第一章【ハジマリ】第十一節-前編
夕暮れ時のスーパーマーケット。
カードのポイントが通常の五倍、特売品が盛りだくさんな上、タイムセールが開催され大賑わい。
主婦たちがそろってより安く買い求めようと波のように押し寄せる中、トラベロはその人混みを半ば必死にかきわけ、ある場所にたどり着く。
「(よかった……まだあった……!!)」
安堵の息を漏らし、数袋程手にして籠にひょいひょいと入れていく。
その商品は肉でもなければじゃがいもや玉ねぎといったものでもなく……
もやしである。
とても安価かつ優秀な食材、もやし。
炒め物やスープ、サラダ等様々な用途に適正し、かつそのしゃきしゃきとした食感を決して損なうことのない逸材とも呼ぶべき食材。
このもやし、今日一日限定で通常38マゴニアドルが脅威の9マゴニアドルという値段で特売品として広告に掲載されていた。
それを見たからには、買わざるを得ない。買わないという選択肢はトラベロにはなかった。
生来彼はたいへん大食いである故に、安値でたくさん食べられるというものには目がないからだ。
機嫌よく鼻歌を歌いながらまだまだあるもやしの一つに手を出したと同時に、他の手がそのもやしを掴み、慌てて手を離す。
「あ、す、すみません!どうぞ」
「……トラ?」
「え?……えっあ、アキアスさん!?」
トラベロは驚きを隠せない表情でその手を出した人物の名を呼ぶ。
くすんだ金髪に紫と朱色のオッドアイ。ティルナノーグの職員で先輩であるアキアスその人でしかない。
……ないのだが、違和感を感じてまじまじと見つめる。
「……何だよ」
「ど、どうしたんですか…………その、服」
「は?私服以外の何があるんだよ」
「えっ……!?」
「「えっ」ておまっ……まさか俺が普段からあの格好で常に出歩いてると思ってんのか!!」
「だ、だって普段のイメージがイメージな」
「あ゛あ!?」
「何でもないですすみませんっっ!!」
ギロリと睨み付けられてトラベロは慌てて頭を下げ、アキアスは不機嫌そうに溜息をつく。
トラベロにとってのアキアスの印象は特徴的な目もそうなのだが、何よりもその服装のインパクトが強かった。
初めて会った時も仕事の時も、大体は申し訳程度に胸と左腕を覆っているだけの布……のようなシャツのようなものを纏っており、
ほとんど素肌を晒しているような印象だった。
しかし今ここにいる彼は、ちゃんとTシャツを来て、上にパーカーを羽織っている。常識的に考えても考えなくても普通はそういった服ではあるが、
普段の服装故に思わずギャップに驚きを隠せない。
かなり失礼な印象ではあるのだが……
「流石に毎日あんな服じゃねーっつーの、あれは神秘力の効率重視してるだけだし」
「効率……?」
「俺のは肌が空気に触れてた方が強いんだよ」
《氣力昇華》、アキアスの持つそれは氣……所謂生命エネルギーを自在に操る力。
大気中のものを取り込むことで肉体の強化を図ることもできれば、氣を辿り他者の気配を感知したり、はたまた圧縮してエネルギー弾を発射したりと神秘力の中でも様々な用途がある。
それとアキアスの普段の服装に何が関係しているかというと曰く、自身に取り込むに辺り、肌が空気に触れているとより高い効率で氣を取り込めるのだという。
「だから断!じて!!あの服は俺の趣味じゃない、そんな露出趣味ねぇからな」
「でもそれでも着れるってことはつまり……いや何でもないですっ!!」
「ったく……ところで明日依頼入ってるか?」
「え?いえ、明日は何も」
「ん。じゃあ俺に付き合え。それと今日帰りに俺ん家寄ってけよ、残り物とか分けてやっから」
そう用件を告げるとアキアスはすたすたと立ち去っていく。
……もやしを入れるのを忘れたまま。
「えっあ、ちょ、ちょっと!待ってくださーいっ!」
取り合いになるところだったもやしを片手に、トラベロは小走りで追いかけていった。
夕暮れの下、レジ袋を両手にスーパーの自動ドアを潜る。
