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リヴィノイドの取扱説明書  作者: 青柳蒼
9/10

説明書 リヴィノイドの暴走の止め方

 五条通りから木屋町通りへ入って四条通りまでの、高瀬川沿いを歩くのが好きだ。暇が出来ると、その辺を散歩して、途中の喫茶店に寄ったりする。この辺りは人通りが少なく、けれども京都らしい雰囲気がある。今は時期ではないから花は咲いていないけれど、春になったら薄紅色の散歩道になる。

「聡里さん、本当にここがお好きなんですね」

 隣を歩く霜が言う。花が咲く頃に霜がここを歩いたら、それはそれは素敵な一枚の絵になりそうだ。

「うん。四条以北とは違って人少ないし、ゴチャゴチャしてないし」

「春も夏も、秋も冬も……、ずっとこうして歩いていられたらいいですね」

 そう言って霜は、まだ見ぬ季節を夢想するような遠い目をした。

 夏の新緑も、秋の紅葉も、冬の雪景色も、学生生活が終わるその日まで、こうして穏やかに過ごせたらいいな。

「そうだね。うん。よし、決めた。私、リヴィノイドの勉強するよ。んで、霜が壊れても直せるようになる」

 霜は立ち止まって、驚いた表情で私を見た。

「聡里さん、それって……」

「一般的なリヴィノイドの寿命って、大体五年かそこらだけど、もっと延ばせるように頑張るよ」

 私の中に、まだ霜のパーソナリティーへの不安はまだ燻っている。いずれこれが引き金になって、手の施しようが無いほど壊れる可能性がある。せっかく組んだ大事な子だ。既に愛着も情もある。出来る限り長く動けるようにしたい。

 霜は、私の手を取ってそっと握った。

「僕も、お手伝いします。聡里さんと、末永く過ごして行けるように」



 それから霜が先生のようにリヴィノイドの勉強を見てくれるようになった。故障時の修理の仕方を重点的に教わった。

 毎日夕食後に一時間程勉強している。今、今日の分が終わって、ほぅっと息を吐いた。

 勉強すればする程、リヴィノイドは奥が深くて興味が尽きない。もっと早くに興味を示していたら、文学部なんて行かずに工学部に進んで、もっと色んなことを学ぶ機会に恵まれることが出来ていたのに……と悔やまずにいられない。

 そういえば、ウチの学校って工学部あるんだ。単位取れる工学部系の選択授業があるかもしれない。次回の履修届け出す時に探してみよう。

「聡里さん、とても熱心ですね。教え甲斐があります」

 霜が嬉しそうに私の頭を撫でる。とても優しく、慈しむように。

 最近、こんな感じでスキンシップが増えた。なにかにつけてぺたぺたと触ってくるようになったのだ。作った当初から、抱きついてきたり手を握られたりというのはあったけれど、そんなに回数は多くなかったよな……。別に意地悪くつねられたり叩かれるわけじゃないから、これはこれで悪くないと思いはするのだけれど、変な感じがしてどうにも座りが悪い気分になるのだ。

 疲れてぼんやりしていたので、手を払うでもなくされるがままにしていると、霜の手がピタリと止まった。どうしたのかと首を傾げると、霜は眉を顰めて私の額に手を当ててそのまま停止してしまった。

「霜、どしたの?」

 霜はまだ動かない。そして、暫くしてから急に立ち上がった。

「大変です、37.8度あります!」

 意味不明だよ?きちんと主語を言ってくれないとわかんないよ。

「霜、落ち着いて。よくわかんないけど、大丈夫だよ」

「大丈夫じゃありません。聡里さん、熱があるんですよ!?」

 ほうほう、そうか。私が、熱出しちゃってるのね……。って、マジか!?

