第一章【ハジマリ】第九節-前編
「……よし!今日も一日頑張ろうっと」
玄関の鍵を閉めた後頬を軽くぱんと叩く。
トラベロがティルナノーグに入ってから丁度今日で一週間が経つ。
一人では広すぎる家の間取りにも慣れ、仕事も小さな依頼を手ほどきを受けながらファナリヤと共にこつこつとこなしていた。
近所のゴミ拾いだとか、壁のペンキ塗りだとか、清掃の手伝いだとか……今のところはそんな身近な頼みの方が多い。
最もトラベロが血液恐怖症である以上、荒事が回ってくることはないだろうし、こちらに越してきて間もない自分たちにとっては近所との触れ合いも兼ねることができ一石二鳥だ。
そして今日も同じように近所のお悩みを解決するのだろう。劇団にいた頃とはまた違う充実さを感じる日々を送っていた。
「トラベロ君!おはよー!」
玄関前で腕時計を見て待っていると、一台の車がやってきて運転席から声がかかる。
「マリナさん!おはようございます」
荷物を背負い直してトラベロは駆け足で車へと駆け寄り、手を振っているマリナに話しかける。
助手席にはファナリヤも座っていて、トラベロと目が合うとおはようございますと頭を軽く下げた。
「さっすがトラベロ君、待ち合わせの時間通り!スピルとは大違いねぇ」
「あははは…スピルさん今日は遅刻しないんでしょうか」
「さぁ、あいつのことだからねぇ。…ま、それじゃ二人仲良く歩いていらっしゃいな」
マリナがファナリヤに目を向けると、ファナリヤは顔を赤らめ少し頬を膨らませる。
それをマリナはかわいい、と笑うがトラベロはいまいち理解できていないような顔を浮かべる。
荷物を持ってファナリヤが車を降り、トラベロの隣に寄るのを確認すると、よろしくねと告げてマリナは車を走らせた。
「じゃ、行きましょうか」
「は、はい…!」
ファナリヤは嬉しそうに笑ってトラベロについて歩く。
ここ2日程前から二人で一緒に出勤するようになったのだが、ファナリヤの顔が前よりも幸せそうに見えてトラベロは嬉しかった。
彼女はマリナの家に居候していて、その家が車を使わないと遠い距離らしくこうしてトラベロの家まで送ってもらっている。
最初は面倒だろうし大丈夫だとファナリヤは遠慮したのだが、マリナの方はいいから行っておいでと何故か燃え上がっているような表情で告げたらしい。
しかしこうして朝語らいながら歩くというのはやはり楽しいと心が躍っていた。
「……あ、あの。トラベロさん」
「何ですか?」
「その……トラベロさんは、もう…慣れましたか?…お仕事」
「そうですねぇ、こなす依頼の内容も内容でちょくちょくやってることだったんで、割と。
……ファナリヤさんはやっぱ、まだちょっと…慣れないですか?人と接するの」
「…は、はい……」
あれからファナリヤもトラベロと一緒に近所からの依頼をこなすようになって、同じように一週間が経過した。
少しずつ手袋の生活にも慣れてきたし、相手側はこちらの事情を知らぬのもあってとても優しく接してくれる人が多い…のだが、やはり怖い。
間違えて心を読んでしまったらとつい考えてしまい縮こまってしまう。
「大丈夫ですよ、ゆっくり慣れていきましょう?スピルさんたちもそう言ってますし」
「は、はい……そう、ですよね…」
「そうですよ、焦ったっていいことないです……し……」
すぐ近くで足音が聞こえる。――このままではぶつかるだろうか。
ぴたりとトラベロが足を止め、それに合わせてファナリヤもぴたり、と止まった。
直後、曲がり角から姿を現したのは……
「……♪」
機嫌が良さそうに、猫じゃらしをふるふる振っているレヴィンだった。
…よく見ると、服が毛だらけになっていないだろうか。さらに片方の手にぶら下げているビニール袋から垣間見えているのはペットフードと思しきもの。
彼の通ってきた道からにゃあ、と猫の鳴き声も聞こえる。恐らくは野良猫か何かがいて、その世話を焼いたのだろう。