トラベロが片方に一つずつ提げている一方、アキアスは両手になんと三つずつレジ袋を提げていた。
基本的に買い溜めているそうで、足りないものを逐次購入するようにしているという。
たまたま今回はセールかつ買い溜めていた食材も少なくなってきたのでこんな量になったとか。
一袋一袋、とても重そうである。
「……あの、持ちますよ?」
「大丈夫だ、気にすんな」
しかしアキアスはその重さを感じさせない足取りで歩き出す。
……これも神秘力により筋力を上げているのか、それとも素の筋力なのか。普段自分より華奢な印象を受けるためどうも気になってしょうがない。
――と、考え事をしていたら置いていかれてしまう。小走りで追いかけ始めたら……
「きゃあああっ!」
後ろから女性の甲高い悲鳴が響き渡る。
何かあったのかとトラベロは後ろを振り向こうとして立ち止まる……が。
「これ持ってろ」
それと同時にアキアスが左手に持っているレジ袋をどさりと預けてきた。
その重さに思わずよろめき慌てて踏み留まる。
「ひったくりよー!誰かぁー!」
息を切らす女性の声。それでやっと何があったかをトラベロは理解した。
アキアスがいち早く事態を察知し動いたことも同時に。
そして左手が空いたアキアスが何をしたかというと、ぱちんと指を鳴らしただけ。これだけみれば何をしているんだと疑問に感じるだろうが、ただ指を鳴らしただけではないことがトラベロにはわかっていた。
アキアスの体に纏われている鮮やかな黄色オーラが一段と強さを増していたからだ。
指には小さくエネルギーが収縮されていて、小さな針のようになったそれが指を鳴らすと同時に一瞬で消えた――正確には目にも留まらぬ速さで発射されたのだろう――のを彼は見逃さなかった。
それが飛んだ瞬間、ほとんど車がこなくなった道路を交通法違反ギリギリのスピードで走っていたバイクが急に大きな破裂音と共にスリップし、乗っていた男二人が派手に転ぶ。
幸い酷い怪我をしているようには見えず、痛みに呻きながら立ち上がる。
後ろに乗っていた男の手には女性ものの小さな鞄が握られていた。
「おい、大丈夫か?」
半ば棒読みのようにも聞こえる言い方で男たちに声がかかる。
顔を上げると右手にレジ袋を持った金髪の青年がいつの間にかやってきていた。
「ちょっ、アキアスさん!?」
トラベロは思わず声をかけるが、アキアスは後ろを向いたまま彼に向けて手を上げる。
まるで「いいからそこにいろ」と言っているかのように。
「ああん!てめえ何の用だ!」
「いやあ、派手に事故ってたもんだから」
「見世物じゃねんだよさっさとあっち行け!」
「あっそ。ところでその鞄どこで?」
男の怒号に怖じ気づくことなくアキアスは鞄を指差す。
「ああ!?俺んだよ文句あんのか!」
「いやあ、野郎二人が持ち歩くにしては違和感あるからついつい」
「う、うっせーな!」
「私の鞄返して!」
さらに後ろから先程の悲鳴の主であろう女性が息を切らして走ってきた。
男どもからうげ、と声が上がり逃げようと立ち上がるがアキアスがそれをさせるワケがなく、鞄を持つ男の手をがしりと掴む。
「どこいくんだよ。こいつがきて何か不都合なことあんのか?お前らの鞄なんだろ?」
「う、うう……」
「所有物ならわざわざ逃げる必要はねぇよなぁ??」
「う、う……うるっせえ!!!!」
言動に逆上した男は空いている手で殴り付けようと思い切り突き出した。
女性はまた悲鳴を上げ、トラベロも彼の名を叫び助けに入ろうとする。
……が。
「ぐっほぁ!?」
痛みに悲鳴を上げたのは男の方だった。
振り上げた拳が当たるよりも速くにアキアスが男の腹部に自身の膝を思い切り叩き込んだのだ。
向かってくる拳を最低限の動きで、かつ男の手を掴んだままで、男は自分より一回り近く小さな青年にあっさりといなされその場に崩れ落ち、鞄を落として蹲る。
「こっ、の……てんめえぇっ!!」
さらにその様子にもう一人も逆上。
