第一章【ハジマリ】第十節-前編
かち、かち、かち、時計の秒針が刻む音。
かたかた、かたかた、パソコンのキーボードを叩く音。
静かな事務所にその音だけが響く。
そこに、こぽこぽこぽ、とカップに湯を注ぐ音が混ざりコーヒー豆の香りが漂い始める。
トレーにコーヒーの入ったカップ、角砂糖入りのケース、ミルクを載せて恐る恐る手で持ち上げ持っていく。
緊張した面持ちでファナリヤが持って行く先には、黒縁の眼鏡をかけた水色の髪の男性だ。
「……あ、あの……レインさん。コーヒー……よかった、ら」
その声に手を止め、眼鏡を外してレインは微笑む。
「ありがとうございます。頂きますね」
一式受け取り、角砂糖を一つ入れてトレーに戻し混ぜた後一口。
どきどきとファナリヤの心臓が鳴り響く。彼の口に合うかどうか……それが今一番不安だ。
「……ん。おいしいですね」
「ほ、ほんと…ですか……!」
「ええ、とても」
にこりと微笑むその瞳に嘘はない。ファナリヤはほっ、と胸を撫で下ろした。
彼女が今淹れたコーヒーは別に一から豆を挽いた分けではない、ただのドリップコーヒーだ。
誰でも淹れられるし味はそう変わるものではないが、彼女にとっては初めての経験だったのだ。
故に反応が不安で仕方がなかったのだが、レインの反応を見てそれは杞憂だったのだと認識した。
「今度他のみんなにも淹れてあげてください。レヴィンなんかコーヒーが大好きですから、きっと喜びますよ」
「は、はい!わたしので…いい、なら」
心底嬉しいが、次回への若干な緊張も混ざってファナリヤは少しだけぎこちなく笑う。
それにレインはにこりとまた微笑み返す。その柔らかい表情を見てまた心の底から安心を覚えた。
ティルナノーグのメンバーの中で、彼は一番物静かな人間である。あまり賑やかなものや騒がしいものに慣れてない彼女にとって、話をすると落ち着ける相手だ。
無論、他のメンバーが全く苦手ということでは絶対にない。
「今日でここにきて二週間が過ぎますね。どうです?前よりは少し慣れましたか?」
「は、はい!前よりは…かなり。手袋も、だいぶ…慣れてきました、けど……やっぱり、まだ……怖い、かな…」
「まだ怖いのは仕方ありません。今まで通り、焦らずゆっくりと慣れていきましょう。何かあったらいつでも言ってくださいね」
「はい。ありがとう、ございます」
会話が終わり、また静かな空間に戻る。
時計の秒針とパソコンのキーボードの音だけが響く中、扉ががちゃり、と開く音がする。
誰かが依頼を済ませて帰ってきたのだろうか、ドアの音と共に一言二言、聞き取れないが会話が聞こえてくる……どうやら案内をしているようだ。
会話が途絶えた後、こちらの部屋のドアが開き――
「戻りました!レインさん、お客さんが」
そう告げてトラベロが入り、すぐさま台所へと向かい茶の用意を始める。
どうやら先程の会話は来客の案内だったようだ。
「おや、予定よりお早いですね」
「お茶僕が持っていきますんで」
「ありがとうございます、よろしくお願いしますね」
にこりと笑ってレインは来客の待つ応接室へと向かっていく。
その間にトラベロは湯のみを人数分用意し、急須に茶葉を入れて湯を注ぎ、少し混ぜるように急須を回す。
一連の流れを見ていたファナリヤは少し首をかしげてトラベロに尋ねた。
「……ここ数日、よく…お客さん、きますね」
「そうですね…今日は警察の方みたいでしたよ」
「……警察さんが、レインさんに…依頼、ですか?」
「情報提供とかしてるみたいですよ。レインさんそういうのも専門ですし」
軽い会話をしながらトラベロは緑茶を均等に注ぐ。
「じゃ、いってきますね」
一声かけて、注ぎ終えた湯のみの乗ったトレーを持ち上げて応接室へと向かった。
ファナリヤの言った通り、ここ数日ティルナノーグは来客が多い……そしてその内の7割方の客人がレインへと依頼を頼んでいる。
今日の警察組織の者を始め、迷子になったペットを探している飼い主や神秘力を持つ故に職に悩んでいるフリーターや就活生。皆何かしらの情報を求めて訪れている。
しかし、何故皆が一様に彼を尋ねるのか。
それは彼の手にしている情報がほぼ完璧な確実性を備えているからだと、トラベロは聞いている。
《情報を統べる者》――レインの持つ神秘力の一つ。これにより自らの望む情報を思うままに手にすることができるのだそうだ。
最初にイリオスにきた時、知るハズのないトラベロの携帯番号に電話をかけてきたのもこの力によるものと聞いた。