しかしそんなことよりもレヴィンのこの姿がトラベロたちにとっては軽く衝撃だった。衝撃というのも失礼な言い方ではあるが、普段の彼からは想像がし辛いのは確かなのだ。
物静かであまり感情を表に出さない人物が、こうして嬉しそうに口元を緩ませ、ほんのり顔を赤らめ猫じゃらしを振っている……流石に驚きを隠せなかった。
「…♪………ん?……………」
言葉をかけづらくそのまま見ているとレヴィンがこちらにやっと気づき顔を向ける。
「……トラベロ、ファナリヤ…も」
「お、おはようございます!レヴィンさん」
「お、おはよう……ござい、ます…」
「…………」
どうやらトラベロたちの前を通っていたことに気付かなかったのか、レヴィンはこちらを見たまま硬直して動かない。
ぱちぱちと目を瞬きさせ、やっと状況を把握すると……
「っっっっっ!?!?え、あ、うあ、あ、ぃや、その、そのそのっっっ」
急に顔を真っ赤にして慌て出した。
恐らく何かを訂正したいのだろう、猫じゃらしをしまうのを忘れてひたすらオーバーな動きで「あの」「その」を繰り返す。
「そのあの、そのえと、ちがっ、その、ちが、ち、違っ……~~~~~~~っ!!!!!」
しまいには顔を真っ赤にして、声にならない声で叫んで走っていってしまった。
声をかける暇もなく猛スピードで去っていくその姿に思わずトラベロもファナリヤもぽかん、と口を開ける。
「……ど、どうしたん、でしょう……?」
「さ、さぁ……」
――もしかして、見てはいけなかったんだろうか。
そんな疑問とあのような姿を目撃したことによるインパクトだけが強く残った。
――一方、事務所。
「おっはよーう!!今日は遅刻しなかったよードヤ!」
勢いよくドアを開け、スピルが機嫌良さそうに入ってくる。
そしてあからさまにカッコつけたポーズを決めると、先に出勤していたレインとマリナが呆れた顔で悪態をついた。
「おはようございます、一回遅刻しなかっただけでドヤ顔決めないでください」
「ほんとそれ。遅刻なくしてからドヤ顔しなさいよね」
「酷ッ!!」
スピルがあれやこれやとオーバーリアクション気味に訴えるが、それを軽く流して二人は各自資料の確認や整理を行う。
この手のタイプはここで構って調子に乗らせてはいけないと淡々と各々手を動かす。
スピル本人もこの二人にはこれ以上無駄だとわかっているので大人しく席についてパソコンを開き、珍しく静かな時間が流れる中レインがふと口を開いた。
「…そう言えば、レヴィンを見かけませんでした?」
「え、見てないよ」
「あたしも。…あんたら今日は予め用事があって別に出たんじゃないの?」
「いえ…私が起きた時にはもう先に出ていましてね。何か用事があるなら予め言っ――」
噂をすれば何とやら。
レインの言葉を遮るようにバァン、と派手な音を立ててドアが開き渦中の人物がやってくる。
だがしかし、入るなりすぐ自分のデスクの下に潜り込みリュックサックをバリケードのようにドン、と置いて出てこなくなってしまった。
「……れ、レヴィン?どうしたんです?」
「いません」
「いませんじゃないわよ。どうしたのよレインにも言わないで」
「レヴィンゼードとかいう奴はきてません!!欠席です!!!」
「いや駆け込んできて言われても」
いくら三人で声をかけてもレヴィンは閉じこもったまま出てこない。三角座りで顔を伏せいない、いないと連呼しているばかり。
「……お、おはよー……」
レヴィンが乱暴に開けたドアから恐る恐るアキアスとエウリューダもやってきて、その光景に呆然とする。
「……なぁ、レヴィンどうしたんだ」
「私が一番知りたいです。入ってきて早々この有り様ですよ」
「びっくりしたよ、後ろから急に走ってきてばーん!って」
「で、これが落ちてた」
アキアスの手には猫じゃらしが一本。そこらに生えている草のそれではなく、店で売っている市販物の方だ。
ふるふると振ると付属の小さな鈴が音を立てる。
――何故に猫じゃらし?