懐から折り畳み式のナイフを取り出してそれをアキアスの顔面に突き立てようと突撃する。
今度こそ助けに入らなければとトラベロが荷物を抱えながらも走り――
――出した瞬間に男のナイフは宙に舞う。
今度はアキアスの脚が男の腕を思い切り蹴り上げていた。
同じように悲鳴を上げ、腕を押さえて崩れ落ちる。
筋をピンポイントで狙われたのか、ナイフを握っていた手は開かれたまま指が曲がりもしない。
「……はい、これ」
そしてアキアスは男たちを気にかけることなく鞄を拾い、女性に手渡す。
女性は何がなんだかと困惑した表情を見せながらも、ありがとうございますと頭を下げる。
次からは気をつけてと告げると、アキアスは蹲る男二人をぎろりと睨み付けてこう言った。
「てめぇら。今から警察に突き出してやっから……絶対に逃げんじゃねぇぞ」
ドスの効いた低い声に体を震え上がらせて男どもははい、と泣く。
……完全に杞憂。過ぎた心配だったとトラベロは確信した。
そう言えばそうである。
いくら今レジ袋というハンデがあったとはいえ、ティルナノーグでレヴィンと共に警察依頼を数こなしているアキアスが。
出会い頭に自身に渾身の蹴りをかました人間が、この程度で怯むワケがなかったのだ。
受けた時の腹の痛みは本当に計り知れないものだと知っている故に腹を膝で蹴られた男にはその点でだけ同情すらできてしまう。
結果、この後男どもは警察に連行された……のたが、一応と事情聴取を受けることになり二人が帰路についたのはそれから約一時間程後のことだった。
――それからさらに時間が経ち、翌日。
「……」
とある施設の前にトラベロは立っていた。
最初その外観からトレーニングジムと思いきや、射撃訓練の設備もある。
……見るからに一般人が早々立ち入るところには見えない。
本来ならアキアスもここにいたのだが、当日になって急に依頼が入ったためトラベロだけこうして一足先に訪れていた。
「入り口で待ってろ」
と、言い付けられたのでその通りに入り口で待機し、到着した旨をSNSのメッセージで送信する。
SNSを閉じ、まだ時間があるなら何かで暇を潰そうとアプリを開いていると……
「トーラベーロくーん!」
聞き覚えのある声に呼ばれる。
振り向くとエウリューダが手を振りながらこちらへとやってきていた。
隣にはファナリヤも一緒で、トラベロが振り向くとぺこりと頭を下げる。
「エウリューダさん!ファナリヤさんも……あれ、二人とも依頼は……?」
「今終わったとこ!アキアスはまだみたいだねー」
「二人も呼ばれたんです?」
「はい。依頼、終わったら……ここにこい、って」
「俺は付き添い代理。ホントはレヴィンさんだったんだけど依頼で遅れるから、案内係って感じ」
ますます話が見えない。
本来ならレヴィンが同行しているであろう内容のものにエウリューダが代理で出ている、ということがトラベロをより困惑させた。
というのもレヴィンとエウリューダの受け持つ依頼の内容があまりにもかけ離れすぎている上、明らかに彼は戦えるようには見えない。
アキアスは本当に何をするつもりなのだろうか……
「悪い、遅くなった!」
――とそこで当の本人がやっと訪れる。
「ア――キア――――スっ!」
姿が視界に入るや否やエウリューダが目を輝かせて走り出し、両手をばっと広げてハグを図るがそれを軽く回避。
どてんと転ぶエウリューダに見向きもしないまま、アキアスはその光景にぽかんと口を開けている二人の元へと駆け寄った。
「……どうした?」
「いや、あの。エウリューダさん……」
「ああアレはほっといていいから。いつものことだし」
「あーうー!酷いよアキアスー!」
「寝転がってないでさっさとこんか」
エウリューダは頬を膨らませながらもはーい、と返事をして起き上がる。
全員が揃うとアキアスが先導して中へと入り、トラベロたちもそれに続く。
「……」
それを遠くから眺めている影が一つ、ゆらりと消えた。