「そりゃマズイ。明日学校行けなくなるじゃないか。まあ、38度越してないならどうにかなるかな。ちょっと体温が高いだけだよ」

 そうそう。病は気から。大ゲサに考えていると悪化するもの。私は大丈夫と思い込んで自分を騙せれば、明日起きたら熱なんて下がってるって。

「何が『ちょっと体温が高いだけ』ですか!?ほら、早くお薬を飲んで休んで下さい」

 お怒りモードになってしまった霜に無理矢理着替えさせられてベッドに放り込まれた。こうなってしまった霜にごねたらお説教されるだけだ。大人しく従うより他無い。

 薬箱から熱さましの薬と水を持って、霜がベッドの端に腰掛けた。

「さ、これを飲んで、ゆっくり休んで下さいね」

 大人しく薬を飲むと、霜は優しく微笑んで頭を撫でてくれた。子供じゃないんだけどな。

 横になっていると、台所の方から片付けの音がする。薬が効いてきたら眠くなるんだろうけど、まだ眠くない。することも無くぼんやりと天井に目をむけていると、視界に霜の顔がアップになった。

 『まだ寝てないんですか?』と言いたげな、困った子を見るような顔で、再びベッドの端に腰掛ける霜。けれども霜は何も言わずに、そっと私の手を握った。暫くその様子を眺めていると、やがて霜が口を開いた。

「すみませんでした。僕が付いていながら、聡里さんの体調管理が行き届いていないばっかりにこんなことになってしまって……」

 霜が責任を感じる必要は無いんだけどな……。何だか申し訳無い気分になる。まぁ、そういうパーソナリティーに作っちゃったってだけで、別に気持ちが入ってるわけじゃないんだよね。

 それでも、心配してもらえて看病してもらえるのはありがたいことだな。実家にいた頃なんて誰も何もしてくれなくて、自分でどうにかするしかなかったから……。

 私は上体を起こして、色違いの綺麗な霜の瞳を真っ直ぐに見て感謝の言葉を口にした。

「霜、心配してくれてありがとう。やっぱり霜を作って良かった」

 大ゲサだしちょっとウザいなぁなんて思ったけど、この世にこんなに私を大事にしてくれる相手は他にいない。感謝しなきゃバチが当たる。

「そんな……、聡里さん」

「うん、作って良かった。疲れで熱出ただけだろうけど、風邪だったとしても霜に感染ることはないから安心して看病してもらえるし。これから病気になっても一人で辛い思いして自分で自分の看病しなくていいんだから、ホント良かった。これからも迷惑かけるかもしれないけど、よろしくね」

 霜は握っていた私の手を引き寄せてしっかりと抱きしめた。いつもの戯れに抱きつくような軽い感じではなくて、まるで腕の中に仕舞い込むように。

「霜?」

 変な感じがして呼びかけてみるが、返事は無い。いったいどうしたんだろう?何か不具合でも起こしたのだろうか?そんなことを考えている間、霜は何も言わず、ただ私の髪を撫でたり頬ずりしている。

「霜、どうしたの?」

 再度声を掛けてみる。すると、ようやく抱擁を解かれて顔を上げることができた。霜の表情は、何だか苦しそうだ。どうしてそんな顔してるの?

「霜、どうしたの?どっか悪いの?霜?」

 不具合を起こして壊れかかっているんじゃないかと焦りが募る。霜は、狼狽える私の両頬を手で包んだ。霜の顔から苦悶が消え、微笑みが浮かんでいた。

「そ……」

 名前を呼びかけるより早く、霜の唇が私の口を塞いだ。

 状況に頭がついていかなくて、固まってしまった。その間も霜の行為はエスカレートしていく。最初は触れるだけだったのが、舌まで入ってきた。

 ヤバいのかもしれないと感じ始めて離れようとしたが、しっかりとホールドされてしまっていて1ミリすら動かない。

 相手が生身の人間でなく綺麗なリヴィノイドだからか、気持ち悪いという感じは無いが、快楽も感じなかった。ただひたすら、わけがわからず混乱していた。

 しばらくして唇が離れた。私は呆然と霜の顔を見ることしかできない。私のそんな様子に気付かず、嬉しそうな表情で霜は優しく私の頭を撫でる。

「どうして?」

 まだ冷静さを取り戻せず、それしか言えなかった。

 疑問を投げかけられるとは思っていなかったのか、霜はキョトンとした表情で撫でていた手を止めた。

「僕は何かおかしいことをしましたか?」

 霜は物凄く自然な様子でそんな回答を出した。

 どうしてなんだろう?霜にとってはあの状況でああするのは極当たり前な行為として認識されている、ということだ。私、そんな認識をされるようなことは今までしたことなんて無いし、そんな命令やプログラムだってして無い。