情報社会であるこの時世において、自らが望むままに全てを知ることができる……そう考えると彼の力はある意味とても恐ろしくもある。
「失礼します」
ドアを三回ノックして室内へ、そしてマナーに則り茶を出す。
レインが促すと客人は会釈をして湯呑を手に取り茶を口にし、一人がトラベロに目を向けた。
壮年の男性……警部だろうか。鋭い目に見つめられて緊張のあまり下げる頭がぎこちなくなる。
「……見かけない顔ですね。新しく職員を?」
「ええ、うちの期待の新人の一人です」
「ふむ……私が最初に伺った時は4人だけの事務所でしたが、大分賑やかになったものですな」
「ええ、おかげ様で」
「まだ若いだろうにしっかりした子だ。いい新人を採用されましたな」
褒められるとは思わず、トラベロは照れくさそうに顔を赤らめて笑う。
「あ、ありがとうございます……え、えと僕はこれで失礼します!どうぞごゆっくり…」
少し慌てて頭を下げ、トラベロはそそくさとドアに手をかける。
音は立てないように気をつけて部屋を出、ドアを閉めようとした時にある光景が目に映り思わず息を呑んだ。
客人が取り出したであろうタブレットをレインが手にした瞬間――彼の周りを無数のウィンドウが包み込む。
レインを包んでいるのと同じ鮮やかな水色のオーラを帯びたそれは次々に増え、時には一部が消えてまた次が追加されを高速で繰り返していく。
こうして彼は自身の、そして他者が求めている情報、嘘偽りのない知識を手にしているのだろう。
情報というものは不定形だ、そして全てが全て確かなものではない。しかしそれさえも思いのままにできる――やはり神秘力は不思議なものだと改めて思った。
「ほあああああああああああ!?!?」
事務室のドアを開けた途端、悲鳴にも似た声が飛んできてトラベロは思わず肩を震わせた。
悲鳴の主である緑髪の少年――我らがティルナノーグ所長はガタリと椅子から立ち上がった直後、鬼のような形相の秘書に拳骨を落とされきゅう、と泣く。
「客がまだ帰ってねぇのに騒ぐんじゃねーよクソガキが」
感情の一滴も込めていないと言っても間違いではないかぐらいの淡々とした声にトラベロはまた肩を震わせる。
マリナはそんな彼が視界に入るやいなや途端に申し訳なさそうな表情で話しかけた。
「……ああトラベロ君、お茶出しありがとね!ごめんねーあたしがやることだったのに」
「あ、いえ!予定より早くこられたそうですから仕方ないですよ。ところでスピルさんは何で今悲鳴を……?」
ああ、とマリナは呆れた顔でスピルを見やる。
先程まで痛みにしゃがみこんでいたのだが、途端に立ち上がってスピルは大きく身振り手振りをしながら熱く語り出した。
「だって凄いんだもん!凄いんだもん!!!!!」
「な、何がですか…??」
「ファナリヤちゃん!!リアルラック凄すぎ!!!初めてのガチャでSSRユニ当てたんだよ!?!?リセマラして簡単に手に入るようなヤツじゃないのに!!」
「……あ、ああ…………なる程……」
思わずトラベロも呆れ混じりに苦笑した。
要はスピルがファナリヤにソーシャルゲームを勧め、ファナリヤがそれを始めたら初手でかなりの引きの良さを見せたということらしい。
レヴィンを始め、職員全員がファナリヤが携帯を手にした日から口を酸っぱくして「ソシャゲは絶対に勧めるな」と言っていたのだが、結局意味を成さなかったようだ。
当のファナリヤ本人はどうすればいいかわからずおろおろとしていて、同じゲームをしているエウリューダに色々教えてもらっていた。
「これは僕も負けてらんないっ!帰ったら即課金しな――」
ばたん、とスピルが燃え上がった瞬間ドアが開く。
直後スピルの眉間目掛けてペン先を出してないボールペンが飛び、スコーンと音を立てて地に落ちた。
「いっ…~~~~~~っっ!!!?!?!?」
時間差でスピルは痛みに額を押さえて蹲る。
そんな彼にコツコツと歩み寄る足音――涙目で見上げると、先程まで接客をしていたハズのレインがにこりと笑い、かつ神秘力者特有のそれとは全く違うドス黒いオーラを発していた。
笑顔を見た瞬間、トラベロの全身を寒気が駆け巡る。
マリナも少しおののいているような顔になり、エウリューダは何故かアキアスと二人がかりで見ないようにとファナリヤの目を手で覆い、そしてスピルはだらだらと冷や汗を大量に流す。
一方レヴィンは一人半ば諦めたようにはぁ、と溜め息をつく。彼だけ比較的平然としているのは兄弟故の余裕だろうか。