受付の女性には話が通っていたようで、声をかけるとすぐさま指定の場所へと案内をしてくれた。
射撃の練習場と、その隣にドアと窓を隔てた真っ白な空間がただただ広がっている。
「さて、と。それじゃ今日やることだけど」
アキアスは射撃練習場の的を親指で指す。
「まずはお前らがどれだけ神秘力扱えるか見せてもらう。この的にそれぞれ神秘力使って当ててみな。
ファナはここに銃があるから《髪繰り》でこれを使うこと」
ああ、と指名された二人して納得の表情を浮かべた。
そう言えばトラベロはあれ以来神秘力を使うようなことがなかった上に覚醒したばかりの文字通りの新米。
自分がどこまで使えるのかは把握しておくべきだと自分だけでなく周りも思っていたようだ。
アキアスはティルナノーグのメンバーの中でも神秘力の制御に長けていて他の神秘力者の制御技術向上に貢献していると聞く、見てもらうには彼が一番適任だろう。
「まぁトラはレヴィンと戦ってた時に見たけど割と使えてたし、ファナは元から使い慣れてるだろうし。
全く当てられないなんてことはねぇだろ。とりあえずやってみな、まずはファナから」
「は、はい」
こくりと頷いてファナリヤは銃を髪で取る。
しかも、一つではなく2つ。指定の位置に立ち、大きく深呼吸してゆっくりと銃を構えたと思いきや早速発砲。
同時に放たれた銃弾は両方的の真ん中を射抜き、少し大きく穴が開く。
ファナリヤはそのまま次の的へと移りながら銃を撃つ。
的は彼女の目には入っていない、的を見据えたのは構えた時の一度だけ。
しかし、ファナリヤは銃の引き金を引き続ける。
そして放たれた銃弾は全て的の真ん中に命中、彼女が端から端へと移動し終える頃には的は全て射抜かれていた。
途中少々の誤差はあれど、ほぼ全ての的が真ん中に穴を開けられている。
「す、凄い……!」
トラベロはぽかんと空いた口が塞がらない。アキアスとエウリューダもおお、と思わず感嘆の声を挙げた。
ファナリヤが《髪繰り》 を似たような用途で見たことはあったが、まさかここまでとは。
護ってあげなきゃとずっと思っているしこれからもそうなのだが……もしかしなくても自分より遥かに強く、戦闘においては逆に自分の方が足手まといではないだろうか。
そんな不安がトラベロの頭を過る。
一方ファナリヤは緊張してたのか銃を置くと近くにあった椅子にへたり込むように座る。
「ファナ凄ェな……じゃ、次トラ」
「は、はい!」
トラベロもゆっくりと的と対峙し、深く呼吸をして手を翳す。
ファナリヤのあの腕前を見せられたからか、妙に緊張してしまっているような気がする。
別にいつも通りに構えて事を済ませば良いことではあるのだが、どうも上手くやらなければ、と思ってしまう自分がいた。
翳した手で炎を練り上げようとして……一瞬思案する。
「(…投げてちゃんと当たるか……??)」
引鉄を引けばまっすぐに飛ぶ銃とは違い、今から練り上げる予定の炎はこのまま投げる。
その時点で正確性があるとは思えない。どうやって当てるか……
「(――あ、そうだ)」
何かを思い出したように、翳した手をゆっくりと下ろし、的を指す。
鮮やかなオレンジ色のオーラがトラベロを包み込んだ瞬間、ファナリヤが射た位置より数センチ程ずれた位置がじゅっ、と燃えた。
炎はすぐに消え、溶けたような穴が残る。
おー、とエウリューダが声を上げる一方、アキアスは真剣にその光景を見ていた。
トラベロは今ので少し感覚を掴んだのか、同じように的に穴を開けていく。距離は相変わらずファナリヤが開けたそれとは離れている。
しかし最初数センチ程だった差が、最後の的を見ると数ミリ程の差とあっという間に縮まっていた。
「…………」
その光景をアキアスは訝しげな目で見ていた。
本当にここまで使えるモノなのか、と言いたげに。その視線に気づいてトラベロは不安そうに声をかける。
「あ、あの…何かまずかったですかね?
