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リヴィノイドの取扱説明書  作者: 青柳蒼
7/10

説明書 リヴィノイドに感謝をする

 私はその日、朝起きてから気付いた。すっかり忘れていた。レポートの提出が明日だということに。

 マズイ。猛烈にヤバい。落としちゃいけない必修科目の単位が掛かっているレポートなのに……。

「聡里さん、大丈夫ですか?」

 起き上がったのにそのまま頭を抱えている私に霜が心配そうに訊いた。

「霜……」

 そうだ、こいつが居れば何とか終わらせられるかもしれない。地獄に仏様がいらっしゃった……。

 私はがっしりと霜の手を握った。

「あの……、聡里さん?」

「霜、一緒に学校行こう。で、レポートを書くんだ」

 私利私欲に塗れた私の眼差しには気づかなかったのか、霜はぱっと花が咲いたような笑顔をその美しい顔に浮べた。

「僕を学校に連れて行ってくださるのですか!?」

 どうやら学校に行ってみたかったらしい。

「緊急事態だから、特別ね。授業中はサークルの部室で待っててくれる?」

 授業にリヴィノイドを連れて行くのは厳禁とされている。リヴィノイドが一般に普及し始めた頃から学生が授業を録画・録音するのが流行り、学生が授業を聞かなくなって学力が低下したり、試験前に録画した映像を高値で販売する学生が出てきたりした為、どこの学校もリヴィノイドを教室へ持ち込むことを禁止している。

 急いで出かける支度を済ませてキャンパスへ向かった。時間が早いからか、まだ人の姿がまばらなキャンパス内を霜を連れて歩く。何が珍しいのか、まるでおのぼりさんのようにキョロキョロと周りを見回す霜は、いつになく子供のようだ。

「楽しい?」

 こんなへぼい三流大のキャンパスなんて面白くもなんともないだろうに。京都の名前を冠した某国立大だったら観光する面白さがあったんだろうけど……。

「楽しいですよ。聡里さんが通っている大学ですから。一度どんなところなのか見てみたかったんです」

 ああ、つまりアレか。親が子供の通ってる学校を見たいって感じのやつね。


 結局その日は徹夜してレポートを仕上げた。翌朝も霜を学校へ連れて行き、紙に印刷してようやく終了。やれやれだ。ホントに霜がいてくれなかったらどうなっていたことか……。

 それにしても、こんなに助けてくれた霜に何かしてあげたいと思っているのに、何をしたらいいか全くわからない。霜が喜ぶことって何だろう?新しい服?それとももっと高機能の目とか、集音マイク?

「霜、何か欲しいものない?」

 霜はキョトンとした顔で私を見る。

「どうなさったんですか、急に?」

「いや、レポート作るの随分手伝ってもらっちゃったし、それにいつも色々やってもらってるから、お礼に何かプレゼントしたいなって思って」

 霜はキョトンとした顔のまま固まっている。

 いくら人間そっくりに作ったとはいえ、機械を相手にお礼だなんて変だったか?

 そう思って口を開きかけた時、おもむろに霜が抱きついてきた。

「ええっ?そっ霜?」

 霜は何も言わず、慌てふためいてもがく私を離そうとはしなかった。

「霜?」

 もがくのを諦めて呼びかけてみた。

「……嬉しいです。聡里さんにそんなふうに言って頂けて、本当に嬉しいです」

 感無量といった様子だ。そんなに喜んでもらえるとは思わなかった。

 霜の背中をぽんぽんと撫でてやる。

「じゃ、明日買い物に行こうか」

「いえ、お気持ちだけで僕は充分満たされていますから……」

 遠慮深い奴だ。

「いいじゃない。たまにはお出掛けしよう。何か見つかるかもしれないし」

「わかりました。お供します」




 翌日、私は霜を連れて京都駅付近をぷらぷらとウィンドウショッピングした。駅の地下のポルタでは霜が私の服を選びたいと言い出してあれこれと試着させられたり、インテリア雑貨を見たり。

 道行く人が霜を振り返って見たり、ちょっと目を離した隙に霜がナンパされるという珍事もあったりして、中々愉快な時間を過ごした。

 最後に大型家電量販店に入った。それまで私の物や、部屋を飾る物ばかりに興味を示して自分の物は見向きもしなかった霜が、急にリヴィノイド用のパーツを漁り始めた。

 そして、ある棚の一角でぴたりと立ち止まってそこから動かなくなった。ずっと後から付いてきていた私だったが、その棚に置いてある物を見てすぐに離れた。

 霜は食い入るようにその棚の品物を吟味している。

 私はそこへは行けない。無理。だってあれは……。

 やがて霜はその棚の品物の中から一つ品物を持って私のところへやってきた。

「聡里さん……、これを買って頂けませんか?」

 霜がおずおずと差し出したそれは、……いわゆる男性のアレだ。

 私はフリーズしたまま動けない。頭の中で沢山のちっちゃい私が緊急会議をしている。

『いやいや、こんなんレジに持って行けるわけないでしょ!』

『欲しい物買ってあげるって言ったじゃん!』

『バカ言ってんじゃねーよ。そんな恥ずかしいこと出来るか?!』

『それくらい我慢しなさいよ。マスターでしょ?』

『いや、そもそも何でこんなん欲しいのさ?』

 うん、そうだ。何で欲しいんだ?

「欲しいの?」

 やっとの思いで私はそれだけを口にした。

「前からずっと気になっていたんです。僕は男性型でありながらそれを決定付けるものが無いことを」

 ……そういうものなのだろうか?訝る私に更に霜は言葉を続ける。

「これがあることで、僕のアイデンティティーが定まる気がするんです。あの……やっぱり駄目でしょうか?」

 眉をハの字にして潤んだ(ように見える)瞳で訴えかけるようにこちらを見る霜。こんな瞳で見られて駄目なんて言えないじゃないか……。

「駄目じゃない」

 すると、霜は一転して花が咲き乱れたかのような笑顔を浮かべた。

「聡里さん、ありがとうございます!」

 現金な奴だ。

「で、それ幾らなの?」

「二万五百六十円です」

 ぶほっと噴き出してしまった。予想外の値段だ。

「ごめん、やっぱ無理」

 即前言を撤回する。そんな大金が私の財布に入っているはずがない。

「聡里さん……」

 ちょっと……、そんな目で見ないでよ。

 まるで捨てられた子犬のような目で私を見る霜。ああ、もう。わかったよ。

「今日は、無理。お金無いの。お金貯まったら買ってあげるから」

「本当ですか?」

「約束する。だからそれは今日は戻してきて」

 まだ悲しそうな顔をする霜を何とか宥めすかして品物を戻させて店を後にした。

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