「あ、れ、れい、レイン…………お、お客さんは……??」
「先程お帰りになりましたよ。「所長殿は相変わらずのようですな」と笑って」
「あっ」
「彼だったからよかったものの、別の方であればどうなっていたか…………わかってますよねぇ?」
ゴゴゴ、とレインの背後から地鳴り音が聞こえる…ような、気がする。
スピルは冷や汗を滝のように流しながら硬直し、口をぱくぱくと動かす。
「え、う、あう、えと、その...」
「何度か注意してましたけど――改めてみっっっちり、言わせて頂く必要があるようですねぇ……?」
「ひぃいいいい!!!」
……それからしばらく、事務室はレインによるスピルへの説教ばかりが響き渡った。
逃げられないようにレヴィンがスピルに重力をかけて――とは言っても足が重くて立てないぐらいであるが――レインがくどくどと日頃の行いについて痛すぎる指摘を入れ、マリナもそれに便乗する。
兎のように縮こまって説教を聞き続けるスピルの姿がトラベロとファナリヤには可哀想に見えてならず、時々フォローを入れてあげるべきかと悩んだが、自業自得だから放っとけとアキアスとエウリューダに止められる。
スピルが能のない所長だとは思わないし彼らも全く思ってないのだが、仮にも所長がこんなんで大丈夫なのかと思わずにはいられない。
そんな中レインが次の一言を言おうとしたところで――
「……すみません」
こんこんというノックの音と共にか細い少年の声。
全員ぴたりと手を止め、一番ドアに近い位置にいるトラベロがドアに手をかける。
「はーい?ご用でしょうか?」
ドアの向こうに立っていたのは白いブレザーの学生服を着た少年。ウェーブのかかった短い茶髪で、顔は俯きがちで悲しそうな目をしている。
学生服とかばんを見る限り学校帰りといったところだろう。
少し襟の辺りが乱れているが、本人が自分で乱したようには見えないのが少し気にかかる。
しかしそれよりも目を惹いたのは彼を包み込むクリーム色のオーラ――神秘力者それぞれが纏うそれそのものだ。
「あの……依頼を受けてもらえるって聞いて、その」
「あ、はい。ご依頼ですね?とりあえず中へ――」
「お願いします!!俺の無実を晴らしてくださいっ!!!」
少年は唐突にトラベロの手をがし、と掴み藁にもすがるかのような必死の形相を向けた。
トラベロの口から思わず小さく声が上がる。少年は必死のあまり中に入る気配は一切ない。
「このままだと俺退学かもしれなくてっ!親に迷惑かけるのは嫌なんです!!」
「え、は、はい!お伺いしますんでとりあえz」
「お願いしますっ!!ここがダメだったらもうどこにも道がないんです!!!お願いしますっっ!!!」
「おおっ、お、おっ、落ち着いてください!中でお聞きしますからっ」
「トラベロ君の言う通りだよ。だから"落ち着いて"?お茶でも飲んで一息つこうよ」
見かねたエウリューダが割り込むと、少年ははっとして我に返る。
どうやら言霊を使ったようだ、先程までの必死な形相が嘘かのように落ち込んだ顔で俯いた。
「……す、すみません」
――その後、茶を飲みながらゆっくりと依頼の内容に入る。
少年の名はロッシュといい、その容姿の通り学生。しかもイリオスでもレベルの高い進学校の生徒だそうだ。
そんな彼のクラスで最近、生徒の所有しているペンやノート等が紛失するというケースが相次いでいるらしい。
誰かが窃盗をしていうのではないだろうかという考えに至るのはよくある話だが……
「……なる程。貴方の神秘力のせいによるものだと難癖をつけられたと」
「……そういうことになります……」
がっくりと項垂れるロッシュ。
彼の神秘力は、ノートやら箱やら、そういったものを手元に引き寄せる力であり、机に紛失されたハズのノートや教科書やらが入っていたため自身がやったものだと容疑をかけられた。
しかし自身は力を使っておらず身に覚えがない。しかしそれを証明する方法がなく、教師にも信用してもらえない。このままでは良くて謹慎、悪くて退学処分となる。
とはいえ警察は証拠がなければ動きもしないだろう……故にこちらに助けを求めにきた、ということだそうだ。
ふむ、と呟いてレインは顎に手を置き、思考を巡らせながら問いかける。
「親は学費高いのに、俺がやりたいことがあるならって、気にするなって言って今の学校に行かせてくれて……なのにこれじゃ親に迷惑かけることになって嫌なんです!