「――トラ。お前、本当に覚醒したばかりか?」
「え、あ、はい。一応……」
「……そうか」
両腕を組み、考えこむ。
自分の使い方がまずかったのではなく、覚醒したての神秘力者とは思えない使い方だったのだろうか。
とは言えど、トラベロは最近覚醒するまでに使った記憶は一切ない。過去の記憶がないとは言え、今まで神秘力の兆しなど全くなかったのだ。
……しかし、そういえばそうだと一つ思い出し、トラベロはまた口を開く。
「あ、でも」
「でも?」
「何でかわからないですけど……覚醒した時に僕、この力を"覚えて"いたんです」
「…………は?」
「いや、本当に使ったことはないですよ?記憶がないって言っても神秘力使えてたらそもそも使ってますし、ファナリヤさんに会うまでは一回も神秘力なんて出ませんでした。
……でも何でかこの力そのものに覚えがあって。そのせいですかね?」
苦笑交じりに答えるが、アキアスの視線は訝しさを増す。
トラベロはおかしな話ですよね、と苦笑いをするがそれを他所にアキアスはまた深く考え込んでいた。
――覚醒したばかりの力に"覚えがある"なんてことはまずない。
今に至るまでトラベロは神秘力そのものに覚醒したことはない。しかし、トラベロは自身の神秘力に"覚えがある"。
……おかしい。何かが矛盾している、しかしどこがそうなのかはわからない。
アキアスたちティルナノーグのメンバーどころか、トラベロ本人すら知らない――本人は覚えていないどこかで、何かが違う。
それだけしかわからない。
「……あ、あの。アキアスさん……?」
「……ああ、悪い。考えたってしゃーねえか。とりあえずお前らがどこまで使えるかはわかったよ。
本当なら使い方のコツとかアレコレ教える予定だったんだけど、その必要もねーし。
――まあ、でもそうだな。トラにはちょっち特別講座でもやってやるか。こっちの部屋入れ」
そう言うとアキアスは隣の白い空間へと繋がるドアを開け中へ入る。
その次に入るのはエウリューダ。そしてトラベロと続くが、ファナリヤが入ろうとして戸惑っている。
「あ、あの……わたしは、何もしなくて、も……?」
「お前は十分使えてるから俺から教えることはねーよ。トラの使い方見てて思ったことあったら言ってやれ」
「え、そ、そんなこと、ないんじゃ……」
「言っとくけど俺は世辞は言わねぇからな」
「アキアスは素直じゃないだけで嘘吐くの超下手だしな」
と、後ろから別の男性の声。
……レヴィンだ。リュックを肩にかけてすたすたとこちらへ向かってくる。
アキアスはそんな彼に対し顔を赤くして余計なこと言うなと怒るが、はいはいとそれをいなして嬉しさに顔が赤くなっているファナリヤを連れて部屋に入る。
「依頼お疲れ様!今日は早かったね?」
「妙なぐらいに終わるの早かった。すまんなエウリューダ、助かったよ」
「どーいたしまして!じゃ、俺はお役御免かな?先に事務所戻っとくね。また後でー!」
手を振ってエウリューダは部屋を後にする。
「……さて、今はどこまで?」
「使い方を見たとこまで。んで、トラにちょっと教えようかなって」
「なる程な……」
「じゃ、トラ。今からお前にやってもらうことだけど」
アキアスはそう言って一つの物を取り出す。……りんごだ。
壁際に立ち、そのりんごを頭に乗せる。
「今から神秘力でこのりんごだけ燃やしてみろ」
「へっ!?!?」
トラベロは思わず目を見開いた。
この場におかれているりんごを燃やす、それは理解できる。
問題はその置かれている場所がよりにもよって人の頭だということ。
