあのおじさんたちもこなくなるんでしょ!?」
「だからって死ぬなんて絶対にダメ!!」
クーヤの肩がびくりと震える。
その言葉に込められた感情は、言霊にせずとも嫌という程その場にいたトラベロたちにも伝わっていく。
どんなことがあっても生を願って欲しいという、彼の強い感情が。
その言葉が強く響いたのか、先程まで暗く無表情だった少年の顔が、少しずつ涙でくしゃくしゃになっていく。
しゃくり上げながら、詰まり詰まりに想いをぶちまけ始める。
「だって……だってっ……ひっく、僕っ、何にもしてないのに……みんな僕に酷いこと……ひぐっ、言うん、だもん……っ!
だから、僕がい、いない方がいいん……だって……!!」
「……うん。辛かったよね。でも、でもね――どんなことがあってもこんなことは、絶対に、しちゃダメ。
クーヤ君が死んだら、先生もシャノラちゃんたちも、お兄ちゃんたちも。悲しくて泣いちゃうよ」
「ひぐっ……ひっく……うわあああああああああああああん……!!」
声を荒げて泣き出すクーヤを、エウリューダは優しく抱きしめる。
「よしよし……辛かったね。辛かったよね」
「わあああああん……うああああああああん……!!」
その姿はまるで本当の兄弟、あるいは親子のよう。泣きじゃくり震えるその頭を優しく撫で、あやし続ける。
「大丈夫だよ。クーヤ君は、あそこにいていいんだよ。ずっといられるようにお兄ちゃんが何とかするからね」
「ほん、と……?」
「うん。絶対に……だから俺を信じて。ね?」
腕の中で、クーヤはこちらを見上げて「うん」と返す。
それを見てエウリューダはまたにこりと笑うとゆっくりとクーヤを離して立ち上がり、駆けつけていたスピルへと声をかける。
「お願い、力を貸して」
「貸すに決まってるじゃないか。舞台は僕が整える……それから後は君の仕事だよ、エウリューダ」
「ありがとう。……トラベロ君も、お願いしていいかな?」
「はい、もちろんです!けど……僕にできることありますでしょうか」
「元劇団員のトラベロ君に、色々といい演出方法を聞きたいんだ。裏方でも俺たちよりは詳しいじゃん?」
――舞台、演出。
そういうことかと理解したトラベロはこくりと、強く頷いた。
……それから4日程経った昼。
ばたばたと足音を響かせ、先日訪れた借金取り共が再び施設に向かう。
「やれやれ、こないだは厄介な奴に会うたもんじゃ……今度こそあのガキをもらってやるけえな……!」
今日はあの変な力を持つ男もいないだろう。
意気揚々、勇み足で施設の敷地内に入った……その瞬間。
「なっ、何じゃこりゃ……!」
先程まで普通に佇んでいたハズの施設がそこにはなく、黒い雲が棚引く紫色の空の下に荒れ果てた大地が広がっていた。
こんなことありえるハズがない。
そうだこれは夢だ、夢に違いない――そう言い聞かせた男たちをまたしても非現実的な現象が襲う。
"……イタイ……イタイ……"
幼い少年の声が響き渡ると共に、足元に何かが絡みつく。
ひ、と息を飲み恐る恐る下を見やると――
「ひっ、ひぎゃああああああああああ!?!?!?」
裏返る程の悲鳴が上がる。
コールタールのような黒い液体で形作られた少年の顔をした何かが、彼らの足に纏わり付いていた。
しかもそれらの顔は皆……彼らがターゲットとしていた少年の顔をしているのだ。
どろりと解けた顔で何か恨みの言葉をぼそぼそと呟いている……
「ひっ、ひ……っだ、誰か!誰か助けっ、助けてくれえ!!」
「――助かりたいか?」
今度は若い男の声。
目の前を見ると、そこには血塗れのローブを纏った青年が立っていた。
紫色の髪に朱色の瞳……どこかで見覚えがあるがそんなことはどうでもいい。
助けてくれるのなら何でも構わないと、藁にもすがるような想いで男たちは懇願する。
「助かりたいわ!!助けてくれや!!ワシこんなとこで死にとうない!!」
「ふふっ……さあて、どうしようか?"お前らはこのまま地獄行きがお似合いだが"な?」
「い、嫌じゃ!あの世になんか行きとうないっ!!」
「都合のいいことだ。"この少年を突き落としたのはお前らだと言うのに"」
「そ、そんなことしとら……ひぃいっ!!」
否定しようとすると少年の顔をした液体がじわりじわりと体を蝕んでいく。
じわじわと服に染み込む度、体の中にすら入り混んでいるかのような気持ち悪さを覚えて仕方がない。
「もう一度聞く。助かりたいか?」
青年が聞くと、最早恐怖で声も出ない男たちはこくこくと頷く。
「ならば"この場から早々に立ち去れ"、そして"二度と近づくな"。"近づけばこの少年の怨念によりお前らは生命を落とすだろう"……
くくっ……あははははははははは!!!!」
「ひぃいいいいいいいい!!!!」
狂ったように青年が笑うと、情けない悲鳴を上げて男たちは逃げ出していく。
それをじっと見据え、姿が見えなくなるのを確認する。
……そして。
「おっけートラベロ君、鏡閉じて!」
「はーい!」
エウリューダが合図すると、枯れ木の影から出てきたトラベロは開いていたコンパクトミラーを閉じる。
すると先程のおどろおどろしい風景は姿を消し、晴れやかな空の下に佇む養護施設が再び現れた。