お願いします!どうか助けてくださいっ!お代なら……今、これだけですけど……!!」
鞄の中をがさごそと漁って、随分とボロボロになってしまった小銭だけが残った封筒を取り出す。
ただお金を入れて持ってくるだけならこうはならない。よく見ると鞄の中そのものが随分と荒らされている状態だ。
「ほ、本当はもっと用意してたんですけど……た、足りないならまたバイトの給料が入ったら…」
「おい待て、普通なら封筒自体がこんなボロボロにならねぇだろ!盗られたのか!?」
「……その、弁償しろ、ってことで……その。無実が晴れてないから……」
アキアスの問いに俯いて答えるロッシュ。
答えから察するまでもなく、盗んだんだから弁償しろ、という体でカツアゲされたのだろう。
恐らくこちらへの依頼金として持ってきたであろうこの封筒の中身を、しかも次に給料が入ればということは全財産を盗られたという可能性が否定できない。
その答えが帰ってきた途端、レインが即座に決断を下した。
「承りましょう。この依頼において私たちは一切の報酬を要求致しませんので、そちらはお持ち帰りください」
「え!?で、でも」
「構いませんよ、学生の方が必死に貯めておられる貯金を頂くワケにはいきません。貴方の無実は晴らします。そして――盗られたという貯金も取り返しましょう」
堂々と、レインは宣言する。
「で、でもその、ホントにそんなこと」
「できますし、してみせます。私たちはできないことはそもそもお受け致しません。ですから、安心してお任せください」
にこりと微笑む彼のその言葉に嘘はない。その表情も言葉も、不可能はないという絶対の自信の表れが見て取れる。
先程まで戸惑っていたロッシュもそれで少し安心したのか、ほっと息を吐いて頭を深く下げた。
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
――会話も終え、見送りに外へ出ると空はすっかり茜色に染まっていた。
「では明日朝、ご自身の机にこちらを入れておいてください」
レインが手渡したのはペンケース。何の変哲もない缶ペンケースに見え、ロッシュは首を傾げる。
「あの……これは?」
「ペンケースにカモフラージュしたカメラですよ。スイッチの反対側にレンズがついてますから、ONにした後スイッチの方を奥にして入れてください」
「なる程……で、でもいいんですかね勝手にこんなことして…」
「アリバイがないなら作ってしまえばいいんですよ」
にこりと、何故かとても良い笑顔を浮かべるレイン。
その笑顔は自信に満ちているが、同時に黒いモノを感じさせ、ロッシュの背筋に寒気が走る。
「何の証拠もなしに決めつけられているのですから、こちらも相応の対応をするまでです。
アリバイの証明になるものを用意すれば相手も要求をすぐに蹴ることはできませんからまずそういった処分に対しては保留になるでしょう。
もし真犯人がお偉いさんのところの子供で証拠含めもみ消しにきたらそれこそうちの所長が動いて封殺しますし。大丈夫です。」
「は、はぁ……」
「そもそもロッシュさんは全くの無実です。こうしてアリバイを用意することに後ろめたさを感じる必要など全くありませんよ。むしろアリバイを作って糾弾してきた方こそ真犯人になります」
「は、はぁ……!」
笑顔でつらつらと述べているが、言っていることは半ば恐ろしい。
上の者への封殺云々は除くとしても事実を述べているのだが、レインからにじみ出る黒いモノのせいで恐怖を感じずにはいられない。
「ということで、安心して忍ばせちゃってください」
「あ、は、はい!どう安心すればいいかわかんないですけど確かに証拠あればいいですもんね……!!わかりました!じゃあ俺はこれで……」
カメラをしまい込み、ロッシュは改めて帰路につこうと踵を返し――たところでぴたりと足を止める。