しかも乗せている本人は平然とやってみろと言うが、そう言われてはいやりますとは流石に答えられない。
だがアキアスはそれを理解した上で敢えてやれと言っているのだろうというのもわかる。
……わかるのだが。
「――ま、お前の考えていることはわかるし至極当然の反応だわな。
けど、これは後々お前の為にもなる。今後もマグメールはファナを狙ってこっちにちょっかいかけてくるからな」
アキアスの言葉にまたトラベロははっとした表情を浮かべる。
「奴らは、手段を選ばない。レヴィンがファナを助けにいった時のもそうだけど、平然と第三者を巻き込む連中だ。
巻き込まなくても――俺らのうち誰かを上手いこと人質に取って有利に運ぼうとするのは間違いなく、あり得る。
少なくとも、俺やレヴィンは流石に人を人質に取られても何とかできるかというと、そうじゃねぇ。盾にされたら俺らは神秘力を使えない。
けど、お前の使い方なら可能かもしれない」
「……ぼ、僕が……??」
「お前の神秘力、酸素があればどこでも燃やせるようだし、ピンポイントで狙うこともできる。
上手くけば敵の拘束を解いて人質を開放ってのもできる可能性がある――ま、そういう事態にならないのが一番だが、できるようになって損はねぇ」
「………」
尤もな理由ではあるが、やはり中々踏ん切りはつかない。
「入社試験」の時とはワケが違う。あの時は敵と認識していたから攻撃をしただけで、味方となると話は別だ。
たとえそれが特訓の一環としても、人に当たるかもしれないような条件で力を使うのは気が引ける以外の何者でもない。
「――ま、つってもそれでも気が引けるのはわかる。下手すりゃ俺が大火傷だもんな?怖いのは当たり前さ。
下手すりゃ人を傷つけるかもしれないことに罪悪感を感じない奴はそれこそサイコパスだ。
だがその怖さに飲み込まれたら……力は暴走する」
暴走――その言葉と、それを発したアキアスの表情にとてつもない重みを感じてトラベロは息を呑む。
それは彼が神秘力の使い道を教える立場を担っているからだろうか?いや、それだけではきっとない。
そんな表情をさせる程のものが何かなど、トラベロにはわかりはしないし知らなくても良いことではあるのだろうが。
「怖いと感じても、その怖さすら自分の意志で飲み込むこと。何が何でも力を使うんだという意志を強く持つこと。
これが神秘力を制御するにあたって一番重要なことだ。制御できないのは、自分の力が怖いあまり不安になるのが主な原因だ」
「……不安……」
ぽつりと呟いたのはファナリヤだった。
手袋に覆われた自分の手を見、俯きながらぽつりと言葉を落とす。
自身の力が怖いあまり不安しかない、それはまさに自分のことだ。故に手袋越しで手に触れることもまだ慣れない。
少しずつ、触れる努力をしているとはいえ……
「――ま、それでも制御できない力が存在するし、それはまた別の話なんだがな……」
「……アキアスさん??」
「何でもねーよ。さ、トラ。やってみな」
「は、はいっ!」
今アキアスが何かを言っていたが気のせいだったのだろうか。
先程とは比べ物にならない重さ――罪悪感や後悔が入り混じったような――の表情をしていたような気もした。
が、それで集中力が削がれてもいけない。
トラベロは何度か呼吸を繰り返し、アキアスの頭の上にあるりんごを見据える。
ゆっくりと指差し、全神経を集中させ――
「!?」
――その時、変化が突然に起こった。
いきなりアキアスの姿が消え、真っ白な壁が目の前に現れる。レヴィンの姿もない。