「抱きしめても髪をなでても、どうしてか何かが違うと言うか、足りないと思ったんです。答えを導き出すのに時間がかかってしまいましたが、僕を呼ぶ聡里さんの口元を見てようやく気付いたんです。キスするのが正しいのだと」

 回答を出すのに時間がかかったから苦しい表情をした、答えを見つけたから微笑んだ、そういうことなのか。

「それが正しいと思った根拠は?」

「僕は、聡里さんが聡里さんの為に作ったリヴィノイドです。聡里さんが望むであろうことを予測して行動するのは当然のことです。聡里さんに気に入られて愛される為なら何でもします」

「私、霜にそんな奴隷みたいになって欲しいなんて思ってないよ。一緒に生活するパートナーみたいな……、ただ私の手助けをして欲しいだけだよ。気に入らないことしたって、そんなことで捨てたりなんかしない。無理して頼んでもないことする必要なんて無いんだよ」

「僕はあなたから愛されたいんです。僕があなたを愛しているから」

 激安販売されていたリヴィノイドの致命的な欠陥がどこにあるのかに、ようやく気付いた。これは、私の設定ミスや接し方の問題なんかじゃない。起動プログラムだ。

 起動プログラムは、昔のパソコンで言うOSのようなものだ。付属の起動プログラムは市販品ではなかったから、恐らく販売会社が独自開発したオリジナルの物に違いない。基盤となる起動プログラムに『マスターを愛する』とか、それに類するようなプログラムが元々組み込んであったのなら、霜の今までの行動全てに納得がいく。

 でも、わかったところでどうすればいいんだ?プログラムの修正なんて、今の私には不可能だ。とにかく今は霜の暴走を止めないと……。

「霜、私、霜のこと好きだよ。でも、私は霜に恋人を望んでるんじゃないんだ。望んでいるのは、なんて言うか……、兄弟か友達みたいな関係だよ。もっとライトで気楽な関係でいたいんだ」

 私の回答を聞いた霜から表情が消え、しばらく混乱しているかのようにフリーズしてしまった。

 もしかしたら、このまま動かなくなるかもしれない。命令とプログラムの狭間で、うまく処理出来なくて内容不良を起こせば、間違いなくハードディスクがお亡くなりになる。それはつまり、今までの霜は消滅する、ということだ。

 一つ、大きく息を吐いた。吐く息の熱さに、自分が熱を出していたことを思い出した。

 上手く自己処理して問題なく動いてくれるか、このまま動かなくなるか、どちらにしろ、確認しなきゃならない。

 覚悟を決め、呼びかけた。

「霜、大丈夫?」

 すると、意外にもすんなり霜は動いた。

「すみません、大丈夫です。聡里さんの言葉を理解するのに時間がかかってしまいました」

 動いたはいいけれど、表情が無いのが気になる。

「本当に大丈夫?どこか身体に違和感は無い?」

「はい、大丈夫です。聡里さんのお気持ちはよくわかりました。僕は聡里さんが望むようにします」

 未だ表情が浮かばず、無表情のままだ。全然大丈夫に見えないな。

「霜、システムチェックしよう。あと動作確認も」

 布団をどけてベッドから出ようとしたが、霜が慌てた様子で止めた。

「ダメです!聡里さん、熱があるのをお忘れですか?僕のことより御自分のことを大事になさって下さい」

 あれ?いつもの霜だ。

「でも……、心配だし」

 今寝てしまって、目を覚ましていつものように『霜、おはよう』って呼びかけて、霜が動かなかったら嫌だ。

 たかがちょっ高いだけの熱の為に何もしないでいたくない。どうせこのままじゃ不安で寝るどころじゃないし。

 霜を押しのけてベッドから降りようとした。けれど、霜にあっさり捕まえられてしまった。

「聡里さん、本当に大丈夫ですから、もう休んで下さい。お願いします」

 霜の顔に表情が戻っている。心配そうな、困ったような表情だ。

「本当に、大丈夫?」

「はい」

「明日、起きたら動かなくなってたりしない?」

「しません」

「本当に?動かなくならない?」

 霜は微笑んで、私の頭を優しく撫でた。

「聡里さんが望む限り、僕はあなたのそばに居ます。ですから、早く休んで身体を治して下さい」

 私はようやく安心して眠った。



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