全員がそれに視線を向けていると物凄い形相でレヴィンが飛び出し半ば強奪するような形で猫じゃらしをアキアスから取り上げた。
「……な、何これお前のだっt」
「いいかこのことは言うなよ誰にも言うなよ絶対言うなよ言ったらぶん殴るぞ!!!!」
「たかだか猫じゃらし一本で何でそんな必死になんのよ…?」
「あ、わかった。もしかしてこれで猫とじゃれてるところを目撃されヘブゥゥゥ!?!?」
直後スピルを強力な重力波が襲う。立つこともままならずそのまま床にのめり込む勢いで倒れ動けない。
重力をかけたままレヴィンは顔を茹で蛸のように真っ赤にして再び机の下に引き篭る。
「…れ、レヴィ、ン、と、解いて、解い、て……っっ」
「そんな奴はきてない!!!存在しません!!!」
「今日重症ですね……レヴィン?出てきましょう?ね??」
「お、おはようございまーす……」
とそこに新米二人もやってくる。恐る恐るゆっくりと入り、二人してきょろきょろと辺りを見回し始めた。
「あ、あの……レヴィンさんは」
「キテナイ」
「いや今の声レヴィンさんですよね!?」
「オ……ワタシジャナイレインダ」
「流石に無茶ですレヴィン。…先程来てからずっとこの様子で。二人共何かご存知です?」
その有り様にトラベロは思わず苦笑して頬を掻く。
――間違いなく僕たちが原因だな。
ファナリヤはどうしようとおろおろしていてレヴィンの方へ行こうとしているが自分のせいだし、と悩んでいるようにも見える。
しかしレヴィンが相当恥ずかしがっていたし口頭で説明してもいいものか。迷っていたらレインがまた声をかけてきた。
「遠慮せずに話してくださいトラベロさん。恥ずかしがるのいつものことなので」
「そうなんですか!?…い、いやその……」
恐る恐るありのまま起こったことを説明すると全員が全員「ああなんだ」と納得の表情を浮かべる。
特にレインとマリナはそんなことだろうと思ったよ、というような顔をしてため息をついている。
一方スピルは未だに重力下でそんなことをする余裕もない。
「全く……あんたたかだかそれぐらいで。二人共びっくりしてんじゃないのファナリヤちゃん泣いたらあんたの責任だかんね?」
「マリナの言う通りですよ。仕事仲間なんですし隠さなくたっていいでしょう?」
レヴィンはうう、と唸ると黙りこくる。机の下からは出てくる気配がない。
「あ、あの……れ、レヴィン、さん…そ、その、ご、ごめんなさい……」
そこへ恐る恐るファナリヤが前にきてぺこりと頭を下げる。
「あの、その…わ、わたし…が、知らなかった、ばっかりに、その……ほ、ほんとに、ごめん、なさい……!」
「……ち、違う。ファナリヤは悪くない……トラベロも悪くない。ただその、お…わ、私が恥ずかしい、だけで」
「で、でも…でも、そう…なっちゃったの、わたしのせい、ですし……その……」
「い、いやお前は悪くないから…」
ごめんなさい、気にするなの繰り返し。
しかしレヴィンが一向に机から出てくる気配がなくファナリヤは落ち込んでいく一方である。
その様子にレインははぁ、と溜息をつく。
「…このままでは埒が明きませんね。――エウリューダ」
「はーい」
エウリューダは苦笑しながら机の前に移動し、一呼吸おいてレヴィンに声をかけた。
「"レヴィンさん、出ておいで"」
たった一言。
しかしそれだけで何と、先程まで頑なに出てこなかったレヴィンが恐る恐る出てきている。
顔をリュックサックで頑なに隠しているがエウリューダがまた一言言うだけで真っ赤に染まった顔を露わにした。
レヴィンはファナリヤに「ごめん」と頭を下げると、目を逸らしてそのまま椅子にちょこんと座る。
ひとまず一件落着として、エウリューダはファナリヤにも席に座るように促した。
「……や、やっぱり凄い…」
トラベロはぽつりと呟く。
この一週間で数回程エウリューダが神秘力を使う場面を目にしているが、いつ見てもトラベロは驚きを隠せない。
たった一言で人の行動を左右させてしまうような強い力――その力が篭った言葉を人は「言霊」と呼ぶ。
エウリューダはその言霊を自分のものとして扱うことができるのだそうで、ティルナノーグのメンバー各自が持つ神秘力の中でも相当強力で制御が難しいらしい。
彼だからこそこうして必要最低限の使用に留められているのだろう、悪意ある者がこれを使えばと思うと末恐ろしくも感じた。
これでひとまず事は収束した……と、思ったらスピルが死にそうな声で訴える。