その視線の先にいるのは同じ学校の制服を着た少女。長い黒髪に整った服装で清楚な雰囲気を感じさせるが、俯いて歩いていることから少し悲しげなような暗いような印象も覚える。
少女はそれに気づいてこちらを見ると、あ、と声を上げ、軽く会釈をしかなり慌てているような様子でこめかみを押さえ足早に立ち去っていく。
その光景を見たレインは僅かに表情を険しくする。
「……あの方はお知り合いで?」
「あ、はい。同じクラスの子です。常に学年で成績トップを取ってて。いつも俯いてるんですよね」
「……ふむ」
考え込むように顎に手を置き、数秒程思考する。
「あ、あの……」
「ああいえ、失礼致しました。では、お手数ですが先程申し上げた通りにお願い致します」
「あ、はい!わかりました。失礼します!」
深く頭を下げ、ロッシュは今度こそ帰路についた。
姿が見えなくなるまで見送った後、レインは早足で事務室に戻る。
「あ、お帰りなさいレインさ……」
ファナリヤが声をかけるが、レインはそれに答えることなく自身の席に座る。
顎に手を当て、延々と何かを考えている……ファナリヤが何かあったのかと不安そうに声をかけようとするが、レヴィンが肩に手を置き止める。
「大丈夫だ。あいつ、考え始めるとよくああなるから」
「あ、は、はい……」
それでもやはりファナリヤは心配そうにレインを見つめている。
一方当の本人は色々と思考を巡らせているようで周りの目も声も全く入っていない。
自身を周りの環境から切り離したかのように、視界に何も入れぬように顔を僅かに俯け、顎を指でさする。
「(……クラスメート。常に学年トップの成績、つまり優等生。優等生故に誰も彼女を疑いはしないし、本来ならばやりもしない。
――しかし先程の様子。普通はただ見かけただけであんなに慌てはしないハズ。慌てたとしても大げさすぎる。……もしかしたら)」
ぴたりと顎をさすっていた指が止まる。
顔を上げ、先程まで自分が説教をしていた所長に声をかける。
「スピル」
「ん?」
「先程の依頼の件、学校に――」
「連絡ならもうとっくに終わってるよ。校内に入れるようにしといたから。監視カメラもOK。カモフラージュしとけばバレないハズだよ。……あいってってって……」
レインの考えを見透かしていたかのような返事をしつつ、痛みと痺れの残る足を軽く揉みほぐす。
「……流石、話が早くて助かりますよ。普段の仕事もそれぐらい早いと――」
「~♪」
途端に口笛を吹いて現実逃避に入るスピル。
また説教が必要だな……と思いつつも今することではない、依頼解決に早速動かなければ。
「エウリューダ、ファナリヤさん」
「んー?」
「は、はい!」
「明日学校に行きますので、ついてきてください」
「ふえ!?」
突然の指名にファナリヤは驚きのあまり声を上げる。何故自分なのだろうか。
一方エウリューダは「はーい」とすぐに返事を返しているが彼が指名されるのはわかる。
しかしあと一人とするならば普通――といっても彼女の中での印象に過ぎないが――、この場は自分ではなく自分よりよっぽど人と関われるトラベロか、
あるいは犯人が最悪の行動に出た場合、即時対処ができるレヴィンかアキアスがよっぽど適任だとしか思えない。
「あ、あの、本当にわたし……です、か?」
「ええ、ファナリヤさんにお願いしたいのですよ」
「で、でも、わたし、そんな、その、できる、こと……」
「ありますよ。神秘力を使わず、かつファナリヤさんにしかできないことが」
力を使わずにできて、かつ自分にしかできないこと。そんなことなどあるのだろうか?
全くわからず、困ったようにファナリヤは首を傾げる。
「今日私にしてくれたように、話の時にお茶を出して一息つかせてあげてください」
「……えっ?」
「私の推測が当たっていれば……それができるのは、ファナリヤさんだけなのですよ」
にこりと、いつもの穏やかな微笑みを讃えてレインは答える。
もちろん、この時のファナリヤには理解ができず、首を傾げていたのだった。