自分の目の前にはただただ白い壁が広がっているのだ。
一体何が起こったのだろうと困惑しているうちに、小さく悲鳴が上がる。
「やぁっ!!」
「ファナリヤさんっ!?」
その声の主はファナリヤだった。どうやら彼女だけはこの場にいる。
まさか、マグメールの襲撃か――?急いで助けなければと振り向いた途端、トラベロの体が急に自由を奪われる。
「久しぶりだな、少年」
そう呟く、目の前にいるファナリヤを捕まえている男性。
黒帽子に黒いジャケット、顔の左半分が酷く焼けただれた男……トラベロは彼に覚えがあった。
それもそうだ。その火傷は間違いなく、覚醒直後の自分が与えたモノなのだから。
「動かないでくださいね?動いたら貴方たちの大事なこの子に傷がつきますから」
耳元で囁く声がする。視線が動かずその姿は確認できないが、ファナリヤは恐怖を隠せない表情でその人物を見ている。
白い髪に赤い瞳の少年だ。口元を緩ませ、言葉を囁く。
「――しばらく眠ってもらいましょう」
「っ……!」
少年がそう言った途端、眠気がトラベロとファナリヤを襲う。
抗いたくても抗えない程の強烈な睡魔に膝をつき、倒れる。少年が試しにトラベロの頬を叩いても目を覚まさない。
「少女は丁重に運べよ。少なくとも、着くまではな」
「かしこまりました、エイヴァス様」
トラベロを乱暴に抱え、エイヴァスと呼ばれた少年は部屋から姿を消す。ファナリヤを抱えた男の姿も同時に。
その時、ファナリヤから一つ、ある物が落ちたことには気づかぬまま……
――レヴィンとアキアスが事態を察知したのは、それから数分経ってからのことだ。
彼らからはトラベロとファナリヤの姿が急に消え、目の前に壁が広がっているように認識されていた。
いくら壁を叩いても叩いてもびくともしない。
「くそっ、どうなってやがる!二人の気配も感じねえっ」
「もしかしなくてもマグメールの……どこで気づかれた…!?」
「――二人とも!"それは幻覚だよ"!!」
脱出方法を考えあぐねている中、ふと聞き覚えのある声が響く。エウリューダだ。
彼が言霊を発した瞬間、壁だったものはすう、と消え、彼の姿と先程までの空間が姿を表す。
しかし、トラベロとファナリヤの姿はどこにもない。間違いなく連れ去られた後だ。
間に合わなかった……自らの不甲斐なさに舌を打つ。
「嫌な予感がして戻ってきたら、トラベロ君とファナリヤちゃんはいないし、二人がパントマイムしてるように見えたからびっくりしたよ……!」
「悪いエイダ、助かった……!」
「いつの間に潜入されていた……?ただ忍びこむだけならアキアスの《氣力昇華》で位置がわかるハズだ……いや、それは後だな。
スピルたちに連絡しよう。車を回す必要があるだろうし、私とエウリューダはそれから追いかける」
「じゃあ俺は先行する。どっちかの気配を感知できれば場所を掴める」
「にしても距離が離れてたら早々追いかけられないよ…?」
「つっても何とかするしか……ん…?」
アキアスの目に一つの物が映る。
使い古された包帯が、その白い床の上に佇んでいる。それは紛れも無く、ファナリヤが肌身離さず持っていたそれそのものだった。
視界に入るや否や即座に拾い上げ、目を閉じて神経を研ぎ澄まし神秘力を発動する。
包帯に残された氣の残り香から、彼女を辿る、追いかける――
「――いた」
手応えを感じて即座にアキアスは飛び出す。
包帯を握りしめ、一目散に駆けていく。
その姿から見つけたことを察して、レヴィンとエウリューダもまた各々行動に出たのだった。