――エウリューダの考えた作戦、それは男たちが二度とこられないような恐怖を植え付けてやろうというもの。
もう絶対に行きたくないと思わせるような出来事に出くわすのが何よりも有効的である。
と、いう理屈に基づき二人であらゆるホラー映画をドラマ、アニメ問わず見漁り続けて演出方法を練り出し、脚本を作り上げる。
スピルの《幻想具現》で与えられた鏡――漫画「鏡天の巫女」に出てくる主人公の7つ道具の一つだとかどうとか熱く語られていたがよくわからなかった――を用いてスタジオを用意。
そこにエウリューダの《言ノ魂》による言霊を載せ、完璧な「ホラーの世界」を作り上げて……という、中々に作りこまれたかつえげつない作戦である。
普段、明るく気さくで誰に対しても親切なエウリューダが考えたと思うと、トラベロの中での彼の印象は大きく変わらざるを得ないものがあった。
「……エウリューダさんって、レインさん並に強かですよね」
「そうかなあ。……レインさんがやってたらこれじゃ済まなかったよ……きっと……」
「……それもそうですね」
二人してあの日の夜のレインを思い出し、冷や汗を流す。
レヴィンと二人でドス黒いオーラを放ち、鬼のような形相でぶつぶつと今の作戦以上にえげつなく犯罪スレスレの内容を呟いていたのは今でも恐ろしい。
地獄すら生温いだの、いっそのこと事故を装っても何ら問題はないだろうだの……
トラベロとファナリヤ以外の仲間たちが皆口を揃えて「地雷を踏み抜かれた顔してる」と言っていた程。もちろん、何故地雷なのかということについては触れなかったし触れる気はないが。
「でもとにかく!あんだけ怖がってたらもう大丈夫でしょ。作戦は大成功ってことで!」
「はい、これでもう大丈夫ですね!」
やったね、と二人でハイタッチ。
これでクーヤを始めとした子どもたちが脅かされることはないだろう――万が一次の刺客がきても、自分たちがまた撃退すれば良い。
「……お兄ちゃん」
施設の玄関からこっそりとクーヤが顔を覗かせ、恐る恐るこちらを見る。
エウリューダは慌てて今日のために仕立てあげたローブを脱ぎ、愛用のカーディガンを着直して彼に歩み寄る。
「もう大丈夫だよ。怖いおじさんたちはやっつけたからね!」
「ホントに?」
「ホントだよ!それにまたきても同じように俺たちがやっつけちゃうもん!ね?」
「…………ありがとう……!」
心底安堵したような笑顔を浮かべるクーヤ。
やっと笑ってくれたとエウリューダは嬉しそうに笑い、彼の後ろからこちらの様子を伺う子どもたちに声をかける。
「みんな、もうクーヤ君のこと仲間はずれにしたり、酷いこと言ったりしちゃダメだよ。それからちゃんとごめんなさいすること!いーい?」
「……はーい……」
「ごめんなさい……」
子供たちは皆次々と申し訳無さそうな表情でクーヤに声をかけていく。
その言葉をかけてもらえただけで嬉しいのか、クーヤは涙目になりながら微笑んだ。
「よかったね、クーヤ!」
「うん……ありがとう、シャノラ」
「またみんなで一緒に遊ぼうね!」
「……うん!」
シャノラがクーヤの手を引っ張り、楽しそうに奥へと駆けていく。
もうこの子たちは大丈夫だろう。そして施設にもまた平和が訪れる。こうして今回の依頼から始まった事件は幕を下ろした。
――翌日。
「ただいま戻りま……した……??」
依頼を終え、トラベロが事務所に戻るとそこにはソファーで嬉しそうにびったんばったんと転がるエウリューダの姿が。
嬉しそうに笑っては一枚の紙を見て喜びに跳ねている。
「あっ!トラベロ君おかえりー!あはは、うふふふ!」
「どうしたんですかエウリューダさん。凄く嬉しそうですね」
「えへへへ!見て見てこれー!」
そう言って見せたのは一枚の絵。
おにいちゃん、ありがとう――綺麗に描かれたエウリューダの似顔絵の隣に、子供らしい拙い字でメッセージが綴られている。
「クーヤ君が描いて持ってきてくれたんだっ!すっごい上手でしょ!」
「うわあ、ホントだ……!よかったですね!」
「トラベロ君の分もあるんだよー!」
そういってエウリューダは机から一枚の絵を持ってきてトラベロに手渡す。
同じように描かれたトラベロの似顔絵と、全く同じメッセージ。
クーヤは絵を描くのが上手だとシャノラが言っていた――実際あの時に見せてもらった絵も少年が描いたとは思えない程に綺麗だった。
「……えへへへ。これは喜んじゃいますね!」
「でしょー!それにホントに上手!将来有名な画家になるんじゃないかなっ!」
「お前、それは大袈裟すぎんじゃねーの?パイ切ったから絵は片付けな、汚れちまうだろ?」
「わーいっ!アキアスの手作りパイー!!どーしよー今日二人のおかげで幸せすぎー!!」
喜びで飛び跳ねながら絵を仕舞い、手を洗ってエウリューダは喜び勇んでフォークを手に取る。
アキアスはまた顔を赤くしてそのストレートな物言いを指摘しようかと思ったが「今回ばかりは大目に見っか」と微笑む。
「ほら、トラも食えよ。依頼お疲れさん」
「はいっ!」
――帰ったら額縁に入れて飾ろう。
トラベロもまた絵を片付け、嬉しそうにアップルパイを口にした。