「……え、エウ、リュー、ダ…こ、これ解く、ようにも、言って……し、しぬ…」
「…ご、ごめん…忘れてた。レヴィンさん解いたげて…?」
エウリューダがまた苦笑いを浮かべて話しかけるとレヴィンはあっ、と言うような顔を浮かべて重力を解除する。
やっと自由の身になったスピルは涙を浮かべてハリセンを取り出しレヴィンを叩き始めた。
「バカ!!レヴィンのバカー!!バカバカバカー!!」
「あだっだっだだっ、いやその、ごめんって、忘れてたんだって!悪かったって!!」
「僕そんな扱いなの酷くない!?酷くない!?!?何で猫じゃれバラすだけで」
「わ゛――――――!!!わ゛―――――――――!!!」
「むがぐぐぐぐぐ!?」
事務所内にレヴィンの悲鳴にも似たような叫びが響き渡りスピルは口を塞がれる。
やいのやいのと騒ぎこのままでは収集がつかなくなる――とその矢先にアキアスが思い切り二人にごん、と拳骨を落とした。
みるみる膨れ上がるたんこぶと頭を抱えて蹲る姿が痛々しく思えてならない。
「やかましいわてめぇら静かにしろ!!ファナが怯えるだろうが!!」
「いや今一番声大きかったのアキアスなんじゃ」
「エウリューダそこは禁句です。まぁでも、レヴィンは頭を冷やすのも兼ねて依頼行ってきてください」
「どこから?」
「いつもの彼ですよ」
レヴィンはレインから資料を受け取り、依頼内容に目を通す。
叩かれた頭を押さえながら目を通して軽くため息をついて苦笑し、その顔にトラベロとファナリヤは思わず視線を向ける。
……そう言えば、彼の笑った顔を見たことがなかった。先程の恥ずかしそうな顔といい、今日は彼の意外な一面を知るばかりでどこか新鮮な気分だ。
「ったくあいつは…私じゃなくてもいいだろうに」
「レヴィンだから頼むんでしょう?……ああそうだ、トラベロさんも彼についていってください」
「あ、はい。僕がいて大丈夫ですか?」
「むしろお前がいると助かる。きてくれるか?」
――マゴニア首都イリオスの中央部、その路地裏を通った先。
「……こりゃまた派手だな…」
レヴィンがぽつりと呟き、トラベロもそれに同意を示す。
二人の目の前には一面中スプレーで落書きされた壁が広がっていた。
この落書きされた壁を綺麗にするべく、新たに塗装し直すのが今回の依頼であり依頼人は塗装業者本人から直々にきたもの。
とは言えど落書きに関してはほぼ慈善事業として単独で行っているそうで、一人で手に負えない時はいつもレヴィンを指名して依頼がくる…という話だ。
「まだまだこういった落書きをする人って多いんですね…」
「夜遊びする子供が減らない限りは、こういうのも減らないからな」
「その通り、まだまだ色々こじらせてるガキが多いかんなぁ。そういう奴らのケツで自分で拭えねぇとこを代わりに拭う感じだよ」
そこへ作業用具を持って男が一人。どうやら彼が依頼人のようだ、後ろには作業用具を一式積んだトラックが見える。
しかし言っては失礼ではあるが、見た目の印象として少し柄が悪そうな雰囲気を放っている。レヴィンも強面ではあるが、この男性はさらに強面でトラベロは思わずごくりと唾を飲む。
一方レヴィンは物怖じすることなく、微笑みを讃えて声をかけると、男は嬉しそうに答える。
「レヴィンさん!お久しぶりです!」
「相変わらず精が出てんな」
「そちらも元気そうっスね!安心しやした!ところでこの坊主どいつです?」
「うちのルーキー。元劇団員裏方でこの手の奴が得意なんだ。間違いなく戦力になるぜ」
「マジっスかありがてぇ!」
「あ、よ、よろしくお願いします!」
「おうおうそんな緊張すんなや、仲良くしてやってくんな」
男にわしわしと頭を撫でられ、トラベロは照れくさそうに笑う。
見た目や口調は乱暴ではあるが、この会話だけでも悪い人物ではないことがよくわかった。
軽い会話の後、持ってきた作業着に着替え早速作業が開始される。
端から丁寧にペンキで落書きを塗りつぶしていくという単調だが繊細かつ丁寧な作業が求められる作業に、トラベロは劇団にいた頃を思い出し懐かしい気持ちになっていた。
ペースよく思わず鼻歌を歌いながら進めていると、同じように隣で脚立に乗って作業しているレヴィンから声がかかる。
「……なぁその……あの。今朝は、すまなかった」
「あ、いえ!気にしないでください」
「……そ、そうか」
「レヴィンさん、猫がお好きなんですか?」
「……好き、というか……嫌いじゃない、というか……その」
顔を赤らめて言葉を濁すレヴィン。
朝の様子からも察するに、恥ずかしくてあまり口に出せないのだろうか。
「そんな恥ずかしがることないですよ、猫可愛いですもんね」
「……うん。そうだな」
「僕は、レヴィンさんのそういうところ知れて嬉しかったですよ」
ぴた、とレヴィンの手が止まる。
「……そう、か?」
「はい。やっぱりまだ、知らない部分とかあるじゃないですか。だからそういうのを知れると距離が縮まった感じがして」
「……気持ち悪いとか、思わないのか?」
「え?」
手を下ろして、レヴィンは俯く。
その表情は見えないが、その下ろしたローラーを握る手がかたかたと震えている。
何故だろうか、トラベロには怯えて震えているように見えてならない。
次に自分が言う言葉に怯えているのだろうか。トラベロが切り返す前に、レヴィンが遮るように口を開く。
「その……私は、こんな奴だから。ロクに表情変えられないし、上手く話もできないし……
よく怖いって、言われるような奴だから。イメージと違いすぎて…その…」
「…レヴィンさん」
少しだけ、トラベロは口を噤む。
自分はまだレヴィンのことを理解できたというワケではなく、安易な言葉は逆に傷つけるだけだろう。
だが、ここですぐに答えなくてもきっと彼は傷つくだろうということも理解していた。
……思ったことを、言おう。
少し緊張した面持ちでトラベロは口を開く。
「……ううん。上手く言えませんけど…………そういうイメージは、逆に壊しちゃいませんか?」
瞬間、レヴィンの手の震えがぴたりと止まる。
返ってくるとは思わなかった答えだったのだろう、少し驚いた表情でトラベロを見た。
「…怖いって言われるようなイメージは、なくしちゃってもいいと思うんです。
だってそのせいで近づかない人がいるなんて、悲しいじゃないですか」
「……幻滅、しないのか?」
「しませんよ。僕とファナリヤさんがイリオスで初めて会ったのがレヴィンさんでしたけど、別にそんなに怖いとは思いませんでしたもん。
確かに顔は強面、っていう印象でしたけど…」
初めて会った日。
駅内で人混みに押されてファナリヤが転んでしまった時に手を差し伸べてくれたレヴィンは、優しげに彼女の頭を撫でていた。
思えばそれがきっかけとなって、自分たちがティルナノーグに入ることになったようなものでもある。
スピル曰く「入社試験」だったあの戦いにおいても、レヴィンは敢えてトラベロが反撃できるようにと色々とヒントを与えてくれていた。
その当時は気づかなかったことだが、あれも敵だと思わせなければならない中で彼なりにこちらに気を使ってくれていたのだ。
もう一つの神秘力を用いて治療するために、ずっと眠っている自分についていてもくれた――初めてあった時から、自分たちは彼の優しさを一身に受けてばかりだったと改めて思う。
「出会ってまだ経ってませんけど、レヴィンさんが優しい人だっていうのは十分わかってます。幻滅なんてするワケないですよ」
「……トラベロ」
「すみません、偉そうなこといって……長話しすぎましたね。作業戻りましょうか」
照れくさそうに笑ってトラベロはまた壁にペンキを塗り始める。
熱くなる目頭を数秒強く押さえて、レヴィンも止めていた手を動かす。
その横顔は嬉しそうに笑っていて、依頼人の男性がニヤリと笑って茶々を入れる。
「良かったじゃないすかレヴィンさん。いい新米舎弟っすね?」
「バッ!おまっ、舎弟言うんじゃねぇよ!こいつは後輩!」
「へ?レヴィンさん舎弟なんているんです?」
「いるも何も。昔俺が荒れてた時に入ってたグループまとめあげてたのレヴィンさんなんだぜ。その辺りじゃ結構名が通ってんのさ」
「ロブ!!何勝手にバラしてんだよ!!!」
顔を真っ赤にして脚立から飛び降りて舎弟、もといロブに突っかかるレヴィン。
――なる程、だから余計にイメージを気にしてたのか。
納得がいったトラベロはその光景を見てくすりと笑う。
普段と口調が変わる程怒っているということは過去の自分が恥ずかしいということだと思うが、普段の彼よりも自然体のように見える。
……きっとこれが、レヴィンゼード・リベリシオンという人物の本来の姿なのだろう。
この半日間だけで距離が随分と縮まったような気がすると、トラベロは何だか嬉しくなった。
そしてそれは、レヴィン自身も同じだと確信に似た思いを抱く。
何故なら――彼の顔も何だか、嬉しそうだったのだから。